Episode_16.10 トトマの旅人


10月15日 トトマ


 ディンス奪還の報せにトトマが沸き立ったのはもう数日前の話だった。人々は束の間お祭り騒ぎを楽しんだ後、日常生活に戻っていた。景気が良いのは助かるが、その分日常は忙しくなる。人々にとっては、日々の暮らしを恙無つつがなく終えることが、相変わらず最優先の課題であった。そんな人々が家路に急ぐ夕暮れ時、これから忙しくなるのがトトマ街道会館である。


 最も混み合う時間にはまだ早いが、それでも一階のホールは食事や酒を目当てにした客でテーブルが埋まっている。そのホールの片隅で、周囲の騒々しい雰囲気を遮断したように静かなテーブルがあった。八人掛けの大きなテーブルだが、そのテーブルに着いているのは三人、皆言葉少なく手元のワインで満たされた杯を見詰めている。その様子は静かを通り越して辛気臭しんきくさいといえるもので、勢い周囲のテーブルには騒ぎたい客はいなかった。丁度、隣のテーブルに連れを待っているのだろうか? 冒険者然とした旅姿の若い女が一人で居るだけだった。


「はぁ……行っちまったな」

「ああ……仕方の無いことだ」


 溜息と共に言うのはダレス、応じるのはロージだった。ロージの隣には鼻を啜って杯を煽るアデールがいる。ダレスは、その杯にワインを継ぎ足してやると、再び溜息を吐く。


 このメンバーならば、一緒にいても可笑しくない黒髪の青年と赤毛の青年は、この場所にはいなかった。黒髪の青年が居ない理由と、赤毛の青年が去った理由、同時に見聞きした彼等の雰囲気は重苦しい。


****************************************


 十日以上前、遊撃兵団が作戦行動を開始した日にリムンの街が襲撃された。その時、街の救援に向かったユーリーが実は敵に捕らえられていた。そんな報せがあったのはこの日の朝早くだった。アートン城から送られてきた騎兵隊の馬を受領した彼等は同時にこの報せを聞いたのだ。


 その時、ヨシンは顔色を青くし、次いで激昂したように真っ赤に変えると、肩をいからせた・・・・・ままトトマの南の城砦へ向かった。呆気にとられたダレス達はその後を追った。そして、城砦の二階で、床から離れられないレイモンド王子の代行を務める騎士アーヴィルとロージ団長の元に出向いたヨシンは、


「今日限りで遊撃隊を抜けます。ユーリーを助けに行く!」


 と宣言したのだった。しかし、その時ロージもアーヴィルも事態を知らなかった。そのため、何事だ、と押し問答が始まったのだ。それだけでもちょっとした騒ぎだったのだが、その場に衛兵が駆け込んできて報告した。


「リムルベート王国ウェスタ侯爵領より火急の使者が……遊撃騎兵隊長ユーリー殿とヨシン殿……いや、ウェスタ侯爵領哨戒騎士団の騎士ユーリー様と同じくヨシン様へ面会を願っております」


 それは、混乱に拍車を掛けるモノだった。


 使者として通されたのは、王都リムルベートの邸宅に詰める伝令兵ポラムだった。ヨシンは思いも掛けず現れた懐かしい顔に驚くが、続くポラムの言葉に仰天した。


「アルヴァン様率いる正騎士団がインバフィル近郊の砦で孤立してしまいました。このため殿様ブラハリー様は救援軍を編成しております。付いてはユーリーとヨシンも帰ってこいとのお達しです! ところで、ユーリーはどこに?」


 その報せにヨシンは絶句した。一方その時初めてダレスらから事情を聞き終えたアーヴィルが顔面蒼白となりながらヨシンに言った。


「ユーリーの事は我々に任せてくれ。ジェロ達に言って足跡を探らせる」

「だ、だけど……」


 躊躇するヨシンにロージが言う。


「騎士たるもの、主の求めに応じて馳せ参じるのは義務だ……ユーリーの事は我らに任せ、本分を全うするんだ!」


 アーヴィルもロージも、一時期正式に騎士としてあるじに仕えた経験を持っている。それだけに「騎士とは何であるか」を良くわきまえていた。そんな二人の言葉が、ヨシンに重く圧し掛かった。親友の安否が気になる。親友と言えばアルヴァンも親友だ。アルヴァンは何故そんな事になったのだ? ユーリーは無事なのか?


 グルグルと頭を巡るだけの考えに、ヨシンは呻き声を上げるしかなかった。その時、騒ぎを聞きつけたリシアが姿を現した。


 レイモンド王子に付きっ切りの看護をしている彼女の顔色は病人同然に悪いものだった。しかし、青白い顔色に不釣り合いなほどの生気が漲る聖女は、迷うヨシンにこう言った。


「大丈夫、ヨシン」

「だ、大丈夫って、なにが!」

「ユーリーは生きている。私には分かる」

「……」


 結局この聖女リシアの、いや、双子の姉リシアの一言が決定打となった。そして、ヨシンはリムルベートに帰参することを決意したのだった。


「決めたからには急いで帰る……レイにはヨロシクと伝えてくれ」


 そう言い残したヨシンは、伝令兵ポラムを置いてきぼりにする勢いで自分の馬へ駆け戻って行った。そして、誰も見送る暇が無いほどの早さで単騎トトマを後にしたのだった。まるで引かれる後ろ髪を断ち切るような勢いだったという。


****************************************


「……」


 残った男達は、無言で酒を飲むばかりだった。トトマ街道会館の喧騒が嫌に恨めしく聞こえる。全員が胸にポッカリと穴が開いた風だった。そして、中でも余計に酒を煽っていたアデールが突然声を上げた。


「よっしゃ! 可愛い舎弟の危機だ、俺様に任せろ! ターポだろうがトリムだろうが、コルベートにだって行ってやる!」

「やめろよ、アデールさん……俺達の出る幕じゃない。ジェロさん達に任せよう」

「なんだと、この薄らトンカチが! ダレス! お前は心配じゃねーのか!」

「この酔っ払い、もう一遍言ってみろ! 俺が心配してない訳がねーだろーが!」

「やめないかっ!」


 アデールの言葉にダレスが激昂する。そして、ロージが一喝した。隣の席の女は少し鬱陶しそうな素振りをしていた。また、店の給仕達は追加注文を聞こうにも聞けずに、彼等と顔馴染みの少女を呼びに行った。


 テーブルをしばらくの間、沈黙が支配していた。


「すまねぇ……」

「いや、オレの方こそ……」


 アデールとダレスがボソリと言い合う。そこに、


「いらっしゃいませ! あれ、今日はこれだけ? ユーリーさんとヨシンさんは?」


 場違いなほど明るい声で登場したのは給仕の少女サーシャだった。


「ああ、サーシャちゃん。二人は来ないけど、直ぐに後三人来るはずだよ」

「そう……ねぇダレス、何かあったの?」

「いや、大丈夫だ……ワインのお替わりと……何か食う物を」

「うん、分かったわ」


 サーシャは少し不審そうな表情で奥のカウンターへ戻って行く。一方、隣の女は一度だけチラとダレス達のテーブルを見ていた。


 そして、暫く時間が経ったころ、沈んだテーブルに「後三人」と言われた面々が現れた。騎士アーヴィルが護衛するようにして連れてきたイナシアとリシアであった。元々はアーヴィルとイナシアの二人で来るつもりだったのだが、看病に根を詰め過ぎるリシアの息抜きのために、イナシアが彼女を誘ったのだ。レイモンド王子は城砦に一人であるが、騎兵隊の面々やトトマの衛兵長ベロスが警護の目を光らせているため、心配は無かった。


 そういう経緯によって珍しい三人連れで現れた彼等だが、その内イナシアは、席に着くなり全員に謝った。


「ごめんなさい。レイの事があって、とても言い出せる雰囲気じゃなかったの」

「イナシア……大丈夫だ」

「そうよ、わたしも知っていたし。でも、誰にも言ってない」


 イナシアの謝罪はダレスやロージ、そしてアデールに向けられたものだった。一方、以前と違って「様」を付けずに名前を呼ぶアーヴィルは項垂うなだれたイナシアの肩に手を置いていた。また、リシアはイナシアを弁護するような風だった。


「でも、リシア様……本当にユーリーは無事なのですか?」

「そうだ、人質になったら身代金交渉があるものだろ。でも音沙汰なしって、どういうことだ?」

「おい、アデール、次にリシア様にそんな口を聞いたら本当にぶん殴るぞ!」


 ロージの言葉は自然な疑問だった、一方アデールは少し苛立ちが籠った言葉になった。そして、過去にリシアに大怪我を癒された経験のあるダレスはそんなアデールの態度を咎める。そんなやり取りがあった時、不意に隣のテーブルで大きな音が上がった。


バンッ


 驚いてそちらを見る一同の視線の先には、明るい茶色の髪の毛を、うなじを隠す程度まで伸ばし、短い髪には不要と思える翼をかたどった髪留めを付けた、傍目にも美しい顔立ちをした少女と言ってもいい年齢の女がテーブルに両手を叩き付けた姿勢で止まっていた。揺れる細い髪の隙間から少し先が尖った耳が垣間見える。その少女は、テーブルを叩いて立ち上がった後、不意にキッと視線を彼等のテーブルに向ける。そして、


「もうじれったい! ユーリーがどうなったの? 何があったの? ハッキリ言ってちょうだい!」


 その言葉に全員が、目が点、と言った風になっていた。しかし、一人リシアだけは穏やかに微笑みながら言うのだった。


「貴女がリリアね……はじめまして。こちらへ、いらっしゃい」


 その言葉に、苛立っていたはずのリリアもまた「目が点」になっていた。

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