Episode_16.24-1 ハシバミ色の瞳の女神


(言葉だけじゃ、優しいだけじゃ……もう、どうにも・・・・ならないの!)


 リリアはユーリーの腕を脇に抱えるようにしながら階段を上る。自分を部屋に一人残して「おやすみ」と言って出て行ったユーリーの心にあるものが「優しさ」であることは理解していた。しかし、優しいだけでは、どうしても前に進まない関係・・・・・・・・があるのだ。


 想いを告げられ、感極まって大泣きしてしまったリリアは、自分の強すぎる情動に驚いていた。だが、大泣きしてそれを吐き出す・・・・ことで、反って冷静になっていた。そして、部屋に一人残された彼女は、愛する青年の性格を考えたのだった。


(少し強引にしないと、この人ユーリーは……)


 彼女が思い出すのは二年前の同じ季節の出来事だった。ユーリーと共に一晩を明かしたが、結局服の上から抱き締められただけだった。その時の彼女は、ドルドへ旅立つ前に確固とした愛の証明を求めていた。しかし、そうやって無防備に飛び込んできた少女に対して、優しいユーリーは何もしなかった。勿論み上がりであることは承知していたが、それでもせめて、服の下に手を差し入れる事くらいはして欲しかったものだとリリアは思う。


 そして、そんな出来事が今の彼女の決心を固めていた。ユーリーの腕を掴んだまま廊下を進む彼女は、開けっ放しにしていた自分の小部屋に入ると扉を閉める。


 バタン


 という音で、外の全てと部屋の中の繋がりが断ち切られたような気持ちになった。


「……」

「……」


 部屋に連れ込まれた格好になったユーリーは、自分の腕を脇に抱えたまま背中を向けるリリアを見下ろす。髪の隙間から覗く耳の先と、斜め後ろから見えるうなじ・・・が朱色に染まっていることが、乏しい部屋の灯りでも分かった。


「リリア……」


 呟くように少女の名を呼ぶユーリーは、脇の下から腕を回すと、ヒシとリリアを抱き締める。腕の中でほぐれきっていない硬い膨らみの感触がひそやかに形を変える。そして、もう片方の手で少女を離すまいと腰の辺りを包み抱く。華奢に見える腰だったが、抱き寄せると想像以上に柔らかい質感を持っていた。


 燭台の薄明かりが灯る部屋の中で、後ろから抱き締められたリリアはジッと動かない……いや、動けなかった。


 そんな彼の脳髄を、鼻腔から駆け上がる少女の、何故か甘く感じられる体臭が打ち据える。腕の中には、体を預けてくるような少女の柔らかい感触があった。畳み掛けるように視覚、嗅覚、触覚を奪われたユーリーは……我を忘れた。


 少女が身に着けた、袖丈の長い前合わせのシャツとスウェード革のズボン。その奥に隠されたものを見たい、触りたい、としか考えられなくなる。そして青年は欲情のままに少女のシャツに手を掛ける。ミスリル製の手甲ガントレットが邪魔で仕方が無かった。


「あぁ……」


 一方、リリアはユーリーの性急な動きに溜息のような吐息を漏らす。嫌では無い、寧ろ早く取り去って欲しいと願う。


 そんな二人の瞬間に、間延びしたような声が部屋のドアの外から聞こえてきた。


「ゴメン下さいましぃ、お湯の準備ができましたぁ」


****************************************


「明日の朝に片付けに参りますので、ごゆっくり」


 ユーリーから心付こころづけをたっぷり貰った中年の女中は、そう言うと少しだけ下品な笑みとともに部屋を後にした。彼女は、数人の下男を伴って浴槽替わりの大きな木の桶と、熱い湯をたっぷりと注ぎ込んだ大きな壺を幾つか部屋に運び込んでいた。


「……もしかして、私、臭かった?」


 リリアが、恐る恐る、といった様子でユーリーに言う。一方、冷静さを取り戻したユーリーは全力でそれを否定する。


「いや、全然! むしろ、すごく良い匂い……」

「え?」

「あ、あぁ……匂いとか、そう言う事じゃなくて、船の旅が長かったから、清潔にしたいかなぁって、そう思ってお願いしてたんだ。サッパリすれば、疲れも落ちやすいし」

「そうなんだ……ありがとう」


 そう言うリリアは、ユーリーの方へ向き直る。そして、


「ねぇ、その鎧の脱がせ方と着せ方・・・・・・・・、ちゃんと教えてね」

「え? なんで?」

「なんで、って……それを脱がすのも着せるのも私の役目なのよ。そうでしょ?」


 何とも言えない圧を伴った言葉にユーリーは無言で三度ばかり頷くと、甲冑を外す方法をリリアに教える。元々手先の器用なリリアだが、慣れない作業に少し時間が掛かってしまう。そんな一生懸命に悪戦苦闘している少女の姿を堪らなく愛おしく感じるユーリーは、一度治まっていた情動に再び火が付くのを感じながら、極力優しく少女の頭を撫でるのだった。


****************************************


 大きな木桶に張った湯は、柑橘の皮で香り付けされており、室内にはその良い香りが漂っている。そして、時折水音とともに揺れる湯が、燭台の淡い光を反射して室内に揺れ動く陰影を作り出していた。


 木桶は大きなものだったが、流石に二人が入ると窮屈だった。しかし「窮屈ならば一人ずつ使えばいい」とならないのが今の二人・・・・だ。


 ユーリーは、木桶の縁に背中を預け、胡坐あぐらを崩した格好で湯にかる。そんな彼の目の前には雫を滴らせるリリアの後ろ頭があった。肩に届かない長さの濡れた髪からしずくうなじ・・・を伝う。雫はそのまま肩甲骨の間を伝うと、引き締まった背中を通って滑らかな曲線がくびれはじめるところで水面に落ちた。白い肌だった。


「よいしょ、っと」


 リリアは一度だけ、チラと背後のユーリーを窺うと、そんな声と共に身体をユーリーに預ける。そんな少女の仕草に、思わずユーリーは彼女の肩を抱き寄せるように腕を回す。木桶がギシッと音を立てた。


「こ、壊れないかな?」

「壊れたら、その時はその時よ」


 ユーリーが変に心配するような声を出すが、リリアは余り頓着していなかった。彼女はユーリーに体重を預けて寄りかかると、目を閉じで背中に逞しい青年の身体を感じる。耳元で響く青年の鼓動と、湯とは違う温かさが少女を心地良く包む。


 そうやって身体をもたれさせるリリアは、腰の辺りに硬い感触を感じた。その瞬間、ユーリーは腰を引くような動きをしたが、狭い木桶の中では逃げ場が無かった。そして、結局リリアの腰から背中に掛けて押し当てるようになっていた。


 一方リリアは、最初ソレが何か分からなくて驚いたが、すぐに察しが付いた。男の情動について暗殺者だった養父ジムから教えられていた彼女だ。ジムは「だから男は危ない」と言う論点で娘に教えた知識だったが、リリアは幸運なことに今までその知識を役立てる目には遭っていない。そして、


(ああ、こう言う事なのね)


 と、今頃納得したのだった。


 そんなリリアは、不思議と気恥ずかしさを感じなかった。ただ、ドクンと一度大きく胸が鳴って、それからずっと治まらないだけだ。


 ――裸の女を前にしたら、男なんてみんな狂ったけものになっちまう――


 というのが養父ジムの言葉だったが、そうだとするとこの獣ユーリー可也かなり大人しい獣なのだろう。なぜなら、少女の肩に手を回したユーリーは、彼女の控えめな膨らみに手を触れる事もせずに、その姿勢で動きを止めていたからだった。しかし、それがどうにももどかしい・・・・・リリアは、ユーリーの胸の中で身動みじろぎする。


「あっ……」


 不意に動いた少女の身体に、ユーリーの声が漏れる。だがリリアは構わずに、木桶の脇に置かれた壺を手に取った。中には粒子の細かい灰色の泥が入っている。身体を洗い、垢を落とすための泥だ。


「ねぇユーリー」

「な、なに……」

「これで洗って」


 そう言うリリアは後ろを見上げるように振り返って、ユーリーに壺を渡す。


「……」


 壺を渡されたユーリーは無言だった。しかし、意を決したように壺から泥を掻き取ると、てのひらの泥を、少女の身体に塗り擦っていく。


「痛かったら、言って」

「大丈夫よ……痛い訳ないでしょ、ちょっとくすぐったいくらいよ」


 泥を掬った手が、少女の首から鎖骨へ、そして脇から腹を撫でるように動く。しかし、どうにも遠慮があるようで、その手はリリアの柔らかな膨らみとその頂きへは伸びない。それでも、ヌメリと共に動くユーリーの感触にリリアは甘い吐息を漏らす。


「あぁ……、もう……ちゃんと、全部……して?」

「う……うん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る