Episode_15.22 ディンス攻略戦線
九月の中頃、丁度ユーリー達がアートン城で短い休暇を過ごしていたころ、西方面軍マルフル将軍には「ディンス攻略作戦」の端緒を開くように命令が下っていた。命令を受けたマルフル将軍率いる西方面軍は、前線基地を兼ねたストラから騎士隊と歩兵部隊を繰り出すと、王弟派が支配するディンス外縁に位置する農村地帯を次々と支配下に収めて行った。
時期的には八月末から九月頭に掛けて収穫された小麦類が乾燥脱穀を終える時期。つまり収穫物を税としてディンスに納める一歩手前の絶妙な時期であった。しかも、ディンス周辺の農村は、総じてレイモンド王子率いる王子派に好意的な雰囲気に支配されている。元々この地域は、西方辺境伯で
更に、昨年コルサス王国全体を襲った不作の波の中に在って、エトシア砦からストラ周辺に繋がる農村地帯へ故意に食糧となる雑穀類を流通させるという、宰相マルコナ一存の策が陰ながら奏功しているのだった。
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「順調のようだが、念のため状況を話してくれ」
「はっ……ディンス支配下の農村の内――」
ストラに造られた西方面軍の幕屋は、文字通り木の支柱に丈夫な布を張っただけのものである。それを街の南側に配したマルフル将軍は二十歳そこそこの若々しい声で副官オシアに命じる。対するオシアは矢継早に近郊農村の状況を伝えるのだ。
「なるほど、ちょうど外周二十キロを境にして、ディンスは防御の兵を出さないのだな……」
「そのようでございますね……」
オシアの報告を聞いたマルフルは、側に控えるオシアを含めた騎士達と共に卓上の地図を覗き込む。ディンスの街に立て籠もり防御を固める第二騎士団の動きは明白だった。オシアの報告を受けてマルフルが言ったように、ディンスから周囲二十キロ以内の農村は防御するが、それより遠くにある村々には関知しない姿勢を貫いていたのだ。
「ならば、この村とこの村……それにこちらの村も収穫の大きい村だったな……これらの村に間者を忍ばせよ」
マルフルの命令は簡潔で、先に決まった作戦の大綱をなぞるものだ。特に小細工をすることも、不平を言う事も無い。それだけオシア以下配下の騎士達は
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アーシラ歴496年10月1日 未明
ディンス攻略作戦が第二段階へ移行してから二週間、月が替わり十月となったこの日の夜明け前、アートンの南東、リムン峠の直ぐ北にある訓練地では、遊撃兵団の渡河侵攻部隊が訓練の総仕上げに掛かっていた。
彼等が分乗する筏は基本的に訓練開始時から変更は無いが、今は兵士や騎兵達の防具類をまとめた大箱が筏に備えられている。設置式の矢盾を前面と側面に配し、十数人分の装備を収めた大箱を中央に配した筏は、重心が高く
夜明け前の闇に紛れるように、無言の兵士を乗せた筏が流れに任せて上流から姿を現した。それらは上陸地点を想定した河原へ向かうように、河底を竿替わりの槍で突くと、器用に向きを変える。そして、合計四十の筏は綺麗に一列になって、音も無く河原に張り付くように接岸を果たしていた。訓練を開始した夏ごろに比べると、水位が下がったトバ河の河原は格段に広くなっている。そんな広い河原に上陸した兵士達は迅速に次の作業に取り掛かるのだ。
明け方前の暗い時間に作戦を決行するのは、敵からの発見を遅らせることを意図したものだ。しかし、その一方で上陸後の作業はそれなりに難しくなる。松明を煌々と焚いて灯りを得る訳にはいかないので、精々が各筏に取り付けた一本の松明の明かりの下で全ての作業をしなければいけない。
しかし、その難しさを訓練で克服した兵士達は、極力物音を立てずに作業に取り掛かる。先ずは矢盾を取り外し、前方に並べて設置する。そして、各自の装備品を入れた大箱も同じく筏から取り外すと矢盾の影に設置する。ここで、十五人の内十人が先に防具の装備に取り掛かる。残り五人は筏の解体だ。そして、先の十人が装備を完了すると、交代しつつ解体した筏を利用した簡易陣地の設営に取り掛かるのだ。
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この明け方の最終訓練で、遊撃兵団の兵士と騎兵達は夜明け前には見事に三つの簡易陣地を組み立てることが出来ていた。自らも訓練に加わっていた遊撃兵団長ロージは、上々の仕上がりに満足しつつ、今日明日にでも届くはずの出撃命令を待つのだった。
そして、ロージの考えを見透かしたように、この日の午前の内にアートン城から命令を伝える伝令兵がやって来たのだ。
「西方面軍および、中央軍本隊、民兵団は予定通りディンスの北五キロの地点に進出を終えました。予定通りならば、既に一昨日からディンスの北側を包囲し、外壁に攻撃を開始しているはずです」
そう伝えた伝令兵は、持っていた命令書をロージに差し出す。木製の筒に納められた命令書は二通。一つは羊皮紙に清書され、宰相マルコナの署名があるもの。もう一つは小さな紙片に書かれた文字だ。紙片に書かれた方は、見間違う事の無いレイモンド王子の筆跡だった。書かれた日付は昨日になっている。前線に当たるストラへ進出しているレイモンド王子が鳩を使いアートン城に届けたものだろう。そして、それを読みやすいように宰相マルコナが清書したと言う訳だ。しかも、本物の命令書を同封する辺りは、命令の真贋を気にする事が無いように、というマルコナの気遣いなのだろう。
――ディンス側は予想通り籠城の構え。時期的に輸送船が港に入るのは、明後日以降となる見込み。三日後の十月四日早朝、ディンス後方へ上陸せよ――
簡潔な命令文だったが、事前の打ち合わせは綿密且つ充分に行われている。余計な文言が無い分、それら一連の作戦が順調であることを知るロージであった。そして、彼は、部隊長達を集合させる。
ロージが発した集合の号令によって、新式
「作戦開始の命令が下った。これからレムナ村へ移動する。作戦開始は明日の夜明けと同時。訓練地の撤収はアートンの衛兵団が行う事になっている。歩兵小隊は筏を組んでレムナ村まで河を南下しろ。装備を忘れるなよ」
その言葉にアデールを含めた歩兵小隊長達が頷く。一方ユーリー達騎兵隊には、
「騎兵隊は馬を連れてレムナ村へ移動。馬はストラへ送ることになる。暫くお別れだからちゃんとブラシをかけてやるように」
と言うのだった。
そして、遊撃兵団の歩兵と騎兵達は夫々準備を整えると午前の早い時間に訓練地を出発する。これから待っている行程は決して楽なものでは無いが、全体としても個人としても出来るだけの訓練準備を行った上での作戦決行である。しかも、任務はディンス攻略の成否を左右する重要なものだ。
準備が整った筏に歩兵小隊の兵士達が乗り込む。各自が自信を漲らせ不安を押し殺す様子である。すると、そんな兵達の中から、誰ともなく声が上がった。その声は、まるで三か月以上滞在した訓練地に別れを告げるようでもあり、これからの戦いに向けて自分達を鼓舞するようでもあった。そんな声は直ぐに兵達の間に伝播すると気合いの籠った雄叫びになる。その雄叫びはしばらくトバ河の河原に響いていたのだった。
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