Episode_17.14 インヴァル山系へ
それは強大な魂を内に秘めた存在である。この世の中で、生物単体としてこの存在に
この世が
そんな何者にも侵されざる強力な存在 ――飛竜―― が、天に突き立つような山々の間を縫って大空を舞っている。
飛竜が飛ぶ後には無数の風の精霊が生み出される。生み出された精霊は、今の季節、上空の冷えた空気を地上に送る役割を担う。春には南の温かく湿った空気を大陸に運び込む。夏には陸地に籠った熱を海へ運ぶ。そして秋には大気に満ちた湿度を北へ運んで行く。飛竜には何故そうなるのかまでは分からない。だが、自分がこの世の営みの一部であることには、随分前から気付いていた。つまり、この飛竜は成竜であった。
成竜にまで成長を果たした竜は、その後二種類に分かれる。ごく限られたモノ、強く太古の龍の魂を受け継いだモノは、老竜となり生き続ける。そして、それ以外の殆どのモノは、成竜となった後に
今、人間がインヴァル山脈と名付けた山々の上を飛ぶ飛竜は、
大地を見下ろす彼女の金色の瞳には、明らかな怒りと焦りが籠っていた。彼女の脳裏には常に荒らされた巣の光景が在った。二つの卵の内、一つは無残にも砕かれ中身を喰われていた。そしてもう一つは巣から持ち去られていた。彼女の巣は山々の中でもひと
グオォォォォン……
悲し気な咆哮は、山肌で渦巻く風によって掻き消されていた。
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延々と続く尾根伝いの登り道、お世辞にも整備が行き届いているとは言えない山道は歩きにくいものだが、ドルドの森で一角獣の守護者を相手に修行を重ねたリリアには大した問題では無かった。今、彼女と一緒に進む男達の中にも、この程度の山道を苦にする者はいない。
リリアは、直ぐ目の前を歩くユーリーの後ろ姿を、飽きる事無く見詰めながら歩いている。カルアニスで買い求めた毛織物の外套は、ユーリーが一歩進むたびにユラリと深緑色の厚手の生地を揺らす。その歩く速さは一定で力強いものだ。しかし、列の中程にあって、時折リリアの方を振り返ると様子を確認するような視線を送ってくる。
「ふふ、大丈夫よ」
「そうか」
そんな会話が交わされる事も
(そんなに
殆ど無意識にしているのだろう、そんなユーリーの所作に、リリアはくすぐったいような気持ちが湧き上がるのを感じる。一昔前なら「心配されている」という事に負い目を感じたかもしれないが、今の彼女はそうでは無かった。端的に言えば、女として余裕があった。
そんな彼女は、改めてユーリーの後ろ姿を見る。外套の背中が膨れ上がっているのは、インバフィルで買い求めた野営具や食糧といった荷物を背負っているからだ。リリアも同じような荷物を背負っているが、ユーリーのそれはリリアの倍は重かった。その上で、軽装とは名ばかりの金属製の鎧と手甲を身に着け、腰に剣を帯び、肩に弓を下げているのだ。その装備の重量はジェロやイデンと比べても確実に重いだろう。しかも、それに追い打ちを掛けるように、リリアの
ヴェゼルの思考が漏れ伝わってくるリリアは、この不思議な鷹がユーリーの事を「動く枝」くらいにしか考えていないことを承知している。それでも、出会った頃は敵意を持っていたのだから、大した進歩だと言えた。
一方、ユーリーの方は最初、相当嫌がっていた。しかし、つい先ほど、
「頭に止まられるよりはマシだと思うことにするよ」
と、諦めたような、降伏宣言のような言葉を発したばかりだった。
(仲良くして頂戴ね……)
リリアは頭の中でそんな言葉を作ると、それをヴェゼルに投げ掛ける。ヴェゼルは少し考えたようだったが、返事は「保留」のようだった。
「はぁ……」
「ん、どうした? 疲れたの?」
「いいえ、大丈夫よ。それより、ヴェゼル重いでしょ」
「うん、相当重たい! ったく、羽を持ってるんだから自分で飛べよ」
「クェ!」
ユーリーは左肩を
「ふふ、ヴェズルはユーリーに嫉妬しているみたい」
「嫉妬? なんで?」
「だって……」
リリアはそう言うと形の良い唇を動かす。その動きは
「なっ……お前! 取られたも何もないだろ? 僕のだぞ!」
「クェー! クエックェッ」
まるで顔を突き合わせるような近距離で一人と一羽は睨み合う。その様子を何となく面白く感じたリリアは、口をついて出そうになる笑い声を押し殺すと、これまでの行程を思い出すように努めた。
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二日前、十二日の昼下がり、インバフィルの軽食屋でアント商会密偵部のセガーロと出会った彼等は、ユーリーが考えていた「制御の魔石を使った補給策」を密偵セガーロに話していた。密偵であるセガーロならば、何かリムルベートと連絡を取る手段を持っているかもしれない、と考えたからだ。
果たして、ユーリーの
その後、ユーリー達は一晩をインバフィルの安宿で過ごした。部屋割りに関して気を遣って欲しくないユーリーと、変に気を遣うジェロの間で奇妙な押し問答があったが、結局はリリアが、
「なんなら、私は大部屋の雑魚寝でもいいわよ」
と言ったので、そうなっていた。実際一行の財布は、色々と仕入れたお蔭で少し寂しくなっていたのだ。
そして翌日十三日の早朝に、一行はインバフィルを出発するとジェロ達の故郷メールー村へ向かっていた。出発する前に、セガーロが居た軽食屋でパン包みを買い求めようとした一行だが、その時既にセガーロは姿を消していたことを知ったのだった。
「オッサン、動きが早いぜ」
とは、リコットの呆れたような言葉だった。
その後、道中のインバフィル郊外は街道が整備されていて、幾つか小さな街が点在している平地だった。至る所に綿花の畑が見られる光景は、インバフィルが織物業の盛んな土地であることをユーリーの目に印象付けていた。タリルの説明によると、アドルムの街の南側、インバフィルとインヴァル山系の入口一帯から東のボンゼに掛けての地帯は、このような綿花畑や亜麻畑が多いのだという。そして、アドルムの街の北側に広がるインヴァル湿地では主に麻や黄麻の栽培が盛んだということだった。
インバフィルを出発後、一日目はそのような
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