Episode_17.10 再戦の口火


アーシラ歴496年11月10日早朝 タンゼン砦


 タンゼン砦は、湿原の中にある小高い場所に造られた砦だ。北と南を流れの緩い小川に囲まれた中洲の様な場所である。その場所から更に北には、ノーバラプールまで続く湿原 ――ノーヴァル湿原―― が広がっている。一方、南には差し渡し四十キロ前後の台地があり、その南はインヴァル湿地となっている。


 台地は、タンゼン砦の南を流れる小川のほとりを北端として、西をリムル海の海岸線、東をインヴァル河、南をインヴァル湿原に囲まれたオーゼン台地と呼ばれる土地だ。年に何度か訪れる大潮の日でも水没しない限られた土地だった。そして、オーメイユの街はそんな台地の中央から北よりに位置していた。


 ノーバラプールからインバフィルに通じる街道は、湿原に点在する小山のように小高い場所を辿って続いている。その様子は、まるで飛び石を辿るようにも見える。そんな街道は無名の川を渡って中洲にあるタンゼン砦を抜けた後にオーゼン台地へ達する。そして、台地を南下してオーメイユの街を抜けた後は、東へ針路を転じて浅いインヴァル河を渡り対岸のアワイムへ繋がることになる。


 ただし、この街道はもう二十年近く行き交う者が極端に少ない寂しい場所であった。そのため、通常タンゼン砦に詰めるのは二百人に満たないインバフィルの傭兵達だった。しかし、今砦を守っているのは、四都市連合が募った傭兵の中でも大規模な作戦行動がある度にもうけられる「戦時作戦部」通称「作軍部」が統括する傭兵隊約千五百人だった。彼等は今回のインバフィル防衛作戦に際して第二集団の呼称を与えられていた。


 四都市連合の軍事力構成は平時に於いては、海軍と海兵団という海上勢力が中心だ。しかし、今回のように陸上戦力が必要となる時に備えて、傭兵局という組織が中央評議会に直属している。そして、傭兵局の傘下に「常設運用部」と「戦時作戦部」という二つの組織が属している。


 常設運用部、通称「常設部」は、他国の軍制でいうならば小隊長格の現場指揮官と、特殊な兵科、更に事務管理を行う部署で構成された組織だ。彼等は、今回のような戦時体制となった際に、有象無象うぞうむぞうの傭兵達を取り纏めて部隊編成を行う役割を担っている。


 そして、常設部によって編制された部隊の指揮統括は、作軍部に委ねられる。作軍部は、平時は中央評議会の戦略的な諮問に応じる部署だ。作軍部長と呼ばれる高級参謀将官が数十人在籍している。そして、一旦「戦時体制」となれば、彼等は中央評議会が示す戦略目的を達成するために、大規模部隊を指揮統括することになる。


 今、夜明け前のノーヴァル湿原を見渡せる物見塔に居る傭兵達は、そんな「作軍部」指揮下第二集団の傭兵達だった。全員で三人の見張り役は、狭い塔の上で固まっている。一人が古参で他二人は新参者のようだ。


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「なぁオッサン」

「ん?」

「アイツ等。いつまでああやってるのかな?」


 新参者の若い傭兵が古参の傭兵に声を掛けた。アイツ等とはタンゼン砦の北側に陣取ったリムルベート軍総勢約七千を指したものだった。但しその姿は夜明け前の闇の中に沈んでいて、タンゼン砦からは陣地に灯された松明の明かりが点々と見えるだけだ。


「さぁな、しかし無目的という訳ではないだろう」

「じゃぁどんなつもり・・・があるのかしら?」


 古参傭兵の答えに、さらに疑問を重ねたのはもう一人の新参傭兵だった。その傭兵は声が示す通り女性である。傭兵と言えば男の仕事という印象があるが、女性の傭兵も存在している。それほど数は多くないが、珍しいというほどでもない。一部の例外を除けば、腕力では男性に劣る彼女達だが、逆にそれを補って余りある特殊技能を持つ者が多い。この女傭兵は精霊術師の技能を持っており、もう一人の新参傭兵である弓使いと組んで行動することが多かった。


「どんなつもり・・・か知らないが、この砦を攻城兵器無しで攻めるのは骨が折れるだろうな」


 女傭兵の問いに答える古参傭兵の言葉は事実だった。リムルベート王国軍が準備していた攻城兵器類は、先のアドルムの街を巡る戦いの際に遺棄されていた。そのため、タンゼン砦を遠巻きに布陣したリムルベート王国軍は援軍である四千弱の兵が合流したとしても、攻め手に欠いて砦に手を出せないでいたのだ。


「そうだな。しかもオーメイユには第一集団と第三集団が控えているんだ。それに海兵団も居るんだし……」

「なに? さっきからやたら・・・しゃべるけど、もしかして怖がってるの?」

「ばか、違うよ」

「ふーん、どうだか」


 会話の中心はいつの間にか男女の新参傭兵同士の言い合いに移っていた。その様子を古参傭兵は苦笑いと共に見守っている風になる。そしてしばらく、他愛の無い痴話喧嘩のような言い合いが続く内に周囲は徐々に白み始めてきた。


「おまえらなぁ、一応俺達は見張りなんだぜ。お喋りはそのへんに――」


 流石に苦言を呈した古参傭兵は、そう言いながら身体を起こすと物見塔の鋸壁から北を見る。そして、絶句していた。


「ん? どうしたんだオッサン」

「なにかあったの?」

「お、おい、み、見てみろよ……」


 その声に促された男女も壁の隙間から顔を出すと同じように絶句していた。


 夜明け前の薄明かりの下、昨日まで存在していたリムルベート王国側の陣地が見えなくなっていたのだ。昨日まで陣地の在った場所は増水した川に呑み込まれていた。一面水没した陣地跡には、夜の闇の中に浮かび上がっていた松明が、水面に突き立てられた竿の上に括り付けられいまだ微かな炎と煙を発している。


「な……流されちまったのか?」

「さぁ……でも彼方此方あちこち水浸しだぞ!」


 増水したのは、北側の川だけでは無かった。普段は湿地といっても乾いた地面が圧倒的に多いのだが、今は一面が水浸しとなっている。物見塔はタンゼン砦の全周を見渡すことができる高いものだ。そこから見える周囲の様子は北側だけでなく南側も同様に水没していることを示していた。まるでタンゼン砦が広大な湖の中に建っているように錯覚させる光景だった。


 南側に遠ざかってしまったオーゼン台地のほとりを茫然と見つめる女傭兵は、


「孤立……したみたいね」


 と一言呟いた。そんな彼女の指す先には、微かに霞んで見えるオーゼン台地の北端と、その場所に移動、集結したリムルベート軍の姿があったのだ。


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 同時刻、オーゼン台地からインヴァル河を渡った対岸の村、アワイムを目指した軍勢は極力静かに原野を駆けていた。


 インヴァル河の増水はトルン砦の水門によって引き起こされたものだった。これまでは夜間の補給と部隊移動のみに限っていたため、水門の調節は櫂船が航行できる程度の水深を確保するに留まっていた。しかし、昨晩完全に解放された水門から吐き出された大量の水はノーヴァル湿原の南端とタンゼン砦周辺、更にオーゼン台地の外周を水没させていたのだ。


 原野を行く軍勢はウェスタ・ウーブル連合軍の騎士二百と兵士二千強、それに山の王国の義勇軍三百だった。彼等は増水して内陸へ移動した河縁を一気に駆け抜けるとアワイムの村を目指す。


「騎士達は集落を迂回して南の街道を封鎖だ、南へ回り込め!」


 ガルス中将の号令によって百五十騎の騎士がアワイム村を東から回り込む進路を取る。


「残りの兵はこのまま村へ突入だ! 住民は既に居ないという事だ、見掛ける者はほぼ全員傭兵、つまり敵兵だ!」

「応!」


 兵達の号令が目覚めだしたばかりの村に響いた。


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 ヨシンは騎士隊としてウェスタ侯爵領の正騎士達と共に村を迂回すると、南側の街道に到着していた。既に村の方では大勢の人間が争う音が聞こえる。


「さて、何が出て来るか……」

「なんでも来い、だ!」

「……」


 周囲の騎士達がそんな声を上げている。全員が戦いの予感に興奮しているようだった。馬ですら鼻息が荒い。そんな騎士達の中にあって、ヨシンは無言を保っていた。既に愛用の斧槍「首咬み」を片手に持った彼は重厚な穂先を一度、二度と振ると前方を見据えた。その時、前方の村から逃れる集団が視界に入った。


 その集団は就寝中を襲われたのだろう、中途半端な武装で街道を南へ、アドルムの街へ逃れようとした傭兵達だった。


「約三百、いやもう少し多いな……全騎突撃用意!」

「ウェスタの連中に後れを取るなよ!」

「上等だ、ウーブルよりも首級を挙げろ!」

「手柄もいいが、アドルムへの連絡を遮断することが任務だ、皆忘れるなよ」

「応!」


 百五十騎の騎士達はそんな言葉を交し合う。


 一方、街道を南に逃れようとした傭兵の集団は目の前に立ち塞がる百五十騎の騎士の姿にギョッとしたように立ち止まる。そして、街道沿いでは逃げられないと判断したのか、街道を外れると原野の中へ分け入ろうとする者が続出した。


「ばらけると厄介だ! 突撃ぃ!」


 その号令と共に、ヨシンを始めとした騎士達は一気に街道を駆けると傭兵の集団に突進した。傭兵達の中には魔術を使う者が混じっていたようで、数回ほど炎の矢が騎士達を襲ったが、全速力となった騎士達の突進を止められるほどの威力では無かった。


 傭兵達は果敢に立ち向かう者と逃げようとする者で最初から統制を失っていた。また槍や弓矢などといった騎兵に有効な武装も整っていなかった。そこに、完全装備を整えた重装騎士が突っ込んだのである。勝負は始まる前から決していた。


 それでも、戦場には戦場の掟がある。一方的に見える状況であっても手を抜けば待っているのは冷然とした死という結末だった。また、作戦の性質上不必要に捕虜を抱える余裕がないウェスタ・ウーブル連合軍は投降や降伏を呼びかけることは無かった。そんな状況下ではがねの武器を振るう騎士達は全員が胸に一つの言葉を思い浮かべると、必死でそれを押し込めた。


(虐殺……いや、これは主を救うための戦いだ)


 戦いながら、そんな想いを胸に抱く騎士が大勢を占める。皆口に出さない。そして黙々と武器を振るい、馬を駆る。やがてアワイムの村から争いの喧騒が去って行った。それは昼前の事だった。

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