Episode_15.20 聖女の祝福
騎士アーヴィルの懺悔の告白を聞いてから二日後、期日通り休暇を終えたユーリーはリシアを伴って、同じ休暇組の兵や騎兵達と共にアートンを後にしていた。ユーリー以外の面々はアートン近郊のレムナ村付近でトバ河を渡った後は、河沿いに東の森林地帯にある訓練地へ向かう。一方、ユーリーはリシアを伴ってそのまま街道を南下するとリムン峠の登り口に位置するリムンの街へ向かう事になっていた。勿論リシアをリムンに在る救護院に送り届けるためだ。因みに他のパスティナ救民使白鷹団の面々は既にリムンに到着しているはずである。
街道を
「結局レイはリムンの街には来られないんだね」
「そうね……忙しいから、仕方ないわ」
「でもディンスの戦いが終わったらまた会える」
「……」
「大丈夫だよ。俺もヨシンも行くし、アーヴィルさんも付いている」
「……そうね」
リシアの声が沈んでいるのは、やはりディンス攻略という
「ねぇリシア」
「なに?」
「レイのどんなところが好きなの?」
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既にヨシン達と別れ、街道を南へ進むユーリーは、何気ない風を装ってリシアにそう声を掛けた。
先日の晩餐後、それほど時間があった訳ではないが、レイモンド王子は忙しい執務の合間を縫って何度かリシアを訪ねていたようだった。その事が、四六時中一緒にいる訳では無いユーリーの耳にも入るという事は、つまりアートン城の上から下まで全員がレイモンド王子の恋に注目していることの証明である。そんな様子であるから、ユーリーも自然とその事が気になっていたのだ。
そんなユーリーの頭の中には、アートン城を出発する際のレイモンドとリシアの、少し形容しがたい別れの光景が絵画のように焼き付いていた。抱き締め合って口付けでも交わせば、恋人同士の
「パスティナ神の御加護がレイ様と共に、きっと御無事で……」
と細い声で言ったリシアは不意にレイモンドの後ろ頭に手を回すと、抱き寄せるようにして額に口付けをしたのだ。額への口付けは、西方辺境地域の文化風習では、一般的に親や兄姉など自分よりも上の立場の者が、目下に対して行う行為だ。その
そして、その光景を見ていた者達は、身分の上下を逆にしたような行為に
「王子にパスティナの聖女の祝福があった」
と言い合っていたのだ。
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「好きな所……聞いてどうするの?」
ユーリーの問いにリシアは前を向いたまま答える。しかし、ユーリーの目には耳を赤くした様子がしっかりと見えていた。その様子にユーリーの訊き方は期せずして意地悪いものになっていた。
「だって、レイって真面目過ぎるんじゃない?」
「そう? 真面目、というよりも、自分を押え付けてる、って感じるわ」
「え? どう言う事?」
「良く知らないけど、生まれた時から、役目を押し付けられているんでしょ。そして、押し付けられた役目、それを自分がやるべきことだと、そう信じ込もうとしている……レイ様は窮屈そうよ」
リシアの語る言葉はユーリーにも心当たりがあった。出会った頃、ヤクザ者(今や第一小隊の中核であるアデール班だが)を自らが庇護するべき民と認め、抵抗しなかった姿。そして、燃え上がるトトマに単身飛び込もうとした姿。それらは、
一方、ユーリーの感慨は別にしてリシアの言葉は続く。その言葉はたどたどしくも、相手の真相・ありのままを見通す眼によって得られた感想だった。
「この国の人のため。身近にいる人も、会った事の無い人も、みんなが同じように幸せで平穏に……なんて言ったらいいのかしら?」
見て取ったことに対して、それを表現する語彙が追いつかないリシアは問い掛けるようにユーリーを見上げた。しかし、ユーリーも、リシアがそう評するレイモンドの内心を上手く言い表す言葉を知らなかった。だから、
「レイは心が大きいんだな、凄いヤツなんだよ。この国の王様として皆を導くことが自分の役目だと知っているんだ」
そう答えていた。しかし、リシアは少し考える風になってからゆっくり首を振る。
「……でも悩んでるわ。 みんなに幸せになって欲しいと願いながら、戦いを止められないって……」
「そう、なんだ……」
リシアとレイモンドの間に、この二日間ほどの短い時間でどんな会話があったか、ユーリーは全く知らない。しかし、レイモンドは誰にも聞かせた事の無い心中をリシアに打ち明ける気持ちになったようだ。そう考えつつ、ユーリーは何気ない感じで訊いていた。レイモンドの悩みにリシアがどう答えたか? なんとなく興味があったのだ。
「それで、リシアはレイに何て言ったの?」
「私……国の事とか分からないし、戦争は嫌いだし……だから」
「だから?」
「レイ様さえ無事なら良い、って言ったわ」
「そしたら?」
「この戦いが終わったら……その……」
「なに?」
「結婚して欲しい、って言われた」
「へぇ……えっ?」
思いもかけない話に、思わずユーリーは軽く持っていた手綱を引っ張ってしまう。しかし、不意に引かれた手綱に黒毛の軍馬は挙動を乱すことなく一度だけ鬱陶しそうに
「そ、そ、それで……リシアは?」
驚きが冷めないユーリーの問いに、鞍の前に横座りになったリシアは傍目にも分かるほど頬を赤らめると、俯き加減に一言。
「……だから、出発前に
という事だった。
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ユーリーが、双子の姉であるリシアとレイモンド王子の二人の仲の急激な進展に驚きつつ、彼女をリムン峠の街まで送り届けたころ、峠を下った先にある王弟派の街ターポでは第一騎士団の出陣が
トリムから撤退してきた騎士と兵士に、ターポに駐留していた部隊を合わせた第一騎士団「王の鎧」の総数は、騎士四百に兵士二千二百。先のトリムにおける民衆派と解放戦線の暴動で受けた損害は回復していないが、ターポに駐留するスメリノはこの人員で事を起こそうとしていた。
本来の第一騎士団には、残り三千人の騎士と兵士がいるが、それらは通常王都コルベートの防衛を担当している。先のトリムでの失態を取り戻そうとするスメリノは、大袈裟に王都防衛の人員配置を動かす事無く、ターポ駐留部隊から騎士三百と兵士千七百を抽出し、北のリムン砦へ差し向けることにしていた。そのため、百人単位で小分けにされた兵達は、夜陰に紛れて少しずつターポの街を出発すると、リムン峠の南側の麓にある街で集合することになっている。
リムン砦は、ターポからアートンへ続く街道の途中、丁度ターポから三日の距離に位置している。海沿いのターポから内陸のアートンへ続く街道は終始登り坂であるが、リムン砦の辺りは特に急峻な峠道の頂点である。内戦が起こる前は、北回り街道随一の難所とされた場所だ。
元々は、山道を越える旅人や隊商達の休憩地として作られたリムンの街の南側、丁度峠道の頂点に造られたリムン砦はコルサス王国でも随一の呼び声高い天然の要害となっている。砦の東側は壁のように迫る急峻な山肌であり、逆の西側は南トバ河の流れが大地を割ったような断崖になっている。そう言う地形だから、他に迂回する経路はなく、南北の行き来は必ずリムン砦を通る必要があるのだ。
――寡兵を以って万軍を堰き止める――
と評されるその砦は、狭い峠道の頂きを塞ぐように重厚な城壁を配し、強固な城門を備えている。そのため、たとえ大軍で押し掛けたとしても、急な山道は大型攻城兵器の接近を拒み、強固な城壁と城門が兵の行く手を遮る。そして、城壁や東の山肌に設けられた物見塔から良いように弓矢で狙い撃たれてしまうのだ。
このように、永く「難攻不落」と思われていたリムン砦であるが、
その報せを受けたスメリノは、早速冒険者を手配すると、実際に抜け道があるかどうかを探索させた。そして、その冒険者達が抜け道の存在を報告したのが十日前の事だった。
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