【西方風雲編】飛竜舞い降りる砦

Episode_17.01 若き渉外官の苦悩


 アーシラ歴496年9月下旬


 この日、リムルベート王国の渉外官、渉外担当長官補佐、いや、今年の春に出世して今や渉外長官代理となったチュアレは、割り当てられた執務室に一人で居た。第二城郭内に存在する渉外官を始めとした各種行政官の官舎の中、質素な執務机の他には資料を並べる本棚と、仮眠を取るための長椅子のみの部屋である。それでも、第二城郭内に個室を与えられたチュアレの出世は、未だ三十代半ばの弱小子爵家の次男としては異例の早さだった。しかし、後二回昇進すれば長官の椅子に手が届く立場となった彼がそれを歓迎しているかどうか、一見して分からない。何故ならば、


「ああ、一体どうすれば……」


 まるでこの世の終わりのように、当の本人チュアレが嘆きの声を上げているからだった。


 そんな彼は、執務机の椅子に身体を投げ出すように背をもたれさせると、最近整える暇の無い髪をむしった。身綺麗にする時間も惜しかった事実を示すように、午後の部屋にフケが舞い散る。


 改めて周りを見渡せば、チュアレの執務室はまるで「盗賊が押し入った後」のような惨状をていしていた。あらゆるものが散らかった状態で放置されているのだ。尤も、王城の第二城郭内に盗賊が押し入ることはまず・・あり得ないので、この惨状を作り出したのはチュアレ本人ということになる。


 生来真面目で几帳面な性格のチュアレが、折角与えられた執務室をこのような状態で放置することは、通常ならば考えにくい。しかし、本来棚に納まっているべき資料は床に散乱し、薄く埃を被ったものもあった。また、整理整頓が行き届いているはずの机の上には、書きかけの書類の上で高価なインクの入った壺がひっくり返った状態で乾いてしまっている。


 こんな部屋の状況がもう三か月以上続いているのだ。若く真面目な渉外官が、部屋を散らかしたまま掃除することも出来ない、尋常では無い状況が始まったのは今年の六月半ばであった。


****************************************


 一年半前からリムルベートは四都市連合と通商断絶状態であった。これは、ノーバラプールを巡る四都市連合からの一連の軍事介入に対する対抗策であった。四都市連合船籍のあらゆる船は断固として入港を拒否する。その姿勢は極めて強硬なものであったが、裏を返せば整備された海軍力を持たないリムルベートにとって、それが精一杯の対抗策であった。


 一方、四都市連合の海兵団によって焼き討ちに遭った王都の復興は旺盛おうせいな勢いで進められていた。結果として、四都市連合との交易を遮断したリムルベートは限られた仕入れ先が提示する高止まりした取引価格に頭を悩ませることとなっていた。


 そもそも貨幣経済が発達したリムルベート王国が、その大きな経済規模の一翼を担っていた四都市連合との交易を遮断することは、国内に於いても色々と悪影響を及ぼすものであった。そのため、通商断絶の政策は始まった頃から既に「いかにして終わらせるか?」という議論のまとであった。そして、ようやく今年の四月に、


「四都市連合から賠償金を取り、それと引き換えに通商断絶状態を回復させる」


 という方針が決まったのだ。


 ガーディス王から「賠償金交渉開始」の命令を受けたチュアレを含む渉外担当者達は勇躍して交渉の準備を進めた。しかし、その努力を嘲笑あざわらうように六月半ばに事件が起きた。王都リムルベートにある中堅海商の商船団がインバフィル沖で四都市連合の海軍に拿捕だほされたのだ。それは、リムルベートと四都市連合の両者が一年半振りに交渉のテーブルに着いた矢先の出来事だった。


 この事件が発生した当時、チュアレを始めとした渉外担当官らは四都市連合側の暴挙の理由を、自国リムルベートが提示した賠償金額案に求めていた。それは当然のことで、リムルベート側が提示した賠償金額は、被害の大きさを差し引いても可也かなり高額なものとなっていたのだ。


 高額になってしまった賠償金額には理由があった。実はこの時、リムルベート内には強硬に通商断絶の続行を唱える貴族達の勢力が出来上がっていたのだ。彼等は、先の王都襲撃の際に兵を動かさなかった中堅貴族と、ルーカルト王子の謀反に巻き込まれた格好となった騎士の子弟縁者が殆どを占める勢力だった。王家に対する忠誠心や貴族としての義務の履行といった部分に後ろ暗い・・・・ものを感じる彼等は、新王ガーディスにおもねる意味もあってか、強硬に四都市連合への対立感情をあおっていた。


 そして、即位して間もないガーディス王は、そんな彼等の声を静めるために、賠償金額の吊り上げを約束せざるを得なかった。強力な統治者であった前王と比べると、才能はあるが実績に乏しい新王にとっては止むを得ない判断だった。また、即位後しばらくガーディスを支えていた元ウェスタ侯爵の宮中大伯老ガーランド・ウェスタが体調を崩し王城を去っていたことも災いしていた。


 そういう背景があるからこそ、長官以下の渉外担当官達は要求金額を引き下げれば相手四都市連合乗ってくる・・・・・と判断したのだ。しかし、実際は全く違う結果となった。


 ガーディス王の名代としてスハブルグ伯爵が出席した第二回の交渉に於いて、リムルベート側は拿捕された商船の返還を求めると共に、賠償金額を引き下げる譲歩の姿勢を見せた。剛柔織り交ぜた巧みな交渉だったと言える。しかし、そんなリムルベート側に対して、四都市連合インバフィルの代表者は何と、


「一年半に渡る通商断絶によって被った逸失利益いしつりえきを補てんせよ」


 と逆に金銭を要求してきたのだ。更にその代表者は、


「この要求に応じなければ、今後インヴァル半島沖を通過する商船の安全は保障しかねる」


 と畳み掛けてきた。それは交渉自体を台無しにする言動だった。結局、強硬に夫々の条件を主張するだけの場と化した交渉は決裂するしかなかった。そして、それ以降リムルベート王国内では四都市連合への武力行使、つまり戦争を望む声が多く聞かれるようになった。ガーディス王の名代として交渉に出席していたスハブルグ伯爵が元々四都市連合に対して強硬な態度を取っていた貴族達の派閥に加わってしまったことも一因だった。


 一方、ガーディス王周辺も四都市連合の恫喝を「看過かんかできないもの」と受け取っていた。地理的に明らかな事実なのだが、リムルベートは同じリムル海の名前を冠するリムル湾の奥に位置する国家だ。四都市連合を除いた今、海路を通って運ばれる物資は殆ど全てが東からリムルベートを目指すことになる。そして、その航路の途中に位置するのが四都市連合の一角であるインバフィルだった。インヴァル半島の南の突端に位置する独立都市であるインバフィルは、デルフィルやコルサス王国の港から半島をなぞる・・・ように進む航路を封鎖するには絶好の場所であると言えた。


 この海上輸送路の弱点は昔からリムルベート王国に潜在的に存在していたものである。そして、海運物流の重要性が増した昨今においては、問題の大きさも比例するように大きくなっていた。そこへ突き付けられた四都市連合の恫喝は、リムルベート王国に挙兵を決意させる十分な重みを持つ言葉だったのだ。


 かくして、今年七月終わりにリムルベートはインバフィルに対して第一、第二混成騎士団を派兵するに至ったのだ。


 ノーバラプールを拠点にインヴァル半島を南下するリムルベート王国騎士団は当初凄まじい快進撃を続けた。そのため、王都リムルベートの人々などは既に「勝ち戦」と思い込んでいたものだった。しかし、戦況はそう簡単に勝者を決めるものでは無かった。九月の半ばに、リムルベート王国騎士団がインバフィルまであと一歩のアドルム平野に迫った時に、突如四都市連合の反撃が始まったのだ。


 四都市連合の反撃は、まず初めにノーバラプール沖でリムルベート側のなけなしの・・・・・海軍を打ち破ることで幕を開いた。そして、海上の支配権を握った四都市連合は、陸地を南下するリムルベート王国騎士団の伸びきった補給線に対して、海から神出鬼没の襲撃を仕掛けたのだった。更には戦時編制と称して組織化された傭兵を主体とする陸上部隊を一気に投入し、リムルベート側をノーバラプールの南まで押し戻したのだった。


 そのように情勢が動いていた九月の下旬、今のチュアレを悩ませ、リムルベートの貴族達を動揺させる事件が起こったのだった。


****************************************


(はぁ……お世話になっているブラハリー様の頼みだ……何とかしたいのは山々なんだが、こんな情報では……)


 チュアレはいつの間にか閉じていた目をそのままに深い溜息を吐く。そして、それを合図にしたように勢い良く立ち上がる。彼の懐には一通の書状が納められていた。それは紛争の相手方であるインバフィルにごく少数存在する内通者とも協力者とも呼べる人物からの情報をまとめた書類であった。


 チュアレは、この書状の内容をウェスタ侯爵ブラハリー・ウェスタに報告することを求められていた。それは、幾分職業規範に抵触する行為であったが、チュアレには断ることが出来ない要請であった。


(ここまで引き立てて貰った恩がある……)


 侯爵ブラハリーが渉外官チュアレを後押しして出世させたのは、なにも個人的に「気に入った」という理由だけでは無かった。自らの息の掛かった人物を官僚組織の要職に配することは、ウェスタ侯爵家ほどの大貴族になれば当然の事である。だが、そうやって目を掛けられた者は時として要らぬ苦しみを味わうことになる。それは、


(しかし、この内容をご覧になればブラハリー様は何と思われるか……アルヴァン様も御労おいたわしい……)


 というものだった。利用されている立場にかかわらず、ウェスタ侯爵とその公子の性格性向の良さに惚れてしまっているチュアレは、まるで家臣が主をおもんばかるような気持ちに囚われると、彼自身の本分とは幾分離れた事柄で心を擦り減らしているのだった。


 そしてしばらく散らかったままの執務室に沈黙が流れる。だが、日の光が西に傾き部屋に差し込んで来たころ、チュアレは意を決したように部屋を後にしていた。彼の足は王都内のウェスタ侯爵家邸宅へ向かっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る