Episode_17.26 侯爵の決意、傭兵の決意


 アドルムの街の目の前に展開したリムルベート軍は、四都市連合の防衛部隊と衝突した。我軍六千数百に対して、敵軍の数は六千だ。数の差はわずかである。両軍ともに、歩兵横隊を前面に出しての衝突だが、押し寄せたリムルベート軍側が戦いを仕掛ける格好となった。


 リムルベート軍側は全部で九個大隊の規模だが、その内六個の大隊を横隊陣に組み替え、右翼側から順に接敵した。最前列の歩兵が組んだ槍衾が傭兵達の前列槍隊と衝突し、両軍共に大きな被害が出る。リムルベート側は、時に騎士の集団が歩兵の列を割って前列に飛び出し、敵方の前列を崩す。対する傭兵軍は、魔術師や精霊術師の放つ攻撃術でそれを押し返す。一進一退だが、前列最右翼の更に右から百騎の騎士隊を迂回攻撃に差し向けたリムルベートが若干優位に前線を押し上げていく。


「先ずは、思い通り。か……」


 前列の動きを見守るブラハリーはそっと呟く。後方に控える三個大隊の一つがウェスタ侯爵ブラハリーの指揮する本隊だ。本隊の構成は、先の戦いで敗退した第一騎士団と第二騎士団の混成になる。直接指揮を執る大隊長や中隊長格の騎士達は皆ブラハリーと面識のある者ばかりだ。この部隊だけでは無い。九個大隊殆ど全ての隊長格と好誼を通じているのが、大貴族であり、人付き合いに粉骨砕身してきた侯爵ブラハリーの強みであった。


 敵方の作軍部長ソマルトが分析した通り、今の大軍を率いるブラハリーに同規模の軍を指揮した経験は無い。その上、長く父親であるガーランドの威光の影に隠れた格好となっていたブラハリーは、周囲から「内政に長じた人物」と思われている。だが、それはウェスタ侯爵領の領主を父親から譲り受け、王都リムルベートの邸宅に住まいを移した後の、他の爵家貴族達が知る、王都・王城内でのブラハリーの姿だった。


 父親ガーランドが領主と侯爵位を兼ねていた時代、青年期のブラハリーは領地にあって哨戒騎士団を束ね、領地領民の安全を守る陣頭指揮を執っていた。ゴブリン、オーク、野盗に魔獣、時には近隣、東のウーブル領や西のゲーブルグ領との領土紛争も、その陣頭に立ってきた実績と経験がある。成功と勝利ばかりではない。時に手痛い敗北を喫し、時におごつまづき、七転八倒の苦しみを味わった事もある。


 全て昔の話だった。忠義の正騎士ガルスや、リムルベート十傑に数えられ、後に引退した哨戒騎士ヨームが前線で戦っていた時代の話だ。現哨戒騎士団長ヨルクはブラハリーと同じ歳で、当時一介の哨戒騎士見習いだった。後に息子の養育係を任せることになる強兵ゴールスは、口煩くちうるさい叩き上げの兵士長だった。


 確かにブラハリーに武勇は無い。息子アルヴァンが羨ましく思えるほどだ。しかし、武勇は騎士と兵士に任せておけば良い、と彼は考える。周囲に控える顔ぶれは変わったが、壮強な騎士であり兵士であることには変わらない。


 そんなブラハリーは、直ぐ近くが最前線という状況でも泰然自若たいぜんじじゃくとして馬の上にいた。最前列で戦う騎士や兵士達に指示をするためではない。総大将が共に居るという事を示すためだ。そうやって、前方を睨みつけるブラハリーの元に伝令兵が駆けつけた。


「閣下! 東のイドシアから煙が上がっております!」


 その報せに、ブラハリーでは無く、彼の側に居た大隊長や他の騎士達が先に動揺を見せた。全員がこうなること・・・・・・を分かっていた。そして、その報せが何を意味しているのかも分かっている。だが、渦中のブラハリーは静かに命じるのみだ。


「よし、手筈通りにやってくれ。くれぐれも、それ以上の事・・・・・・はするな……」

「しかし、本当に――」


 本当にそれで良いのですか? と問い掛ける大隊長の言葉を遮るブラハリーは、


「機を逸するな! 早くやれ!」


 と今度は大声で命じる。辛そうな横顔が、彼の決心を物語っていた。


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 間も無く、リムルベート軍の後列三個大隊に異変が生じた。部隊の中から百騎前後の騎士が、イドシア砦へ目掛けて駆け出したのだ。それにつられて、歩兵達も隊列を乱す。しかし、直ぐに別の騎士達がその行く手を遮るように動いた。そしてしばらく、睨み合いを続けた両者は、合流すると元の後列部隊へ戻って行った。それは、戦いを続ける最前列には影響がない、最後尾の変化だった。


 しかし、それをイドシア側から見た四都市連合の作戦部長ソマルトは小さく笑った。彼は、イドシア砦への攻撃によって、リムルベート軍側に少なくない動揺があることを見て取ったのだ。そして、


「第六集団、敵軍側面に対して攻撃を開始せよ!」


 と命じる。直ぐに、騎馬の傭兵を重点的に集めた第六集団二千五百が動き出す。彼等が目指すのは、数キロ先のリムルベート軍、後列の左翼側だった。


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 その日の夜明け前から両軍が衝突を開始した昼前に掛けて、アドルム平野の北側の山裾に広がる森では、幾つかの動きがあった。


 先ずはリムルベート軍の本隊に属さない諸侯の軍、ウェスタ・ウーブル連合軍二千の進軍である。彼等は夜通し森の中を進むと、丁度第六集団がイドシア砦前面から、西へ進軍を開始する直前に、森の南東の端へ辿り着いていた。


 しかし、この森の中には四都市連合の「常設部」が擁する幾人もの精霊術師を始めとした野伏レンジャーが警戒のために潜んでいた。二千を超える軍の進出を察知することなど、何の問題も無い優秀な偵察兵達である。


 しかし、実際にウェスタ・ウーブル連合軍は、それらの野伏レンジャーに発見される事無く森の中を進み得ていた。しかも、彼等は自分達の周囲にそのような敵性の存在が在った事すら知らないでいたのだ。


 では、誰が四都市連合の野伏レンジャー達を排除したのだろうか?


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 倒木が折り重なった場所に二人の傭兵が身を隠していた。一人はハーフエルフの男、もう一人は人間の男だ。二人とも冬の森の背景に溶け込むようは、黄土色と焦げ茶色が縞模様になった服装をしている。二人は周囲に視線を送りながら、少し緊張した面持ちだった。


 二人の内、ハーフエルフの方は精霊術師だった。そして、彼は少し不安そうに周囲の気配を探ろうとしている。というのも、数時間前から、近くに潜む別の精霊術師の仲間と交信が途絶えていたのだ。彼等は凡そ一キロ間隔で森の中に陣取っていた。その距離が「遠話テレトーク」の限界距離なのだ。高位の精霊術師が、風の精霊を完全に支配下に置かない限り「遠話」の精霊術で何キロも先の相手に声を届けることは出来ないのが常識なのだ。


 そのため「遠話」の限界距離で画一的に野伏レンジャーを配置するのが、四都市連合では常識となっている。そして、配置された精霊術師達は数十分に一度の頻度で定期交信を繰り返す。だが、この二人は数時間前から定期交信を受け取っていなかった。しかも、その異常を伝えようにも、彼等よりも後方に居る仲間にも「遠話」が届かない状態になっていたのだ。


「おい、戻ったか?」

「いや……だめだ」


 そんな会話も、何度目かだ。その時、人間の男の方が何かの気配を察したように、倒木の陰から身を起こした。そして、首を伸ばすように周囲を見回すが……


「ぐぇ!」

「なっ? うわっ!」


 いつの間にか、倒木の裏側、つまり二人の野伏の背後に立っていた男は、抜身の剣を二度振るった。そして、断末魔すら上げることが出来ずに、森に二つの死骸が増えていた。


暁の・・……なにも殺すことは――」

「イイから黙って次のを見つけろ……な?」


 問答無用に野伏二人を屠った男は、特別凄みを効かせた訳では無い。しかし、その返事に、初老の別の男は冷や汗が背を伝うのを感じた。初老の男は傭兵団「オークの舌」の首領だ。彼は、オーチェンカスクの西の森出身の精霊術師だ。丁度コルサス王国の北に住む「森人」のような一族の出身である。腕の良い精霊術師であり歴戦の戦士でもあるが、もう一人の男 ――暁旅団ブルガルト―― が普通に放つ殺気だけには、どうしても慣れることが出来ない。


 この二人が率いるのは、先日の戦いで破れた第八集団の残存兵二十三人の傭兵だった。しかし、元々四都市連合側であった彼等は、今四都市連合の第五集団へ接近する途中にあった。そして、綿密な偵察網を丁寧に、又は執拗に血祭りに挙げながら森伝いに南を目指している。既にイドシア砦まで目と鼻の先であった。


 二人分のむくろの前で短く言葉を交わす二人に、別の人物が近付いてくる。暁旅団の参謀役である魔術師バロルだ。彼の後ろには他に数人の傭兵達が続いている。


「ブルガルト、この周辺の精霊を元に戻すぞ」

「ああ……そうしてくれ」


 ブルガルトの承諾を受けたバロルは、片手に持った象牙色の小杖ワインドに意識を集中する。フッと辺りの雰囲気が軽くなった。僅かな変化だが、精霊術師でもある「オークの舌」の首領は溜息を漏らした。


「ったく、『暁旅団』の秘密の武器だな……精霊術師としては、息苦しくて仕方ない」


 彼が漏らした言葉が、その象牙色の小杖の特色を言い表していた。


「この竜骨杖ドラゴイックワインドは高価な魔術具だったが……まぁ元は充分取ったか」


 森の中にきびすを返すブルガルトが言う。彼が言う通り、この象牙色の小杖は竜骨杖という魔術具だ。成竜の額の骨から削り出して作られるという。本当の所は分からないが、周囲の精霊力を封止する精霊術の「属性封止エレメンタルシーリング」の効果を持っていることは確かだ。この魔術具のお蔭で「暁旅団」は潜入や潜伏といった特殊な仕事を難なくこなす傭兵団になった、といっても過言では無かった。


「……連中はもう少し森の奥を南に進んでいるな……」


 竜骨杖の効果が消え、周囲に精霊の働きが戻ったところで「オークの舌」の首領はそう言った。「連中」とはウェスタ・ウーブル連合軍の事だ。彼等は気付いていないが、ブルガルト達は、彼等の動きを捕捉し続けている。そして、まるで露払いをするかの如く、先回りして四都市連合の野伏レンジャーを排除しているのだ。雇い主に対する反逆行為だが、ブルガルト達は全く気にしていなかった。何故なら、


「連中がイドシアに取り掛かった隙に、仲間を助け出すぞ」

「ああ、そろそろ正午だ……間に合えば――」

「間に合う! 行くぞ」


 その会話が示す通り、第五集団の元へ敗走した傭兵達は「敵前逃亡罪」で捕えられている。そして、今日の正午に数人の傭兵団幹部が処刑されることになっていた。その幹部には、ブルガルトが自分の娘のように育てたダリアが含まれているのだ。


 時間を気にするようなバロルの言葉を、語気を強めて遮ったブルガルトは森の中を進む。馬を確保している残りの仲間の元へ集合するためだった。彼等の決戦も近かった。


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