Episode_16.17 勧誘


 ターポの港付近の広場が騒然とする少し前、ユーリーは三隻の大型帆船が出港準備を整えている港の桟橋付近に居た。


 あの晩の酒宴以来、ユーリーは暁旅団の面々と時折言葉を交わすようになっていた。更に、日に一度は宿の中庭に呼び出されてレッツやドーサを始めとした面々の相手をさせられていた。レッツとドーサという若者は、既にユーリーを自分達よりも優れた実力者と認めたようで、熱心に彼を稽古に誘ったのだ。


 また、暁旅団の古参傭兵が何度かユーリーに手合せを申し込んでいた。その結果は勝ち負けの数ならば四分六しぶろくといったところで、古参傭兵達のしたたかな戦い方はユーリーにとって大いに勉強になるものだった。しかしその一方で、ユーリーとブルガルトが対戦する機会は巡って来なかった。


 全体的に波風の立たない日々を送っていたユーリーは、まるで自分が暁旅団の一員になったような錯覚に時折心を悩ませていた。


 しかし、馴れ合いの中で時折ふと脳裏に浮かぶそんな考え・・・・・を打ち消すのは、ダリアが放った一言であり、ブルガルトが問い掛けた言葉であった。勿論ヨシンやレイモンド王子の事も気になっている。そう言う訳で、暁旅団の面々とは完全に打ち解ける事無く、微妙な距離感を残した付き合いとなっていた。


 そして、ターポの宿で意識を取り戻してから実に三週間という時間を、捕虜とも言い切れない中途半端な立場で過ごしたユーリーだったのだ。


 そんなユーリーだが、この日の午前に突然ブルガルトに呼び出された。宿の一階の食堂に下りると、そこには出発の支度を整えつつある大勢の傭兵の姿があった。そこでユーリーはブルガルトから


「装備品一式を返す。全部あるか確認しろ。あと、持っていた金貨から二十枚抜いておいた。これまでの宿代などの諸経費分だ」


 ということで、装備と手回り品を取り戻したのだった。更には、参謀役の魔術師バロルから、


制約ギアスを解く。でも、くれぐれも暴れようと考えたりしない事だ。変な事をしたらブルガルトが君を斬る」


 と言うことで、長らくユーリーの魔力を封じていた負の付与術「制約」の効果はあっさりと消え失せていた。


 それら一連の出来事は、ユーリーが食堂に顔を出してから十分程度の間に起こったことだった。余りに突然に、しかも、完全に解放されたため、ユーリーはその事を喜ぶよりも先に疑問を口にしていた。


「随分と急に動くんだな……どこへ向かうんだ?」


 すると、ブルガルトがニヤリと笑って言う。


「やっと、後払い分の金・・・・・・が入ったんだ。それに馴染みの輸送船団がターポに入港している。少し前から話を付けていたのだが……今朝急に、今日の午後出発することが決まったんだ。良い風が吹きそう・・・・なんだとさ。それで、これからカルアニスに向かう。なんでも、あっちには仕事があるらしいからな」


 という事だった。


 その後、バタバタと準備を整えた暁旅団は騎馬二十数頭と三台の荷車を整えて、昼過ぎには「懐かしの我が家」亭を後にした。気前の良い客だったのだろう、宿の主人は大慌てで軽食 ――パンに塩蔵肉や葉物野菜の漬物を挟んだもの―― を準備すると、ユーリーも含めた全員にそれを持たせて、愛想よく


「またのお越しをー」


 と笑顔で送り出したのだった。


 そして今、ユーリーは暁旅団が乗り込もうとしている三隻の大型帆船を桟橋から眺めていた。三隻のうち二隻は既に数艘の手漕ぎボートによって牽引され桟橋を離れようとしている。


****************************************


 ユーリーの目の前には真面目な表情をしたブルガルト、彼の脇にはダリアとバロルが控えている。ダリアは相変わらず刺すような視線を送ってくるし、バロルは可也かなり警戒した風でユーリーの挙動を注視している。


 そうやって向かい合う彼等だが、ブルガルトが口を開いた。


「なぁユーリー、お前さえよければ、暁旅団ウチに来ないか? 強い奴は大歓迎だ」

「出たわ! 物好きブルガルト」

「ダリア、彼が仲間になるなら心強いと思うけど」


 ブルガルトの言葉に、ダリアは吐き捨てるように(実際ツバを吐いてから)言う。一方バロルは存外真面目な表情で、ダリアを窘めるように言った。


「……本気で言っているのか、ブルガルト?」

「ああ」


 しかし、対するユーリーは突然の言葉に訊き返すようになる。そんなユーリーの言葉にブルガルトは大真面目に頷き返した。


 その様子にユーリーの心は一瞬動いた。何を以って動いたのか? そう問われれば、その答えはあの晩の一言だろう。


 ――生き残った者、特に彼等を戦わせ、死なせた上で生き残った指揮官には役割がある――


 彼が言う役割、それをおぼろげながら推測するユーリーだったが、その答えが正しいのか分からなかった。そして、分からないからこそ、ブルガルトこの男について行けば答えが見つかるかも知れない、と思ったのだ。


 ユーリーはしばらく瞑目すると考える。そして、


「……いや、俺は戻る……」


 と口にしていた。ブルガルトと共に行くことで得られる答えはこれからの自分・・・・・・・に大切なものかもしれない。しかし、それだけを理由にこれまでの自分・・・・・・・を置き去りには出来ない。


(自分を待っているはずの人々の元に戻るべきだ)


 それがユーリーの結論だった。


「そうか……まぁ八割くらいはそう言うと思っていた。ホラ、これをやる」


 少し残念そうなブルガルトはそう言うと、木札きふだのようなものを投げ渡してきた。片手で受け取ったユーリーは目で問う。


「冒険者鑑札だ。コルベートの冒険者ギルドが発行した物……勿論偽物だが、陸路で戻るなら必要だろう」


 そう言うと、サッと背を向けた。そして、


「じゃぁ元気でな。次に戦場であったら……お互い最善を尽くそうな」


 そう言うブルガルトは桟橋の先 ――残り一隻の帆船―― へと進んでいく。一方のユーリーは、そうしなければならないように、きびすを返すとターポの街の方へ歩んでいくのだった。


 振り返ることはしたくなかった。ブルガルトが言う通り再び戦場でまみえれば手強い敵になるだろう。その時は自分もそう在りたい・・・・・・と思うのみだ。そんなユーリーの頭上に一羽の鷹が弧を描いて飛んでいた。そしてフワリと柔らかい風が一瞬だけユーリーを包んでいた。


****************************************


 アンとニーサは少し先で繰り広げられる光景に混乱していた。彼女達がひそかに尾行していたガリアノが不意に傭兵崩れの男と口論を始めたのだ。


「ちょっと姉さん、マズいんじゃない?」

「あの男、ガリアノ様にあんな口を聞いて!」


 姉妹の焦点は少しずれているが、概ねガリアノを心配した言葉だった。そして、自らの姿を現すのははばかられる状況に気を揉むのも同じようなものであった。その時、


「あ……ドリムが来る」

「え、ドリムが?」



 精霊術師である妹のニーサは、風の精霊が伝える見知った気配に、彼女達の上官であるドリムが此方へ向かっているのを察知していた。そして直ぐに、部下の一般兵五十人程を引き連れたドリムが現れたのだ。


「ニーサ、それにアンまで! ガリアノ様を知らないか?」


 彼は通りを走りながらも、物陰に潜んだアンとニーサを見つけると息を切らすことなく問い掛けてきた。ガリアノの一人歩きを見守っていただけの姉妹だが、何か悪戯を見咎みとがめられた気持ちになると、二人そろって通りの奥を指差していた。そんな一瞬だった。


「危ない!」


 通りの奥から若い女の声が響いた。緊張感に溢れる声は通りの空気を切り裂いてアンやニーサ、そしてドリムの元まで届いていたのだ。


「なんだ?」

「あ!」

「ガリアノ様!」


 三人の声が交錯する。そして、彼と彼女達の視線の先で、ガリアノは数人の男に取り囲まれていたのだった。


****************************************


「危ない!」


 少女の叫ぶ声が響く。それと同時に背後で膨れ上がる殺気を感じたガリアノは、考えるよりも先に身体が反応していた。素早く剣を抜くと、振り向きざまに飛んで来た投げ矢ダーツを叩き落したのだ。


 周囲に出来ていた人だかりは、突然抜剣したガリアノに驚くと怖れるように逃げ惑う。一気に人の輪が崩れて広場は混乱した。そんな混乱の中、既に抜身の剣を握っていた五人の男達は一斉に詰め寄るとガリアノを取り囲む。


「お前達は何者だ! 貴様の仲間か?」

「しらねーよ! お前の仲間じゃないのか?」


 装飾品の露店に難癖なんくせを付けていた傭兵に、ガリアノが鋭く問い掛ける。しかし、傭兵の方は、抜身の剣を持つ五人に警戒感を露わにしながらその言葉を否定していた。


 対する五人の男は無言のまま距離を詰めると、問答無用で傭兵に斬りかかる。二人掛かりで傭兵に斬りかかった男達に対して、その傭兵は一合、二合と剣を合わせたが、三度目の斬撃を受け止めた瞬間別の男に腹を突かれて崩れ落ちる。男達は体勢を崩した傭兵の首元を容赦なく掻き切るとガリアノへ肉迫する。


 一斉に切りかかる呼吸を測るような男達の気配に、ガリアノは剣を握る手に力を籠めた。一人二人ならば相手になるが、五人の相手に取り囲まれては分が悪かった。


「覚悟」


 男の内の一人がボソリと言う。それが合図だったのか、五人の男は一斉に間合いを詰め―― られなかった。突然彼等の囲みを後ろから崩すものが現れたのだ。それは小柄な戦士 ――いや、先ほど階段に腰掛けていた少女だった。


「っ!」


 ガリアノは自身に降り掛かっている災難も忘れて、彼女の動きを目で追っていた。


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