Episode_16.14 悔悛の酒


 不思議な気分だった。ここはターポの街の交易区、港に近い場所で商人や四都市連合に関係する人々が集まる区域の酒場だ。そこで大勢の傭兵達が酒を酌み交わす様子を見ているユーリーは、自分の境遇がまるで下手な冗談のように感じるのだった。勿論捕虜になった自分に対する扱いの緩さ・・・・・についてだ。拘束らしいものは全く無い。この場の騒ぎに紛れて姿を消すことも出来そうだと感じている。


 尤も、先ほどブルガルトが言った通り、この店に来る途中に見たターポの街中には大勢の王弟派兵士の姿が見えた。逃走は無理だと言う言葉はあながち間違いでは無さそうだったが……


(この人達……いや、ブルガルトという男は何を考えてるんだ?)


 頭を巡る疑問の答えを得るならば、少し先のテーブルで先程の二人組レッツとドーサに説教めいた話をしているブルガルト本人に訊けば良い。しかし、それが出来ないユーリーだった。


 ユーリーを含めた傭兵達は、ブルガルトとユーリーの対決を、固唾を飲んで待ち構えたが、不意に割って入った副官ダリアの強権・・で解散になったのだ。そして、勝負はお預け、というブルガルトの号令で、その場に居た十数人と後で合流した者達五十人程度が、同じ店で飲み騒いでるという状況だった。因みにダリアも店の隅で酒を飲んでいるが、一緒にいた参謀の魔術師バロルは、ユーリーに「制約ギアス」を重ね掛けした後は、宿屋に残っていた。


 店の中には、半裸とまではいかないが、襟元の大きく開いた上着に、丈の短い腰蓑こしみののようなスカートをはいた若い給仕達が忙しく立ち働いている。その雰囲気に嘗ての「剥がれ月」亭を連想したユーリーは、その給仕達を視界に入れないように俯き加減で杯のワインを舐めていた。


「おい、オメーさんツエーじゃねぇか」


 黙って杯のワインを舐めるユーリーに声を掛けたのは少し年季の入った傭兵だった。二回連続でユーリーに賭けて、小銭を儲けた男である。その顔面には十を超える切傷があり仲間内からは「藪潜やぶもぐり」と綽名された傭兵だった。本人は、


「槍が藪のように密集した敵陣に先頭を切って飛び込むから『藪潜り』なんだ」


 と言っているが、周りの傭兵達は


「アイツは娼婦の股倉が大好きで、遮二無二顔を突っ込むから『藪潜り』なんだ」


 と言っていた。本人も否定しないのは、思い当たる節があるのだろう。そんな「藪潜り」が言う。


「どうだ、ウチの頭領は良いだろ?」

「良い?」

「そうさ……まぁ傭兵をやったことの無いオメェさんには分からんかもしれねぇが、あんなに気持ちが温かい人は早々傭兵稼業には居ないもんだ」


 ユーリーはその「藪潜り」が言いたい事を何となく察するが、返事は出来なかった。するともう一人の澄ました優男風の傭兵が言葉を重ねてきた。


「あのレッツとドーサはな、十五の時からブルガルトさんが面倒を見てるんだ。元は奴隷だけどな……オーチェンカスクの領主の一派からの仕事で、報酬の一部として貰い受けたんだ」

「じゃぁ、あの二人は戦争奴隷なのか?」


 戦争奴隷、又は戦奴というのは、中原に存在する専業兵士で最下層の身分に当たる者達だ。西方辺境では一般に奴隷制度は浸透していないので、ユーリーはその名前だけを知っているのだ。


「馬鹿言っちゃいけねぇ。あの二人はブルガルトさんのお蔭で奴隷じゃなくなったんだ……そんな事をする傭兵団の首領は他にいない……お伽話の銀嶺傭兵団ならいざ知らず・・・・・だがな」


 澄まし顔の優男風の傭兵はそう言うとユーリーの肩をパンパンと叩いて元の会話の輪に戻る。


(だから、なんだっていうんだ。三番隊の仲間を殺したのはコイツらじゃないか……)


 ユーリーは、ほだされそうになる心にそう言い聞かせると、再びそれを強く堅める。そして、杯の中のワインを一気に煽るのだ。


 彼の頭の中には、自分が捕虜となる寸前の戦いの場面があった。ユーリーが昏倒するまでの間に、三番隊は少なくても四人が討ち取られていた。そして、その後の事は分からないユーリーだ。リムンの街への襲撃は街の住民の被害を最小限に抑えて終了したとブルガルトやバロルから聞いているユーリーは、しかし、自隊の面々の損害については、怖くて・・・聞く勇気が無かったのだ。そして、そんな自分の意気地の無さに腹が立つユーリーは、珍しく自分から酒を求めていた。


****************************************


「捕虜……ユーリーだったな」

「ん?」


 不味いワインの杯を何度か空にしたユーリーは、自分の名前を呼ばれて顔を上げる。そこには、副官ダリアの姿があった。男装の乗馬服のような服は、彼女の引き締まった下半身と柔らかい胸の膨らみ浮き立たせている。背丈はユーリーと同じほどだろう。濃い茶髪を肩下まで無造作に垂らしているが、その上の整った目鼻立ちを持つ顔には若干の侮蔑ぶべつが籠っていた。


「……何か用?」

「用などある訳が無い。自分の隊を壊滅させられ、敵に捕らえられ、そんな敵と仲良く酒を飲んでいる間抜けな指揮官の顔を見ているだけだ」


 ダリアは低めの声にあざけりを籠めて言う。周囲の傭兵は、呆れた顔でダリアを見る者もいれば、そっと席を移る者もいた。


「どうとでも……言えばいい」


 一方明らかな挑発の言葉にユーリーは投げやりに答える。しかし、言葉尻が震えてしまうのは、ダリアに対する怒りというよりも、彼自身に対する怒りなのかもしれない。


 ユーリーが前線部隊を指揮するようになってから既に一年以上時間が経過している。その間に遭った戦いで何人かの部下を失うことを経験していた。しかし、結果は全て勝ち戦だった。そのため、犠牲になった部下に対しても「彼等の犠牲のお蔭で勝てた」と理由付けすることが出来ていた。しかし、今回リムンに急行したユーリーの騎兵部隊は暁旅団に対して明らかに敗北していた。しかも、戦い方としてはもっと良い方法があったはずなのに、それを熟慮しなかったユーリーの指示によって敗北したのだ。


 一言で表せば「後悔」、だが苦楽を共にした仲間を自分の失敗で失ったユーリーの気持ちは、それほど単純ではなかった。だからユーリーは、命を落とした者達に対して「顔向けできない」という気持ちを心の中で持て余していたのだった。


「フン……もう少し気骨があるなら、抱かせてやって・・・・・・・も良かったんだがな」

「……願い下げだ」


 ユーリーは精一杯の皮肉で返すが、ダリアは平然と濃い茶髪を片手で掻き上げる仕草をする。そして、


「聞けば、無暗に正面突撃を仕掛け、バロルの魔術にやられたとか……それで、指揮官が魔術騎士ルーンナイトだって言うんだから、死んだ連中は浮かばれないだろうな」

「なんだと!」


 ダリアの放った言葉は、ユーリーが心の底に押し込めていた感情を直接えぐるものだった。そして、瞬間に湧き上がった怒りが限界を超えると、ユーリーは怒声と共に立ち上がる。対するダリアは既に腰の小剣に手を掛け油断なく身構えていた。だが、それに構わずユーリーは怒りのままにダリアに飛び掛かろうとした。その時、


「ダリア! いい加減にしろ!」


 ユーリーは突然背後から四本の腕で襟と肩を掴まれると、次いで物凄い力で席に引き戻される。そして、耳元で上がった怒声は明らかにブルガルトのものだった。


「なによ! 腰抜け度合いを貴方の替りに確かめただけよ!」


 一方、怒鳴られたダリアは、不機嫌そうに言うとそっぽを向いた。そして、


「なんだか興醒めね、先に帰るわ」


 といって、一人で店を出て行ってしまった。


 一方、無理矢理席に戻されたユーリーは火が付いた怒りに任せて拳をテーブルに叩き付けた。


バンッ


 という音ともに、周囲の杯や皿が跳ね上がる。それが何度も続いた。素手でテーブルを殴り続けたユーリーの拳は皮が破れ、血が滲んでいる。そんな鬼気迫る様子に、ユーリーの肩を押えていたレッツとドーサは思わず手を離す。そこへ、


「おいおい、それくらいにしないと……言葉通りの骨折り損になっちまうぜ」


 そう言うのは、テーブルに戻ってきた「藪潜り」だった。彼の言葉にブルガルトも声を掛ける。


「怒るのは分かる。ダリアの悪い癖なんだ。アイツは気になる男をああやってけしかけるんだ……育ての親としては言い難いが、どうもそういうの・・・・・が好きらしい」

「……」


 やがて治まったユーリーは、項垂うなだれたまま座っている。周囲の傭兵の殆どは、既に興味を無くしたようで、元の話しの輪に戻っていた。そして、その場に残ったのはブルガルトだけだった。


「お前の気持ちが分かる、とは言わない。どんな時も後悔は有るものだ。勝ち戦だといっても、死んだ者が生き返る訳では無い。負け戦だからといって、死んだ者の命が無価値だという訳では無い。指揮官という立場は身分の大小を問わず辛いものだ」

「……」

「だが、生き残った者、特に彼等を戦わせ、死なせた上で生き残った指揮官には役割がある」

「……どんな?」

「それは、自分で見つけるしかない……他人から押し付けられた答えは、今のお前には意味が無いだろうからな」

「ブルガルト、貴方はそれを見つけたのか?」


 ユーリーの問いに、ブルガルトは肩を竦めるとその場を後にした。酒宴はもうしばらく続くのだろうが、ユーリーは血が滲んだ拳を見詰めるだけで過ごすのだった。


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