Episode_17.24 アルヴァンの日記


 これは、アルヴァン・ウェスタが公子時代に記した陣中記である。以下はその抜粋となる。


****************************************


七月末日


 忘備録として、陣中の出来事を記す。後に振り返り、起こった出来事をじっくり検討するためであるが、愛しき人への土産話を書き留めるためでもある。


 この日、我らは王都リムルベートを出立した。見送りの人々からの激励は盛大であった。ルアは身重のため、今回の馬は普段と違うが、その馬が驚くほどの歓声であった。第一騎士団五個大隊、第二騎士団四個大隊、総勢六千を超える軍勢の姿はさぞ、勇ましいことだろう。


 同行することを諦めてくれたノヴァには、すまないという気持ちしかない。必ず直ぐ戻り、再びあの柔らかい胸に顔を埋めたいものだ。


 書き始めから、何と言うことを書いてしまったのだろうか。先行きが心配である。


八月四日


 大軍勢の行軍というのは、時間が掛かる。通常ならば二日も掛からずに到着するノーバラプールだが、伝令や補給を手配しつつ進む行程は倍以上の日数が掛かった。良い経験になったと思う事にする。

 

 総大将のスハブルグ伯爵は、リムルベート王家に繋がる立派な血筋であるが……これ以上は書くのを止そう。とにかく、軍議は難航した。補給物資を充分に準備するまでタンゼン砦を攻めるのを待てというスハブルグ伯爵の意見は分かるが、恐らく敵方の間者は此方の動きに気付いている。タンゼン砦の防備が固まる前を攻めるべきだと思う。


八月十日


 ノーバラプールで無為に過ごすこと一週間。王都から海路で輸送される補給物資は港に集まりつつある。思った以上に集積に時間が掛かるが、六千以上の将兵が食糧を消費しながら待っているのだ。当然の事だろう。


 この間、スハブルグ伯爵の発案で騎士による壮行試合が行われた。止むを得ず当家から騎士デイルを出すことになったが、やはり彼は強かった。しかし、この時期に大切な騎士が怪我をするかもしれない試合を行うとは、少し理解に苦しむ。デイルはその点を汲んで極力綺麗な勝ち方をしてくれたが、壮行試合全体としては二十数人の負傷者があった。その内数名は骨折などの重傷であったため、今回同行させたミスラ神の僧侶マーヴを差し向けて癒しを行わせた。追加料金だということだ。まったく、言葉が無い。


八月十八日


 この日、軍勢はようやく南下を開始した。ノーバラプール住民の関心は薄い。人心を掌握できていない事実を垣間見た気分だ。


八月二十三日


 タンゼン砦の攻略が開始された。結果としては、砦は一日持たずに陥落した。準備した攻城兵器を使う間もない陥落だった。余りの抵抗の薄さに拍子抜けする。


八月二十四日


 この日の軍議は最悪だった。タンゼン砦に対して速攻を呼びかけた私を含む数人が吊し上げを喰らうことになった。


 軍議の結果、軍勢はごく少数をタンゼン砦に残し、他はオーメイユの街へ攻め込むことになった。今回の決定には異存がないので、賛成の意を示した。


八月二十七日


 オーメイユの街に対する攻略作戦は、タンゼン砦攻略に輪を掛けて簡単に済んでしまった。我らの軍勢がオーメイユに至った時、街は既にもぬけの殻だった。防衛を行う兵士はおろか、街人の姿も見られなかった。そして、食糧として接収できる物資も全く残っていなかった。


八月二十八日


 この日は、良い事と悪い事が同時にあった。


 やはり、というべきだろう。この日の軍議は再び紛糾した。手元に保有する食糧・物資は凡そ三十日分である。そのため、補給を待たずに、オーゼン台地を横切りインヴァル河を渡った先のアワイムまで軍を進めるべき、というのがスハブルグ伯爵の意向だった。


 彼の意見に賛成する者は多い。しかし、言わなければならないことは、言うしかない。私は、進軍よりもオーメイユ周辺、オーゼン台地に点在する集落の掌握を優先するべきだと主張した。また、その間にノーバラプールから湿地を越えてオーメイユに至る伸びきった補給線の警備体制を整えるべきだとも言った。


 しかし、結果として私の意見は一蹴されてしまった。若輩の身を恨めしく思う。


 良い事とは、王都からの手紙が届いたことだ。ノヴァからの手紙に、落ち込んだ気持ちを慰められた。正直に言って、今すぐ帰りたい。


九月二日


 アワイム村への進出は、全く問題なく済んだ。大方の予想通り、敵方はインバフィル周辺に軍勢を集め、本拠地近くの地の利を生かした反撃を考えているのだろう。恐らくアドルムの街付近が防衛線になるだろう。


 最近、陣中にあってウーブル侯爵家の長子バーナス殿と会話することが増えた。私が落ち込み気味に見えたのだろう。七歳年上の又従兄であるバーナス殿からすると、若造が分不相応に足掻いていると見えたのかもしれない。


 バーナス殿は父親である侯爵バーナンド様とよく似た物腰の柔らかい優し気な印象の方だ。その彼から、非常に耳が痛い指摘を受けた。曰く、普段王宮に在っても、私は他の爵家貴族の人々と距離を置いているように見えるというのだ。簡単に言うと、周囲から付き合い難いと思われている、という事だった。身に覚えがあるだけに、つい反論しそうになったが、彼の真意を有り難く受け取ることにした。普段の付き合いによって、いざという時自分の意見を通し易くなるならば、苦手と避けるのは損だと思う。


九月十四日


 遂に軍勢はアドルムの街を視界に捉える場所まで前進した。アワイムからアドルムへ通じる街道では、流石に敵方の反撃を受けた。しかし全体的には、ここで押し返そう、という気迫に乏しい時間稼ぎの防戦だったように思う。だが、軍勢全体には、勝っている、という雰囲気が蔓延している。楽観的過ぎると注意を促したが、真剣に取り合う者は居なかった。


 軍勢の前進は一旦止まる。手元の食糧物資は二週間分程度だ。後方からの補給物資到着を待つ必要が出てきた。


九月十六日


 この日、予定されていた補給部隊はやって来なかった。聞けば、タンゼン砦からオーメイユ、そしてアワイムに掛けての街道各所が小規模な襲撃を受け、防備の薄い輸送部隊はオーメイユの街から進むことが出来なくなった、という事だった。


 これに対し、スハブルグ伯爵はオーメイユの補給部隊を強行前進させ、なんとしても物資を前線に運ぶように厳命したということだ。しかし、護衛のための部隊を出さなかった。最早私には言うべき言葉も、それを聞く相手もいなかった。


九月二十日


 補給部隊が前線に到着した。但し、損耗して、物資の半分は焼かれるか奪われるかした状況だった。それでも、補給部隊は物資を届けるという任務を意地になって成し遂げたのだ。天晴な兵士達だと思う。そんな彼等を慰労するのではなく、罵倒を持って迎えた伯爵だった。ただし、この言動には流石の周囲も眉を顰め、幾人か諌める者があったという話だった。


 しかし、問題はここではない。補給部隊が携えてきた情報は驚くべきものだった。リムルベート海軍、ノーバラプール沖で四都市連合に敗れる。この報が、現在の我が軍の状況を物語っていた。各所で襲われる補給部隊は、敵が海上から内陸へ浸透していることの証しだといえる。一時、オーメイユまで軍を退く必要があると思われた。


九月二十三日


 軍議が開かれた。驚いた事に、議題はこのまま攻めるか一旦退くか、というものだった。攻めるという選択肢を未だ持っていることに驚いた。


 しかし、私の主張はまたも退けられた。その上で、アドルム攻めの前線からも外された我らの大隊には、イドシア砦という小さな砦を攻撃するよう命令が下った。スハブルグ侯爵は、王の名代として命じる、とまで言った。抗う事は出来ない。


****************************************


 この日の記述を境にしばらく空白の日が続く。


****************************************


十月五日


 しばらく筆を執っていなかったことを思い出した。現在我らウェスタ正騎士団とウーブル正騎士団はイドシア砦に立て籠もっている。軍勢の本隊は一旦退却したが、我らは負けた訳では無い。砦を取り囲む敵方は十重二十重の大軍であるが、味方の士気は旺盛である。


十月十二日


 久しぶりに夢を見た。ウェスタ城下に帰っていた日々の夢だった。ユーリーやヨシンと三人で城下を散策した場面だったと思う。今、彼等はどうしているのだろうか? 元気にやっていると信じたい。


 しかし、当時ウェスタ城で兵士達と食べた食事は酷いものだと思ったが、今ではあの頃の食事が懐かしい。食糧が底を尽くのは数日の内の事だろう。


十月十五日


 バーナス殿と話し合った結果、馬を屠り食糧とすることが決まった。既に飼葉の類は底を尽き、ゆっくりと飢え死にに向かうばかりの愛馬達を食糧に変える。騎士達は動揺したが、デイルが率先して愛馬を屠した。私もそれに倣った。皆泣きながら従った。


 ルアで無くて良かったと思う私は浅ましい人間だ。それでも邸宅に戻れば、私はルカンに蹴り殺されるかもしれない。しかし、それも無事帰れれば、の話だ。


十月二十三日


 砦に立て籠もり、ひと月が過ぎた。一昨晩から敵の動きに変化があった。夜の間、散発的に砦に近付くと攻撃を仕掛けてくるようになった。嫌がらせの類であろう。馬を屠ることで当座の食糧を得たが、騎士も兵も食い物だけで動くのではない。夜通しの警戒は、確実にこちらの神経を削って行く。


十一月二日


 先日、無断で砦を抜け出た者達がいた。ウーブル侯爵の兵士達だ。夜中の嫌がらせ攻撃の間に城壁を飛び降りたという事だった。しかし、翌朝城壁前には彼等の骸が晒されていた。降伏を認めないという示威行動だろう。


 バーナス殿は、只管申し訳ないと繰り返していたが、それを責める者は居なかった。よく見れば皆精彩を欠いた風貌をしている。バーナス殿もすっかり頬がこけ落ちている。騎士も兵士も、私も同じようなものだろう。


十一月十五日


 この日、妙に生々しい夢を見た。褥に横たわる、愛する人を飽く事無く愛し続ける夢だ。そして愛するだけでは飽き足らず、殺して食べる夢だった。よくも此処まで想像が働くものだ。起きてしばらく笑い続けていると、血相を変えたデイルが駆け寄ってきた。発狂したと思われたようだ。


 動ける者はいよいよ半数に減った。残った者は一日中城壁から北を見て過ごす日々だ。これまで敢えて触れないようにしてきたが、我々は見棄てられたのだろうか? 砦から見る変化の無い光景が、そうだ、と言っているようだ。敵方の軍勢は飽きもせず砦を取り囲んでいる。今となっては、彼等の存在でリムルベートが戦いを放棄していない事を知るのみだ。


十一月十七日


 この日の日中、城壁で大声を上げる兵がいた。最近よくある錯乱者かと思ったがそうではなかった。慌てて城壁に登り北を見る。確かに、リムルベート王国軍の旗が見えた。平原の北の端だ。我らは見棄てられていなかったのだ!


****************************************


 この陣中記は、ここで終わりとなっている。後半、所々言葉遣いが極端におかしいところがあり、それは後日何者かの手によって修正、注釈が加えられている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る