Episode_16.21 カルアニス島
ユーリーとリリア、それに「飛竜の尻尾団」の面々は本格的な船旅というものをこの時初めて経験した。それは、快適や優雅とは程遠い体験だった。
日常何気なくしている事の殆ど全てに制約が加わる、とてつもなく不便な空間が船という乗り物だった。不便さは数え上げればキリが無い。飲み水は制限され、食事も酷いものだ。身体を清潔に保つことは望むべくも無い。そして、甲板の上には冷たい海風が吹き付け、風を避けるために甲板下へ行けば、船底から立ち上がる汚物の匂いに
しかも、本来輸送船である帆船には、客室のような気の利いた部屋は無く、行き来が許されたのは甲板後部と甲板下の第一層の後部のみだ。そんな限られた空間に、八十人以上の傭兵達が同乗して寝起きを共にするのだった。
リコットとタリルは真っ先に揺れ続ける足元と強烈な悪臭にやられて行動不能となった。残ったジェロとイデンだが、二人は何とか甲板の寒さを堪えることで、辛うじて正気を保っている風だった。
一方、女性であるリリアには、それとは別の苦労があった。一つ一つを挙げて語ることはしないが、四六時中無遠慮に投げ掛けられる傭兵達からの好奇の視線にはウンザリする気持ちだった。唯一の救いは、気を紛らわすように船を中心にして彼方此方へ飛び回るヴェズルの視界と、側にユーリーが居るという安心感だけだった。
しかし、ユーリーが居ると言う点には別の悩みが発生した。先ず、殆ど四六時中衆人環視の状態なので、二人で語り合うということが出来なかった。しかも、体を拭く事も出来ないので、リリアは自分の匂いを気にしてユーリーに近付くことも出来なかった。ただ、そんな状況で、救われた気持ちに成ったのは、度々視線が合うユーリーが苦笑いに似た表情を送ってくることだった。
(きっと、ユーリーも同じ風に考えてるのね)
と思える事が、リリアの救いであった。
そして、そんな窮屈で辛い船旅は、船団主でもある船長が
「近年稀にみる順風だった」
と言うように、四日と半分で済んだのだった。そんな彼等はカルアニスの巨大な港に到着すると、久しぶりの陸地の感触に、その場にへたり込みそうになったのだった。
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カルアニス島はリムル海に浮かぶ大きな孤島だ。その島は、西方辺境と南方大陸のちょうど中間と言う場所に位置している。その外周は、徒歩で海岸線を歩けば優に二週間強掛かるという。
人が棲みついている都市の名前は港街カルアニス。島の南側の海岸線から、島の中心にある高い山に向かって駆け上がる斜面に
島の中心に聳える山は火山であり、大きな噴火をすることは無いが、常に薄く噴煙を空にたなびかせている。島の地質は、そんな火山が示す通りゴツゴツとした火山岩で出来ている。しかし、島を形成してから
そのため、リムル海を行き交う船にとっては絶好の休息地であり、海上貿易の要衝として古くはアーシラ帝国成立前から栄えた洋上都市であった。
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「なぁ、折角だから俺達と同じ宿にしないか? そっちのほうが割引が効いて安上がりだから」
カルアニスの港に着いて直ぐの言葉はブルガルトのものだった。ユーリーには彼が何を考えているのは良く分からなかったが、船の上では殊更話し掛けてくる訳でも無ければ、部下の傭兵達が再び勧誘してくることも無かった。一方、ジェロ達は以前潜入したトルン砦を占領していたのが彼等暁旅団だと聞き、大いに警戒していた。しかし、
「あの時はまんまとやられた! 俺達も潜入は得意だが、その上を行かれたよ。参った参った」
と屈託なく言うブルガルトの表情に全員(リリアも含めて)が拍子抜けした風になっていた。そして、結局土地に不案内な彼等は、ブルガルトの申し出を受けることにしたのだった。
カルアニスの街は終始全てが登り坂か下り坂だった。海岸線から広がる平らな土地は港と倉庫で埋め尽くされていて、人が住む街や商店、宿屋に飲み屋のような建物は斜面の上へ押しやられている。更には、そんな斜面の上の方には、わざわざその場所を選んで建てたような瀟洒な造りの館が、港を見下ろすように何軒も
そんな街を行き交う人々はターポの街に輪を駆けて多彩だった。白い肌に少し高い背丈、髪の色が金髪から赤毛、そして茶髪なのが西方人。背丈は西方人と変わらないが肌が褐色から黒、髪の毛も黒で巻毛が縮れた毛を持つ人々が南方人。少し小柄で浅黒い肌に彫りの深い顔立ち、髪の色は金髪から黒髪まで千差万別なのが中原人。背が高く赤味かかった白い肌に高い鼻と黄色に近い金髪、薄い色素の碧い眼を持つのが北方人ということだ。また、背が低く、バターのような黄色掛かった肌に茶色や黒の髪を持つ東方人や、短躯のドワーフに絵画の世界から抜け出してきたような幻想的な美貌のエルフ、更にはオークや、
そんな人混みを掻き分けて進む暁旅団の面々は、持ち込んだ騎馬を港と斜面の間にある厩舎へ預ける。荷車も一緒に預けていた。積み荷は人足を雇うと「海鳥の止まり木」亭という宿屋に運ばせるよう手配していた。
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宿に着いたのは昼過ぎという時間だった。宿は斜面沿い立ち並んだ古びた建物だったが、五十室ほどの部屋があると言う。宿としては大きな規模だが、それだけでは「暁旅団」二百五十人を収容出来ない。そのため傭兵達は、周囲に在る同じような宿に分散して滞在するという事だった。
「今回の滞在は一週間未満だろう、次の仕事の折り合いが付けば、また船旅ってことさ」
というのは、暁旅団の魔術師バロルの言葉だった。「また船旅」というところで、顔を
「泊まる部屋は自分達で宿の主人に言ってくれ。一緒の宿が嫌なら、自分達で他の宿を探してもいい。ここら辺は中程度の宿で
「意外と高いんですね」
「ああ、カルアニスで宿屋は花型商売だからな……一応『
ブルガルトの言う通りならば宿賃は相当割引が効いていることになる。彼が言うにはお
「それと、西方に戻るならディンスには航路が通っていないから、デルフィルへ向かうのが一番近いと思うぞ……どこ行きの船がどの桟橋にいるか? ってのは宿屋で聞けば良い」
宿屋は船を探す旅人と船との仲介役もやっているようで、良い宿はその部分の
結局、ユーリー達はブルガルトの言葉に甘えて「海鳥の宿り木」亭に宿泊することを決めたのだった。
「ブルガルト……ありがとう」
少し
「昨日の敵でも条件が折り合えば雇われることはある。節操無しが傭兵ってもんだ。仕事を離れて遺恨を持ち越すのは、俺達の趣味じゃない……まぁ、傭兵全部がそうだとは言わないが……気にする事じゃない。何か用事が出来たら呼びに行くかも知れないからな」
そう言うと立ち去ろうとした。しかし、数歩歩いてから何かを思い付いたように回れ右をすると、再びユーリーの所に近づいて来る。彼は手招きするようにジェロやリコット達にも近寄るように合図を送り、丁度リリアに背を向けた格好で小さい円陣を作ると、小声で言う。
「あと、宿の親父に言ったら女も手配してくれるぞ。どんなのが来るか分からんがな。自分で選びたかったら、坂道を下った先の港の手前に娼館が固まっているところがある。丁度食堂や屋台が集まった場所の奥だからな!」
そう言うと、円陣からパッと離れたブルガルトは、
「じゃぁな、健闘を祈る」
と言って立ち去って行った。
「……」
彼を見送る五人の男の背中を、不思議そうに見守るリリアであった。
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