Episode_16.11 私が行くわ
北風の精霊王フレイズベルグから受けた傷を癒していたリリアは、初夏の頃になってようやく調子を取り戻していた。フレイズベルグが「分け与える」と言った力、それがどんなものかは謎だったが、とにかく調子を取り戻したリリアは、相変わらずカトレア相手に修行の日々を送るのだった。そして、二か月後の先月、九月の下旬の或る日に、
「もう、頃合いね。行ってらっしゃい」
という、レオノールの言葉を受けてドルドの森を旅立つことになったのだ。
出発に際して別れを惜しむ守護者カトレアや一角獣スプレニの見送りを受けたが、その場にいたレオノールからはこんな言葉があった。
「途中で山の王国のドガルダゴ王の所に寄りなさい、贈り物があるから」
そして、
「色々と大変な事があると思うけど、一段落したらユーリーを連れてドルドにいらっしゃい。なんならここで暮らすといいわ」
ということだった。
その後、レオノールが言う通りに帰り道の途中で山の王国に寄ったリリアは、森の女王の言葉通り幾つかの品をドガルダゴ王とポンペイオ王子から受け取っていた。激しい修行の末に装備品が痛んでいたリリアは、それらの品の価値に恐縮していた。
「なに、レオノール殿から発注を受けていたのだ、お蔭で不良在庫の処分が……」
と言うドガルダゴ王、
「命の恩人の婚約者限定、特別出精割引。さらにユーリー殿は大口のお得意先に
とはポンペイオ王子の言葉。そして、二人揃って
「とにかく、我ら親子、彼には頭が上がらんよ。ハッハッハッ――」
という、王族とは思えないドワーフ親子の言葉だった。
半分冗談のようにも聞こえたが、ユーリーが最新式の
「そう言えば、ユーリー殿は今コルサスにいるらしいな。リリア殿もコルサスへ向かうのか?」
というポンペイオ王子の言葉が聞けたのだった。
結局、貰った装備の調整などで山の王国には三日間滞在したリリアだったが、ポンペイオ王子から聞いたユーリーの消息に従い、王都リムルベートには向かわずに、コンラークからスハブルグ、ウーブルを抜けてデルフィルを目指す事にしたのだ。
デルフィルへ続く街道は、以前にも一度通った道であった。途中の宿場では、その時に世話になった宿を探したが、持ち主だった老人は二か月前に病死した、という事で今は雑貨屋になっていた。
道中は「女の一人旅」という事もあって、それなりに困難な場面もあったが、今のリリアには大した問題では無かった。そして、徒歩の旅ながら通常の旅人の倍に近い早さで街道を踏破したリリアは、今日の午後にトトマに到着したという訳だった。
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――噂話に聞き耳を立てろ、酒場の会話は宝の山だ――
これは凄腕の暗殺者で、密偵としても優れていた養父ジムの教えだった。そして、今晩のリリアはトトマ街道会館というこの辺りで一番大きな宿屋兼食堂で、その教えを実践していたのだ。しかし、隣のテーブルの会話から思いも掛けずユーリーの名を聞き、更にただ事では無い雰囲気の会話から、黙っていることが出来ずに声を上げたのだ。
そんなリリアは、リシアに招かれる格好で彼女達のテーブルに着いた。そして
リムルベートのウェスタ侯爵家がそういう事になっているのは、王都に立ち寄っていないリリアには初耳だったが、彼女にとって話の本筋はそこでは無かった。
「じゃぁ、もう十日……いえ、十二日前の話なんですね」
リリアの声は、誰が聞いてもそれと分かる不安と心配が籠められていた。そして、
「何か手を打ったのですか?」
そう聞かざるを得ない彼女の気持ちは、テーブルを囲む面々には良く分かるのだった。
「それを……冒険者達に頼もうかと考えていたところなんだ」
「そうですか……」
リリアは、「今頃ですか?」という刺々しい言葉を何とか堪える。この場にいる全員がユーリーの事を心配しているのは間違いないことだった。彼女からしてみれば、見ず知らずの人達がユーリーを心配している、その事に感謝するべきだとさえ思っていた。
そうやってリリアが考え込むように黙ってしまったから、テーブルは再び沈黙に支配される。しかし、この沈黙は長く続かなかった。注文を運んできたサーシャが元気で明るい声を掛けてきたのだ。
「お待ちどうさま! あれ、一人多い? ああ、隣のお客さん相席にしたんですね!」
サーシャは料理の盛られた皿をテーブルにドンと置くと、さっきまでリリアがいたテーブルから彼女の分を移動させた。しかし、流石にテーブルの重い空気を普通ではないと察したのか、盗み見るように一同を観察する。そして、ダレスに近付くと少し親密な雰囲気の小声で問い掛けていた。
「ねぇダレス、何があったの?」
「ああ、いや……」
「そういえば、あの人ユーリーさんに似てるわね?」
サーシャは年頃の少女独特の勘の良さで言う。小声であるが、静かなテーブルでは全員にその声が聞こえていた。だから、リシアはその言葉に応じるように声を掛けたのだ。
「あなた、サーシャっていうの? 初めまして」
「あの、もしかして……リシアさん、ですか?」
黒髪に黒目、華奢な背格好だが顔立ちがユーリーに似ている女性に声を掛けられたサーシャはそう訊き返していた。度々ユーリーから双子の姉のことを聞いていたサーシャは直ぐに察することが出来たのだ。
「ユーリーから、聞いたの? そうよ」
言葉は少ないが、まるで「いつも
「じゃぁ、もしかしてお客さんがリリアさん?」
「え? そ、そうよ……でもなんで?」
「だって、ユーリーさん、少しお酒が入るとリリアさんの事しか話さないから! 顔形に背格好、ハシバミ色の瞳の色も、髪の色も……うん、ユーリーさんが言っていた通りだわ」
「そ……そう、なんだ」
「はい、でもユーリーさんが言ってた通りで、本当に綺麗な人だわ……なんだか納得した気分!」
サーシャの言葉をもしもユーリーが聞いていたら、それこそ顔を真っ赤にして否定しただろう。彼自身はそういう自覚はなかったのだ。しかし、
そして、初対面の少女に「綺麗」と言われ、それが「ユーリーが言っていた通り」となると、自然と頬が赤くなるリリアであった。一方ダレスは、空気を読まずにポンポンと話し掛けてくるサーシャに対して、少し鬱陶しそうに言うのだ。
「もう、リシア様もリリアさんも困るだろ。アッチへいってろよ」
「なによー! いいわよ、飲み物が無くなったら自分で取りにくるのね!」
邪険にするダレスに、サーシャはそう言い返すと、他の面々には「ごゆっくり」と言い再びカウンターに戻って行ったのだった。
「ダレスなぁ、おめー、サーシャは俺達の雰囲気が暗いからワザとああ言ってたんだぞ。分かってんのか?」
「し、しらねーよ……」
アデールが咎めるように言うとダレスも思い当たる節があるのか、言い返す言葉が弱かった。しかし、年の功分アデールの言葉はその通りで、お蔭で少し重たかった雰囲気は
「……私が行くわ」
リリアが意を決したように席を立ったのだ。
「行くって、まさかユーリーを探しに? 貴女一人で?」
驚いたように訊き返すのはイナシアだった。彼女の常識では、女一人で何がどうこう出来る事態ではないのだ。しかし、リリアは平然と言い返した。
「一人では行かない。そんなに向こう見ずでは無いわ。その冒険者という人達と協力するの」
そして、リリアはアーヴィルの方へ視線を向けると、
「その冒険者達は何処にいるんですか?」
と、力強く問い掛けていた。だが、アーヴィルはイナシアと同意見のようで、
「いや、駄目だ……リリアさん、私もユーリーから君の名前は聞いている。君はユーリーの恋人なのだろう。君にもしも何かあったら、送り出した我々は彼に顔向けできなくなる。だから駄目だ。滞在の手配はするから、君は待っているんだ」
と強く否定した。しかし、今のリリアはこれ位では折れるはずがない。
「待ってるだけの、守られるだけの女じゃないの。貴方が教えてくれないならばそれでもいい、こっちは勝手に調べて、どうとでもするから!」
そして、睨み合うまででは無いが、アーヴィルとリリアは強い視線をぶつけ合う。そこに、鈴のような涼しげな声が響いた、
「アーヴィル、リリアは強いわ……私には分かる」
「しかし……」
リシアという、思わぬところから否定されたアーヴィルは、それでも言い募り掛ける。しかし、
「幾ら駄目と言っても、リリアは行くわよ。多分あなたの剣も魔術も、きっと意味は無いわ……鷹の羽を持つ、一途な
黒曜石の瞳でリリアを見詰めながら、アーヴィルに語り掛けるリシアは、まるでリリアの持っている力を見透かしたようだった。そして、
「リリア、アーヴィルを許してね……ユーリーの事が大切過ぎて、言っているの」
「……私もユーリーの事が大事です」
「わかるわ、その気持ち……」
リシアとリリアは、恋する乙女同士が持つ連帯感を感じたのだろうか? 本当の所は分からないが、リシアがリリアの力を見透かしたのは本当だった。決してその場の勢いで言っている訳では無い。そして、リシアがアーヴィルの替わりにリリアの問いに答える。
「その冒険者達は、ダーリアにいる。名前は……飛竜のしっ――」
「リシア様!」
「飛竜の尻尾団ね?」
アーヴィルとリリアの声が交錯した。アーヴィルの声は非難するような響きだったが、リリアはその冒険者達の名前を言い当てていた。そして、リシアはニッコリとリリアに頷いたのだった。
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明らかに不満気なアーヴィルを説得することは諦めて、リリアはその夜の内にダーリアへ旅立った。女の一人旅は危険だと言われる上に、夜の街道は万人に対して危険である。二重の危険を冒す彼女は周りから見ると少し無謀なようにも見えたが、彼女自身はそんな危険を物ともしていない。
翌朝にはダーリアに到着し、救護院にいるというジェロ達「飛竜の尻尾団」を見つけ出す。そして協力を願うのだ。想いを寄せる青年を助ける。いや、それ以上に今すぐに一目でもいいから、会いたかった。純粋な想いに突き動かされる彼女は一心に街道を東へ進んで行った。
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