Episode_17.29 イドシア砦の戦い Ⅱ


 インヴァル山系の山裾は起伏の多い地形だ。一つ一つの起伏が丘のようであるが、ヨシン達数名の若手の騎士が率いる五百の別働隊は、それらを踏み越えて砦へ迫る。そして、砦を南側に見下ろす最後の丘の上に辿り着いていた。


 右手、西側を見ると、ガルス中将率いる千五百の兵と二百の騎士が、同じ数の敵兵と戦端を開く直前だ。一方、南の砦では、貧相な正門に取り付いた五百以上の敵兵が、今まさに門を打ち破ろうとしている。


 身を屈めて、丘の稜線の陰からその光景を睨みつけるヨシンは、後続の兵を気にする。兵士達もヨシン達も、持てるだけの食糧物資を携行している。兵士に至っては標準的な装備の倍以上の物量を背負うなり、両手に持つなりしていた。


(荷が重すぎるな……これじゃ、戦いどころじゃない)


 ヨシンは、徐々に追いついてくる兵士達の様子にそう考えた。彼を含めた全員の装備は、少しでも確実に物資を砦に届けたい、という想いから来ている。しかし、進軍した経路は予想以上に消耗を強いるものだった。


「荷を置いて行こう!」


 ヨシンは、周囲に居る三人の騎士に言う。若手だがヨシンよりは年上の者ばかりだ。彼等はヨシンの顔を見ると、次いで各自顔を見合わせる。そして、


「そ、そうだな」

「仕方ない……」

「確かに、これでは戦えたものでは無い」


 彼等の内、二人はウェスタの騎士、一人はウーブルの騎士だ。二十歳前半といった風貌は若く血気盛んに見える。だが、三人ともヨシンの言葉に賛成していた。彼等は直接見ていないが、トルン砦で突然現れた竜牙兵を打ち倒したヨシンの話は、ちょっとした噂になっていたのだ。


「みんな、荷物はここに置いて行くんだ!」


 若い騎士の一人が兵達に声を掛けた。しかし、兵達は逡巡したように、行動を起こさない。予想外の反応に、他の騎士達は困惑した表情になる。一方、ヨシンは溜息にも似た息を吐いた。気持ちはよく分かる、そう思った。


 今この場に居る兵士達は、いずれも九月の攻勢の際に従軍していた正騎士達の所領地からやって来た増援の兵士だ。彼等は、直接のあるじである所領地の騎士の安否を確認するために戦場に送り込まれた兵達だった。これは公然の秘密だが、通常各地の小領主である騎士が軍役の際に率いる兵士達は真の精鋭ではない。本当の精鋭兵は各自の領地に在って、騎士が不在の領地を守るのがつねなのだ。


 しかし、そのような精鋭兵であっても、主の安否を確かめるために所領地から遠く離れた戦場におもむかなければならない。今はそういう状況だった。そんな彼等は、全員が主人の無事を願っている。そして、長く敵に包囲されていた主人をおもんばかって持てるだけの食糧を持っているのだ。


「みんな! 主人が心配なのは分かる。オレもアルヴァンが心配だ。だが、荷物を背負って戦えるほど、この先の戦場は甘くない。一度荷を置いて、全力で敵を排除しよう!」


 ヨシンは大声を上げて兵士達に呼びかける。丘の下で城門を攻める敵に気付かれても構わないとさえ思っている。そんな事よりも、各所領地からつどった精鋭兵が奮い立って全力を出すことが肝心だと思ったのだ。


「戦いが終わり砦を確保した後に、旨い麦粥を煮た者には特別に報償を出す! ブラハリー様からのこつづけだ! みんな、荷物を置いて先ずは砦を手中に! 薄汚い傭兵共は全員インバフィルの海に叩き落すんだ!」


 ヨシンの言う「侯爵ブラハリーの報償」は口から出まかせだった。しかし、砦を確保しアルヴァンを救い出せば、そんな報償など些細な事だ。彼は斧槍首咬みを片手にそう吠えた。


 やがて、ヨシンの熱が伝わったのか、兵士達は肩や両手に持った荷物を一か所に置く。そして、兵士達はヨシンの元に集合した。数は五百。よく見れば中年や老齢に達した兵士も多い。だが、彼等の発する気合いは無言の中にも空気を張り詰めさせる強さを伴っている。一筋縄では行かない強兵、老兵の集団がそこに在った。


「準備は良いな? 合図と共に丘を駆けおりる! 敵は正門に取り付いた傭兵達だ!」

「オウッ!」


 地響きを伴った返事があった。


「ッ! 行くぞぉ! 突撃ぃっ!」


 ヨシンの号令によって、丘の反対側から兵士達が飛び出す。先頭はヨシンだ、徒歩で丘の斜面を駆け下る。右手に首咬み、左手に折れ丸。猛獣の如き両眼は敵と、砦の門と、交互に見比べ、最短で到達する経路を探し出していた。


 彼等が突撃を開始したのは、イドシア砦の正門が破られたのと、ほとんど同時だった。


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 アルヴァン・ウェスタは、砦の門の内側に立って今にも破られそうな門を見詰めている。どうしても足元がふらつくのは、飢えと重たい鎧のせいだ。同じような状態の又従兄バーナス・ウーブルと、まるで支え合うようにしなければ、立っていることも出来ない状態だった。


 門を叩く音は、最初ドシンと重たいものだったが、今やバシバシと軽い音になっている。音の変化は、門の表面と受け止めるかんぬきが今にも破られそうな事を示している。一旦破られれば外に居る数百の敵兵が雪崩れ込むだろう。そうすれば一巻の終わりだ。


 この日、アルヴァンは兵士達に、砦に長く敵を引き付けることで遥か西の平野で戦う本隊が有利になる、と言って鼓舞した。アルヴァンの言葉は、根本的に救いが無い、ということを示すものだった。しかし、騎士も兵士もアルヴァンの言葉で奮い立った。自分達の最期が飢えでなく、戦いであることに感謝する者さえいた。そんな彼等は、痩せ細った身体に闘志だけをみなぎらせている。


 アルヴァンはふと、左後ろで外壁を乗り越えようとする敵兵と一足先に戦いを始めた騎士達を見る。ひと際鋭く槍を振るう騎士デイルの姿があった。デイルは「諦めるな!」と声を発しながら戦っていた。


(そうだ、諦めてはいけない……恐れてはいけない!)


 アルヴァンは念じるように心の中でその言葉を唱える。しかし、アルヴァンの内心を嘲笑うように、その瞬間、門の閂が折れ飛んだ。ドンッと音を立てて貧相な門が押し開く。


「アルヴァン様、今行きます!」


 その瞬間、デイルの大声が響く。しかし、アルヴァンは門の向こうの光景に目を奪われていた。そこには数百の傭兵達があった。そして、


「み、味方……なのか」


 傭兵達の背後に続く斜面を駆け下る、別の集団があった。先頭を駆けるのは漆黒の鎧を身に着け、斧槍と長剣を両手に持った偉丈の騎士だ。遠い上に、全閉兜を被った顔は誰か分からないはずだった。鎧の色も見慣れた深緑ではない。しかし、その逞しい体格と、特徴的な武器は、その騎士が誰であるかをアルヴァンに教えていた。


「みんな! 味方の援軍が来たぞ! ここが正念場だ! 怯むなぁ!」


 アルヴァンは声の限りにそう叫んだ。カサついた唇が割れる痛みさえも、希望の証しだと感じていた。


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 ヨシンは斜面を駆け下る途中、開け放たれた門の向こうで、身を寄せ合うようにひと塊となった味方の騎士や兵士達の姿を捉えていた。そして、その人々の中に親友アルヴァンの姿を垣間見ていた。その姿は痩せ衰え、立っている事もやっと、という風にヨシンには見えた。開いた門に敵の傭兵達が雪崩れ込む、その前のほんの一瞬の光景だった。しかし、ヨシンの目は確実にアルヴァンを捉えていた。


(アーヴ! 生きていた、無事だった!)


 ヨシンは、親友の姿に奮い立った。そして、敵の集団の背後に突入する。


 ヨシン達の突撃は、彼等が丘の斜面に姿を現した時には、当然傭兵達に気付かれていた。しかし、開門したばかりの砦に侵入しようとしていた敵は、陣形を崩して、只の集団になっている。突然背後に現れた集団に対して、満足な防御態勢を取ることは出来ない。そして、最後尾で右往左往する傭兵達から順に、ウェスタ・ウーブル連合軍の強兵に打ち倒されていった。


 ウェスタ・ウーブル連合軍は、傭兵集団を砦の門に対して左右に分断するように只管ひたすら突き進んだ。そんな彼等の先頭に立つのは黒い甲冑に身を包み、本来両手で操る武器を左右の手に持ったヨシンだ。


「うらぁ! どけぇ!」


 立ち塞がるというよりも、逃げ遅れたというべき敵兵を、ヨシンは蹴散らし続ける。そして、目の前に捉えた敵兵に対して、怒声を発しながら右手一本で斧槍「首咬み」を叩きつけた。強烈な一撃を盾で受け止めようとした敵兵は、勢いに負けてその場に転倒した。ヨシンは、その敵兵を踏み越えるようにして更に進む。倒れた敵は後続の兵士達に任せるつもりで、彼は果敢に血路を開く。


 次に立ち塞がったのは、大柄な傭兵だ。その傭兵は逃げ腰ではなく、突入してきた集団の先鋒を潰そうと立ち向かってきた。ヨシンの物と似た、柄の長い両刃斧を構えると、上段から問答無用に振り抜いてくる。


 対するヨシンは、飛び出すように間合いを詰めた。ガシィっという音と共に肩当てに衝撃が走る。相手の長い柄が肩を打ち据えていた。しかし、ヨシンの愛剣「折れ丸」は、彼が間合いを詰めたと同時に敵兵の腹に突き立っている。


「うぐぅ」


 大柄な身体が傾く。ヨシンは、構わずに突き立った剣先を引き抜くと、「首咬み」を握ったままの右拳でその傭兵を殴り倒した。その時、少し前方から命令のような声が上がった。


「中心部で前進を食い止めろ! 横隊防御陣形だ! 集合、集合!」


 ヨシンは声が上がった方を見る。そこには他の敵兵とは違い、上等の金属鎧を着た指揮官らしき男が三人固まっていた。そして、その指揮官の周囲には屈強な敵の傭兵達が小規模な横陣を形成しつつあった。集合を呼びかける彼等の陣形が整えば、突破は困難になる。そう感じたヨシンは周囲に集まりつつあった味方の兵士達に声を掛ける。策も何もない。ただ只管ひたすら前進するだけの彼等は、ヨシンの声に応じるとひと塊となって、再度突進を仕掛けようとする。


「アレを突破すれば門だ! 行くぞ!」


 ヨシンの蛮声が轟く。その時、そんな彼等の頭上を、日の光を遮る大きな影が横切った。一瞬の出来事だったが、敵も味方も思わず頭上を見上げていた。


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 援軍の存在を知ったイドシア砦の面々は、最後の力を振り絞り抵抗を続けていた。騎士だろうが兵士だろうが、全員が衰えた体力の限界を気力で補う状態だった。そんな中、騎士デイルはあるじアルヴァンと、ウーブル侯爵家の公子バーナスを援護するべく、戦いの場所を門の内側に移していた。


 門を破ると同時に、背後から急襲を受けた傭兵達は一瞬統率を欠いていた。そのため、砦内部に侵入したのは百人に満たない人数だった。しかし、そんな少数でも、今のイドシア砦にとっては致命的だった。外壁を乗り越え続ける敵兵と、門を通って侵入した敵兵は、示し合わせたように、イドシア砦に残った面々を包囲するような動きをとっていた。


 デイルは義父ガルスから譲られた業物の大剣を振るい、敵をあるじに近付けまいと奮戦する。もしも、この時のデイルが本調子であったら、もしかしたら敵の勢いを一瞬でも押し返すことが出来たかもしれない。しかし、既に限界を踏み越えたデイルの全身は鉛のように重かった。


 朦朧とした意識の下で、殆ど無我の境地で剣を振るうデイル。最小限の剣先の動きで次々と敵を葬る様子は達人の技である。しかし、重たい甲冑を脱ぐことで辛うじて動くことが出来ている彼は、全身に無数の傷を負っていた。失血が僅かな体力を無遠慮に削って行く。


 荒々しく突き込まれる槍を、まるで風にそよぐ・・・柳のように躱して、斬る。大剣を振るうのではなく、最小の動きで剣先を滑らせるだけだ。敵兵は首筋から血飛沫を発して倒れる。しかし、それと同時に別の敵から槍を突き込まれた。痛みよりも衝撃が走る。倒れまい、と左肩に突き立った槍の穂先を握る。そこでデイルは、自分の耳が聞こえていない事に気付いた。すると、急に視界まで狭く暗くなっていく。


(もう……駄目か……)


 暗くなる視界であるじの姿を探したデイルは、こちらを見て叫ぶアルヴァンの顔を見た。そして無意識ながら最後の力で、槍を突き込んだ敵を斬った。敵が倒れると、支えを失ったデイルの身体も仰向けに地面へ倒れた。


 倒れ込んだデイルの視界一杯に鉛色の空が広がる。その空を背景として、愛する妻ハンザと娘パルサの笑顔が一瞬だけ浮かんだ。しかし、次の瞬間、瀕死の彼に与えられた安らぎは、空を横切った大きな影に掻き消されていた。


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 イドシア砦を巡る戦いは、門前の乱戦を中心として展開している。斜面を駆け下りた勢いで敵勢に突入したウェスタ・ウーブル連合軍の五百の別働隊は、楔形くさびがたとなって、門前に集合していた敵傭兵集団の中心部まで達していた。彼等の先鋒と砦の門までは、もう百メートルを切る距離だった。


 しかし、その時点で傭兵達はようやく態勢を立て直した。二百人程の傭兵達が横隊陣を作ると、ウェスタ・ウーブル連合軍の先鋒を受け止める事に成功したのだ。一旦勢いを止められたウェスタ・ウーブル連合軍は、再度突破を試みた。だが、時間が経つにつれ、混乱状態から回復した傭兵集団は統率を取り戻す。更に、砦の外壁を乗り越えようとしていた別の部隊が門前の乱戦に加勢する格好となった。


 また、砦の中は、既に百数十まで数を減らした騎士や兵士達が、ウェスタ侯爵家公子アルヴァンと、ウーブル侯爵家公子バーナスを守るために最後の抵抗を続けている。しかし、外壁を乗り越えた傭兵と門を潜った傭兵によって完全に包囲されていた。


 一方、イドシア砦から西に数百メートル離れた平地では、ウェスタ・ウーブル連合軍の本隊と四都市連合第四集団の軍勢が一進一退の戦いを繰り広げている。そこへ、応援に戻った第五集団の騎兵五百は、ウェスタ・ウーブル連合軍の背後を突こうとした。しかし、事前にその突撃を察知したガルス中将の采配によって、二百の騎士が迎撃に繰り出した。結局、騎士と騎兵の戦いは倍以上の勢力を誇る傭兵騎兵が半壊する結果となっていた。


 イドシア砦周辺の戦場はこのような状況である。だが、戦いの渦中に在る者達は、その全体を俯瞰ふかんする事は出来ない。全員が目の前の敵を打ち倒さんと全力を振るうだけだ。しかし、そんな中で唯一、大空を飛ぶ存在だけが全体の状況を見渡すことが出来た。


 そして、その存在は戦場に影を横切らせながら、酷くゆったり・・・・とした動きで高度を下げる。戦場に居る者の視線が、一旦その存在に注がれていた。

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