Episode_17.27 イドシア砦の戦い


 イドシア砦に攻撃を開始した傭兵達の数は凡そ千人。彼等は砦の外壁の外で火を焚いて、枯草と油を投げ入れることで黒煙を上げている。それは、遠く離れたリムルベート軍に対してイドシア砦を攻めている事を強調する目的のものだった。しかし、その様子を別の方向 ――イドシア砦の直ぐ近くの森―― から見ているガルス中将は冷静だった。


 イドシア砦は、山肌に張り付くように造られた古い砦だった。上から見ると山肌を背負った半円の形状をしている。その外周に存在する外壁の高さは四メートルほどだ。そして、北側を向いた門は堅く閉じられている。しかし、傭兵達はその門を無視するように、高さ四メートルの外壁に向って土塁を積み上げて階段状の足場を作っていた。そんな作業を易々やすやすと許すほど、イドシア砦の防衛は弱かったのだろう。


 しかし、今、ガルスの目は外壁の向こう側にゆらゆらと動く槍の穂先を捉えていた。敵の攻撃準備に対応して、防衛の準備を整えているのだろう。揺れる穂先は、砦の中に生きて戦う意志のある者が居る証明だった。


「ガルス中将、後続歩兵揃いました」

「いつでも行けます!」


 森の陰から息をひそめて砦を見守るガルスの元に数人の騎士が報告に現れた。食糧等の物資を担ぎ、慣れない森の中を行軍した結果、遅れ気味になった歩兵が到着したことを告げている。物資を満杯に持っているのは歩兵だけでは無かった。騎士も各自の騎馬に可能な限りの物資を積んでいる。


「ガルス中将!」


 騎士の中でもひときわ若いヨシンが、ガルスに詰め寄って言う。だが、老騎士ガルスは動かない。砦の前には大勢の敵兵が居る状況だ。砦内部が応戦の構えを見せているとしても、討って出て、共闘出来るほどの余力は無いだろう。配下の二千の騎士と兵士で何とかする・・・・・には、何かきっかけ・・・・が必要だった。


 しかし、目の前の砦を攻める敵兵達は、そんなガルスの気持ちを待ってはくれない。敵兵達は二手に別れて砦を攻めている。片方は土塁をよじ登り外壁を越えようとする。砦内部から槍で突かれて何人もの傭兵が落下するが、その勢いは衰えない。一方、もう片方の集団は手持ちの破城槌を持ち出して、北向きの門へ打ち付け始める。砦から応戦の矢が放たれる様子は無い。精々、石礫が思い出したように城壁を飛び越えて降ってくる程度だ。悠々と門を打ち破る作業が続き、ドンドンという音がガルス達の元まで響いてくる。


 騎士や兵士達はその音と光景に焦りを募らせるが、ガルスは一人、敵の本隊へ視線を送り続ける。


(やはり、待てぬな)


 冷静なように見えるが、ガルスの胸中は他の者と同じである。幼い頃から成長を見守ってきた若君アルヴァンと、婿養子であるが、今や息子と頼りに思う騎士デイルがあの中に閉じ込められているのだ。彼の我慢は限界を振り切っていた。


 ガルスは全軍に攻撃開始の指示を発するため口を開く。その時、敵陣に動きが起こった。


「なんだ?」

「気付かれたか?」


 周囲の騎士達は一瞬ざわめく。しかし、彼等の目の前で五千近くの勢力だった敵兵の半数が転進すると、平野を西へ向かって行軍を始めた。動きを見せたのは、騎馬ばかりの大部隊だ。そして、砦の前に残ったのは、外壁に取り付いた千人と、後詰のように陣地に留まった千五百人だった。


(……騎馬の集団は、ブラハリー様の本隊を叩く動きだな……だが、これならば、なんとか)


 ガルスはそう見極めると鋭い号令を発する。


「今動いた敵の騎馬部隊が見えなくなったら行動開始だ。しゅくと準備せよ」


***************************************


 騎士デイルは、覚束ない足に力を籠めると槍を全力で突き出す。本来打撃が主な用途である歩兵用の長槍だが、穂先は短剣の鋭さをもって、外壁を乗り越えようとした傭兵の首元を捉える。槍を受けた傭兵は、外壁から足を踏み外すと、塀の向こうへ姿を消した。


 デイルの周囲には、同じように歩兵用の長槍を構えた騎士が五十人程度いる。彼等は、外壁の外に作られた土塁の足場を乗り越えて、砦に侵入しようとする敵の傭兵を撃退していた。一方、他の歩兵達は、重そうに盾と片手剣ショートソードを構え、直ぐに始まる白兵戦に備えている。


 デイルは、ウェスタ侯爵家正騎士の身分を示す重装板金鎧を脱ぎ捨てている。重すぎて、今の体力では、身動きが取れなくなってしまうからだ。そんな彼は、辛うじて厚手の革製の綿入れを身に着け、手甲と足甲を身に着けるのみだ。しかし、それであっても、体力の衰えは凄まじく、手甲や足甲を重く感じる。ましてや、辛うじて腰に佩いている業物の大剣など、満足に振るう自信が無かった。


 見回してみれば、周囲の騎士達も似たようなものだ。げっそりと肉が削げ落ちた頬に痩せ細った身体、甲冑を身に着ける事が出来る者は皆無だ。しかし、全員が落ち窪んで黄ばんだ眼に鬼気迫る闘志を爛々らんらんと湛えている。その容貌は悪鬼もたじろぐほどの異様なものであった。


 一方、兵士達の状況はもっと酷い。盾を構えることが出来ないものは、剣のみを持っている。剣を持つことも出来ない者はせめて組み付いて相手の邪魔が出来れば、と身構える。そして、既に歩く事も儘成ままならない者達は、外壁の内側に寄りかかるように、身体もたれかけている。そんな彼等でも、侵入した敵が自分を殺そうとする動作が、他の仲間への助けになれば、と思ってそうしているのだ。


 砦の中で、満足に動ける者は二百五十に満たない。残りの内、既に五十人が餓死している。そして、百人程度は戦いが無くても明日、明後日には飢え死ぬだろう。そんな中で槍を振るうデイルは、変な所で自分の幸運を感謝していた。飢えて死ぬくらいなら戦って死んだほうがマシだといえる。その想いは、彼だけのものでは無い。全員が心の中でそう思っている。砦の兵は、既に死兵の集団だった。


 再び敵を突き殺したデイルは、もう一度周囲を見る。少し離れた門の所に三十人程の集団が固まっている。そこには|主(あるじ)アルヴァンと、ウーブル家の公子バーナスが居た。二人は支え合うように立ちながら、何とか威厳を保つべく白銀の鎧を身に着けている。しかし、体型に合うように作られた板金の鎧は、すでにブカブカと隙間が多くなっている。その様子は、まるで死体漁りが戦利品の甲冑を身に着けてみたように、チグハグな印象を発している。


(痛ましいお姿だ)


 デイルはそう思う。そして、自分も似たような外見なのだろうと思った。しかし、飢えて衰えた体力とは裏腹に、デイルは不思議なほど感覚が研ぎ澄まされていることを感じていた。今まで剣の修練として、相手の防御を躱し、逸らせ、打ち払い、そして一撃を叩き込む。その技術を磨いてきた。しかし、今、剣ではなく槍を構えるデイルは、その穂先が通るべき道がしっかりと見えていた。敵の防御を気にする必要はなかった。その通り道に沿って穂先を突き込むだけで、簡単に敵を倒すことができるのだ。しかも、城壁の向こうに押し寄せている、見えない敵の息遣いまで聞こえてきそうなほど、敵の気配が良く分かる。端的に言うと、恐ろしいほど冴えている・・・・・のだ。


 そうやって敵を倒し続けるデイルだが、多勢に無勢である。いつの間にか、外壁を乗り越えた敵が、待ち構えた歩兵達と切り結んでいる。しかも、離れた所の門では、破城槌の音がいよいよ大きくなり、門のかんぬきは折れ掛かっていた。


「諦めるなぁ! 諦めるなぁ!」


 デイルは、掠れた声でそう叫んでいた。筆頭騎士の責任が、そうさせたのだ。しかし、叫びながら陳腐ちんぷな言葉だと思った。昨日と今朝、垣間見えた味方の軍勢は遥か西の彼方にあった。あの軍勢が自分達を助けるために、イドシア砦に急行してくれるとは思わなかった。それはあるじであるアルヴァンの言葉でもあった。


 ――「こんな所に軍勢を差し向けても、包囲され、退路を断たれて一巻の終わりだろう。敵もそうさせるために、我らを生かしておいたのだ。来なくていい。寧ろ来られると、寝覚めが悪い」――


 飢えのために動きが乏しくなった表情で、無理に笑って見せるアルヴァンは、


 ――「この上は我ら一堂最後の一人になってもこの砦に立て籠もって敵を引き付けるぞ」――


 と気を吐いていた。今朝のことだった。


 デイルは、戦いの中でそんな事を思い出していた。その時、ひと際大きな音と共に、門の閂が吹き飛んだ。ドッと門が開く。直ぐにでも百人を超える敵兵が一気に砦の中に雪崩れ込んでくると思った。


「アルヴァン様、今行きます!」


 デイルは、外壁を乗り越えようとする敵兵の一人に槍を投げ付けると、次いで腰の大剣を抜く。そして、重さにフラつきながらも、主アルヴァンの元を目指し、短い距離を駆け出していた。


****************************************


「砦の門を打ち壊すのも時間の問題です。もうお終いですな」


 四都市連合のソマルト作軍部長は、副官の言葉を聞いて頷いていた。時刻はそろそろ正午を過ぎるころだった。彼は思いだしたように言う。


「ああ、そうだった。第六集団を追う前に、面倒な処刑を済ませよう。連れて来い」


 彼の命令に応じて、直ぐに後ろ手に縛られ目隠しと猿轡さるぐつわを噛まされた十人の傭兵が連れて来られた。彼等を引き連れるのは、ソマルトの元で働く作軍部の仕官数人だった。同時に斬首用の大きな両手斧を持った処刑人も姿を現した。


 ソマルトは、囚人のように連れてこられた面々の目隠しを一人ずつ取り払う。顔を知っている者もいれば、知らない者もいた。その中で、一人の女性に目を止めたソマルトは珍しそうに言った。


「女? ……ああ、『暁旅団』のブルガルトの情婦いろか」


 それを聞いたダリアは猿轡を噛まされて尚、唸るように何か声を発した。昨晩の内に何かあったのだろう、その顔面には殴られた跡が赤黒い痣となって、沢山出来ていた。


「ダリアとか言ったか……なんだ? ウチの若い連中にちゃんと可愛がってもらったのか?」

「――!」


 ダリアの顔は、屈辱を思い出したように歪む。しかし、その次の瞬間、ダリアの隣で縛られていた男が猛然とソマルト目掛けて体当たりを敢行した。目隠しの上からでも分かる、顔面に幾つも醜い傷を持つ男は「藪潜り」と呼ばれる「暁旅団」の古参傭兵だった。


 しかし「藪潜り」の渾身の体当たりは、声だけを頼りにしたもので、あっさりとソマルトに躱される。そして、


「ぐぇ……」


 ソマルトの副官が抜いた剣は、転んだ「藪潜り」の背中に突き立ち、胃の腑を切り裂いて地面に縫い止めた。


「――ッ!」


 ダリアは目の前が涙で見えなくなるのを感じた。恥辱と無力感に苛まれる。しかし、どれだけあらがっても、運命は既に決しているようだった。


「サッサと処刑を済ませるぞ。第五集団には第六集団の後を追う準備をさせろ」


 ソマルト作軍部長は、周囲にそう命じる。副官は、みすぼらしい傭兵を地面に繋ぎとめていた剣を引き抜くと、刀身を拭い鞘に納める。そして、ソマルトの命令を復唱しようとしたが、その時異変が起きた。


「ほ、報告します!」

「なんだ?」

「敵の伏兵、北の森から砦を目指しております」

「数は?」

「およそ、千五百!」


 冷静な副官は、それを聞くとソマルトを見る。一方のソマルトは、一瞬だけ宙を睨むと考えをまとめた。


(森に配した野伏の斥候は役に立たなかったか……だが、この伏兵があればこその正面攻勢と言う訳だな)


 納得したソマルトは、副官に言う。


「第六集団から五百を此方へ呼び戻せ! 第五集団は全力で敵の伏兵を叩く! 恐らく精鋭兵だ、全力で当たるぞ」


 堂々としたソマルトの命令を副官が復唱する。そして、


「処刑は適当に済ませておけ……行くぞ!」


 そう言うと、第五集団の主要な面々はこの場を離れて行った。そして、その場に残されたのは、数人の作軍部仕官と処刑人達だった。


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