Episode_17.02 若武者の帰還


 アーシラ歴496年10月22日


 王都リムルベートの山の手地区は、王城の第三城郭に隣接した地区である。多くの貴族が第三城郭の城壁を取り囲むように屋敷や邸宅を構えるこの場所は、王城の「第四の城郭」と呼ぶべき防御上の重要地域といえる。そんな山の手地区でも、一際ひときわ目立つのは北の正面門を見下ろすような丘の上にあるウェスタ侯爵家邸宅であろう。


 小高い丘の上の邸宅へ続く坂道は綺麗に石畳で舗装されている。春から夏にかけては、両脇に生い茂る木々の青々とした枝葉に包まれる坂道だが、今の季節は赤や黄色に色づいた落ち葉が風に吹かれるままに石畳の上を波のように洗っている。そんな石畳を、蹄鉄を打った馬が進む音が聞こえる。常足なみあしより少し早い程度の調子を刻む音は坂道の下から登ってくるようであった。


 その馬は栗毛の逞しい馬体を持った軍馬であった。そして、軍馬としても標準より大きい馬体の背には、甲冑で鎧われた大柄な騎士が跨っている。人馬ともに堂々とした風格を備えたその騎士は石畳の坂を九割ほど登ったところで歩みを止める。その頃には、ウェスタ侯爵家邸宅の門番をしていた兵士達も「何者か?」といった視線を投げ掛けていた。この坂道は邸宅の門で突き当りとなる。つまり、ここまで上って来る者は全て邸宅に用事が有る者に決まっているのだ。


 しかし、門番の兵士達は要件を問い掛ける声を発せられなかった。彼等の視界の先で歩みを止めた騎乗の若者を、その風格から「一角ひとかどの騎士」と認めた上で、掛ける言葉を失ったのだ。自然と彼等は、騎士に対する平時の礼儀をわきまえて、その者が先に名乗りを上げるのを待つ格好となった。そして、


「哨戒騎士団、騎士見習いヨシン! ただ今戻りました!」


 その騎士 ――ヨシン―― が名乗る声が大きく響く。直ぐに門は開かれた。そして、兵士達は一年半振りに帰還した青年の無事を喜ぶのだった。


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「……そうか、ユーリーは……」

「必ず生きています。俺はあいつが必ず駆けつけてくれると信じています」

「うむ……そうだな……お前にとっては難しい決断だったかもしれないが、よく戻った、ヨシン」


 一年半ぶりにウェスタ侯爵家の邸宅に足を踏み入れたヨシンは、旅姿のまま小さな部屋に通された。そして、その部屋でガルス中将と面談していた。ヨシンの目には久し振りに見たガルスは年相応に老け込んだように見えた。


「それで、ガルス中将、どうなっているんですか? アーヴ……アルヴァン様は今?」


 コルサス王国の国境の街トトマを飛び出すように出発したヨシンは途中わき目も振らずに先を急ぎ、十日という短時間で王都リムルベートへ戻っていたのだ。道中で状況を調べたり、噂話に耳を傾ける暇は無かった。そんなヨシンにガルスは苦々し気な口調で状況を語り出した。


「ひと月前の九月中旬、アルヴァン様とデイルが率いる第二騎士団の第三大隊はインバフィルの直ぐ目と鼻の先、アドルム平野に展開していた。攻勢に加わっていたのは第一騎士団と第二騎士団の混成部隊。総大将はスハブルグ伯爵だ――」


 ガルスが語る内容によれば、七月末の挙兵から九月中旬のアドルムでの戦いまで、リムルベート側は連戦連勝の勢いであった。しかし、時を同じくしてリムル湾の海上では、海上戦力同士の戦いが発生し、リムルベート側はこれに手痛い敗北を喫した。


「海上で起こった負けいくさが、アドルムの前線に伝わったころには……前線へ至る補給線はそこかしこ・・・・・で海側から襲撃される状況となっていた……早い話が、インヴァル半島の南端近くで、第一第二混成騎士団は孤立の憂き目に曝されたのだ」


 しかし、大局的には孤立であっても、目の前の戦況では勝っていた第一第二混成騎士団は判断を誤り、アドルムの街を強攻する選択をしていた。


「聞くところによると、スハブルグ伯爵の攻撃命令にアルヴァン様が異を唱え、陣中で一時期揉めたらしい……結局、スハブルグ様はアルヴァン様に正面戦線から東に離れたイドシア砦への牽制攻撃を命じた」


 スハブルグ伯爵とか、スハブルグ様、と一応敬称を付けているが、ガルスの口調はまるでつばを吐き付けるような調子であった。忠義の人にして、幼い頃から若君アルヴァンを見守っていた老騎士ならば仕方ないことだろう。


「アルヴァン様とデイルの第三大隊がイドシア砦を落とした頃に、アドルムの街を攻めていた前線は敵の大反攻によって潰走していた。離れた場所にいたアルヴァン様の元にその報せが届いたころには、落としたばかりのイドシア砦で敵に包囲されていたと言うことだ……そして、救援に向かってくれた第二大隊……ウーブル侯爵家のバーナス様率いる騎士達共々止むを得ず砦で籠城となってしまった」


 ヨシンにはその経緯が意外だった。領地を隣接したウェスタとウーブルは昔から領有問題で何かと仲が悪かった印象があるのだ。しかし、実際にはウーブル家の次期当主であるバーナスは、又従弟でもあるアルヴァンの危急を救うべく撤退中の自隊を反転させると、イドシア砦と街道を繋ぐ血道を作ろうと奮戦した。


「戦場に『もしも』を持ち込むことは馬鹿げているが、それでも、もう一大隊が救援に加わっていたら結果は違っていただろう……」


 悔し気な口調になるガルスだが、どう言っても事実は変わらない。救援に向かったウーブル大隊第二大隊は大きな被害を出し、バーナスはイドシア砦に逃げ込む格好になってしまったのだ。


「籠城してひと月か……」


 唸るように言うヨシンは、その先の言葉を口に出せなかった。口に出すことを恐ろしく感じたのだ。だが、ガルス中将はその言葉尻を捉えると、強い口調で言った。


「大丈夫だ! 我らウェスタの騎士はそれ程やわ・・でない! ……それに、どうも四都市連合側は、イドシアに籠るアルヴァン様達を『餌』のように使おうと考えているらしい」


 ガルスの言葉は、三週間前の九月末に渉外長官代理のチュアレからもたらされた極秘の情報であった。インバフィルやカルアニスに存在する内通者や協力者からの情報は、リムルベート王国軍を釣り出すための「餌」としてイドシア砦の残留勢力を使う、という四都市連合側の意図を伝えるものであった。


「餌だと……クソッ! しかし、それでは王国軍は!」

「言うな! 殿と大殿、両方が根回しをしているところだ……だが、最悪の場合、ウェスタだけ・・でも動くぞ」


 ガルスはそう言うと、「覚悟はしておけ」と言い残して部屋を去って行った。


 一方、一人残されたヨシンは今更ながらに自分の巡りの鈍い頭・・・・・・が憎たらしくなっていた。


(何か方法は無いのか? ユーリーならどうすんだ……クソ、一体どうすれば……)


 黙って拳を見詰めるヨシンが部屋を去るのは少し後になってからであった。


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 ヨシンが邸宅に帰参したころ、ウェスタ侯爵ブラハリーはガルス中将が言ったような根回しの最中であった。そんな彼は、もう一人の同志ともいうべき従兄のウーブル侯爵バーナードを伴って第一城郭の王宮に参上していた。勿論目的はガーディス王に謁見し、決断を急かすことだった。


 派遣した第一第二騎士団の混成部隊は、ノーバラプールの南に留まると、四都市連合に奪還されたタンゼン砦を無目的に包囲していた。再攻勢を仕掛けるにしても、一度脆さを露呈した補給路の問題や損害を受けた兵力の補充が必要という状況だった。


 そんな状況を受けて王城の意見は二つに分かれていた。一つは、一度軍を王都まで退いて体制を立て直すべし、というもの。もう一つは早急に増援を送り込み再度攻勢に討って出るべし、というものだ。前者は官僚を中心に支持する者が多く、三大侯爵の一画であるロージアン侯爵や、大貴族であるコンラーク伯爵がこの立場の代表格だった。


 西の隣国オーバリオン王国との国境を守るロージアン侯爵としては、後詰に当たる王都の勢力を追加で戦線に投入することは出来れば避けたい事態である。一方コンラーク伯爵は何かと仲の悪いスハブルグ伯爵の失態を確定させたいという気持ちが働いているのだろう。


「コンラーク様はともかく、ロージアン殿のお気持ちは分かる。しかし、オーバリオンのローラン陛下はそこまで軽率なお方ではありません」


 言葉を発したのはウーブル侯爵バーナンドだった。彼の言葉は、謁見の間の奥で面談に応じたガーディス王に向けられたものだった。ウーブル侯爵バーナンドは、ウェスタ侯爵ブラハリーと共に後者の意見 ――増援派遣―― の代表的な支持者である。二人とも我が子の安否が掛かっているのだから、その立場とならざるを得ない。しかしそれを差し引いても、インバフィルの立地条件と破滅的に悪化した四都市連合との関係を考えれば、インバフィル地域の平定は今後のリムルベート王国にとって必須の課題であるともいえる。


「重商主義だった四都市連合が領土的な野心を持ち始めた。これだけでも由々しき事態と言えます」


 とは、ブラハリーの言葉であった。ウェスタ侯爵家としても独自の情報網を駆使して状況を分析した結果だった。


「うむ……たしかにその傾向は好ましくないが、長官、本当にそのような動きがあるのか?」


 ガーディス王はブラハリーの発言を確かめるように渉外長官に問い掛けた。


「はぁ……確かに、四都市連合内部は、重商主義のカルアニス、ニベアス派と領土拡張主義のインバフィル、チャプデイン派の二つに分かれています……しかし、インバフィルやチャプデインの領土拡張主義も元を正せば商人の発想……性急に軍事力を用いた拡張は――」


 渉外長官は、どちらかと言うと一度軍を下げる意見を支持している。渉外を担当する者としては、戦争状態では自分達の存在価値を示せないと考えているようだった。しかし、彼の発言はブラハリーの言葉で腰を折られた。


「お待ちなさい、長官。南方大陸の大国アルゴニアがチャプデインを政治的に取り込んでしまった事実は御存知と思うが? カルアニスも中央評議会の選挙を来年に控えて政情は流動的だ、一つの切っ掛けで簡単に時流は変わるぞ」

「長官殿、渉外担当の貴殿としては、今の戦争状態には忸怩じくじたる思いがあるだろう。しかし、戦争は剣で終わるのではない。最終的には貴殿の働きによって、ペンと紙で納めるのだ。その時存分に辣腕らつわんを振るわれよ」


 ブラハリーの恫喝するような言葉に、バーナンドの相手に理解を示すような柔らかい言葉が重なる。


「た、確かに、チャプデイン評議会を巡る謀略や、カルアニスの中央評議会選挙は事実でありますな……」


 二人の言葉に長官の調子はそれを認めるような語調となった。そして、


「うむ……私としては、インバフィルを現状のまま放置することは喉元に剣を向けられているようなものだ。何とかしたいと考えている」


 というガーディス王の言葉になった。その言葉にブラハリーとバーナンドはジッと王の表情を窺う。


「軍を動かすならば、今動かしている軍をそのまま活用するほうが合理的だ。ただ、補給路の確保を万全とする方法を考えなければならない。増援を派遣するのは、その目途が立ってからだ」


 その言葉に、ブラハリーとバーナンドは顔を見合すと頷き合う。


 既に策は立っていた。


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