Episode_15.23 ユーリーとヨシン


 その日の午後、レムナ村に滞在することになった遊撃兵団の面々は村から心尽くしのもてなし・・・・を受けていた。作戦内容は秘密にされているので、これから難しい任務に向おうとする精鋭兵達を歓待しようというよりも、色々話題となった遊撃兵団の面々を物珍しく近くで見よう、といった風な歓迎だった。それでも、しばらく温かい食事が食べられないかもしれない兵達は、そのもてなし・・・・を有り難く頂戴することにしたのだった。


 そして、呼称は違えども騎士と同等身分で扱われる騎兵達には、ちゃんとした屋根のある宿泊場所が割り当てられた。しかし、その宿泊場所 ――といっても村の食糧の備蓄倉庫だが―― を抜け出したユーリーは、夜の帳が降りた村を出ると、近くを流れる小川のほとりで適当な石に腰掛けていた。


 リン、リン、リン――


 鈴の音のような虫の鳴き声が満たす秋の夜、夜空には生憎と細い月しか出ていない。ユーリーは川辺の石に腰掛けたまま瞑目している。特に何か目的をもった外出では無い。ただ、明後日の早朝にある戦いと、その後・・・について考えたかったのだ。そんなユーリーはしばらく身動みじろぎせずに、同じ姿勢を取っていた。


パキッ


 そこへ、小枝が折れる音が響く。うるさいほど鳴っていた虫の音が途切れた。


「……ヨシン?」

「ああ、ユーリーここだったのか」


 もの心付いた時から一緒にいる幼馴染の親友。気配と足音の感じだけでそれと分かってしまう自分に苦笑いを浮かべながら、ユーリーは近づいて来るヨシンを迎え入れる。


「ほら……チョット位飲めよ……」


 ヨシンはユーリーの近くにあった別の石に腰掛けると、持っていた革の水袋を差し出す。その様子から、中身はワインか何かだろう、と察したユーリーはそれを受け取ると口を着ける。軽く含んだ口の中に、酸味と渋味、そして酒精のピリとした感覚が広がった。


「どうしんだ? 緊張してるのか?」

「いや……まぁ緊張はしてるけど……」


 ヨシンの言葉にユーリーは返事の語尾を濁す。


「オレ達、見事にアルヴァンアーヴの言い付けを破ってるよな……『極力どちらの陣営にも関与せず』云々うんぬんてやつ」

「そうだね。でも、後悔しない選択だったとは思う」

「そう言えばこの間アートンに帰った時は、色々あってレイに言いそびれた・・・・・・な」


 ヨシンがそう語るのは、二人がリムルベートに帰る事についてである。最初から二年限定の「東方見聞職」という身の上をレイモンドに明かしている二人は、今回の作戦が終わったら一旦遊撃兵団の仕事から距離を置こうと決めていたのだ。しかし、その事を伝える機会が無く、結局今に至るのである。


 しばらく、無言の時間が過ぎた。そしてふとヨシンが再び話し出す。


「こうしていると、状況は違うけど、決死隊の時を思い出すな」

「……ああ、小滝村の裏山を行軍したときだね」

「あの時は初めての大きな戦で、色々あったもんな」

「最後のオーガーには、本当に参ったよね」

「……でも、あの時の働きが認められて見習い騎士になった」

「うん……」

「それからも色々あったけど、来年春にリムルベートに戻るとオレ達も騎士なんだよな」


 元々「騎士に成りたい」と先に言い出したのはヨシンだった。しかし、今そう語るヨシンの言葉はそれほど高揚したものでは無かった。その雰囲気に引っ掛かり・・・・・を感じたユーリーは自然と言葉が口をついて出ていた。


「でもヨシンは、帰ったらマーシャも待ってるんだ。それにマルグス子爵家の人達もきっと待ってるだろう」


 親友の口から飛び出た婚約者マーシャの名前にヨシンは少し照れた風になると、お返しとばかりに言う。


「そう言うユーリーだって、案外帰ったらリリアちゃんが待ってるかもしれないぞ」


 そして、言ってから後悔していた。親友ユーリーに対して半ば禁句となっている少女の名前を口にしていたからだ。こうなると普段のユーリーは塞ぎ込むか機嫌が悪くなる。しかし、今日の反応はいつもと違ったものだった。


「リリアか……会いたいなぁ」

「リムルベートに帰ったら、きっと直ぐ会えるさ」


 普段と違う反応に驚きつつも、ヨシンはそう相槌を打つ。しかし、ユーリーは首を振ると、


「今会っても、もしからしたらリリアをガッカリさせるかもしれない」

「どう言う事?」

「リリアはきっと、なにか『やるべき事』を見つけて、それを優先したんだろう……でも俺は、やるべき事から遠ざかろうとしてるのかもしれない」


 ユーリーの言葉の前半はヨシンには理解不能だが、後半は何となく言いたいことが分かるのだ。それは、彼もまた同じような気持ちを抱えていたからかもしれない。


「……帰らないつもりか?」

「わからない……いや、アーヴを裏切ることは出来ない。だから帰るさ……でも」


 そこで言葉を区切るユーリーは、もう一度水袋のワインを口に含む。そして、心の中で言うのだった。


(でも、昔ほど熱心に騎士に成りたい訳じゃないんだ……)


 これまで多くの騎士を見てきたユーリーにとって、彼等の強さや高潔さは未だに憧れの対象である。しかし一方で、あるじに逆らえない弱さ、命令に縛られる哀しさ、自分の心を封じ込めなければやり切れない・・・・・・切なさ、といったごうのようなものも見て来たのだ。


 しかし「騎士に成りたい」とより純粋に願っているかもしれないヨシンに対して、ユーリーは自分の心中を素直に吐露することは出来なかった。だから、


「まぁ、ディンス攻略作戦に全力で挑もう。今の王子領の体勢ならば、余程の事が無い限り一度奪った街を奪い返される心配は無いはずだ」

「あ、ああ、そうだな!」


 と、ヨシンを煙に巻くように、曖昧に途切れた言葉尻をそのまま有耶無耶うやむやにしてしまうのだった。


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10月2日 未明


 リムン砦へ続く峠道の南側の麓から西に広がる森へ分け入ると、直ぐ近くを滔々とうとうと流れるのが南トバ河になる。そこから森の中の獣道を約一日分、南トバ河に沿って北上すると「リムン峠の抜け道」がある場所に出る。その場所は、東西両方からせり出した断崖絶壁 ――この断崖の東側の上が丁度峠道とリムン砦に当たる―― の岩肌を南トバ河が割るように流れている地形だ。切立った岩肌に急流の東西が挟まれているため、見た目にはここを通過して北へ進むことは不可能に見える。


 だが、河の水位が下がる晩秋から冬の間に掛けての短い期間だけ、急流が岩肌を削り取って造り上げられた天然の隧道トンネルひそやかに姿を現すのである。この事は元アートン公爵領の家臣でもごく限られた者しか知らない秘密だった。


 そして今、その秘密の抜け道を目指して南から北へ向けて森の中を進む大勢の兵士達の姿があった。夜明け前の暗い獣道を少ない松明の明かりを頼りに進む彼等は、ブルガルト率いる暁旅団の傭兵達だ。総勢二百五十人の傭兵達は、それなりに統率が取れた動きで力強く獣道を押し進んでいる。本来、急襲や潜行を得意とする暁旅団は、こういう道なき道・・・・を行軍する経験が豊富であった。しかし――


「まったく、また後ろの連中が遅れているの? 馬なんか連れて来るから!」


 暗い森の中に、女性にしては低く掠れたダリアの声が響く。明らかに苛立ったような声色だが、彼女の周囲の傭兵達も同じ気持ちのようだ。そんな彼女が言う「後ろの連中」とは、王弟派第一騎士団の分遣隊の事である。


 リムン砦の裏手に出て麓の街を急襲・焼き討ちする作戦は、今回急に立案実行されたリムン砦攻略作戦全体の結果を左右する重要なものである。そのため、傭兵風情にだけ・・任せておけない、ということになったのだ。結果として、攻撃の指揮を取る大隊長が同行を命じた正規兵分遣隊の数は三個百人隊三百人の兵士と三十騎の騎士達である。


 暁旅団としては、正規兵が同行することには異存は無かった。特に今回のようにリムン砦を直接攻める本隊の動きが見えない以上、撤退時期を判断するためにも、正規兵の同行は助かる、という事も出来る。しかし、その行軍の遅さにはブルガルト以下の暁旅団全員が閉口せざるを得なかった。足場の悪い場所を進む行軍なのに、第一騎士団の三十人の騎士達は馬を連れていくことを強硬に主張したからだった。因みにブルガルト達は、騎馬を麓の街に置いて来ている。


「……攻撃は夜陰に乗じて、という計画だったが、これでは無理だな。どう思うバロル?」

「地図通りだとしても、このままの行軍速度では早くてリムンの街に到着するのは夜明けごろになる……野営して一晩待つ方が――」


 隊列の中程、傭兵団の最後尾を進むブルガルトとバロルの会話だ。しかし、そこへ追いついて来た正規軍の分遣隊を率いる騎士隊長が言う。


「ならん、ならん。夜であろうと朝であろうと、不意を突く事には変わりあるまい」

「ならば、馬を置いて行くことは出来ないのか?」

「それもならん。馬無くして何が騎士か! リムンの王子派に笑われてしまう!」


 という事だった。その後しばらく、口論とまではいかないが、ブルガルトとその隊長のやり取りが続いた。そして結局、


「このまま進むぞ。攻撃開始は成り行きで構わんそうだ」


 とブルガルトが投げやりな風に言う結果になったのだ。


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 分遣隊の騎士隊長は、作戦開始を遅らせることを嫌いこのまま進軍することを主張したが、これは期せずして正しい判断となっていた。と言うのも、本来未明に掛けて行われるはず・・・・・・のリムンの街急襲に合せて、王弟派第一騎士団の本隊がリムン砦に攻撃を開始していたからである。


 総勢二千近い大軍であるが、背後を急襲されて浮足立つ砦に攻めかかる算段であるため、その事が起こるまでは、本格的な攻勢は避け、散漫な攻撃に終始していた。


 一方、襲撃を受けたリムン砦側は、ディンス攻略作戦で手薄となった領内への敵の侵入を何としても阻止するため、東方面軍シモン将軍の厳命により、ここ一週間は常に警戒態勢を取っていた。そんな警戒態勢の最中に敵が姿を現したため、シモン将軍は


「やはり来よったか! 何としても砦を死守するのだ!」


 と気合いみなぎる号令を発していた。しかし、夜明けまで四時間ほど時間を残した未明に開始された攻撃は、迎え撃つシモン将軍をして、


「なんじゃ、この腑抜ふぬけた攻勢は?」


 と言わしめるものだったのだ。


 これまでもリムン砦は前線であった。そのため、長い内戦の中では度々攻撃に曝されることはあった。しかし、ここ十年程は年に一度から二度ほど、千に満たない敵が姿を現しては、形ばかりの攻撃をして去って行くことが続いていたのだ。そして、そんな気の入っていない攻撃をリムン砦の王子派軍側は「ご機嫌伺い」と称していた。


「まさか、態々わざわざ真夜中に押し掛けて『ご機嫌伺い』でもあるまい……敵の数は読めるか?」

「はい! 夜明けも近くなりましたのでようやく・・・・ですが、およそ二千の軍勢のようです」

「うむ……」


 シモン将軍の問いに、側に控えていた中年騎士が答える。その騎士の告げる二千という敵勢力の規模もまた、攻撃の不自然さと相まってシモン将軍を考え込ませるのだ。


(いつも通りのご機嫌伺いならば、数が多過ぎる。丁度、西ではディンス攻略が始まった頃、ディンスへの兵力集中を阻止するための牽制攻撃だと考えるのが妥当か……しかし、二千の兵であっても、リムン砦は落とせるものでは無いことは、王弟派あちらも承知のはず……一体何が狙いなんだ?)


 歴戦の老騎士でもあるシモン将軍は、直感的に王弟派軍の行動が何かしらの狙いを持ったものだと判断していた。しかし、一方で敵の真意を測り兼ねた彼は色々と考えを巡らす。そして、ふと或ることに行きあたった。


(まさか、抜け道が敵に知られたか……いや、あり得んと思うが念のため・・・・だな)


 そんな最悪の事態を想定したシモン将軍は、周りの騎士達に声を掛ける。


「夜明けと共に、一個中隊と三個騎士隊をリムンの街へ下げる用意をしろ。選抜は任せる。あと、私も同行するぞ」

「はぁ、リムンの街へおりるのですか?」

「まさか……また・・勝手に離脱してディンスへ向かうおつもりでは?」


 しかし、配下の騎士達はそもそも抜け道の存在を知らない者ばかりなので、シモンの命令を理解できない風になる。中には、前回のエトシア砦攻防戦でシモン将軍が取った行動 ――持ち場を離れてエトシア砦に急行した―― を引き合いに出す者までいた。


「馬鹿もん! 二度も勝手をするわけがあるか! 背後を突かれると困るであろう、気になるのでリムンを見てくるだけだ。だから昼前には戻る!」


 そんな騎士達をどやし・・・付けるシモン将軍は、そのまま砦の居館を出ると、敵に相対する城壁の上を視察するのだった。まだ夜明けまで一時間ほど時間があるようだった。

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