Episode_16.15 ターポの日常


 十月終わりごろのターポは、他のリムル海沿岸の都市と同じように未だ秋の空気の只中であった。内陸のアートンや、遥か西のリムルベート王国の北に広がる開拓村などはそろそろ冬支度という時期であるが、ここターポでは日によっては日中汗ばむ陽気の時もあった。


 そんなターポの街だが、街中の様子は大きく二つの全く違う顔を見せていた。昨年の不作に端を発し、王弟派領内での商売を広げた四都市連合関係の商人達は港を中心とした一定の区画で羽振りの良い生活を送っている。そして、そんな商人達が落とす金によってうるおり立っている交易区は活気があった。しかし、その区画を一歩外に出ると、高止まりした穀物類の値段に疲弊した一般庶民が暮らす居住区や昔ながらの商売を行う商業区が活気の無い様相を呈しているのだ。


 そんな活気の無い商業区と居住区の境目辺り、ちょうど街の中心に当たる場所にターポの城砦が存在している。そして、その城砦の中に駐留するのは、既に王弟派第一騎士団ではなく、規模縮小を何度も繰り返した第三騎士団だった。


 ターポの街を中心とするこの地方は、本来ターポ伯爵家から続く太守が存在している。しかし、民衆派の取り締まりという名目で送り込まれた騎士団が、統治の大部分を担っている状態だった。元々ターポ伯爵家の兵である衛兵団は、今年初めにトリムで発生した暴動事件に多くのトリム衛兵が加わっていた事態を受けて、徹底的な身元調査が行われていた。結果的に、衛兵団の多くの者がアフラ教会や民衆派との繋がりを懸念されて衛兵団を追放となっていた。そのため、民衆派取り締まりとは次元の違う根本的な治安維持も第三騎士団の仕事となっていたのだ。


「ったく、人手が足りませんな」

「そうぼやくな、戦場で殺し合いをするよりは良い」

「はぁ……レスリック様も覇気が無い」


 城砦の一室では、第三騎士団のレスリックとドリムが会話をしている。部隊の勤務輪番を作っている一幕だった。そして、ドリムが嘆くように、第三騎士団は辛うじて「騎士団」と名乗れる程度の規模しか有していなかった。


 十月初めに発生した王子派によるディンス攻略作戦。これによって大敗を喫したオーヴァン将軍率いる第二騎士団の補充のために、第三騎士団は更に騎士と兵士が奪われる格好となったのだ。結果的にレスリックの手元に残ったのは、騎士が百騎に兵が五百、それに子飼いの猟兵が二百という勢力だった。更に、


「しかし、民衆派の炙り出しに掛かっている猟兵達も少し治安維持に回さないと成り立ちませんよ。団長――」

「団長ではないし将軍でもない、今は副長・・だ。間違えるな、ドリム中隊長・・・

「はぁ……」


 ドリムの言葉を訂正するレスリックの言葉が示す通り、彼等は先のエトシア砦攻略から王子派軍にストラ奪還を許した一連の戦いの責任を押し付けられる格好で、降格となったのだ。そして、


「では、街中に放っている猟兵達も一部警備部隊の輪番に加えよう。これで兵達は週に一日は休めるはずだ……では、私はガリアノ・・・・将軍に報告してくる」

「へーい」


 街の住民に紛れて潜伏させている猟兵は主任務が民衆派の炙り出しだ。しかし、その一部を引き抜いて警備に加えることを決めると、レスリックは席を立つ。向かう先は、ガリアノ将軍の部屋であった。ドリムの気のはいっていない返事を背中で聞きつつ、レスリックは手狭な城砦の中を歩く。


(ガリアノ様に第三騎士団を押し付けたのはロルドールの思惑だ……何が狙いだ?)


 そんな彼は自問する。レスリックの懸念は権謀術数けんぼうじゅっすうに長ける宰相ロルドールの意図だった。これまで、ガリアノの命を奪う事無く生きながらえさせていた宰相だから、今更命を狙うことは無いと思うが、それでも心配だった。しかし、生来が武人であるレスリックには、宰相の思惑が分からなかったのだ。


(いいさ、何があっても守る……アイツとの約束だ)


 ガリアノは王弟ライアードの長子であるが庶子だ。その母親はおおやけには伏せられているが「王の隠剣」として王族の近くで働いていたレスリックの妹であった。当時、まだ未婚であったライアードが、若く魅力的だったレスリックの妹に手を付けた格好だった。


 王族であろうと、そこら辺の小金を持った商人だろうと、めかけを持って外に子を作ることは良くあることだ。ちまたの商人ならばいざ知らず、王族ならば庶子の存在は血筋の予備が増えるので、喜ばれることもあるだろう。しかし、王弟ライアードの場合は違った。レスリックの妹に手を付けた後、直ぐに正妻となったロルドールの妹は悋気りんきが強すぎたのだ。実際、彼女は生まれたばかりのガリアノを、公衆の面前で絞め殺そうとしたほどだった。


 そのため、ガリアノは生まれて直ぐにコルベートの白珠城パルアディスから北の離宮へ移されて育てられた。そして、三歳になった時に、その時既にこの世を去っていた母の実家であるイグル郷に引き取られたのだ。その後二十歳で再び白珠城パルアディスに呼び戻されるまで、ガリアノはイグル郷で育ったことになる。そんな出自のガリアノは、猟兵達と仲が良く。同年代の者達とは兄弟のような付き合いをしている。そして、


「イグルの里が懐かしい」


 と常々ぼやいているのだ。しかし、今は大嫌いなコルベートと白珠城パルアディスから離れる事が出来て幾分ボヤキは治まっていた。


 レスリックはガリアノの執務室の扉をノックする。


「ガリアノ将軍、失礼します」

「……」


 しかし、返事が無い。少し待ってもう一度ノックをするレスリックだが、同じく返事がない室内に不審を覚える。そして、


「御免!」


 と短く言うと扉を開けた。鍵は掛かっていなかった。しかし、執務室の机に主の姿は無く、午前の分だった書類はガリアノの署名を受けて整然と机の上に積まれていた。


「……はぁ」


 主の姿が無い執務室から、書類を回収したレスリックは溜息と共に元来た廊下を戻る。ドリムには悪いが、街中を探して貰うことになりそうだった。


****************************************


 一人の青年が午後のターポの街を歩いている。貴族のような上等な服を身に着ける青年は二十代前半といったところだ。サラッとした金髪に碧眼でガッシリとした身体つきだが、妙にキョロキョロと辺りを見ながら道を歩いている。青年は、殺風景な居住区や人出が少なく寂しい商業区を通ると、その先にある活気溢れる交易区へ吸い寄せられるように歩いていた。


 そんな青年は時折立ち止まっては後ろを振り返り、時にサッと路地に入ったりする。まるで尾行を気にする犯罪者のような動きだが、思い当たる節があるのだろう。実際その青年は可也かなり離れた場所から尾行されていた。尾行するのは二人の女性だった。


「アン、お父様に言った方が良いんじゃないの? また怒られるわよ」

「でも、ガリアノ様が散歩したいって言うから……」

「じゃぁ、一緒に行けばいいのに」

「ニーサ……駄目よ……そんなの恥ずかしいわ」

「はぁ」


 二人は街娘然とした格好をしている。アンと呼ばれた白い前掛けエプロンを掛けた方は二十代前半、ニーサと呼ばれた青い布を頭巾のように頭に被った方が十代後半といった風だが、その顔は良く似ていた。


 彼女達は、レスリック旗下の猟兵だ。しかもレスリックの娘達である。アンは魔術師、ニーサは精霊術師としてそれなり・・・・の技量を備えている。そして、そんな二人に尾行されるのは、言わずと知れたガリアノ将軍であった。


 ガリアノは城砦を抜け出す寸前でこの少女達に見つかっていたのだが、


「なぁ、頼む、夕方までには帰るから、な?」


 と言われて、見逃していたのだった。ただ、単純に見逃すのではなく、その後を尾行しつつ万が一の時には、その身を守る事も視野に入れていた。そんな所が、この姉妹の「流石猟兵」という所だろう。


「でもねぇ、アン」

「なに?」

「ガリアノ様、交易区へ向かってるわよ……マズイんじゃない?」


 ニーサの言葉は、交易区が外国勢力である四都市連合の治外法権地になりつつある現状を指していた。


 これは、第三騎士団がターポにやって来る前、第一騎士団が駐留していた時に四都市連合側と取り決めた事だった。そして、その取り決めを受けた四都市連合は傭兵を主体とする独自の治安維持部隊をターポに投入したという訳だ。


 その後交替としてやってきた第三騎士団は、着任から日が浅いこともあり、また折から人不足のせいで、成り行きのまま交易区の治安維持を彼等に任せる格好になっていたのだ。そして、今交易区には二百人以上の大所帯である「暁旅団」の他にも数個の小規模な傭兵団と個人の傭兵数百人が進駐・・しているのだった。


 しかし、


「普通に歩く分には、大丈夫でしょ」

「そうかなぁ?」

「ガリアノ様は息抜きがしたいのよ! それくらい良いじゃない」


 元々歳の近いガリアノに通常以上の好意を寄せる姉アンは、そう言って妹ニーサの言葉を封じてしまった。そして、姉妹は路地を抜けだすと音も無く通りを駆ける。精霊術師が使う「静寂サイレンス」と万が一の場合に魔術師が使う「透明化インビジブル」を備える姉妹の尾行は完璧なもので、少し先を歩くガリアノには気が付いた様子は見られなかった。


****************************************


 この時、アンとニーサの姉妹の注意はガリアノに向いていた。その為、彼を尾行するもう一つの集団の存在には気が付いていなかったのだ。その集団は、ガリアノが交易区に向っていることを察知すると、先回りするために路地裏を駆け抜けて行った。


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