Episode_17.16 連携


11月15日 メールー村北西の山中


 翌日は早朝から小雨が降る生憎の天気だった。しかし、ユーリー達一行は、まだ夜が明けきらない内にメールー村の村長宅を後にした。朝食を簡単に種無しパンと炙った干し肉で済ませた一行は、作業場の軒下でジェロを待った。ジェロは、兄の家族 ――結局一度も顔を見せなかった―― が住む小さな母屋に向かうと、直ぐに戻ってきた。その顔から内心までは読み解く事は出来ないが、


(素っ気ないものなんだな)


 とユーリーは変な気持ちを抱いていた。彼は家族というもの、血の繋がった人と共に暮らす、ということが分からなかった。しかし、養父メオンと自分に照らしてみても、ジェロと彼の兄の関係は冷えているように見えたのだ。


「人夫々それぞれよ」


 戻ってきたジェロを迎え入れ、出発する四人の冒険者を見ながら考え込んだ表情をしたユーリーに、リリアはそっと彼にだけ聞こえる声で言うのだった。


 その後、山中の森へ分け入った一行はしばらく尾根伝いに獣道と変わりないほど細い山道を登る。そして、ほどなくして左に逸れると、今度は下り斜面を谷の方へ進んでいく。進む順番は、ジェロとリコットが先頭、その後ろにタリル、ユーリー、リリアと続き、一番後ろがイデンだ。因みに若鷹ヴェズルの姿は出発の時から見えなかった。しかし、リリアに心配した様子がないので、ユーリーは余り構わないことにしていた。


 村から離れた山の中には魔物が出る可能性があるという事だった。


「奥の山には、確か……ゴブリンの群れ、岩山犬ロックハウンド、トロール……あとは、なんだったかな?」

「後は梟頭熊オウルベア大蛇バイバー、最近は翼竜ワイバーンを見かけたっていう猟師がいたらしい」


 ひと通り山に住む魔物の名前を挙げるタリルだが、途中で詰まる。すると、その後をジェロが続けた。その内容には最近の情報が含まれている。それは、立ち去り際に兄から聞いた情報だった。


「翼竜か……昨日の話じゃないけど、飛竜じゃなきゃ、何とかなるか?」

「まぁ、出会わないに越したことはないな」


 ジェロの言葉にタリルとリコットはそう言い合う。とにかく、魔物が出る可能性がある山の中なので一行は慎重に進んだ。


****************************************


 村を離れて四時間ほど経過したころ、下りの斜面が一段落した辺りで、一行は足元に小さな沢が流れる場所に出た。丁度尾根と尾根の間にある浅い谷底のようだった。


「ここらで少し休憩しようか」


 そんなジェロの言葉により、一行は担いでいた荷を下ろす。そして沢の水を汲む者、石に腰掛ける者、携帯口糧を齧る者など、様々になる。下草がすっかりと枯れてしまった小さな谷は、冬の冷たい空気に覆われている。また、元々小降りだった雨は、いつの間にか霧雨きりさめのように細かくなっていた。そして、針葉樹の森から流れ出たガスが谷間に居る一行の上に垂れ込めはじめた。


「……」

「どうした、リリア?」

「うん……ちょっと見通しが悪くて……それに何となくイヤな感じもするの」


 リリアは、上空を舞っていたヴェズルと時折意識を交わして周囲の状況を確かめていた。ところが、谷底に下りたところで上空の靄が濃くなり、ヴェズルの視界が効かなくなったのだ。その上、周囲を満たすように存在する精霊の内、強く働いているはずの水と大地の精霊の存在感が妙に遠く感じるのだ。


 リリアのそんな様子に、ユーリーは念のために自分に加護の付与術を施す。身体能力と共に魔術に対する抵抗力や視力聴力をも強化する付与術は、ユーリーの五感を研ぎ澄ませる。そして、次の瞬間、


「やっぱり、敵! 囲まれてる」

「アッ! ジェロさん、敵だ!」


 二人は別々に、だが同時にそう叫んでいた。


****************************************


 谷底に留まった六人の人間を見下ろしていたのはゴブリンと岩山犬ロックハウンドの集団だった。ゴブリンが三十匹に岩山犬が同じ数という大きな集団だ。通常ならばもっと山の奥で生活している彼等だが、今は人里に近い場所まで山を追われる・・・・ように下りて来ていた。


 集団の首領は、ひときわ大柄なゴブリンだ。傍から見ればオークと遜色のない体格である。但し、オークの顔はあごが張った上に頬骨が高く、ひしゃげた豚の鼻を特徴とするが、この首領はゴブリンらしく、細い顎に鉤鼻かぎばなという特徴を持っている。ゴブリンに上位種族が存在するならば、このような存在がそれに当たるのだろう。


 今、その首領に率いられた集団の内、二十匹のゴブリンが東の斜面から谷底の獲物達人間を見下ろしている。残りの十匹のゴブリンと三十匹の猟犬ロックハウンドは反対側の斜面に先回りして潜んでいる。それは狡猾な狩りの布陣だった。


 首領は、自分の隣に立っている仲間に目配せをする。その仲間のゴブリンは、ねじれた木の杖を持ち、獣の頭骨を繋ぎ合わせた首飾りと山鳥の羽を毟り取って作ったようなころもを身に纏った呪術師シャーマンだった。このゴブリンの呪術師ゴブリンシャーマンが発した術によって、谷底の精霊の動きは弱められている。そして、気配と音を消した彼等は獲物を包囲することが出来たのだ。


 首領はゆっくりと右手を振り上げる。その仕草は襲撃開始の一歩手前を示している。種族として非力で臆病なはずのゴブリンだが、この首領の元では全員が戦士であり狩人だった。全員が粗末な丸木弓に矢をつがえると、そっと引き絞る。


 首領は次いで、顔だけを呪術師に向ける。首領の目配せに応じると、そのゴブリン・シャーマンは独特のかすれた高いささやき声を発した。周囲に風が巻き起こった。風の精霊術である「遠話」に似た呪術を使ったのだ。声を届ける相手は反対側の斜面で待ち構える仲間達だ。しかし、その瞬間、谷底の人間達が警戒するような声を発した。


 風の精霊に働きかける事によって、大地と水の精霊への干渉が弱まったのだ。だが、首領は構わなかった。彼は振り上げたままだった片手を勢いよく振り下ろした。それを合図に丸木弓から次々に矢が谷底に撃ち込まれていった。


****************************************


「なんだっ?」

「敵?」


 リコットとタリルはユーリーとリリアが同時に発した警告を受けて驚いた声を発する。しかし、その時既に、東側の斜面から一斉に矢が放たれていた。


「リリア!」

「分かった!」


 不意の襲撃に驚く「飛竜の尻尾団」とは正反対に、ユーリーとリリアは短く声を交わす。何の下打合せも無い、単純な言葉のやり取りだ。その瞬間、二人は不思議な感覚に捉われていた。


 ユーリーは「縺れ力場エンタングルメント」を発動したかったが、既に濃いガスを切り裂いて飛び迫る矢に、時間が無いことを悟った。そして、リリアに風の精霊の力で迫る矢を打ち払って欲しいと思い、声を発した。しかし、時間が惜しく、発した声は彼女の名を呼ぶだけになっていた。だが、それでもリリアは意味を理解したような返事を返したのだ。


 一方、リリアは、迫り来る矢を旋風ワールウィンドで弾き飛ばすことに決めると、その間にユーリーには身体能力強化か加護の術を全員に掛けて欲しいと思っていた。だが、それを伝える時間が無かった。しかし、自分の名前だけを叫ぶユーリーの表情に何故か「通じた」という気持ちになって、承諾の返事だけを返していた。


 そして二人の術は同時に発動した。


 ユーリーは青い刀身の片刃剣蒼牙を抜き放つと、殆ど反射的に魔力を籠める。そして、使い慣れた「加護」の魔術陣を一発で念想すると膨れ上がった魔力を叩き込んだ。身体能力と抵抗力、それに五感の全てを向上させる付与術はユーリーの熟練を受けて可也の強度を示しながらジェロ達「飛竜の尻尾団」の面々を強化する。


「旋風よ、矢を打ち払え!」


ゴァッ!


 同時にリリアの凛とした声が谷底に響く。そして、渦巻く風が巻き起こった。ターポの街で使ったような、威力を落としたそよ風・・・では無い。彼女の言葉と意志を汲み取った風の精霊による、正真正銘の旋風ワールウィンドが谷底に吹き荒れる。


 斜面から射掛けられた矢は、合計二十本。しかし全てが冒険者達の手前で分厚い風の壁に弾かれて勢いを失い、ハラハラと谷底に落ちていった。また、強烈な突風は足場の悪い斜面に陣取っていたゴブリン達を数匹、谷底へ滑落かつらくさせた。


ヒュン、ヒュンッ――


 その時既に、ユーリーは古代樹の短弓を構えていた。そして文字通りの矢継早やつぎばやに矢を番えると、滑落してきたゴブリンを次々と射抜く。


 一方、自らが発した旋風によって上空に立ち込めた靄を払ったリリアは空を舞う若鷹ヴェズルの視界を取り戻していた。そして、ヴェズルが注意を注いでいた西側の斜面に、多数の魔犬種の姿を認めた。彼女は、またも短く声を発する。


「ユーリー! 反対側にも!」


 すると、第二射に対抗するべく「縺れ力場エンタングルメント」を発動し終えたユーリーは短く答えた。


「後ろに壁を!」


 そう言いながら、ユーリーは目の前の東の斜面を目にする。


(火爆波なら……しかし、山火事にならないだろうか?)


 敵の数は二十前後だと思った。しかも、矢の軌道から密集していることが見て取れる。この状況で、広範囲に破壊的な威力を示す放射型魔術「火爆波エクスプロージョン」を行使することは、最適な選択だと思えた。しかし、周囲は枯れ落ちた下草と落ち葉に覆われた森林だった。昨晩から降っている雨に濡れているといっても、大きな熱量を伴う魔術の場合、思いもかけない火災を起こしかねないと感じた。実際、以前のエトシア砦攻防の際に、森の中で火爆波を使ったユーリーは、撤退する敵を追うよりも、延焼し始めた火災を食い止める方が大変だったのだ。しかも、骨折の痛みに耐えながら消火を指揮していたのは嫌な思い出だった。


 しかし、ユーリーの瞬間の逡巡は、リリアのたった一言で掻き消された。それは、


「大丈夫よ! 燃え広がらないように出来るから―― 大地の精よ、堅牢なる壁を造り出せ!」


 リリアのその言葉は、西側の斜面に「土の壁」アースウォール」を造り出す直前の一言だった。しかし、その一言にユーリーは脳内にある光景・・・・を浮かべていた。それは、リムルベート王城内の廊下、ポンペイオ王子を助けるために突進したユーリーが火炎矢フレイムアローを放った時の光景だ。その時、敵対した騎士の甲冑に遮られた炎の矢は、足元の絨毯に燃え移ると、次の瞬間業火の如く燃え上がり騎士を倒していた。つまり、リリアは風だけでなく炎もある程度制御できるという事だった。


「分かった!」


 ズゥゥンと背後に地響きが起こり、土中から土壁がせり上がる。その雰囲気を背中で感じたユーリーはもう一度蒼牙に魔力を籠める。そして、彼自身が使える最高強度の攻撃魔術の念想に取り掛かる。発動地点は斜面の中腹だ。加護の付与術を得た彼ならば、その辺にゴブリンの気配が集中していることが気配で分かった。そして、


――ゴッ、ドバァァン!


 次の瞬間、斜面の木立の間に、小さな炎の球が発生した。それは、ゴブリン達の頭上で一気に収縮すると、次の瞬間弾けるように爆発し炎と熱と衝撃波を周囲に撒き散らした。


****************************************


 ジェロ達は一気に進む周囲の状況に、軽い混乱に陥っていた。東の斜面から降ってきた矢は、突風に弾き飛ばされた。身体を包む不思議な感覚は、仲間の魔術師タリルが使うのと同じ「加護」だった。そして、次の瞬間、西側の斜面に大きな土壁が出来上がり、殆ど同時に反対の東の斜面で爆発が起きたのだ。


「なんだ?」

「どうなってるんだ!」

「知るかよ!」


 タリルとリコットが問う言葉を発するが、ジェロは雑に言い返すだけだ。その時、


「西と東の斜面から敵に囲まれている」

「東側はゴブリン、西側は魔犬種よ!」


 ユーリーとリリアの声が響いた。二人の声は状況を端的に説明するものだった。そして、ジェロが返事の替わりに疑問を投げかけてきた。


「じゃぁ、どうすんだ?」

「ゴブリンの数は減ったと思う、僕とジェロさんで東側を受け持つ、リリアはリコットさん達と! 西側に壁を――」

「分かったわ!」


 ジェロの疑問に答えつつ、ユーリーは配置を指示していた。七歳年上のベテラン冒険者に対して「余計なお世話」のような指示だったが、自然と口をついて出たのだ。だが、聞く側のジェロ達は、それに素直に従う風になる。そして、リリアはユーリーの意図を汲んで土壁を増やすことにした。


(上流、下流……下流に造るわね!)


 敵の配置を俯瞰ふかんして見たリリアは、その配置が「追い込み漁」のようであることを察知していた。つまり敵は狡猾こうかつなのだ。斜面の一部を遮る土壁だけでは、きっと両端を回り込むように沢の上流と下流から襲ってくるだろう。


 そう考えたリリアは、多少負担が大きいが、既に作った土壁の下流側を沢の東側の斜面まで繋げる事に決めた。そして、


「揺るぎなき頑強なる地精ノームよ、我らを守る壁を造り出せ」


 そんなリリアの求めに応じて、沢を遮るように長い土壁が下流側にせり上がってきた。沢の水は堰き止められるが、元々流れの少ない沢だ、少しの間ならば問題ないと思えた。ただし、精霊術としては高度な部類に入る土の壁アースウォールを連発したリリアは、体内の魔力マナを一気に奪われたような感覚に陥る。


(ちょっと、張り切り過ぎた……でも!)


 一瞬だけ覚束おぼつかなくなる足元を強く踏みしめた彼女は、腰の後ろから一本の棒を取り出す。艶消しの黒い金属の棒だ。片側には槍の石突が付いており、もう片方は切りっ放し筒のようである。


 リリアは筒状になった方に、腰の片手剣の柄を差し込む。片手剣としては長めの柄拵つかごしらえに打ち変えられた養父の形見の剣は、その柄をすっぽりと筒の中に納めると、ガチッという金属同士が噛み合う音を発して固定された。その音を聞いたリリアはそのまま棒の石突の辺りを持って、腰の鞘から剣を抜き払う。


シャンッ!


 その瞬間、金属が擦れるような小気味良い音が響く。鞘払いの勢いと共に黒い棒は倍ほどの長さに伸びると、リリアの手の中で全長二メートル弱の短槍に姿を変じていた。彼女は、その短槍ストレッチ・スピアの具合を確かめるように、大きく一度振るう。そして、シッカリとした手応えに、伸縮部と継手が生じるようなガタツキが無いことを確認し、一人で頷いた。


(さすが、ドワーフの王様ね)


 そんな賞賛と共に、リリアは前を見据える。土壁が途切れた上流側では、既にイデンを中心とした三人が岩山犬ロックハウンドと戦いを繰り広げていた。リリアは彼等に加勢するべく、沢を走り出していた。

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