Episode_17.08 水底の脅威


 魔術師によってこの世に生み出されたモノ。単純な命令を与えられ、それを実行し続けることがこのモノ・・・・の存在意義だった。高い塔の上から叩き落され、地面に落下したこのモノ・・・・はその時の衝撃で四肢の半分を失っていた。そして、地面で跳ねた身体は水路の底、水の底へ落ちていた。しかし、このモノ・・・・の機能はその程度では失われない。その時からずっと、このモノ・・・・は暗く流れの強い水底に閉じ込められ、銀色の象牙質の身体に水藻を生じさせながらも魔術師の与えた命令に忠実であった。


 ――目の前の動く者を破壊せよ――


 それがこのモノ・・・・の存在意義だった。そして、今、自身を水底に縛り付けていた水の流れが弱まるのを感じる。格子門に他のあくたや泥と共に引っ掛かっていたこのモノ・・・・が動き出すのは、もう直ぐのことであろう。


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 その日、午後の遅くからトルン砦内を流れる水路の水位は目に見えて下がり始めると、日が暮れる頃には、水深が二メートル程度まで下がっていた。


 砦の水路の入口である北側の取水口と、南と西にある放水口には格子状の門が取り付けられている。流れ込むゴミや、水中を通って侵入を試みる者を排除するための門だ。その内北側の取水口に取り付けられた格子門は二年前のトルン砦攻略時に一度破壊された後、応急的な補修が加えられ、続けて使われている。今回水を抜いて分かったのだが、北側の格子門は、一番下の水路の底と接する部分に大きなゆがみがあり、人が余裕ですり抜けられるほどの隙間が開いていたのだった。夕方の時点では大半が水の中であったが、これを見たポンペイオ王子や砦を守る兵士長達は、


「これは、その内直したほうがいいな」


 という会話を交わしていたものだった。


 そして同じ日の深夜、トルン砦と露わになった水路の底は少し前から降り出した冷たい雨に洗われていた。ドワーフ達と兵士達は、居館の一階で飲み食いをした後は夫々の就寝場所で一日の疲れを癒している。雨音だけが響くヒッソリと寝静まった砦の中では、不寝番の警備兵達が起きている状態だった。


 警備の兵士達は主に南側を警戒している。しかし、前線はこの場所から遠く離れたタンゼン砦である。そのため兵士達の注意は緩みがちになっている。だんを得るため兵士達は大きな篝火かがりびの周りに自然と集まっていた。大きな欠伸あくびをする者や、ヒソヒソと他愛の無い話をする者ばかりだった。


「なぁ知ってるか……」

「なんだよ?」

「このトルン砦の水路には化け物が居るっていう話だ」

「ちっ、止めろよ。オレそういの嫌いなんだよ」


 南側の正門を守る兵士達の会話である。季節外れの怪談という訳ではないだろうが、一人の兵士が、怖がりのもう一人をからかう・・・・ように話を続ける。すると、横で聞いていた別の一人が、話に参加してきた。


「ああ、それは俺も聞いたことがあるぞ……たしか、前に一度南側の水門を閉めて流れを西へ寄せた時だ。南側の放水口の格子門をよじ登ろうとした人影が見えたって――」

「ばか、止めろ! 本当に止めてくれ!」

「ははは、良い歳してなんだよ……」

「でも、その人影が見えたのは確か夜だったはずだ……」


 怖がる兵士は涙目になりながら、同僚の兵士からそっぽ・・・を向くように視線を巡らす。丁度北側の格子門が丸見えであった。そして、


(え? な、なんだアレ……)


 その兵士は、視線を逸らした先にある北の格子門の、丁度夕方に話題になっていた格子が歪んだ隙間のある場所から、一つの人影が上流の方へ歩いて行くのを見ていた。煙るように降りしきる雨の中、不明瞭な視界だった。しかし、その人影は人間にしては大きく、また骸骨のような姿にも見えた。


「ひ、ひ、ひっ……」

「お、おい、なんだよ? そんなにビビる話じゃないだろ?」

「ばか、怖がらせ過ぎだぜ、ったく、シッカリしろよ」


 北側を向いたまま言葉を失っている兵士に、他の二人が声を掛ける。そこでようやく、


「ひ、人影っ! み、見えたかも……」


 言葉を取り戻した兵士が指し示す先 ――北の格子門の歪み―― には、既に人影が見えなくなっていた。


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11月4日 トルン砦


 その日、王都リムルベートの邸宅に逗留していたガルス中将を始めとしたウェスタ侯爵領正騎士団の小勢は、ウーブル侯爵家の騎士達を伴ってトルン砦に到着していた。


 彼等の後を追ってリムルベートで雇い入れた人足達が不足分の物資を運び込むことになっているが、前線のタンゼン砦やその奥のイドシア砦へ送る本格的な補給物資は河川を伝ってウェスタやウーブルから運び込まれることになっている。そのためガルス中将の率いるウェスタの騎士十騎とウーブルの騎士五騎のみの小勢は現地トルン砦の確認が主任務であった。


「久しぶりだな……」


 トルン砦の北側の城壁を目の前にして、騎乗のガルス中将がそんな声を漏らす。つい二年半前にトルン砦を前にでまかせ・・・・の口上を述べたことを思い出しているのだろう。


 一方、ヨシンは馬上から周囲に視線を送っている。彼の甲冑は、黒染のままだが、胸にあった削り跡 ――不名誉証―― は丁寧に復元されていた。竜が火を噴く意匠、つまりウェスタ侯爵家の紋章が丁寧に修復され、朱染めに浮き上がっていた。


 そんなヨシンは周囲を気にする様子とは裏腹に、頭の中ではリムルベートに帰参してから今回の作戦が始まるまでの約二週間を思い出していた。マルグス子爵の屋敷で、将来を誓い合った幼馴染の少女と過ごした時間は天国のような日々だった。おおっぴら・・・・・にベタベタとして過ごすことは避けて最低限の慎みは保ったつもりだった。しかし、その雰囲気はアルヴァンやデイルといった夫々それぞれ伴侶はんりょの無事を祈るノヴァとハンザからすれば余り面白くない光景だったかもしれない。そんな事を考えていたのだ。


 もっとも彼女達はそのような素振りを見せることは無かったし、マルグス子爵家の人々もまた、そっと見守っていてくれたような気がする。そう考えるヨシンは、屋敷を出発する際のやり取りを特に・・思い出していた。


「アルヴァンを……お願い」

「武運を祈る……」


 と言うノヴァとハンザの表情は真剣だった。一方、マーシャは何も言わなかった。引き留めても無駄だと言う事を知っている彼女は健気にも笑顔を作ってヨシンを送り出そうとしていた。しかし、無理矢理作った笑顔はあっという間に崩れ、とび色の瞳一杯に涙を溜めた彼女は声を発することが出来なかった。


 その時、そんな様子の彼女達を気の毒そうに見ていたトール・マルグス子爵と騎士ドラスの二人がヨシンに近付いて声を掛けてきた。


「ヨシン君、必ず無事に戻って欲しい。そして……戻ったら少し相談に乗って欲しいことがあるのだが」


 そう言う子爵は何時いつにも増して真剣な表情だった。無言だったが騎士ドラスも同じ表情でヨシンを見ていた。その事も気になるヨシンであったが、


(また、領地で問題があったのかな?)


 程度に考えている。そして、


(……マーシャの事も子爵の事も、しばらく忘れよう)


 と気持ちを切り替えるのだった。親友アルヴァンの窮地を救う。そして、ウェスタ侯爵家の騎士の一員として任務を果たす。これからのぞむ作戦は、親友ユーリーでもきっと驚くほどの大胆なものだった。しかし、必ず成功すると信じなければならない。


 騎乗のヨシンを含む騎士達は、夫々に様々な想いを胸に秘めているだろう。そして、言葉少なに砦を目指す彼等は、丁度船溜まりとなっている溜池を背後にして城壁の前に達していた。その時、トルン砦から此方へやって来る一団が視界に入った。三十人前後の集団である彼等はガッシリとした短躯に金属甲冑の重装備を身に着け、その重さを苦とも思わずに駆けてくるドワーフ戦士団であった。


「ガルス殿! おお、それにヨシンも、久しいな!」


 集団の先頭で声を上げるのはポンペイオ王子であった。その声にガルスは騎士達を止めると全員下馬させる。


「ポンペイオ王子、お久しぶりでございます。お元気そうでなにより」


 同盟国の王族に対し、地面に片膝を付き、礼をするガルス中将と他の騎士達である。しかし、ポンペイオ王子は、それを止めさせると騎士達を立たせる。


「礼など、他人行儀は止めてくれ」


 約二年振りの再会であった。西方同盟使節団としてリムルベートを訪れたポンペイオ王子がウェスタ侯爵家の邸宅に滞在し宴席を設け、その後ルーカルト第二王子の謀反に巻き込まれた。その大騒動を共に潜り抜けた彼等は、旧知の友のように気易かった。


「水門の方は?」

「うむ、予定よりも二日前倒しで工事を終えた。これで全ての水をいつでも南へ放出することが出来るぞ」

「流石、山の王国でございますな」


 そんな会話がポンペイオ王子とガルス中将の間で起こる。そして、


「ヨシンは、ユーリー殿と共にコルサス王国に居ると思ったが……戻ったのか」

「はい」


 騎士達の中にヨシンを見つけたポンペイオ王子はそう言うと、周囲を探すような素振りをした。当然「もう一人の恩人」の姿を探しているのだろう。一方ヨシンは、自分達を知る者ならば当然の疑問に先回りして答えるのだった。一時期は親友ユーリーの消息について答えるたびに落ち込むような気分になったのだが、この二週間ほどでそのような後ろ向きの情動は治まっていた。健気な乙女の慰めは青年の心から落胆と自責を取り去ると、「再び会えるに違いない」という強い希望を与えていたのだった。


「……そうか。ならば、まずアルヴァン殿を救い出し、次はユーリー殿を探し出すか」


 ヨシンの説明にポンペイオ王子は快活な声を上げる。落ち込むことが解決にならないならば、元気を出して前へ進む方が良い。そんな考えを代弁するような声だった。


 そして合流した騎士達十五騎とドワーフ達三十人は共にトルン砦は向かおうとする。異変はその時起こった。


バシャッ


 背後の船溜まりから水音が響いた。まるで大きな魚が跳ねたように水面を打つ音が響いた。


「なんだ?」


 最後尾に居たウーブル侯爵の騎士が振り返る。そして、


「っ!」


 視界に捉えたモノが理解出来ずに固まってしまった。


「ば……ば、化け物ぉ!」


 何とか捻り出した言葉に全員が背後を振り向いた。そこには蜥蜴とかげのような頭蓋骨を持ち、全身骨ばかりの、しかも銀色の光沢を持つ骨に黄緑色のを纏わり付かせた異形いぎょうが立っていた。水から上がったばかりのその身体は、左足のくるぶしから先が無く、すねの骨を地面に突き刺すようにして、傾いて立っている。良く見ると、左腕も肘の先が無くなっている。しかしもう一方の右腕には真っ赤に錆びが浮いた巨大な鉈剣ファルシオンが握られていた。


「な、なぜ……竜牙兵がここに!」


 呻くような声はガルス中将のものだった。

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