Episode_17.28 ガルス中将の躊躇い
時刻は正午を過ぎるころ、イドシア砦に間近まで迫った森の端からウェスタ・ウーブル連合軍の進撃が開始された。
先頭はウェスタ侯爵領とウーブル侯爵領の正騎士達二百騎である。森から砦までは起伏の激しい山裾の地形だった。馬で駆けるには適さない地形でもあるため、二百騎の騎士は、山裾を迂回して平野を進む。徒歩の兵士凡そ二千は千五百と五百の集団に分かれると、五百の小集団は起伏の多い地形に姿を隠すようにして、砦へ向かう。一方、残りの兵士千五百人は騎士の後を追って平野を迂回する経路を進んだ。
逸る気持ちを抑えつけて、馬の速度を歩兵の速さに合わせた騎士達の前に、イドシア砦の正門と、そこに取り付く千の傭兵、更に、それとは別の千五百の傭兵が見えた。
「砦の門が!」
騎士の誰かがそんな声を漏らした。彼等の目の前で、老朽化した砦の門はまさに打ち破られたところだった。
「砦には騎士デイルが居る! まだ持つ!
にわかに広がった動揺をガルス中将の声が静める。今すぐ駆け出したいのは皆一緒であるが、先ずは目の前に展開する千五百の傭兵を崩さなければならない。
ガルス中将率いるウェスタ・ウーブル連合軍は砦を左手に見ながら、敵の傭兵集団と対峙している。砦と左翼端の距離は一キロ未満だ。その先には、砦を攻める千の敵兵が居る。闇雲に砦へと進路を変えれば、前と後ろから挟撃に遭うのは明らかだった。
「各小隊、班毎に密集し横に展開! 騎士隊は両翼に待機」
ガルス中将の号令で、ウェスタとウーブルの兵士達は十人程度の単位で密集し、千五百の敵兵に対して横方向に展開する。密集した小集団が集合する様子は魚の鱗に似るため、特に魚隣陣と呼ばれる。しかし、ガルスの号令はそれを変形させ、横隊に展開したものだ。
対する敵傭兵は整然とした通常の横隊陣となって、待ち構える格好だ。直ぐに、前進を続けるウェスタ・ウーブル軍が敵兵の前列と交戦に入る。至る所で、炎が発せられ、雷が飛ぶ。敵傭兵には可也の数の魔術師が含まれていた。対するウェスタ・ウーブル連合軍は戦列の後方に配した弓兵が矢を射る。山なりに飛んで前線を飛び越える矢は、可也の部分が途中で勢いを失い落下する。これも、敵方の魔術師による備えだろう。
「前列、押し込め! 後列も続け! 魔術など、乱戦に持ち込めば使えるものでは無い!」
最後尾のガルス中将は、そう号令を掛けると、部隊全体を乱戦に持ち込もうとする。確かに、遠距離から撃ち込まれる魔術は脅威だが、敵味方が入り乱れた乱戦では、味方に被害が出るため、使用は困難となる。
ガルス中将の号令を受けた兵士達、前列は魔術による被害で歯抜けの状態になるが、直ぐに後列から別の班が進み出て穴を埋める。そして、各集団の隙間を埋めるように、後列が続々と前に進み出る。全体として密集していても、その中の隙間を活用して部隊が機動性を持つ、これが魚隣陣の強みだった。その強みは敵前列に対する浸透性の高さとなって現れていた。
既に、最前線では、剣と盾、槍と槍の戦いが繰り広げられる。武装の優劣は傭兵に軍配が上がる。しかし、兵達の連携という面では、ウェスタ・ウーブル連合軍に分があった。戦線は所々で両軍の境を曖昧にしながら、両軍共に
横隊同士の衝突では、通常、敵の弱点である右翼、つまり自軍の左翼が戦線を押し上げる。敵も同じであるため、最前線は左翼が前進し、右翼が押される格好になる。それが自然だった。しかし、この戦いでは逆の事が起こっていた。
ガルス中将は、乱戦が広がりつつある前線を眺めながら、その事実にようやく気付いた。戦いが始まる前は左手に見えていた砦が、徐々に視界の正面に入ろうとしている。自軍の左翼が押されているのではなく、右翼が異常に押しているのだ。ガルス中将は、その敵の動きを、戦闘しながら砦を背負うように機動している、と見た。そして、
(上手い……これでは、イドシア砦と我々の間に割って入られる)
イドシア砦には、ヨシンを始めとする数名の騎士と五百の兵士を別働隊で進ませている。しかし、このままでは、その別働隊は倍以上の敵集団に飛び込む事になってしまう。焦りを感じたガルスは、後列に待機させていた騎士隊を自軍の左翼に送り込もうと考えた。しかし、
「騎士隊、敵の――」
そう言い掛けた瞬間、ガルス中将の周りに不自然な一陣の風が起こった。異変を感じた老騎士は一瞬息を呑む。そして、
(リムルベートの指揮官、騎士達の突撃は待たれよ! 背後に五百の騎兵が迫っている!)
聞き慣れない男の声が耳朶を打った。ガルスは咄嗟に周囲を見渡す。すると、戦いを続ける両軍勢を大きく迂回するように、平野を駆ける二十騎の小集団を見つけた。先頭を進む騎兵は、ガルスの視線が自分に向いていることを察知すると、平野の奥、西の方角を指差した。
(あちらから来るぞ! 先ほど離脱した第六集団の騎兵の一部だ!)
ガルス中将は、言葉を発することも忘れて、その男が指差す方角を見た。それと言われなければ気付かないが、確かに騎馬が立てるような土煙が上がっていた。
「貴殿の名は!」
ガルス中将は咄嗟に声を発した。周囲の騎士はギョッとして老騎士を見るが、構わなかった。
(ブルガルト! 先を急ぐ故、これにて御免!)
老騎士を包んでいた風が弱まった。ブルガルトと名乗った男の声もそこで途切れた。ガルスはその騎馬の集団が南に離れた場所にある、敵軍の陣を目指していることを知った。
(……罠か? いや……)
ガルスは、チラと横目で砦を見る。砦の様子は相変わらずだった。
(ヨシン達の隊はもう直ぐ取り付く……しかし、背後を突かれて我らが壊滅すればアルヴァン様をお救いすることは叶わない……)
ガルス中将の胸中は
(ヨシン達を信じよう。敵騎兵を迎え討ち、その後砦の敵を排除する。それしかない!)
そう決断を下すと、周囲の騎士隊へ号令を発した。
「騎士隊、背後へ転進! 敵騎兵が来るぞ、迎撃準備!」
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衝突する軍勢を大きく迂回するブルガルト達の騎馬は、
「暁の! 名乗る必要はあったのか?」
「……恩を売れば、リムルベート側が退路を保障してくれるかも知れないだろ!」
左隣で馬を駆けさせる「オークの舌」の首領が、声を掛けてくる。対するブルガルトはそう答えた。そして、そのまま集団を見回す。「暁旅団」の傭兵は首領ブルガルトと参謀の魔術師バロル、それにレッツやドーサといった若手の有望株や、「優男」と呼ばれる古参など、合計十五騎だ。それ以外は「オークの舌」の首領を始めとした八騎。総勢で二十三騎が彼等の軍勢だ。
ブルガルトの右隣では、馬上のバロルが度々魔術を発動している。前方に
「今日は景気良く魔石を使うからな!」
「構わん! 好きに使ってくれ!」
ブルガルトの視線を感じたバロルは、冗談めかしてそう言った。彼は二十三騎の馬と馬上の人に対して強度の高い
「ソマルトのクソ野郎は陣地に居るかな?」
「さぁ……」
「見つけたら、泡を吹くまでケツを蹴り上げてやる!」
「好きにしろ……」
後ろの方で、レッツとドーサがそんな言葉を交わしている。この二人は相変わらずだ。よく喋るレッツと寡黙なドーサ。だが、二人とも、陣地に突入した後は大暴れすることを心に決めていた。
彼等が目指す第五集団の陣に、どれだけの兵力が残っているか? それは分からないが、
「もう直ぐ陣地だ! 行くぞ!」
先頭のブルガルトが気勢を上げた。目指す陣地はグングンと近付いている。
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