Episode_17.17 森の戦い


 斜面を駆け下って来たゴブリン達は、何処かで拾ったような粗末な剣や、そうでなければ大振りのこん棒を手に打ちかかってきた。数は十匹、逃げるのではなく立ち向かってくる姿に、ユーリーは少し驚きを感じていた。しかし、彼等の背後から姿を現したオークのように大柄なゴブリンの姿に、


(あれが群れのリーダーか)


 と見極めを付けたのだ。そして、


「ジェロさん、雑魚は僕がやる! ジェロさんはあの大きいのを狙って」

「おう!」


 と、ジェロに呼びかける。そして、ジェロが突進してくるゴブリンの集団を迂回するように動くのを視界の端に捕えたユーリーは、三度目、蒼牙に魔力を籠める。そして「火炎矢フレイムアロー」を補助動作無しで発動した。十本の燃え上がる炎の矢が、一瞬だけユーリーの目の前に浮かぶ。そして次の瞬間、右手の切っ先が指し示すゴブリン達の群れに向って、炎の矢は真っ直ぐ飛んだ。


ボンッボンッ――


 炎の矢はゴブリン達に降り注ぐと小さく弾けて炎を撒き散らす。ゴブリン達の突進は一気に勢いを失った。しかし、ユーリーはその一度で攻撃を止めることは無い。二度、三度と同じように炎の矢を造り出すと、まるで浴びせ掛けるようにゴブリン達の頭上に叩きつける。結局、ゴブリンの集団はユーリーの元に辿り着く事も、斜面を下り切る事も出来ず、焼け焦げたむくろを晒すことになった。


 一方、ゴブリンの集団を迂回したジェロは、既に長剣バスタードソードを抜き放つと、大柄なゴブリンと対峙していた。彼の持つ剣は、以前トリムの城砦で打ち倒したコルサス王国王弟派の騎士大隊長が持っていた業物の長剣である。早い話が「失敬」してきた物だった。


 幾多の無辜むこの民の血を吸ってきた忌々しい長剣であるが、ジェロに言わせれば、「剣なんて只の道具だろ」という事だった。


 そんなジェロと対峙した大柄なゴブリンは、錆の浮いた大剣を片手で持ち、それを頭上で振り回しながらジェロとの間合いを一気に詰める。


ブゥン――


 風を捲くように強烈な、横薙ぎの斬撃だった。しかし、ジェロはそれを躱した。後ろに跳んだのではない、前方に倒れ込むように身を屈めてやり過ごしたのだ。そして、


「せいっやぁっ!」


 殆ど片膝を付くほど身を屈めたジェロは、そこから跳ね上がるように長剣を振り上げた。切っ先は、ゴブリンの粗末な皮製の衣服を切り裂くと、腹を斜めに断ち切り、下から二本目のあばら骨で止まった。


「ぐぉぉ!」


 大柄なゴブリンは苦痛の声と共に大剣を取り落とす。そして、ザックリ割れた腹から溢れ出るはらわたを押し留めるように傷口を抑える。脳天がガラ空きだった。次の瞬間、白銀の閃光と共に、ジェロの長剣がゴブリンの狭い眉間を貫いた。


****************************************


 ゴブリンの呪術師は、木の陰に隠れながら谷底の様子を窺っていた。これほどの強敵とは思わなかった。しかも、獲物の中には自分と同じような呪術・・・・・・・を使う者がまぎれていた。彼は群れの呪術師として、大柄なゴブリンを陰から操っていた。そして周囲からの尊敬と畏怖を勝ち取っていたのだ。それが今、自分と同じような術を使う者によって打ち壊されそうになっていた。彼は思う。獲物の集団の中にいる、呪術を使うメスこそがあの集団の首領であると。


 そして、彼は意識を集中すると得意な「水」に呼びかける。「水」が生み出す魔物によって、敵の呪術師を打ち倒すためだ。丁度良い具合に、谷底で堰き止められた沢には充分な量の水が溜まりつつあった。


****************************************


 壁の上流側では、イデンとリコット、それにタリルの三人が、押し寄せる岩山犬ロックハウンドと対峙していた。この魔犬種は、単体ならばベテラン冒険者の彼等にとってさしたる・・・・脅威ではない。しかし、それが数十匹という群れを作っているのだ、流石にイデン達は分が悪い戦いとなっていた。


 大型の円形盾ラウンドシールドを前面に出して、片手持ちの戦槌メイスを振るうイデンは、大勢の岩山犬ロックハウンドを引き受けていた。しかし、土壁を迂回して押し寄せる敵は、彼の横をすり抜けると後方のリコットやタリルにも襲い掛かっていた。


 それに対して、リコットの放つつぶてや、タリルが放つ雷撃矢ライトニングアローは、夫々魔犬を打ち倒しているが、敵の勢いを削ぐまでには至っていない。


「タリル! ケチって無いでデカい・・・のブッ放せよ!」

「わかってるけど! 無理だろ、これは!」


 リコットの声に応えるタリルは小杖ワインドを振り回しながら、時折魔力衝マナインパクトで魔犬を弾き飛ばす。近接防御用の攻撃術まで繰り出すという状況は、それだけ敵の接近を許しているということだった。発動に時間がかかる高位の攻撃魔術を行使することは無理な状態だった。


 その時、怒鳴り合うリコットとタリルの間を一陣の風が駆け抜けた。少なくとも、その二人にはそう感じられた。しかし、実際に駆け抜けたのは風では無く、リリアだった。彼女は風と地の精霊の助力を自身に施した俊足ストライドの状態で、彼等二人の間に割って入ったのだ。そして、


「切り裂く風よ、敵を打ち払え!」


 谷底に再び響く凛とした声。リリアの求めに応じた風の精霊は、渦巻く真空の刃を伴った突風となって彼女の前方へ吹き抜けた。リリアの放った鎌鼬ウィンドカッタは、その進路上に居た岩山犬ロックハウンド五匹を切り裂きながら吹き飛ばした。


 しかし、リリアはそこで止まらない。彼女は黒い金属柄の短槍を構えると、タリルに纏わり付く魔犬へ駆け寄る。そして、石突側で一匹を殴り飛ばすと、その勢いで穂先を前に構えて、素早く突き出す。流れるような動作であっと言う間に二匹を打ち倒していた。


「タリルさん、私が時間を稼ぎます」

「え? あ、ああ、分かった!」


 咄嗟に視界に入った少女の顔は、戦いの中で上気して、ゾッとするような美しさを持っていた。一瞬それに見惚れてしまったタリルは、間抜けた声を上げてしまう。だが、直ぐに彼女の言う意味を読み取っていた。


「リリアちゃん! こっちも頼むぅ!」

「リコットさん……頑張って!」


 そんな冗談めいたやり取りを片耳で聞きながら、タリルは意識を集中する。魔犬の集団の中心は前方のイデンの更に先だった。その場所ならば、強烈な攻撃魔術を打込んでもイデンが巻沿いになることは無いだろう。


(多少痺れるかもしれないが……この前のお返し・・・・・・・だ)


 この前のお返し、とはトリムの城砦から脱出する際に魔術を放ち過ぎて失神した彼に正気を取り戻させたイデンのやり方についてだった。文字通り「叩き起こされた」タリルだったのだ。


 タリルは集中を深めると目の前に複雑な放射系の魔術陣を起想する。そして、難しい展開行程を終えた彼は、雷爆波サンダーバーストを発動させた。


バシィィ! ――ドオォォン!


 イデンの先十メートル、岩山犬ロックハウンドとゴブリンの集団の上空に、突然閃光が瞬くと、同時に轟音が地面を揺らした。幾筋もの雷条らいじょうは濡れた地面を伝うと周囲の魔犬やゴブリンを打ち据えながら一気に広がった。そして、落雷特有の生臭い匂いと共に轟音が止んだとき、三十匹以上いた魔犬の群れはイデンとリコットの周りにいた数匹にまで減っていたのだった。


(ふう……終わったかしら)


 数匹残った魔犬は、形勢が逆転したイデンとリコットに追い回されている。タリルはぐったり・・・・とした雰囲気だが、怪我をしている訳では無さそうだった。


(ユーリーの方はどうかしら?)


 ひと段落付いた雰囲気に、リリアは東の斜面に向ったユーリーの姿を探そうとした。しかし、その瞬間、脳内に強烈な意識が割り込んで来た。それは上空を舞う若鷹ヴェズルから発せられた「警戒」と「注意」を促すものだった。同時にヴェズルの視界がリリアのそれに重なる。そこは、彼女の真後ろに位置する沢だった。土壁に遮られた沢は、いつの間にか深さを膝下程度まで増している。そして、その水面が突如沸騰するように沸き立ったのだ。


「リリア! 後ろだ!」


 ユーリーの切迫した叫び声が飛び込んできた。ヴェズルの警告する意識と、ユーリーの叫び声を受けたリリアは、慌てて後ろを振り返る。そして、沢から鎌首をもたげる・・・・ように身を起こした、黒く濁った水で出来た大蛇の姿を認めていた。


「え? 水蛇……」


****************************************


 東の斜面のゴブリンを片付けたユーリーは西側へ応援に向おうと駆け出していた。しかし、視界の先では、リリアが魔犬の群れに割り込みタリルを援護していた。そして、彼女の援護を得たタリルは、魔犬の群れの中心部に「雷爆波」を撃ち込んだのだ。


(勝負あったか)


 その光景にユーリーは駆ける勢いを弱める。しかし、次の瞬間、丁度リリアの背後にある沢の水溜りが沸騰したように沸き立ったのだ。大きな泡をブクブクと上げた水面は次いで巨大な触手を伸ばすように律動する水の柱を上げる。そして次の瞬間には黒い水の柱は、大蛇のような外見を形作っていたのだ。


「リリア! 後ろだ!」


 ユーリーは咄嗟に叫びつつも、頭の中の知識と、目の前の黒い大蛇を照らし合わせる。しかし、彼は思い当たる魔獣や魔物を知らなかった。それでも、ユーリーの足はリリアの方へ向おうとした。直ぐ近くでは、ジェロがひと足先に黒い大蛇へ飛び掛かろうとしている。


(近すぎて、火爆矢は使えない! クソッ)


 先に黒色の大蛇に接近したのはジェロだった、彼は長剣を一閃すると、その黒く太い胴体を両断した。


バシュ


 しかし、長剣を持つジェロの手には、まるで水を打ったような感触しか帰ってこなかった。しかも、黒色の大蛇は胴をひと薙ぎされたにもかかわらず、その場に平然と存在していた。


「ジェロ! 危ない!」


 リコットかタリルの声が掛かった。しかし、反応が遅れたジェロは、もたげた・・・・鎌首を鞭のようにしならせた大蛇の一撃を受けて吹き飛んでいた。


「ぐはぁ!」


 ジェロが吹っ飛ぶ。一方の大蛇は大きなあぎとを広げると、一旦ため・・を作った後にリリアの方に突進した。


「きゃぁ!」

「離れろぉ!」


 リリアの悲鳴とユーリーの雄叫びが交差する。一瞬ユーリーが早かった。彼は魔力を叩き込んだ状態の蒼牙で横殴りに大蛇の身体を打ち据えた。そして、ジェロの斬撃とは違う、魔力が籠った一撃によって、黒色の大蛇の咢は狙いを外して、リリアの直ぐ横の地面をえぐりとっていた。


精霊種スピリットだ! 普通の武器は通じない!」


 これまでの様子 ――ジェロの斬撃は効果が無く、ユーリーの魔剣は効果があった―― を見ていたタリルの声が掛かる。だが、ユーリーにもリリアにも、それを受けて対応を変える余裕は無かった。リコットが一人、脱兎の如く東の斜面目指して駆け出しただけだ。


 横から飛び込みざまに斬撃を放ったユーリーはその勢いのまま沢を転がる。岩や石ばかりの沢を転がったユーリーは彼方此方を|強(したた)かに打って、沢の真ん中で止まった。そして、その状態から火炎矢フレイムアローを矢継早に繰り出した。毎回十本の炎の矢が生み出され、それが二重三重に黒色の大蛇へ襲い掛かる。


ボボボッ!


 まるで燃え盛る松明を水の中に突っ込んだような音を響かせて、黒色の大蛇は身を躍らす。しかし、その上部に光無く存在する瞳は、ねっとりとリリアを見据えたままだった。


****************************************


 リコットは斜面を駆け上がっていた。逃げる訳では無ない。黒い大蛇と仲間が対峙している瞬間、東の斜面の上に、谷底こちらを見下ろすゴブリンの姿を見つけていたのだ。そのゴブリンは木の陰に隠れるようにしながら、視線を黒い大蛇に送っていた。しかも、他のゴブリンと違い、装飾性のある衣を身に纏い杖を持っていたのだ。


(ゴブリンの呪術師か!)


 そう直感したリコットは、斜面をジグザグに、しかも音も無く駆け上がる。手には短剣とつぶてが握られていた。そのまま、速度を上げたリコットは真正面からそのゴブリンに立ち向かうのではなく、少し離れた木立の中に飛び込む。谷底では、攻撃が効き難い相手に対してユーリー、リリア、ジェロの三人が死闘を繰り広げていた。


(アレが大蛇を操っているんだろ!)


 回り込んで、倒木の陰からそのゴブリンの様子を見たジェロはそう確信した。何を言っているか分からないが、木彫りの蛇の像を片手に握り締めたゴブリンの呪術師ゴブリンシャーマンは、その手を振り回して金切声かなきりごえをあげていたのだ。


 リコットは一拍、呼吸を落ち着けると、次いで倒木を乗り越えてそのゴブリンに迫った。


「ギャァ!」


 礫に撃たれて、蛇の像を取り落としたゴブリンの呪術師は、その短躯にリコットの短剣を受ける。そして、短い悲鳴が浅い谷に木霊した。同時に沢の水面から突き出た黒色の大蛇の身体も、濁った泥水となって形を失っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る