Episode_17.05 幸運の子に与えられるもの


 連れだって孤児院を後にした二人は、そのまま繁華街へ続く大通りを進むと屋台と夜市が出る場所に辿り着いた。ここに来るまでの道も、今も、周囲は十月終わりの肌寒い晩秋の空気に満たされている。しかし、不思議な事にヨシンもマーシャも寒いという感じを受けなかった。寧ろ胸の中とつないだ手からほのかな温かさが発せられ、それが全身を包み込むように感じるのだった。時折吹く冷たい風が火照った頬に心地良くさえ感じる。


 そんな二人は、屋台街であれこれと注文すると席に着いた。マーシャはこういった場所を頻繁に訪れることは無かった。精々がノヴァや孤児院長のポルタ夫妻・・・・・に誘われて数回足を運んだ程度だ。一方ヨシンは、以前は頻繁に訪れていた場所だが、マーシャと共に来ることは初めてだった。二年前の火災を受けて、周囲の建物や雰囲気は少し変わっていたが、ヨシンはそれをマーシャが一緒にいるせいだと感じていた。彼女と居ると、街の風景が変わる気がした。


「あら、やっぱりヨシンさんね!」


 そんな声が二人のテーブルに掛かった。声の主は、桐の木村出身の内臓肉の煮込みを出す屋台の店主に嫁いだアニーだった。


「ねぇ、この女の人、だれ?」


 マーシャは当然のことだが、気易く声を掛けてくる派手目な風貌の女性に警戒感を発する。


「あら……このって、もしかしてヨシンの彼女の……えぇっと……マーシュ?」

「マーシャ!」


 アニーの無邪気な言い間違いに、一瞬屈強な騎士マーシュの姿を思い浮かべたヨシンは、慌ててそれを否定する。大体、マーシュとは男の名前だ。わざと言い間違えたのは分かり切ったアニーの悪戯だったのだ。


「あっと、この人は――」


 恋する乙女の猜疑心に溢れるジト目を受けて、ヨシンは慌ててアニーについて説明する。


「ああ、そうなんだ……」

「で、アニーは旦那さんとは結婚したの?」

「やーねー、結婚なんて大それたものじゃないわよ。フリギア神の神殿でちゃちゃっとね……今は、もうちょっとお金を溜めて、店を構えようって話をしてるのよ」


 そう言うアニーは、自分の店でもある屋台を振り返る。屋台主の中年男は、その視線を受けるとちょっと笑った後に、手を振って来た。煮込み料理並みに熱い雰囲気だった。


「じゃぁ、内臓の煮込み。一人前でいいよ」

「はいよ! 毎度あり!」


****************************************


 テーブルに並んだ料理の数々は、ヨシンにとって食べ慣れた物でありながら懐かしい物でもあった。リムル湾で獲れるすずきの塩焼きに、塩漬けの鳥腿肉を野菜のピクルスと共に煮込んだスープ。そして、素焼きの土鍋でグツグツと煮えているアニーの店の内臓煮込み。昔は、ユーリーと先を争って掻き込んだ料理の数々だった。しかし、相変わらず喧騒に包まれる屋台街で、そのユーリーの姿はこの場所には無い。そして、同じ幼馴染であるマーシャに、その事を話さない訳にはいかないヨシンは重い口を開いた。


 彼が語る内容は、ガルス中将や、ハンザとノヴァに語った言葉とは少し違った。事実を事実として伝える言葉ではない。ヨシンの生の言葉だった。当然そこには後悔や悔しさ、更にはユーリーに対するいきどおりまでが含まれている。


 それを語る最中、ヨシンはふと、何故こうも「語る言葉」が違うのだろう? と思う。しかし、テーブルを挟んで正面に座るマーシャの、静かに優しく聞く表情を見るにつけて、その理由が分かった気がした。それは、


(ああ、オレはマーシャに甘えているんだな)


 というものだった。まるで全てを受け入れて、許してくれそうな表情だ。喩えて言うならばパスティナ神の神殿に掲げられた大地母神を描いた絵画が醸し出す慈愛の雰囲気に似ている。そんな目の前の少女に、ヨシンは全てを吐き出す。


「――正直、今でもコルサスのトトマを離れてリムルベートに向った判断が正しかったか……わからないよ」


 苦い言葉だった。しかし、対するマーシャは手を伸ばしてヨシンの頬を撫でる。そして、言うのだ。


「でも、もしもユーリーが何処かでその事を知って……例えばその冒険者の人達が、ユーリーに会って、ヨシンがアルヴァン様のためにリムルベートに向ったって知ったら……ユーリーはどう思うかしら?」

「……わからない。でも、オレが逆の立場だったら……きっと安心すると思う」

「なら、きっとそうよ。ユーリーも、ヨシンだけでもアルヴァン様の所に向ったと知ったら、きっとホッとするわ」

「そうかな?」

「そうよ。誰でもない、マーシャ姫が言うのよ、きっとそうよ」


 「マーシャ姫」幼い昔にそう言わさせられていた記憶が蘇り、ヨシンは笑うがマーシャは顔が赤かった。それでも、そんな恥ずかしい言葉を持ち出しても、マーシャはヨシンを慰めたかった。彼女は知っている。これから、この愛する青年が熾烈な戦いの場におもむく事を。泣いてすがって引き留めても、きっとこの男は親友を助けるために戦いの場へ赴く。ならば、女の身で出来る事はそう多く無かった。ただ、束の間の時を甘えて過ごしたければ存分に甘えればいい。乱暴に欲情を叩きつけるとしても、全部受けて立つ覚悟だ。開拓村の少女はそれほどやわに出来ていない。ただ、素直に全てを吐き出してくれればそれで良い、そう心の隅で願うまでだった。


「マーシャ、ありがとう。お前は本当にオレのお姫様だよ……あの約束・・・・はまだ大丈夫だよな?」

「……大丈夫よ……随分待たされたけど『マーシャ姫』は生憎他の王子様に興味が無いみたいよ」


 ヨシンの言う約束とは「結婚しよう」という約束のことだ。そして、マーシャは当然のようにそう答える。それまでずっとヨシンの頬を撫でていたマーシャの手にヨシンの手が被せられた。愛おしむように優しく撫で合う二人の時間は止まったように、ゆっくりと流れていた。


「お飲物のお代わりはどうですかー! お飲物のお代わり……」


 売り子よろしく彼方此方あちこちのテーブルにそう声を掛けていたアニーは、ヨシンとマーシャのテーブルだけは、声を掛けずに素通りするのだった。


****************************************


 空腹を満たした二人は帰り道の途中だった。結局屋台街の喧騒に紛れて余り話し込むことは出来なかった。しかし、お互いの姿を目にしながら過ごす時間は、長く離れ離れであった恋人同士には得難い時間だった。


 そんな二人は山の手地区の奥まった場所にあるマルグス子爵家と「旅鳥の宿り木園」前に辿り着く。因みにマーシャは今、この孤児院に寄宿していた。既に樫の木村の年老いた両親は他界しており、身の回りの世話をしていたメオン老師もウェスタ城へ赴いているのだ。そんな彼女は、ヨシンの帰りを待つためにもマルグス子爵家と隣接した孤児院に住みながら働いていたのだった。


 マルグス子爵の屋敷と「旅鳥の宿り木園」は敷地を隣接していて、中の庭は菜園となって繋がっている。しかし、入口の門は二つに分かれている。その門の前で止まった二人は顔を見合わせる。


「じゃぁ、おやすみなさい」

「ああ……」


 また明日会える事が分かっていても、再び太陽が姿を現すまでの時間を別れて過ごすことが惜しいように、マーシャが言う。一方のヨシンは、彼女の立場や外聞もあるだろう、と考えてもう一つの気持ちを精一杯押し込める努力だ。そのため返事が籠ったような相槌になっていた。


「……ねぇ……最後にもう一回」

「え?」


 別れ際の口付けか「おやすみなさい」の挨拶か、しかしヨシンの身体に腕を回し、爪先立ちになったマーシャが求めたものは、もっとねっとりと熱の籠ったものだった。そして、この唇の感覚とくすぐるような舌先の動きが、ヨシンの自制を粉々に打ち砕いた。元々背丈は頭二つ分ヨシンが高い。身体も大きい彼は、マーシャを包み込むように口付けしていたが、不意にソレを外すとグッっと彼女の身体に回した腕に力を籠める。そして、まるで藁編わらあみの俵か行李こうりを持ち上げるように彼女を肩に担いだのだった。


「ちょっ……ねぇ、ちょっと!」

「……」

「なに? なんなの?」

「マーシャが悪いんだ」

「は? なにがよ!」


 突然の行動に、肩に担がれたマーシャは抗議の声を上げる。しかし、ヨシンは取り合う風ではなく、マーシャには意味の分からない事を言うだけだ。そんな彼は、抗議するにしては大人しくされるがまま・・・・・・の少女を肩に担いで子爵家の門を潜った。その姿は、まるで山賊が戦利品のお姫様をさらって行くようだった。


 しかし、心優しく力強い山賊と、そんな山賊に攫って欲しかったお姫様が繰り広げた小さな誘拐劇は、誰に気付かれる事も無く静かに夜に溶け込んでいく。やがて上る朝日が二人の間を分かつまで、二人が何をどういう風にして過ごしたか、それは誰にも分からない事だった。

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