Episode_17.25 ソマルトの策


アーシラ歴496年11月18日


 アドルムの街を南に、そしてイドシア砦を南東に、等しく十キロの距離に納めた場所にリムルベート王国軍が展開していた。アドルム平野のほぼ真ん中である。前の日に四都市連合側の傭兵部隊第八集団を撃破した場所から、更に五キロ進出した場所だ。


 その陣容は、二か月前のアドルム攻撃に参加し、敗走した第一第二騎士団の残存勢力から抽出された約三千人の混成四個大隊。そして、援軍として派遣された第一騎士団五個大隊三千五百人。合計約六千三百の軍勢である。そして、これを率いるのは、第二騎士団長であり、リムルベート軍総大将に任じられたウェスタ侯爵ブラハリーだ。


 総勢六千数百のリムルベート軍は、この日、十八日の夜明けと共に行動を開始した。大隊毎の大きな方陣を組んだ軍勢は縦横三つ分の方陣を整然と保ったまま、南のアドルムを目指して進む。


 一方迎え撃つ四都市連合側は、アドルムの街の北に第九集団と第十集団、合計四千の傭兵部隊を展開し、その後ろに第七集団二千が後詰として控える、逆三角の布陣だ。また、東に十キロの場所には、第五集団と第六集団の合計五千の傭兵部隊がイドシア砦を包囲する形で存在していた。


 アドルムの街は、インヴァル山系から続く山地の切れ目に位置する街で、北側に頑丈な城壁を備えている。しかし、左右を山地に囲まれた地形のため、外敵が一旦城壁に取り付くと、戦術的には城壁を挟んで殴り合うことしか出来なくなる。そうなると山地沿いに街から東へ十キロの場所にあるイドシア砦と、そこに展開する第五、第六集団との連絡が途絶えてしまう事にもなる。


 そのため、四都市連合側は城壁の外に軍勢を配することになった。大部隊を二つに分けて配しているため、リムルベート軍がどちらか一方を襲えば、もう片方が背後や側面と突くという布陣にもなっていた。


 四都市連合側はリムルベート軍の矛先が、可也かなりの可能性でイドシア砦に向かうと予想していた。何故ならば、イドシア砦に立て籠もるリムルベート軍敗残兵はウェスタ侯爵家とウーブル侯爵家の公子を含んだ軍だからだ。しかし、リムルベート軍は粛々と南下すると、夜明けから三時間後に、アドルムの直ぐ北で戦端を開いた。


 西方辺境地域の雄、リムルベート王国と、リムル海の覇者、四都市連合の戦いの火蓋が切って落とされた。


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 四都市連合作軍部旗下の第五集団を率いるソマルト作軍部長は五十代前半の男だ。白髪を短く刈りこんだ、中肉中背の外見に際立った特徴は無い。褐色を帯びた肌と分厚い唇が、南方の血が混ざっていることを教えているが、四都市連合では珍しいものでは無い。


 一見何の変哲もないソマルト作軍部長という男だが、四都市連合内に於いては数十人の作軍部長の中でも上席に位置している。彼は、主に陸上戦闘を得意とし、派閥的にもチャプデインやインバフィルなどで権勢を持つ、陸上勢力範囲を確立しようとする「主陸派」に属している。


 そんな彼は、立案した策を徹底完遂する戦い方や得意とする戦法から、「断行者」又は「挟撃戦の鬼」という二つ名で呼ばれることのある人物だ。しかし、傭兵達からは「背斬りのソマルト」と揶揄やゆを籠めて呼ばれることが多い。作戦のために、敢えて傭兵部隊をおとりや釣り餌のように扱うことが多いからだった。


 今回の戦いでも、彼は囮部隊を使用していた。アドルムの街とイドシア砦の前に広がる狭い平野 ――アドルム平野―― にリムルベート軍をおびき出すため、平野の入口に当たる北に配置した第八集団が囮部隊だった。案の定、リムルベート軍は、平原の入口に存在する部隊に攻撃を仕掛け、その全容を四都市連合軍の前に曝すこととなった。ここまでは「予定通り」の運びであったが、今ソマルト作軍部長には二つの不満な点があった。


いわく付き・・・・・の傭兵団を配したが……あっさり撃滅されるとはな……」


 不満の一つは、そんな内容だった。彼の目論見では、中央評議会からの覚えが悪い・・・・・四つの傭兵団「暁旅団」「骸中隊」「黄金の剣」「オークの舌」を敵の本隊が進行する進路上に配し、勝手に衝突するようにした上で、ある程度敵の戦力を削るつもりだった。しかし、蓋を開けてみると、それらの傭兵団はあっさりと戦闘を放棄していた。


 しかも、遁走した傭兵達は、態々わざわざ第五集団の陣にやって来て、ソマルト作軍部長を糾弾する構えを見せた。ソマルトも、自分が傭兵達に何と言われているかの自覚はある。しかし、それを声高に陣中で叫ばせる訳には行かなかったので、止むを得ず全員を捕縛したのだ。そして、元々中央評議会からは「処理せよ」と言われていた傭兵団の首領や幹部達に対して、「敵前逃亡罪」を言い渡して処刑することにしていた。


「しかし、彼等を斬っては、遺恨が残るのではないでしょうか?」


 それは、心配気味なソマルトの副官の意見だった。しかし、ソマルトはそれを一笑に付する。


「フンっ、野良犬共を幾ら斬っても、所詮犬は犬だ。吠える事しか出来ん……」


 そう言い放つソマルトは、既にもう一つの不満点、いや疑問点に心を向けていた。それは、


「それよりも、リムルベート軍の動き……いささいさぎよさが過ぎる。そう思わんか?」

「そうでしょうか……至極合理的に思えますが?」

「その合理性が、気に入らん」


 副官は当然の返事をするが、ソマルトは納得がいかなかった。彼の立てた策と予測では、リムルベート軍は六割の確率でイドシア砦に展開する第五・第六集団を襲う。又は三割弱の確率で、部隊を二つに割ってイドシアとアドルム両方に兵を送る。最後に一割前後の確率で、アドルムを全力で攻める。と考えていたのだ。


 そして、この場合の最も下策は、イドシアに展開する第五・第六集団を全力で攻めること、である。袋小路のようでもあるアドルム平野の最奥にある戦略的価値の乏しい攻略地点に彼等が全兵力を送り込むならば、ソマルトはアドルムの兵力をそのまま北上させ、平野の入口を塞ぐつもりであった。そうなれば、リムルベート王国軍は全くの袋の鼠となる。


 一方、敵にとって最上の策である、アドルムの街を全力で攻める、という場合でもソマルトには勝算があった。アドルムの街に展開する部隊で、リムルベート軍の前進を受け止める間に、イドシアに展開した部隊を転進させるのだ。そして、ソマルト率いる第五・第六集団によって敵の背後または側面を叩くのである。これこそ、ソマルトが得意とする戦術の一つだった。


 そんな策を立てていたソマルトは、同時に敵指揮官であるウェスタ侯爵ブラハリーの経歴も細かく調べ上げていた。


 彼が調べたところによると、ウェスタ侯爵ブラハリーには、三千を超える兵を率いた大戦おおいくさの経験は皆無であった。四年前にウェスタ侯爵領を襲ったオークの襲撃事件では、合計二千に近い騎士や兵士を集めたが、陣頭指揮を執ったのは当時の侯爵ガーランドである。ブラハリーはその間ずっと王都に居たのだ。また、先のノーバラプール攻防戦においても、侯爵ブラハリーが指揮した軍勢は直接的には二千を少し超える程度だった。その経歴が示す事実は明らかに一つ。大軍を率いる戦は未経験、ということだ。


 尤も、これは現役世代のリムルベート王国の全体に言えることだった。前王ローディウスの治世後半に続いた平和な時代を謳歌した世代の代償といえるものだ。


「大軍を率いる経験の無い者は、必ずその指揮に躊躇ためらいを見せる。まして、我らの背後のイドシア砦にはやつの息子が包囲されているのだ」


 ソマルトは、そこまで言うと幕屋の中に広げられたアドルム平野の地図を見詰める。その上には敵味方を示す塗り分けられた兵棋が置かれていた。


「たとえ、全軍を前方アドルムに集中するよう命じても、心の何処かで、イドシア砦の様子を伺いたい、という欲目が出る。そして、それは部隊の配置に反映される……はずなのだが、今の所は見事な正面攻勢だな」


 先ほど到着した情報では、方陣形で進軍したリムルベート軍六千は、アドルム手前で横陣形に変化し、四都市連合軍の第九・第十集団が作った横陣に対して、右翼側から順に交戦を開始している、とのことだ。


「ソマルト様、如何いかがいたしましょうか……?」

手筈てはずは変わらん。もう少し敵軍を浸透させた後、第六集団に側面を叩かせる」


 ソマルトの作戦は、言ってみれば単純な挟撃作戦だ。二つに分けた自軍の片方に敵軍の攻撃を受け持たせる。その隙に、もう片方の自軍で敵軍の側面や背面を叩く戦法だ。部隊間の連携が必須の作戦であるが、精霊術師を重点的に配した第七集団と第五集団の連絡は緊密だった。


「……手筈は変わらんが、その前にイドシア砦を落としてしまうか」

「『揺さぶり』ですね。イドシア砦の方は、既に反応も薄く、城壁を乗り越えるための土塁どるいも出来ております。二時間と持たないでしょう」


 結局、ソマルト作軍部長と副官の会話で、イドシア砦を先に落とすことが決まった。この決定に対して、第五集団から千人の傭兵が出撃した。反撃の力はおろか、防戦も難しいほど疲弊した砦に対して、最後の攻撃が加えられようとする。その意図は、数キロ先で戦闘状態に入ったリムルベート軍に対する心理的な揺さぶりであった。


 命令を受けた第五集団の傭兵達は、不必要な火を焚くと、脂を染み込ませた枯草を投げ込む。もうもうと立ち上がる黒煙は、リムルベート軍からもハッキリ見えるはずだった。


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