Episode_16.24-2 偽らない二人



 ユーリーは、微かに残った理性で暴走しかける欲情を繋ぎとめていた。しかし、愛する残酷な少女はそんな彼に、泥を塗れ、と言うのだ。最早もはや肯定の返事も覚束おぼつかない青年は、せめてビクつく手を悟られないように、泥を掬うと少女の滑らかな肌に塗り付ける。


 泥越しのヌメッとした感触で少女の滑らかな肌を撫でる。少女を気遣う言葉が口をついて出るが、無意識だった。先程から背中に押し当ててしまっている部分と、連動するようにコメカミがドクドクと脈打つのを感じる。そこに、少女の甘い溜息が聞こえる。


(だめだ……我慢、できない……)


 必死に別の事 ――難解な火爆波エクスプロージョンの魔術陣―― を思い浮かべようとするユーリーに、悪魔のような少女が囁く。


「ちゃんと、全部して……」


 全部とは、つまり意識的に避けていた愛らしい二つの膨らみの事なのだろう。懇願なのか、誘惑なのか、只々ただただ甘い囁きにユーリーの手が持ち主の意志を離れて動く。そして、てのひらには少し余るほどの、丁度良い膨らみに手を押し当てていた。硬くなった先端のつぼみてのひらを撫でる。


「あぁ……んっ」


 一際甘い少女の吐息が耳朶じだくすぐる。それが限界を告げる合図だった。その瞬間、ユーリーの中に微かに残っていた理性の欠片かけらが火爆波の魔術陣と共に吹き飛んだ。


「リリア!」

「ひゃっ……」


パシャッ


 後ろから抱いていた少女の両肩を掴んで無理矢理正面に向ける。木桶の水が跳ねた。無理矢理の動作に、自分の足と少女の細い足が絡まって変な姿勢になるが、ユーリーは構わずに裸の少女を力一杯抱き締める。そして、むさぼるように唇を塞いでいた。


 正対して抱き締められながら唇を塞がれた少女は、一瞬驚いたように強張こわばったが、直ぐに柔らかく力が抜けると、そのままユーリーの背中に腕を回す。そして、しばらく無言の、いや、かすかに息が漏れるだけの時間が続く。


 その間、少女は身体を浮かすと窮屈だった両足を開いて、ユーリーの腿の上を跨ぐように乗せる。それに合わせてユーリーは木桶の中心へ身体を動かす。丁度、子供を抱くような格好で姿勢が安定した二人は、その間もお互いの唇とその奥を貪り合っていた。そして、口付けというには余りにも情熱的な行為が止む。


 ユーリーは身体の中心で少女の秘めやかな場所を感じる。限りなく柔らかく、際限なく熱い塊を掻き立てる感触に、詰まりながら少女の名を呼んだ。


「リリア……もう……」


 正面から愛する少女を見詰めるユーリー。目の前には、


「うん……でも、ベッドでね」


 と言いながら小首をかしげて微笑む少女の顔があった。それは、ハシバミ色の瞳をした女神のようだった。


****************************************


 ベッドに横たわり、亜麻布リネンのシーツを素肌に捲き付けた少女を前にして、この期に及んで何か言うのは野暮な気がしたが、ユーリーはひとつ伝え忘れた事を思い出した。


「リリア」

「なに? ユーリー」

「一つ言わないといけないことがあった……」


 そう切り出すユーリーは、素肌の一部を黄麻織バーラップの濡れた布で隠しただけだったが、その姿で寝そべるリリアの隣に座る。一方、そうやって話し掛けられたリリアは、何事か思い付いたのか、少し早口で喋り出した。


「……ああ、良いわよ……本当は良くないけど……それに、気にしない訳じゃないけど、ユーリーを一人にしたのは私の方だし……でも、もう絶対駄目よ。私だけ・・・って誓って」

「うん……は?」

「は? って……」


 ユーリーが言わんとすることを先回りで理解した風なリリアだったが、まったく見当違いの事を言っていた。

 

「だって、こんな時に言わないといけない事なんて……」


 「実は君が初めてじゃないんだ」って事くらいでしょ? と言いたいリリアだが、それを言うのはけ過ぎると考えて口を噤んだ。一方ユーリーは、リリアの早合点はやがてんを理解した訳では無いが、続きを口にする。


「リリアだけなのは誓うよ、後にも先にも……でも、言わないといけない事は別のことだ」

「うん」

「……出会った時、僕も君も嘘を吐いていたよね」


 ユーリーはいつの間にか自分を指す言葉が昔の「僕」に戻っていた。きっとそれが自然なのだろう。対するリリアは、ユーリーが語る「出会った頃」を思い出す。確かにお互いが嘘を身にまとっていた。


「そうね、貴方は没落男爵の養子で、私は……父と冒険者をしているって」


 懐かしそうに言う彼女に、ユーリーは微笑みながら頷く。そして、自然な所作で手を伸べると、少し朱が差した少女の頬を触る。


「ゴメンね……任務中だったけど、嘘を吐いてた」

「そ、そんな事で謝るなら、私はどうなるのよ……」


 ユーリーの言葉にリリアは抗議するように言う。あの時の出会いは、お互いにどうしようも無い状況だったのだ。出会ったばかりの二人が嘘で固めた自分を披露し合うのは仕方ない状況だった。


「いや、リリア、僕は嘘が駄目だって言っているんじゃない。他人同士が触れ合う世の中で、嘘は絶対必要な……必要な美しい悪徳だと思う」


 苦笑いで言うユーリーの言葉にリリアは頷く。ユーリーの言葉はまるで、養父ジムの言葉のようだった。


 ――適度に相手を欺く事。皆自然にやっていることだ。偽りの言葉に人は安らぐものだ、真実だけが素晴らしい訳じゃない――


 養父ジムは生前そう言っていた。それは、相手の懐中に入る時には嘘を巧みに使うべき、という暗殺者の教えだった。しかし、それは一方で普遍的な意味を持った言葉だと、今のリリアには思えた。


「ただね、君と僕の間では、もう嘘は要らない。もしかして、言い難い本当の気持ちがあったとしても、それをぶつけ合うんじゃなくて、そっと見せ合う様にして……僕は君に誠実で在りたい」

「ユーリー……」

「だから、シッカリ聞いてねリリア……僕は君の事を邪魔だなんて思った事は一度も無いんだよ。ただ、傷付けられたくなくて戦いから遠ざけたかった。それだけだ」


 そう言うユーリーはリリアの頬に当てた手で短い茶色の髪を撫でる。


「そうなのね……でも、私は遠ざけられたくなかった。ヨシンさんでも、ノヴァさんでもない、私のやり方でユーリーを助けられるようになりたかったの」

「……ありがとう、リリア」


 ユーリーから見るリリアは、ハシバミ色の瞳を潤ませて自分を見上げていた。燭台の蝋燭ろうそくは、もう燃え尽きる寸前のような揺らめいた明かりを発していた。


「……僕は自分のことを知ったよ……アーヴィルさんから聞いたんだ――」


 ユーリーの話す内容は、突然変わっていた。


 嘘はつかない、誠実で在りたい、そう言ったユーリーだったが、彼が語った話は冗談のような話だった。それは、彼の双子の姉リシア、そして魔術騎士アーヴィル、さらに六十年近く昔に活躍した傭兵団の首領の話だった。


「もう……普通じゃないと思っていたけど、そこまでややこしい・・・・・・と笑っちゃうわね」

「だろ? 笑っちゃうよね」


 全てを聞き終えたリリアの率直な感想だった。父方は得体の知れない光る翼を生やした種族、母方は遥か北方の小国、しかも亡国の王族。さらに祖父は中原に幾つも逸話を残す傭兵団の首領だという。そんなユーリーの話を聞き終えたリリアは、ただ、微笑むように笑っていた。


 一昔前なら、ユーリーの背景に圧倒されて、自分の出自を低く見るばかりの少女は悩みを深めるだけだっただろう。しかし、ドルドの森で修行を積み、自信と実力を備えた今の彼女は違う。そんな彼女は、


「で、ユーリーはどうしたいの? さっきは騎士になるのを迷っている、みたいな事を言っていたけど……王子様になるの?」

「まさか。それは過去の話だし、僕達・・には関係ない話だ……」

「僕達……んふふ……」


 ユーリーが何気なく使った言葉に今更照れるリリアは、照れ隠しのような冗談でユーリーを誘う。


「じゃぁ、私の王子様……私のしとねにいらしてください。もう何年も待ち侘びておりますの……ねぇ、だから……はやく来て!」


 最初冗談めかした口調だったが、その後の方は切羽詰まった風に詰めた口振りになっていた。そして、身体に巻き付けた亜麻布リネンのシーツを解くように広げて見せるのだ。開かれたシーツから、少女の双丘の膨らみと、華奢な腰のくびれ、そして、少し開かれた細い両腿りょうももが浮き立った白い影のように見えていた。


「……」

「……」


****************************************


 絡まり合う二人が奏でる音は、シーツの衣擦れ音。そして、微かな音を立てて燭台の蝋燭が燃え尽きた。部屋の中は暗闇に閉ざされるが、南向きの窓から月の明かりが淡く差し込んでいた。そんな部屋では、囁き合うような男女の喘ぎ、貪り合うような水音、木組みのベッドの軋む音、そして、秘やかに息を詰めた女の声と、全てを吐き出すような男の声が響き合っていた。


 想いの丈を伝え合い、示し合う男と女は、その結末を積み重ねるように互いを求め続ける。熱がこもって曇る窓、浮かび上がった朧な月は、そんな二人を夜ごと優しく包み込む。まるで、みつの夜とひそかな営みが、夜空を巡る月のように何度も巡ることを約束するように。


 そして海の彼方に月が沈んで消えた頃、宿の小部屋には二人の静かな寝息が重なり合っていた。

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