Episode_17.04 淑女達の憂鬱


 その日、ヨシンはマルグス子爵家が準備した屋敷内の一室に宿を得ることができた。


 応接室に飛び込んできたマーシャとひとしきり・・・・・抱き合ったヨシンだったが、何とか理性を取り戻すと、マーシャの身体をそっと離した。対するマーシャも、その場がマルグス子爵家の応接室であることを思い出すと、それ以上大胆な行動はとらなかった。ただ、


「孤児院の仕事が終わったら……」

「ああ、メシでも食べに行こうか」

「うん!」


 と言う事になっていた。そして、一旦マーシャと別れたヨシンは荷物を部屋に置くと、格好はそのままでノヴァの自室へ向かった。そして、扉を軽くノックすると中に声を掛ける。


「ノヴァさん、ヨシンです……今、戻りました」


 すると、部屋の中から


「ヨシンか!」


 と声がする。その声は聞き違えるはずの無いハンザ元隊長のものだった。そして、少しの物音と共に扉が開かれる。扉の向こうは少し大きな部屋だった。恐らく居間と寝室に別れた造りなのだろう。そんな部屋の扉を開けたのは、以前のような男装ではなく、少しふくよか・・・・な雰囲気となったハンザであった。そして、その奥に見える長椅子には、丈の長い、ゆったりとした服装を身に纏ったノヴァの姿もあった。


「ヨシンっ! 戻ったのね!」


 以前と変わらないノヴァの快活な声が廊下に響いた。


****************************************


 最初、ヨシンを迎え入れたノヴァとハンザの表情には再会の喜びがあった。


 ノヴァにしてみれば、ヨシンはユーリーと共におっととなるべきアルヴァンの親友だ。彼女自身も、何度も共に戦いを潜り抜けた仲だ。一方ハンザからすれば、ヨシンもユーリーも兵士になる前の少年時代から見知った歳の離れた弟のようなものである。夫のデイル共々、二人には目を掛けてきた。


 そんなノヴァとハンザは、あるじを助け王都の危機を救った二人が王都を追われるように旅立った経緯を理解していた。それを仕方ない事だと割り切る一方で、他の方法は無かったのか? という想いも持っていた。


 その二人の内の一人がヒョッコリと姿を現したのだ、喜ばない訳が無かった。それが、二人とも・・・・そろって身重みおもの身体でおっとの無事の帰還を祈るだけの日々だったならば、尚更の感激があっただろう。しかし、その再会の喜びは束の間であった。


「そんな……」

「そうか……行方が分からないのか。どのような戦いだったのだ?」

「……はい。でも、その話を聞いて直ぐに、今度はアーヴの危急の報せと帰還命令を受けたので……詳しい話や経緯を調べる時間はありませんでした」


 ヨシンはユーリーを残して一人で戻った経緯を説明した。その話にノヴァは絶句するが、流石にハンザはしゃん・・・として事情を聞きたがった。しかし、ヨシンはそれを語ることが出来なかった。


「ゴメンなさい……」


 何故かノヴァが詫びる言葉を発する。腹の子がそうさせるのか、それともそういう自覚が出来ているのか、彼女の言葉には「アルヴァンのために」という響きがあった。しかし、ヨシンは強くかぶりを振ってそれを否定した。彼の言葉には悔しさが滲むが、それはノヴァやアルヴァンに向けたものでは無い。自分に、そして、ユーリーに向けた悔しさだった。


「まさか、ノヴァさんが謝る話じゃない。ユーリーがドジだった・・・・・だけです……」


 ヨシンの言葉にノヴァはうつむくだけだった。一方ハンザは一気に重くなった空気を何とかするために声を発した。


「ユーリーの事だ、賢く立ち回って、しぶとく生きているに決まっている……とにかく、難しい決断だったろうが……よく戻ってきた! 父上にはもう?」


 こんな時に優しい言葉ではなく鼓舞するような事しか言えないハンザは、二人目の子供を身籠り母親となった今でも、何処まで行っても自分は女としては半人前だと思ってしまう。


「はい、既に先程会ってきました……同じことを言われましたよ、『よく戻った』って」


 ハンザの気持ちは分からずに、彼女の言葉にそう答えるヨシンは、板に付かない苦笑いをして見せた。そして、


「しばらくは、王都に待機という事でした。行く宛ても無いのでこの屋敷に居座ろうかと思っています。マーシャも居るみたいですし……それに、ノヴァさんの用心棒くらいには、役に立つでしょう」


 と、精一杯明るい声を出すのだった。


 その後しばらくヨシンはノヴァの部屋にハンザと共に留まると話を続けていた。滅入めいりがちな屈託くったくを抱える三人だが、それを払拭ふっしょくするように女性陣二人はヨシンとユーリーの土産話を聞きたがった。揃って「四か月目だと思う」という妊婦にんぷ二人が聞きたがったのは、この二人ならさもありなん・・・・・・といえる、コルサス王国の風土や王子派の戦闘、作戦、王弟派の情勢にまつわる話だった。


 しかし、秋の夕暮れは早い。ハンザは二歳になる娘パルサを孤児院に預けてノヴァの相手をしているので、そろそろおいとまの時間であった。そのため、本格的に土産話を披露するのはまた明日ということで、日が落ちてきた頃に解散となった。


****************************************


 ヨシンは勝手に「居座る宣言」をしたのだが、特に問題なくマルグス子爵家の面々に受け入れられていた。子爵家の使用人達は増員されていたが昔から残っている者達はそのままだった。そんな古参の使用人達は、全員がヨシンを或る意味「子爵家と自分達の給金を救った恩人」だと考えている。そのため、待遇は良いものだった。


 準備された小部屋で身体を拭く湯と替えの肌着を使ったヨシンは、身綺麗みぎれいにした自分を確認するように、鼻をヒク付かせる。そして、大丈夫なことを確認すると孤児院へ出向く。勿論マーシャを迎えるためだ。


(こんな時なのにな……オレって何をやってるんだろう)


 という自責の念が拭い去れないヨシンだった。本来ならば、アルヴァンとユーリーという二人の親友の安否を気遣うべきだろうし、今も決して忘れた訳では無い。そんな彼は、マーシャと再会しても、ふさぎ込んだ自分では彼女を不安にさせたり、怒らせるかもしれない、と考えていた。


 しかし、どうやら取り越し苦労だったようだ。不意討ちのように現れたマーシャの笑顔や明るい声、そして唇の柔らかさ。更に、数えるほどだけ感じた事のある恋人の身体の感触に、ヨシンは先ほどのような自責の念を感じるだけだった。


 そんなヨシンは、屋敷を一度出ると隣接する孤児院「旅鳥の宿り木園」へ入った。以前はマルグス子爵の屋敷に間借りしていた孤児院だが、今は見違えるように立派な建物 ――といっても木造二階建ての倉庫のような建物だが―― になっている。新王ガーディスによっててこ入れされた護民政策の一環として、王都内に幾つも孤児院が新設されていた。そして、この「旅鳥の宿り木園」は半王立施設として一定の予算が割り当てられている、と言う使用人の話を思い出していた。ヨシンにはその政策の意図は分からないが、


(立派なものだ)


 と思うのだった。


 そんな事を考えながら孤児院の玄関先で立ち止まっていたヨシンに声が掛けられた。マーシャの声だった。


「ヨシン!」

「マーシャ」


 再び駆け寄る若い二人だが、抱き締めようとするヨシンの腕は寸前のところでマーシャに止められた。そして、


「ちょっと……みんな・・・見てるから……」


 と少し恥ずかし気に言う。


 一方のヨシンはなるほど、と思う。今まで気が付かなかったが、マーシャの背後にある少し開いた玄関の扉には、小さい子供のものと思われる頭の陰と片目だけが幾つも覗いていたのだ。


「わたし、一応先生なんだから……あとでね」


 そう言って、薄暗がりでも分かるように頬を赤くしたマーシャを……結局ヨシンは構わずに抱き締めていた。


「きゃー!」

「ヒュー!」

「ねぇねえ、アレってマーシャ先生の彼氏?」

「あれだろ、騎士ヨシン?」

「へぇ、先生良かったね」


 と、玄関の戸の後ろから子供達のはやし立てるような声が聞こえてきた。それを聞くマーシャはヨシンの腕の中で、


「もう……ヨシンのバカ」


 と小さく呟くと、グイっと頭を押し付けるようにするのだった。

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