Episode_16.03 ディンス攻略作戦 渡河部隊


 早朝に起こったディンス北の丘における戦いの直後、北の村に待機していたレイモンド王子率いる中央軍本隊は南下を開始していた。そして、昼前には西方面軍と合流し、ディンスの街の北の門から約一キロの地点に布陣を完了した。


 緒戦の損害で生じた負傷兵をそのまま北の丘に残してきた西方面軍の勢力は騎士三百五十余騎、兵士千七百余人であった。そこに無傷の中央軍騎士二百騎と兵士千人、更に輜重部隊が運んできた攻城兵器群と応援の衛兵部隊二個中隊五百人が合流した。


 輜重部隊に同行していたアートン城の技師達は、応援の衛兵部隊と共に半分まで組み上げた状態で運んできた攻城兵器を、ディンスの街側が所有する大型投石塔トレビュシェットの射程範囲外で仕上げていく。彼等が組み上げるのは、移動式の投石塔トレビュシェット二基、同じく移動式の投石器カタパルト十基、そして攻城櫓こうじょうやぐら四基である。


 ディンスの北側を守る城壁の高さは平均して約七メートル。壁の厚みは二メートルから三メートルあり、守備側の兵士が行き来することが可能である。そんな城壁を攻略するための攻城櫓は、高さ八メートルの三層構造だ。四角錐しかくすいの頂点側を平らに切り落とした形状で、最下層には大きな木製の車輪が取り付けられている。


 移動の際は外に馬や牛を繋いで運ぶことが出来るが、城壁に近付く際は、内側に兵士五十人が入り人力で押すことになる。また、その上の階層にも合計で五十人の兵士や騎士を収容する事ができる。そして、城壁に接近した後は最上部に設置した渡し板を城壁に掛け、中の兵士達が一斉に斬り込むという兵器である。


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10月3日 午後


 次第に西へ傾く日差しを受けるディンスの街を見詰めていたレイモンドは、呼び掛ける声に後ろを振り返った。


「攻城兵器の準備はほぼ整いました」

「レイ兄、西方面軍ウチはいつでも動ける」


 話し掛けてきたのは騎士アーヴィルとマルフル将軍だった。マルフル将軍、将軍といってもレイモンドと一つ違いの十九歳の青年だ。彼は明け方の戦いで頬に軽い切り傷を負っていたが、今は赤い線が付いているだけで血は止まっていた。


「マルフル、皆の疲労具合は大丈夫なのか?」

「心配いらない。交代で休息を取らせている」


 普段は冷静なマルフルだが、やはり戦いの後ということもあって、少し血気が勝っているようだった。


 そうやって話をしていると、マルフルの副官オシアがやってきた。彼はマルフルを探していたようで、会話する三人に近付くと、レイモンドに一礼してから言った。


「マルフル様、あちらでお休みください」

「オシア、俺なら大丈夫……」

「駄目です。大事に備えて疲労を抜く。一軍の将として、皆に手本を見せて頂かなければ。それに貴方様は一昨晩から殆ど寝てないでしょう!」


 どうやら、大将であるマルフルが休みなく動き回っているせいで、西方面軍の面々は落ち着いて休息がとれないらしい。その事で苦言を述べると同時に、何処か本当に心配している風なオシアの言葉である。その情の通った様子に、思わずレイモンドが漏らすように言う。


「オシアは、いつまで経ってもマルフルのお目付け役だな」

「そうですな、まるで親子のような」


 レイモンドの言葉に珍しくアーヴィルが冗談を重ねてくる。一方のマルフルは、サッと顔色を赤めると、


「や、やめてくれアーヴィル。オシアと親子など……」


 と言い掛けるが、途中で言葉を呑み込んでしまった。一方オシアは、ちょっと驚いた表情になったが、それを打ち消すように咳払いをすると、


「まぁ、その事については近い内にご報告しますので……さぁ行きますよ!」


 と言った。そして、何やら含みのある言い方をしたオシアは、そのままマルフルの腕を掴んで幕屋の方へ引っ張っていくのだった。


「なぁ、アーヴィル……なんだったんだ、今の?」

「さぁ……ああ、もしや」

「なんだ?」

「いや、オシア殿が『その内報告する』と言っておりますので、待てば宜しいでは無いですか」


 不満そうなレイモンドの問い掛けをはぐらかしたアーヴィルは内心で、


(王子もリスティアナ様と上手く行っていると言うし、マルフル様も……結構な事だ)


 そんな風に達観した感想を抱いていたのだ。自分の朴念仁振りを棚に上げた感想だが、口に出さない限りは、誰の指摘も糾弾も受けるはずはない、と信じているアーヴィルなのであった。あくまで、今の所は・・・・、の話であるが。


 そして時間を過ごす王子派の陣地。行動開始は今夜半。そこから明日の早朝に掛けてどれだけ北の門に敵の注意を惹けるか、が今回のディンス攻略作戦のきもであった。そして、もう一つの鍵となる部隊は、遥か東の森の中にヒッソリと潜んでいるのだった。


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10月3日 夕方


 ヨシンはずっと河の上流を見詰めていた。心配する気持ちと「出し抜かれた」という気持ちが半分ずつ、といった心情である。


 ここは西トバ河の中流から下流へ至る地点だ。二個目の大滝の滝壺付近と言う場所である。両岸に迫る切り立った崖はこの場所で途切れ、ここから河口までの数十キロは両岸共に森林地帯となっている。そして、河口に近付くにつれ森は次第にまばらになり、やがて右手側にディンスの街が姿を現す、という地理になる。


 この場所に至るまで、多数の筏に分乗した遊撃兵団の兵士と騎兵合計五百弱は、二度、滝を乗り越えていた。河の水量が豊富な春先から夏に掛けては水の底に沈んでいる両岸の河原を伝って、分解した筏や装備類を徒歩で運んだのだ。


 一つ目の滝は小さなもので、水量の少ない晩秋のこの時期は、少し急な下り坂といった風であった。しかし、二つ目の滝は落差が大きく、それを越えるのには可也かなり時間を要していた。


 そのため、周囲は既に薄暗くなり始めている。あと一時間もしない内に、あっという間に夜の闇に覆われるだろう。秋の夕暮れとはそういうものだ。


「ヨシン! もう下りて来い。暗くなったら、どうやってこの崖を下りてくるつもりだ!」


 滝壺からロージの声が響く。ヨシンは一旦降りた滝を再び登ると親友ユーリーを乗せた筏が姿を現すのを待っていたのだ。しかし、


「聞こえているのか! ユーリーの事だ、夜の闇の中で河を下る無茶はしない!」


 再び響くロージの言葉は、ヨシンが考えていた事と同じだった。頭に血が上ると冷静さを失う面があるが、それ以外の親友ユーリーは常に思慮深く明晰な人物である。その事を誰よりも良く知っているヨシンは、ロージの言葉に同意せざるを得なかった。


「分かりました! いま下ります」


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 火が使えない野営の食事というのは寂しいものだ。しかも、これから大仕事・・・が待ち構えている遊撃兵団の面々は、殊更ことさら言葉少なに携帯口糧を齧る。


 彼等の出発に被せるようにしてあった、リムン襲撃の報せ。しかし、ディンス攻略作戦の賽は投げられた後だった。そのため、彼等はリムンを守る東方面軍の活躍を信じるしかない。ただ、彼等の中でも一等図抜けて頼りになる部隊が応援に回ったのだ。だから、兵達は皆リムンの心配をそれほどせずに、夜明けに掛けての作戦に集中することが出来た。


 天幕を張ることもない野営地で、遊撃兵団の面々は身を寄せ合って時間が来るのを待っている。そんな中、ヨシンは滝壺に近い場所で一人、豆と種無しパンというお馴染みの携帯口糧をガリガリと齧っていた。その彼にダレスが気遣ったように近付くと声を掛けた。


「ヨシン、そう心配するなよ」

「……ダレスか、ああ、心配はしていない。ただ、何というか、初めてなんだよな」

「初めて?」

「ああ、子供の頃から一緒だった。兵士になったのも見習い騎士になったのも何時も一緒だった……」

「ああ、そういう事か」


 ヨシンは考えていた。これまで、全く一人で行動したことがない訳では無い。ただ、大きな戦や大切な局面では、常に親友ユーリーが一緒にいた。それが今、レイモンド王子領の命運を握る戦いで、彼は一人だった。


(オレ一人で、ちゃんと出来るのだろうか……)


 つい、そんな風に考えてしまう。しかも、レムナ村を出発する前の夜に言葉を交わしたユーリーは、何か言い掛けて言えない、という様子だった。その事もまた気になるヨシンである。まるでそのヨシンの内心を見透かしたようにダレスが言う。


「大丈夫だ、仲間が付いている。ユーリーがいなくてもちゃんと出来る、精一杯活躍して、アイツを悔しがらせてやろう」


 ヨシンはその言葉にダレスの意図 ――自分を元気づけようとしている―― を察した。そして、そういう風・・・・・に見られていた自分を何となく恥ずかしく感じたヨシンは、ダレスの言葉に応じるように声を上げる。


「……そうだな! 大切な戦いに遅刻するようなヤツには、後で散々手柄話を聞かせてやろう!」

「そうだ!」


 決して大声では無かったが、ダレスの言葉にヨシンは力強く返していた。その様子を他の面々と見ていたロージは、そっと苦笑いを浮かべると、浮かしていた腰をもう一度落ち着けるのだ。


(俺が言わなくても、誰かが声を掛ける……仲間なんだな)


 細い三日月が空の高い所へ昇るまでのひと時、ディンスから遥か東の森の中には静かな夜の時間が流れていた。

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