Episode_15.28 襲撃の後


 ユーリーとブルガルトの戦いが始まる少し前、リムンの街から峠に通じる登り坂では、もう一つの闘いが繰り広げられていた。それは、王弟派第一騎士団分遣隊とリムン砦を守るシモン将軍率いる一個中隊、三個騎士隊の衝突であった。


 リムン砦を夜明けと共に出発した東方面軍の歩兵中隊と騎士隊は、彼等を率いるシモン将軍に従い、下り坂を一路リムンの街へ進む。この行動はシモン将軍の懸念に端を発したものだった。本来限られた者が知るリムンの抜け道が王弟派に見破られたかもしれない、という懸念を持ったシモンが後方の安全確認を行うためにみずから率いた部隊だったのだ。


 しかし、状況はリムンの街の危急を受けて急転する。


「将軍! 街が!」

狼狽うろたえるな! 中隊長、隊列を組ませ、前方への警戒厳とせよ、全員変わらず前進せよ!」


 リムンの街から吐き出される黒煙に狼狽ろうばいした声を上げたのは、シモンの元にいる若い騎士だった。兵士から叩き上げ、見習いを経て晴れて本当の騎士に成ることを認められた若者は、しかし、まだ戦場の非常に不慣れだった。


 一方のシモンは、その若い騎士を叱るように声を発すると前方を見据える。確かに朝の薄明かりの中でリムンの街は燃えていた。


「中隊長!」

「はい!」

「砦に伝令を送れ! あと一中隊増援要請だ!」

「分かりました!」


 シモンの命令を受けた中隊長は隊の伝令役にそれを伝えると、坂の上のリムン砦へ走らせる。一方、シモンはその時、リムンの街から砦に向って駆け上がってくる一団を視界に捉えていた。


「ほう……まさかと思ったが、王弟派の連中か……」


 シモン将軍は納得したように呟く。リムン砦は南を正面として作られた砦だ。天然の要害といえる地形も相まって、南からの攻撃には固い防御を持つ。しかし、その裏に当たる北側は全く無防備に造ってあるのだ。


 当然のことながら、万が一敵に落とされた時、これまでの鉄壁の守りが自分達に仇を成すようでは困る。そのため裏手に当たる北側には防御の要といえる城壁は一切無い。野獣や魔獣の類が迷いこまないように木の柵を張り巡らせているだけである。更には、砦に駐留する千を越える騎士や兵士達が寝起きをする建物は、全て脆弱な木造という念の入れようだった。


 そんなリムン砦の無防備な裏手を攻めるというのは、どんな作戦指揮官であっても「可能ならば是非やりたい」作戦に違いなかった。しかし、一つ忘れてはいけない事があった。それは、この砦を守るのが武勇の誉れ高い老騎士シモン将軍率いる二百の騎士と千の歩兵を備えた東方面軍であるという事だ。


「三個百人隊と……騎士が三十騎……丁度良い。迎え撃つぞ、陣形を魚鱗ぎょりんに整えよ!」

「応!」


 既にシモンと同じ光景を見ている兵達は、老騎士の号令に気合い高らかに応じると各自が小隊毎に密集した隊形を取る。シモン将軍お得意の魚鱗陣だ。


 地形は斜面。リムン砦の北側は、南側と比較すると斜度が緩い。それでも高低の差は坂上から進むシモン将軍達に有利となる。一方数の差は、敵側三百三十に対してシモン将軍率いる兵力は歩兵一個中隊百五十に、騎士隊三つで三十騎。敵に対して半数の勢力であった。少し前に応援を要請する伝令を出している。通常ならば応援の到着を待ち、数の不利を埋めた上で攻撃に取り掛かるのが常道だろう。しかし、シモン将軍の頭の中にその選択肢は無かった。


「一気に打ち破りリムンへ急行する! 弓兵の射撃を合図に騎士隊突撃、歩兵は遅れず付いて来い!」


 雷鳴のような号令が轟く。そして、高さの利を得た弓兵達が数十の矢を放つと、シモンの号令通りに三十騎の騎士は、まるで自分達も弓から放たれる矢・・・・・・・・であるかのように、斜面を一気に駆け下るのだった。


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 突撃を開始したシモン将軍率いる騎士三十騎に対して、王弟派分遣隊から、期せずして同数の騎士三十騎が駆け出してきた。そして両者は馬のいななきと共に斜面の中程で衝突する。


 低所の不利により、突撃の勢いは劣る王弟派の騎士達だが、そこは長い内戦を戦い抜いてきた猛者達だ、怯むことなく勇敢に立ち向かった。そして、槍を突き合わせ剣を打ち合う戦いが始まる。王弟派、王子派問わず、一人また一人と馬から叩き落とされ討ち取られていく。


 騎馬による突撃は、両勢がその場に留まる乱戦に移り変わる。その乱戦にいち早く突入したのは、シモン率いる百五十の歩兵達だった。彼等は長槍を振るい馬上の敵を打ち据え、鎧の足や草摺を掴んで馬から引き落とそうとする。その一方で、弓兵達は乱戦に加わらず、それを迂回して坂下の敵歩兵に対する牽制射撃に徹する。


 時間にして、ほんの十数分。短い戦闘は、最後の王弟派騎士が落馬し、その上に兵士達が殺到し討ち取ることで一応の終息を迎えていた。


 勝つには勝ったが、勿論シモンの配下の騎士にも被害が出た。甚大な被害だった。敵の騎士三十騎を倒すために、リムン砦側は騎士十五騎と兵士四十人以上が戦闘不能になっていたのだ。深手を負ったが未だ命を取り留めている者が多い。しかし、既に息絶えた者も多くいた。騎士に成りたてだった若者は、そんな中の一人だった。


 犠牲者を見るシモンは厳しい表情のまま奥歯を噛締める。長い武人の人生で、何度と無く噛締められた奥歯はもう擦り減っているはずだ。しかし、ここで立ち止まる訳にはいかないシモンは、健在な騎士や歩兵を率いると更に坂の下を目指す。


 対して、殆どが乱戦に突入できなかった敵の歩兵三百は、未だ数で勝る状況であるにもかかわらず、徐々に後退を始めていた。これが、戦場の流れであり、騎士の持つ威圧感というものだった。そしてシモン配下の残存騎士が突撃を再開すると、三百の兵達はまるで蜘蛛の子を散らしたように一斉に遁走し始めたのだ。


「追うぞ! 街の中にも敵兵がいるだろう、掃討せよ!」


 逃げる敵兵の背中に、シモン将軍の号令が追い立てるように響き渡った。


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 ダリア率いる「暁旅団」本隊は、木造の家はいうに及ばず、石造りであっても屋根が板葺いたぶきならば構う事無く火を放った。既に辺り一帯は黒く重い煙が立ち込めている。


「そろそろ頃合いか……煙にまかれて迷子になったなど、笑い話にもならないわ」


 リムンの街の入口に立つダリアは「焼き討ちせよ」という依頼内容に目一杯応えた状況に満足すると、誰ともなくそう独白する。そして、横でそれを聞いていた別の傭兵がそれに相槌を打つように言葉を掛けてきた。


「もう充分でしょう、退きますか?」

「そうしよう、合図を鳴らせ! ブルガルト達と合流する!」


 ダリアが応じると、合図の喇叭ラッパが吹き鳴らされる。直ぐに二百人の傭兵達は、ダリアの元へ引き上げてきた。各班とも特に負傷者はいないようだった。


「よし、一旦街を――」


 ダリアは、集まった傭兵達に後退を命じようとした。しかし、その言葉に被せるように、多くの男達 ――街の住民とは違う―― の声が近付いてきた。それは、リムン砦に向ったはずの分遣隊の兵士達だった。


「ダリア!」


 古参の傭兵が名を呼んだ。しかし、言いたい事はダリアには良く分かっている。此方へ向かってくる兵達は、明らかに遁走中、という様子だったからだ。


「ったく! 退くわよ!」

「退却だ! 急げ!」


 その号令に、暁旅団の傭兵達は整然とリムンの街を後にするのだった。


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 その日の早朝にリムンの街と砦を襲撃した王弟派のリムン攻略作戦は、目的を果たすこと無く中断となった。理由は幾つかあるが、一番大きな理由は、砦を南北で挟み撃つ作戦が連携を欠いていた事だろう。


 正面に対する攻勢は未明に一度行われたが、その時背後を突くべき分遣隊は未だ行軍途中であった。その後背後を突く分遣隊が行動を開始した時、正面を攻める部隊は一旦砦から離れていたのだ。そんな正面部隊が朝空に高く立ち昇る黒煙に気付き、攻撃を再開したころには、背後を急襲した分遣隊は敗走していた、と言う具合だ。


 更にそこからの立て直しも難しい事情があった。それは、ターポの街でリムン砦攻略作戦の結果を待っていたスメリノの元に「第一騎士団を率いて至急ディンスへ急行せよ」という命令が届いていたからだ。


 元々父親である王弟ライアードの承認無しに勝手に始めた作戦だったため、スメリノは黙ってこの転進命令に従うしかなかった。そのため、トリム砦の正面に留まっていた第一騎士団の部隊は翌日の昼には撤収を開始したのだ。


 一方、翻って王子領リムンの街の被害を見ると、それは軽微とは言えないものだった。

街の建物が殆ど燃え落ちたため、多くの人々は住む家を失っていた。しかし、建物の被害に比較すると人的被害は驚くほど少なかった。一部の元騎士の経歴を持つ老人達が抵抗したため殺されたが、救護院や礼拝堂に避難した住民達は全員が無事だったのだ。


 不幸中の幸い、と言うべき状況にアートン城に居残っていた元公爵、宰相マルコナはホッと胸を撫で下ろす。そして、アートンの街の衛兵達を大幅にリムンへ送り込むように命令を発していた。ディンス攻略戦の行方が確定しない今、後方の守りを全力で固める決意の現れであった。


 そんな宰相マルコナは、襲撃の二日後に手元に届いた被害報告書に目を通している。


 ――東方面軍死傷者、騎士十五名兵士四十名死亡、騎士五名、兵士四十名重傷。


 ――遊撃兵団三番隊死傷者、騎兵五名死亡、四名重傷、尚隊長は敵の捕虜となった模様。


 ――アートン衛兵団第五小隊死傷者、兵士十五名負傷。


「……数的被害をいうならば、軽微か……」


 そう呟くマルコナは、報告書の一文に注目すると目頭を押さえる。早馬を出すか、鳩を飛ばそうか、と一瞬考えたが、


(今は、大戦おおいくさの最中。レイも苦しいはずじゃ……急いで報せることはあるまい)


 そう胸中で呟くのだった。


Episode_15 聖女の恋(完)

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