Episode_17.20 魔物の巣


 インヴァル山系の西の麓では、リムルベートと四都市連合の軍勢が集結し、睨み合いを続けている。その時、両軍の兵士が見上げるインヴァル山系の中、より詳しくは、その地中を走る洞窟にユーリー達はいた。親友アルヴァンを助けるため、インヴァル山系を進み、イドシア砦の裏に出る。それが、ユーリーの目的であった。しかし、その目的は思わぬ障害を受けて、回り道を余儀なくされていた。洞窟の中が落盤によって塞がれていたのだ。


 洞窟へ東側から入った一行は、中を流れる細い川をさかのぼるように西へ進んだ。途中に分岐地点があり、洞窟は西と北に分岐していた。細い流れは北の方から繋がっていたが、一行は真っ直ぐ西を目指していた。しかし、その先は落盤によって行き止まりとなっていたのだ。


 道案内となった「飛竜の尻尾団」が初めての冒険で辿った順路だったが、彼等の記憶は十年以上昔のものだ。洞窟内部がどうなっているか、それは知りようの無い・・・・・・・事だった。そのため、洞窟内部を半日近く費やして進んだ一行は、その時間を無駄にすることになってしまった。


「すまない……」

「そんな風に言わないでください、ジェロさん」

「そうよ、こんなの誰も分からないわ……」


 面目無さそうに謝るジェロだが、ユーリーが彼を責めるはずは無かった。そこにリコットの声が掛かった。


「分岐まで戻って、北を目指す選択肢がある。俺は行った事無いけど、大昔に親父おやじからそっちの方の話を聞いたことがあるんだ」


 リコットの父親は元狩人であった。そのため、彼は父親から「二股の北の方」の話を聞いたことがあった。その話によれば、北の方を進んだ出口の先は沼地になっており、そこから西へ進めば、元々目指していた場所から少し離れた場所に出るだろうという事だった。但し、


 ――魔物が多いから、おれはもう行かない――


 と言っていたものだった。その点も含めてリコットは一行に伝えたが、


「そっちへ進みたい」


 というユーリーの言葉によって、一行は二股の別の方を目指すことになった。


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 彼等は周囲を警戒していた。狩りに出た同胞ばかりが、もう五体も巣に戻って来ていないのだ。そのため、彼等は空が見晴らせる場所に陣取り、絶えず警戒を続けている。敵は空にいるはずだった。何故なら、彼等は大地を四足で歩む者に対して有利な翼を持っているからだ。だが、それも同じく空を駆ける事の出来る敵には有利と成らない。


 周囲の獲物は狩り尽くしていた。しばらくは食糧に出来ると思っていたゴブリンと魔犬の集団はいつの間にか何処かへ姿を消していた。そのため、彼等は飢えはじめていた。しかし、彼等はこの場所を動かない。なぜなら、群れのリーダーが動こうとしないからだった。


 群れのリーダーは他と比べてひときわ大きな身体を持っている。そして、周囲が見渡せる小山に陣取ると、最近手に入れた宝をでるように眺めていた。大きな翼を備える前脚を器用に使い、その球体を回転させると、蛇の如く長い舌で丁寧に舐め上げていく。


 飽きる事無く続くその仕草を、上空を警戒する合間に繰り返している。そのリーダーの頭は、球体の中に閉じ込められている、甘露かんろごとき美味なる液体の味わいに支配されていた。


 それを味わったのは偶然だった。少し前、ずっと北の山奥に一つだけそそり立つように存在していたみねの先端で、二つの球体を見つけた。銀色に近い光沢に魅了されたリーダーだったが、持ち去る際に一つを割ってしまったのだ。そして溢れ出たドロリとした液体を舐めた瞬間、魅了されてしまった。


 それ以来一週間、リーダーは空腹を感じなかった。ずっと腹が満たされたままなのだ。しかも、頭が良くなり、力が強くなった気までする。そうだから、今、このリーダーは次に空腹が訪れるまで、この宝を大切に持ち続けることにしていた。ただ、その魅惑的な味を思い出すかのように、表面を舐めることは止められなかった。


 その時、群れの一体が鳴き声を発した。警戒ではない、久しぶりの獲物を見つけた喜びの声だった。


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11月18日 早朝 インヴァル山系


 行った道を戻り別の方へ向かう、そんな余計な時間を過ごした一行は、結局二日近く洞窟の中で過ごしていた。太陽と月が無ければ時間を知る術は無い。そのため、疲労具合と空腹度合いに合わせて休憩や食事をとった一行が北の出口へ到達した時、正午だと思っていた外は、まだ早朝といった雰囲気だった。


「すっかり時間の感覚が狂ったな」

「ああ、正午かと思ったが朝だな。でも、明るくなっているから進もう」


 ジェロ達が、そんな会話を交わしている。


 北の出口の先には広大な湿地が広がっていた。周囲は広葉樹と針葉樹が混じった雑木林が延々と、見上げる先にそびえるインヴァル山脈の山肌へ続いている。一方、手前側の湿地には、一面を覆う枯れかやと、その中に灌木かんぼくを茂らせた小山が島のように点在するのみだ。そのため、冬の早朝の寒々しい鉛色の空が、ポッカリと口を開けたように一行の前に広がっていた。


 ユーリーは、リリアがその空の彼方此方あちこちに視線を送っている様子に気付くと、話し掛けた。


「どうしたの?」

「ああ、ヴェズルは何処かな? って思って」

「迷子?」

「まぁ、その内戻って来るでしょ……近くには居るみたいだし」


 リリアと若鷹ヴェズルの共感覚は、ユーリーには分からないことが多い。かつて、一角獣の守護者であるノヴァが盟約の恩恵として相棒ルカンと感覚や感情を共有できると説明していたが、それに似たものなのだろうと推測するのみだ。


 そんなやり取りを挟みつつ、一行は西側の対岸を目指して湿地を渡り始める。湿地の周囲は盆地のようになっており、雑木林が続いた先は壁のような岩肌が取り囲んでいる。そして洞窟から出た彼等はその湿地の東側の端に位置していた。


 リコットの説明では、西側の対岸の先に見える岩肌の向こう側が崖になっているはずだった。そして、その岩肌を伝って南へ進むと本来目指していた場所に出る、という事だ。一行は湿地の中でも歩き易い場所を伝って進む。湿地といっても枯れ茅に覆われた地面はしっかりしていた。周囲には幾筋もの小川が緩い流れを洞窟の方へ送っている。


 一行は湿地の中に点在する小山を登り掛けた。その時だった。


「っ! 伏せて!」


 とリリアが鋭い声を発した。それと同時に、


「シャァァァァァッ!」


 金属を擦り合わせたような不快な叫び声が湿地に広がった。


「なんだ?」

「どうした、今の鳴き声は?」

「リリア?」


 咄嗟に小山の斜面に屈んだ一行が口々に言う。一方リリアは少し蒼ざめた表情で彼等に応えた。


翼竜ワイバーン……五、六、七……七匹居るわ、見つかったかも……いや、見つかったわ!」


 リリアの風の囁きウィンドウィスパと、野生の翼竜ワイバーンの警戒範囲は奇しくも殆ど同じ範囲だった。そのため、リリアが翼を持つ魔獣の存在を察知した瞬間、相手も同じく近付く人間を察知したのだ。


「どうする?」

「翼竜かよ……しかも七匹」

「洞窟まで引き返すか?」


 ジェロ達は、振り返ると自分達が出てきた洞窟までの距離を目測する。しかし、


「駄目だ、もうそこまで――」


 リコットが悲鳴のような声を上げた。空の低いところを滑空する影は最初蝙蝠こうもりのように見えたが、みるみる内に大きくなっていく。そして、偽竜ドラゴン・ライクと呼ばれるに足る、細長い蜥蜴とかげのような頭部がハッキリと見える距離に近付くのは、あっという間の事だった。翼竜ワイバーン達はのこぎりのような歯並びの顎を目一杯開くと、


「シャァァァァッ!」


 再び耳障りな鳴き声を発した。リコットは怯んだようにその場に屈みこむ。しかし、彼の隣から突然炎が立ち上がった。それは、ユーリーが発した火爆矢ファイヤボルトだ。また、殆ど同時に小さな竜巻のような突風が巻き起こる。勿論リリアの精霊術だ。


 ユーリーの発した、投げ槍のように大きな炎の矢は、向かってくる翼竜の一匹に命中した。狩りのように空中から地上の獲物を追い込もうとしていた翼竜には、それを躱すことが出来なかった。まともに火爆矢を受けた翼竜は爆発で胸から前腕を引き千切られると、高度を失い湿地に激突する。


 一方、リリアが発した風の精霊術「旋風ワールウインド」は殆ど小規模な竜巻と言ってよいものだ。こちらも、迫り来る翼竜の一匹をその風の渦に巻き込む。翼竜は大きな翼に風を受けて滑空するように空を飛ぶのが得意だ。一方で、その大きさ故に、羽ばたいて自力で高度や軌道を変えることは苦手である。特に野生の翼竜は人為的な飛行訓練を受けることが無いので、その特性は顕著だった。


 周囲に巻き起こった不規則な旋風に捕えられた翼竜は、揚力を失うと先に火爆矢を受けた一匹同様に地面に激突した。


「戦うしかないわ! みんな姿勢を低くして!」

「タリルさん、付与術を!」

「わ、分かった!」


 リリアの声に、ジェロとイデンは言われるままに姿勢を低くする。リコットは言われる前からそうしていた。そして、タリルはユーリーの求めに応じて「身体機能強化リインフォースメント」を全員に発動した。更に、


「大いなる勇気の神マルスよ、我らに戦場いくさばの加護を与えたまえ!」


 イデンの太い声が上がる。神蹟術の「神の意志マイティウィル」だ。魔術の付与術である「加護」の神蹟術版ともいえる神の奇跡は、魔術による強化に上乗せされる。しかも、マルス神の神官が使う「神の意志」は戦場での恐怖や混乱を取り除く効果があった。ユーリーはスッキリと晴れ渡ったような視界に、遠距離攻撃を警戒し、頭上で弧を描く五匹の翼竜の姿を捉えていた。


「多分、一斉に下りてくる。口か後ろ足で攻撃してくるはずだから、躱して一撃だ」

「ちっ、簡単に言うな!」


 ユーリーの言葉にジェロが笑って答える。リリアは既に伸縮式の短槍ストレッチスピアを手に構えていた。


****************************************


 残った五匹の翼竜ワイバーンは獲物と思った人間の集団を眼下に捉えて、その上空を旋回する。彼等が単に狩られるだけの存在でないことは、一瞬前の出来事で分かっていた。しかし、野生の警戒心は、時として本能に押し切られる。特に一週間近く獲物を獲れていなかった翼竜にとっては、眼下のご馳走はどうしても手に入れたい宝のようだった。


「シャァァァッ!」


 五匹の内の一匹が叫ぶ。それが合図となって、獲物の上空を旋回していた二匹の翼竜が一気に高度を落とす。下から狙いを付けられないよう、螺旋の軌道を描いて地面に急降下する二匹は、ユーリー達が居る小山の近くで一度大きく翼を羽ばたかせると落下の速度を殺しながら水平飛行に移る。そのまま小山の陰に隠れた人間達を狩るつもりだったのだろう。しかし、二匹の内の片方は、何故か急降下の勢いを殺し切れず、地面に落下すると湿地の底を抉るように滑って止まった。又、同じ軌道を後に続いたもう一匹も同じように急降下の勢いを制御出来ずつに、地面スレスレを滑空することになった。


「よっし、やったぞ!」


 その様子にタリルの歓声が上がった。実は、ユーリーとタリルの二人は、翼竜が降下してくる場所を見計らって「羽毛落下フェザーフォール」の力場を一帯に展開していたのだ。「縺れ力場エンタングルメント」と似ているが、別の性質を持つ「羽毛落下」は、重量物の加速の変化を減衰げんすいする。そのため、高い所から飛び降りても、この力場術の中にあっては、まるで階段を一段飛ばして下りた程度の衝撃で着地できる。そして、その効果は正の加速だけでは無く、負の加速、つまり減速にも作用する。


 翼竜達は「羽毛落下」の力場の中で、必要な減速を得られず、一匹が地面に激突し、もう一匹は超低空飛行となったのだ。そして、


「リリア!」

「分かったわ」


 灌木をなぎ倒し、枯れた茅の穂先を掠めながら一気に迫る翼竜に対して、ユーリーの声を受けたリリアは、地の精霊に呼びかける。たった一言の凛とした呼び声に応じて、大地が一か所だけ隆起すると壁のようになった。そして、


ドォォンッ!


 大きな衝突音が響いた。目の前に現れた土壁に成す術もなく激突した翼竜は、その衝撃で首の骨が折れたのだろうか、土壁を突き破ったまま動かなくなる。そこへジェロが念のためのトドメの一撃を加えていた。

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