Episode_17.03 懐かしき人々


 ガルス中将との面談を終えたヨシンは、しばらくその部屋に留まっていた。何をどうする事も出来ないのは毎度のことだが、今ほど戦うことしか出来ない自分を無力に感じたことは無かった。また、こんな時に頼りになる親友がいない事を悔しくも寂しくも感じた。


 そんな考えが頭を巡るに任せて、しばらく黙り込んでいた彼だが、やがて立ち上がると部屋を後にする。そして、邸宅の本館を出ると兵舎と厩舎が在る方へ向かった。馬に括り付けた荷物を回収するためだ。


 ――別命あるまでは王都で待機するように――


 とは、去り際のガルス中将が言い残した言葉だった。しかし、見習い騎士時代は当直兵士の宿直室に居座っていたヨシンには特定の棲家すみかが無かった。厩舎へ向かう前に宿直室を覗いてみたが、先の謀反事件で発生した欠員の補充や交替などを経た警備兵の顔ぶれはヨシンの知らない者が多かった。


 また、警備兵の側も、突然顔を出した見慣れない騎士の姿にギョッとした雰囲気で硬直していた。その様子にヨシンは溜息を吐くと、宿直室に泊まることを諦めて厩舎に向かうのだった。


 やがて少し行くと、聞覚えのあるだみ・・声が響いて来た。


「おお! やっぱりヨシンだ! ヨシンが帰って来たぞ!」


 その声の主は馬の世話を専門に行う兵士の中でも年配の兵士の声だった。見習い時代には「馬に慣れる」という意味を籠めてユーリーと二人で厩舎の兵士達と共に働いていたヨシンはこの兵士に馬の事で良く世話になっていた。


 年配の兵士が呼ぶ声に、厩舎の中から数人の兵士が出てくる。どれも皆ヨシンにとって顔見知りの兵士達だった。


「おお、ホントだ」

「うわっ、またデカくなったな!」

「あれ? お前一人か?」

「ユーリーは何処だ?」


 そんな兵士達の声には当然、二人組の片割れ・・・・・・・を探すような声が含まれていた。全員がヨシンに問い掛けるような視線を送ってくる。久しぶりに再会に彼等の疑問は当然だろう。そう考えるとヨシンは重い口を開くのだった。


****************************************


 その日、マルグス子爵の屋敷に隣接した孤児院「旅鳥の宿り木園」では日々の様子と変わることの無い日常が過ぎていた。正午を二時間過ぎたこの時間は、十二歳から十五歳の年長者達に読み書きを教える時間となっている。木造二階建ての建物の一階にある部屋では、四十人程の少年少女達が数人一組で教本を覗き込むようにしながら、書かれた文字を読み上げていた。


 そんな子供達に文字を教えているのは、未だ若い女性だ。健康的な体型と血色の良い白い肌、そして後ろで一つに結んだ明るい赤毛を時折揺らしながら、快活な声で子供達の音読を先導するように教本の文字を読み上げている。


「――『騎士ヨシンよ、姫と結婚したければ、見事あの騎士を打ち倒してみせよ』と王様は言いました。『お止め下さい、私のために命を投げ打つようなことは』お姫様はそう言うと泣き崩れます。しかし、勇気あるヨシンは言いました。『私は必ず勝って見せます。そして必ずや姫の元に戻って来るでしょう』そう言うと騎士ヨシンは颯爽と馬に跨り戦場へ駆け出して行きました。『ああ、ヨシン、必ず、必ず生きて戻ってきて』――」


 音読の先導にしては長い部分を一気に、しかも感情を籠めて読み上げた教師役の女性の様子に、子供達は呆気にとられたような顔になる。


「あのぉ……先生?」


 そして、子供達の中でも年長の少女が声を上げる。しかし、教師役の若い女性は物語の中に入り込んでいるようで、その後の部分を、声を出さずに黙読していた。実はこの教本は、この教師役の女性が幼い頃に今は亡き両親にねだって買ってもらった思い出深い物語だった。それを、手ずから十冊分書き写して読み書きの授業に使っているのだった。ただし、本来の物語では姫に求婚し、敵の騎士に立ち向かう主人公の名前は「スパロー」である。しかし、この女性はその部分を自らが愛する青年の名に書き換えているのであった。因みに、この騎士が敵の騎士を打ち倒すために「勇気の剣」を手に入れる冒険の下りがあるのだが、その冒険を助ける妖精の名前が「ユーリー」だったりする。しかし、これは原作通りである。


「マーシャ先生!」

「あ、はい。なんですか?」

「先生、長い! 小っちゃい子はそんなに長く覚えられません」

「あ……ご、ごめんなさい。えっと、どこからだっけ?」


 その少女とマーシャ先生のやり取りで、他の子供達にドッと笑いが広がった。皆両親を何かの理由で亡くした孤児である。しかし、同じ境遇の仲間と共に過ごす「旅鳥の宿り木園」は温かく、彼等にとっては安心できる宿り木なのだろう。


「もう、みんな静かにしなさい!」


 マーシャは一人顔を少し赤らめながらそう言う。しかし、中々静かにならないのはこの年頃の子供達では仕方がないだろう。


「もう、静かにしないと、メオン先生・・・・・の授業をまたやるわよ!」


 マーシャの切り札と言うべき言葉に、教室は水を打ったように一気に静まりかえった。因みにメオン先生とは言うに及ばずメオン老師の事である。但し今は、体調不良のガーランド宮中大伯老に同行しウェスタ城に居るので、マーシャが言うように直ぐ教壇に引っ張ってくることは出来ない。それでも、メオン先生の指導の記憶が生々しく残る子供達は一様に口を噤んだのだった。


 そんな時、教室として使っている大部屋の扉が少し開いた。そして、


「マーシャさん、ちょっと、ちょっと」


 扉の向こうからマーシャを呼ぶのは、隣接するマルグス子爵家の家令セバスだった。彼を含めたマルグス子爵家の面々は、孤児院の運営を手伝う事が多い。そのためセバスが孤児院に現れることは不思議ではない。しかし、授業中に声を掛けて来ることはこれまでなかった。


「みんな、各自で今やったところを読んでみてね!」


 不審に思ったマーシャは、子供達にそう声を掛けると扉に歩み寄る。そして、二言三言セバスと声を交わした彼女は、血相を変えて教室を飛び出して行ったのだった。後に残されたセバスは、ちょっと困った風になりながらもマーシャの後を引き継ぐように教室に残るのだった。


****************************************


「ヨシン君、立派になったな……」


 孤児院と隣接するマルグス子爵の屋敷の応接室で、旅姿のままの青年騎士を迎えたのはマルグス子爵と子爵家唯一の騎士ドラスである。二人の内、マルグス子爵が感嘆するような声を発した。


 一年半前に送り出した時も、青年騎士ヨシンは精悍な風貌だった。しかし、今戻ってきた彼はそれに輪を掛けて逞しくなっていた。精悍さはそのままに、様々な経験を積んだ事が窺える表情を指して「立派になった」と表現するマルグス子爵だった。


「旅は人を成長させると言うが……顔つきが良くなったな。また一段と腕を上げたのだろう」


 一方騎士ドラスは、そんなヨシンが身に着ける甲冑を見て言う。激しい戦いを潜り抜けた証拠は、補修しても直し切れない傷として黒く塗られた軽装板金鎧の表面に刻み込まれているのだ。


「マルグス様も、ドラスさんも、お変り無いようで……」


 ヨシンは二人に対してそう言う。実はトール・マルグス子爵の様子はヨシンの言った言葉の逆だった。端的に言うと「変わった」とヨシンは感じていた。以前の、染みついた浪費癖から滲み出る人品の悪さや、少し間の抜けた締りの無い表情は鳴りを潜めている。よわい六十を前にして、ようやく貴族としての責務を自覚した彼の顔は、取り組むべき課題と、自ら成した成果に一定の自信を持つ者の表情だった。


 そして、あるじの変貌は家臣であるドラスの、いや子爵家全体の雰囲気を良いものにしていた。


「いやいや、変わったぞ。前の屋敷は取り上げられて、今の場所に移された。まぁこちらの方が、庭が広くて芋を沢山植えられるがな」


 そう言って笑う子爵の表情には、もはや自虐的な色は無かった。


「トール様は今や護民局の長官だ……今頃の御出世だが。立派に勤められている」

「こら、ドラス。『今頃』は余計だぞ……ハッハッハッ」


 そう言い合う二人を前に、塞ぎがちだったヨシンも釣られて笑みを浮かべている。そして、話はマルグス子爵家の領地経営の状況や、護民局長官から見たリムルベートの状況に移る。


 騎士ドラスが語るには、子爵家の領地経営は順調のようだった。北の沼地では魚の養殖が軌道に乗り、さらに西側の森を少し切り拓き、芋畑を作ったとのことだ。二年前の王都襲撃の際に芋を投げ付けて敵を追い払った、ということになっているマルグス子爵家の芋は何の変哲も無い物だが「子爵芋」と名前を付けて売ると、市場で良く売れるらしい。


 マルグス子爵家が順調な事を知ったヨシンは少し胸が軽くなる気がした。そして、聞こうと思っていた事をようやく口にすることができた。


「ところで、ノヴァさんは今?」


 ヨシンの疑問は当然だろう。アルヴァンの危急に、あの一角獣の守護者たる女性が黙っているはずは無い、と思ったのだ。もしかしらた独断で王都を飛び出しているかもしれない、とも考えていた。しかし、そんなヨシンの問いに、マルグス子爵は意外な返事をした。それは、


「今もこの屋敷に居る……少し引きこもりがちなのは、仕方ないだろうが……ウェスタ様はご自分の邸宅に引き取りたいと言っているが、ノヴァ殿は『ここで待つ』と言っていてな……」

「しかし、この屋敷は余り女手が在りませんからな……ポルタさんは孤児院で手一杯だし、ハンザ殿が日を置かずに訪れておりますが、それでもノヴァ殿の身の回りのことを考えると……ご不便がないかと心配で」


 マルグス子爵の言葉にドラスも続く。しかし、あの活力の塊のような女性ノヴァが自分の身の回りの事で女手の助けを必要とするだろうか? ヨシンはそんな疑問を感じる。それにウェスタ侯爵家が「邸宅に迎え入れたい」と申し出るのも今更な気がした。婚姻まではけじめ・・・をつける、というアルヴァンの言葉をヨシンは良く覚えているのだ。しかし、


「ウェスタ様も大伯老様も、ノヴァ殿のお腹に宿ったお子・・・・・・・・の存在があればこそ、今様に落ち着いて事に当たれるのだろうな」


 マルグス子爵の感慨深げな言葉は、充分ヨシンには衝撃的だった。


(アーヴのやつ、けじめ・・・は何処行ったんだよ!)


 思わずそんな言葉を発しそうになる彼だったが、それは、応接室の扉をバタンと乱暴に開く音で遮られた。そして、


「ヨシン! ヨシン! あぁ」


 驚いて振り返ったヨシンの胸に、見覚えのある赤い髪の少女が飛び込んできた。


「ま、マーシャ!」


 金属製の胸甲目掛けて飛び込んできたマーシャを衝突寸前で受け止めたヨシンは、その顔を覗き込むとゆっくりと抱き締めたのだった。


 応接室のマルグス子爵とドラスは顔を見合わせると、頷き合って部屋を後にする。極力物音を立てないように配慮した二人だが、熱烈に口付け合う若い男女の夢中には、どんな音であっても割りこめないものだろう。


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