Episode_16.23 ユーリーとリリア


 「魔女の縫い針」という店は、店のたたずまいや店主の老婆の行動はいかがわしい・・・・・・ものがあるが、布生地の品揃えは立派であった。外套の素材は大別して獣皮と織物の二系統あるが、獣皮としては高級品の大獺アダンクの毛皮、織物は高級品として名高い東方の絹織物も在庫として取り揃えられていた。


 しかし、そんな高級品に手が出ないユーリーは、結局毛織物ウール外套マントを仕立てることにした。折角だから、とリリアも黄麻布バーラップの外套を下取りに出して同じく新調することにする。自然と二人して同じ色合いの生地を選ぶことになり、色々見た結果、


「ユーリーってこの色の印象が強いわ」


 というリリアの言葉に従い、黒味が勝った深緑色の生地を選んでいた。どうも、リリアにはウェスタ侯爵家の哨戒騎士見習いだった時のユーリーの印象が強いようだった。


 一方「自分も同じ色にする」というリリアに、ユーリーとしては


(リリアには少し地味じゃないか?)


 と感じる。しかし、生地を肩に掛けて合わせて見せるリリアの、深い緑に映える明るく短い茶髪とその下の笑顔は、簡単に目を外せないほど美しいと(少なくともユーリーには)映っていた。


 そうやって見とれる・・・・青年とはにかむ・・・・少女は、


「お渡しは明日の午後か明後日です、はい半金で金貨一枚です」


 という、老婆の言葉で我に返り、笑い合うのだった。


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 生地選びや採寸に時間が掛かってしまった二人が店を出たとき、既に筋通りには西日がさしている時刻だった。思った以上に時間を掛けてしまったユーリーは、別れ際にジェロが言っていた店の辺りで彼等の姿を探したが見当たらなかった。


はぐれちゃったかな?」

「いいんじゃない? 子供じゃないんだし、迷子になった訳じゃないでしょ」


 少し困った風なユーリーの声に返すリリアの言葉は、少し冷たい風にも聞こえる。しかし、別れ際にジェロが口を動かすだけで伝えてきた言葉、


 ――二人で楽しんでな――


 を理解した上でのことだった。凄腕の密偵ややり手・・・の盗賊が用いる読唇術だった。そんな技術を持たないユーリーには分からないことだが、リリアはしっかりと読み取っていた。そして、


「いいじゃない、どうせ宿に戻るんだし。それより、お腹減ったな」


 と、少しユーリーの腕を引っ張るのだった。


「そうだね、じゃぁ何か食べに行こうか」


 ユーリーの言葉に、リリアはその腕を胸に抱くようにする。引き締まった腕の感覚が硬い古代樹製の胸当てに阻まれる。少しだけ残念な気持ちになる少女だが、その笑顔と所作は自然なものだった。少し昔の、自分という存在に自信が無かったころの少女の面影は何処にも見当たらなくなっていた。


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 商業区を越えて坂を下る二人はやがて飲食店が立ち並ぶ区画に足を踏み入れていた。既に港に近く、強く潮の香りを感じる場所だった。また足元の傾斜も殆ど無くなり、この近辺は平地にある街と変わりが無かった。


 時刻は本格的な客足が出るにはまだ早いが、それでも日中は通りだった場所に簡易のテーブルと椅子が並べられている。店舗を構えたレストランも軒を連ねているが、ユーリーとリリアは、通りに出た屋台に目を奪われていた。


 流石に港街というところだろうか、露店の他に新鮮な魚介だけを売っている露店もあった。店主に訊くと、ここで魚を買ってから好きな屋台で料理してもらう事も出来ると言う事だった。ユーリーリリアも見た事の無い外洋性の魚を珍しそうに眺めながら、露店の店主からおすすめの魚とそれに合った調理方法を聞き出していた。


「この黄尾魚は中原風のクリーム煮にすると旨い。こっちの沖鱸は塩焼きか塩釜蒸しだが、屋台だと塩焼きだな。あと、こっちの貝も旨いぞ。おっと、あんちゃんは可愛らしい方の貝で手一杯だったかな」


 露店主はそう言うとガハハと笑う。どうやら男女の二人連れをからかう・・・・冗談だったようだが、文化圏が違うため、ユーリーもリリアも何を言っているのか分からなかった。店主も自分の下品な冗談が通じなかったことに顔を少し赤らめると、咳払いしてから適当に魚と貝を見繕みつくろってざるに乗せるのだった。


 因みに流通する通貨は意外なことに西方辺境域で一般的なコルサス金貨に代表される通貨群だった。これには四都市連合の一角であるインバフィルがコルサス金貨の鋳造権を持っていることが関係しているのだろう。


 ユーリーは大銅貨三枚という「やや安い」と言える支払を終えると、リリアと二人で目に着いた屋台で料理を注文していった。勝手の分からない二人は注文に時間が掛かったが、まだ暗くなる前の人が少ない時間帯だったので屋台主達に邪魔にされることは無かった。


 簡易のテーブルに着いたユーリーとリリアの前には屋台で調理された料理が並ぶ。魚の露店主が言っていた通り、黄尾魚という大型の魚は身をぶつ切りにされて素焼きの鍋で煮立っている。クリーム煮ということだが、鍋の中の汁の色は白と言うよりも黄色だった。香り付けの香辛料からこの黄色が出るのだと言う。また、沖鱸というすずきに似た魚は、棘立った立派なひれにたっぷりと塩を盛られた上で、見栄えの良い塩焼きに姿を変えていた。更には輪切りとなった柑橘類が飾るように並べられている。そして、露店主が冗談を不発させた握り拳ほどの大きさの二枚貝は炭焼きされた後に大蒜にんにくが効いた溶かしバターをたっぷりと回しかけられていた。


「結構豪華になるのね!」

「そうだね、じゃぁたべ――」


 「じゃぁ食べようか」とユーリーが言い掛けた時、不意に上空から何かが飛び込んできた。「人に慣れた海鳥がテーブルの食べ物を盗って行くことがある」と聞いていたユーリーは咄嗟にテーブルの皿を守ろうとするが……


「クェー!」


 上空から飛来した何か・・はユーリーの手を躱すと、上空で一度旋回してリリアの肩に止まった。ユーリーから見て、それは若い鷹のようだった。しかし、その金色の瞳は何か言いたげな、明らかに意志・・と呼べるものを備えて、ユーリーを睨むように見返してきた。


「ね、ねぇリリア」

「ん? なぁに?」

「その……ソレ、飼ってるの?」


 ユーリーはこれまでの船旅中も何度かこの若鷹を見かけていた。何時もリリアの肩に止まるか、そうでなければ甲板の手すりで翼を休めていたのを目撃していたのだ。


「ああ、この子・・・は『ヴェズル』って言うのよ、ドルドの森で拾ったの」


 そう言うと、リリアは沖鱸の塩焼きの身をほぐして手でヴェズルという若鷹に差し出す。ユーリーから見れば、小型のナイフのように鋭いくちばしは、器用にリリアの手から魚の身をついばみ上げると、一口で呑み込んでしまった。


「あら、そんなにお腹空いてないのね……じゃぁ行ってらっしゃい。気を付けてね」

「クェ!」


 その様子を見るリリアはそう言うとヴェズルと呼ばれた若鷹を見送る。ヴェズルはたくましい鉤爪を備えた両足でリリアの肩から飛び上がると大きな翼を羽ばたかせ、わざわざユーリーの顔の横を掠めるように飛ぶと夜空へ舞い上がって行った。


「普通のたか……じゃ、無いよね?」

「流石! 分かるの?」

「いや……なんとなく、だけど」


 嬉しそうに言うリリアに、「殺気を感じた」と言い出せないユーリーは適当に相槌を打つ格好で答えることになったのだった。


****************************************


 若鷹ヴェズルの乱入はあったものの、その後気を取り直して食事を始めるユーリーとリリア、リリアは飲み物を売る売り子から素焼きの細い杯に入った飲み物を二つ買い求めていた。ユーリーは、その口当たりの良い甘い飲み物と共に、少し舌にヒリ付くような辛い味付けのクリーム煮を口に運んでいる。


「なんだか……二年前を思い出すわ」


 一方リリアは、炭焼きにされた貝を呑み込んだ後、塩焼きの付け合せだった柑橘に皿の上にこぼれた塩を付けて齧る。少し酸っぱそうな顔をした後、それが治まってから言う彼女の言葉は、二年前の秋の事を言っているのだろう。


「ねぇユーリー」

「なに?」

「あの時、アルヴァン様とノヴァさんとご飯を食べていた時だけど……」

「あ……ああ、あの時の」


 リリアが言うのは、ユーリーが勝手に考えていたことで、リリアを怒らせてしまったことだった。しかし、今の彼女は別に怒っていなかった。寧ろ、少し微笑みながら言う。


「本当は……あの時のユーリーの言葉、嬉しかったわ。でも、私の方に受け入れる心が出来てなかった」


 そう言ってリリアは語り始める。自分の出自を気に病んでいた事、自分とユーリーでは釣り合いが取れないと悩んでいた事。そして、それでもユーリーに求められる、助けになれる存在になりたかった事を彼女は語る。


「お城の中で、あの恐ろしい魔神に襲われて、そしてユーリーに助けられて……あの時思ったの、このままだと、弱い私がいつかユーリーをもっと危ない目に合わせてしまうって」

「そんな……」


 「そんな事は無い」と言い掛けたユーリーは、しかし少女の真剣な眼差しを受けて、その言葉を呑み込んでいた。リリアの言葉は続く。


「でも私、何をどうしていいか分からなくて。単純にね、ノヴァさんみたいに強くなりたいって思ったから、ドルドへ行ったの……行き先を言わなかったのは……ごめんなさい」


 そう言うと、ユーリーから視線を外して俯くリリアだった。


「気にしてない、なんて言うと嘘になるな。正直、何処に行ったか分からなくて途方に暮れたよ。でも、も悪かった。いや僕が悪かった・・・・・・。リリアが胸にどんな想いを溜め込んでいるか、直接言われるまで気付かなかったのは僕だ」


 既に人出で混み合い、喧騒と共に席が埋まりつつある屋台街の中で、ユーリーとリリアのテーブルは静かだった。途中飲み物の注文を聞きに来た売り子の少女が二人分の新しい飲み物を置いて行ったときも二人は無言だった。


 長い沈黙は別々に過ごした二年という時の流れを表わすものなのだろう。そして、それは同時に、いつか終わりを迎え必ず再び巡り合うと信じた時の流れでもあった。


「ねぇ、ユーリー」

「なぁ、リリア」


 不意に声を上げた二人は、重なったお互いに声に少し驚く。そして、ユーリーはリリアに先を促すように口を閉じた。


「ユーリーは覚えてる? あの時、哨戒騎士になったら、私と一緒に暮らしたいって言ったことを……」


 リリアの問いにユーリーは頷く。忘れるはずが無いことだった。確かに彼は、哨戒騎士に昇格したらリリアと一緒に暮らすつもりだった。リリアの気持ちを考えずに、自分勝手に頭の中だけで考えていた妄想めいた将来図だったが、確かにそう考えていたのだ。


「今でも……今でもそう・・言ってくれる?」


 リリアはテーブルの上に置いた手を握る。訊く事が怖いが、訊かなければならない問いだった。


 対するユーリーは、リリアの問いに一拍の間を置いてゆっくりと答えた。それは、先ほど言い掛けて止めた言葉でもあった。


「ゴメン、リリア」


 その一言にリリアの表情が強張こわばる。二年も音沙汰無しにしたのだ。喩えそれがユーリーの事を想い抜いた結果だとしても、二年も放っておかれれば人は変わる。今まで心の底に押し込めていた不安が急にワッと襲い掛かって来たような気持ちになるリリアだった。しかし、ユーリーの言葉は続く。


「哨戒騎士として、リムルベートかウェスタに小さい家を持って、リリアと一緒に暮らす。もしも、あのまま何も無かったら今でもきっとそうしたいと願っている。でも」


 ユーリーは素焼きの杯に口を付けると、それを飲み下してから言う。


「今、騎士になる事に……疑問を感じているんだ」

「え?」

「正直に言うと、騎士としてやっていくことが、怖いと感じている……」

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