Episode_15.19 亡国の血脈


 ささやかな夕食会は楽しい時間として続いている。


「じゃぁ、リシアはリムンの街の救護院に行くのか?」

「はい」

「なんでアートンじゃないんだ、イナシア?」

「それは仕方ないでしょ、ジョアナさんが体調を崩しちゃったから」

「そうか……ジョアナ殿は大丈夫なのか?」

「大丈夫、ちょっと疲れた、それだけだから」

「そ、そうか……」


 レイモンドが少し不満そうにしているのは、リシアが数日後からリムンの田舎町にある救護院へ向かうと知ったからだ。イナシアと白鷹団で話をして決めた話だった。


 そして、イナシアの言葉にあるように、救民使としての活動をしばらく休む決意をしたジョアナは長年の疲労が出たのか、レイモンドとの面談後に体調不良を訴えていた。今は城内の宿舎で休養を取っているということだ。そのため、ダーリアへは中年男性信者とエーヴィーが、そしてアートンにはジョアナと他数名が残り、リシアは残りの人々とリムンへ向かうことになったのだ。


「別に何処か遠くへ行くわけじゃない、リムンなんてアートンから一日馬を飛ばせば直ぐじゃないか」


 そう言うヨシン。ヨシンの言う「一日馬を飛ばす」とは、馬を潰すつもりで駆けさせる前提の話だ。だから、アートンとリムンの距離は行程一日半と考えるのが一般的だった。しかし、そんなヨシンの言葉に対して、


「そうだな、では近々救護院の視察を兼ねてリムンへ……」

 

 そう言い掛けて、流石に公私混同が過ぎると感じたのかレイモンドは口をつぐむ。


「いいじゃない、近い内にストラへ行くのでしょう、他の街の救護院は通り道だけど、リムンは別方向だから、先に済ませても誰も文句は言わないわよ」


 というイナシアが考えた口実だ。レイモンドは殆ど意識せずに「そうだな」と嬉しそうに応じてしまい、一同の笑を誘っていた。そんな笑が治まったところで、ユーリーはふと気になったことを口に出していた。


「そう言えば、アーヴィルさんは何か用事なの? しばらく見てない気がするけど」


 ユーリーが発した言葉は、レイモンドとイナシアの両方に向けられたものだった。その問いにレイモンドは、


「ああ……風邪でもひいたのかな……」


 と答えるが、実際のところ彼にはアーヴィルがどうしたのか良く分からなかった。ジェロ達飛竜の尻尾がリシアを始めとした白鷹団を城に連れて来た時に、レイモンドの執務室を出て行ったきり、数日間アーヴィルは姿を見せていない。他の騎士が相手ならば職務怠慢を責めるところだが、アーヴィルが持つユーリーに関する秘密を聞かされていたレイモンドは、彼の心中をおもんばかってもうしばらく黙認を保つつもりだった。


 一方、イナシアの内心は少し違っていた。あの晩餐の夜にアーヴィルと城壁の上で交わした会話を少し悔いていたイナシアだった。部外者にも係わらず、少し踏み込んだ言葉は思慮の足りない物だったかもしれない、と後悔していた。


 しかし、そんな事を知らないユーリーとヨシンは屈託くったくが無かった。


「ああ、折角休み中に今度こそは一本取ろうと思ってたのにな」

「次の機会にお預けだね」


 その後は、訓練地に戻るユーリーとヨシンらの部隊で、リシアをリムンまで送り届けることになり、リムンの田舎っぷりや、老騎士シモンの逸話を交えながらしばらく歓談が続く。そして、そろそろお開きという時刻になって、不意に玄関先で物音が聞こえた。短く交わされる話声も聞こえる。そして直ぐに、レイモンド王子ら五人が食事をしていた居間に一人の男 ――騎士アーヴィル―― が姿を現したのだ。


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 恐らく数日身形みなりを整えることが無かったのだろう、白い物が混じった無精ひげを生やしたアーヴィルは、少し落ち窪んだ眼に怖いほどの光を湛えている。普段の様子ではない、そんな騎士の登場に、リシアは反射的にユーリーの服の袖を掴んでいた。一方レイモンドは、充分驚いた様子で、自身の養育係を務めた騎士に問いかける。


「ど、どうしたんだ?」

「レイモンド様……」


 居間でテーブルに着く面々を見回したアーヴィルは、少しの逡巡しゅんじゅんを……いや、逡巡と言うには余りにも辛そうな表情を浮かべた後、不意にその場でひざまずいた。絨毯に覆われた石床がゴンと音を上げる。


「どうしたんだ、さっきから! 止めないか、これでは皆が怖がる」


 要領を得ないアーヴィルの様子にレイモンドは、怯えたような表情を浮かべるリシアを気遣って少し苛立った声を上げる。しかし、イナシアの声が割って入った。


「レイ、許してあげて……アーヴィルの……アーヴィルがしたいようにさせてあげて」

「……どういうことだ?」


 レイモンドとイナシアの会話を脇に、アーヴィルの黒み掛かった瞳はユーリーとリシアを見ていた。鋭い眼光だが、殺気を向けられている訳では無い、そうユーリーには分かる。そんなユーリーは自分の袖を掴むリシアの手にもう片方の掌を被せると「大丈夫」というように撫でながら、アーヴィルの瞳を正面から見つめ返す。


「アーヴィルさん……もしかして、僕達に何か?」


 ユーリーの声にアーヴィルは頷くと、両手を膝に落とす。五指に足りない片手の指が痛々しい。


「ユーリー……いや、ユリーシス様。そしてリスティアナ様……」


 ひざまづき名を呼ぶ、その光景にレイモンドは嘗て八月の演習事件の場に赴く前夜、トトマの街でアーヴィルから聞かされた話を思い出していた。


 ――レイモンド様。このことは時が来たら、私の口から告げます。情けないとお思いかもしれないが、今の私には決心がつきません。そして、今の私は貴方様の家来……そのようにする・・・・・・・事をお許し頂きたく――


 それは、彼とユーリーの関係についてだった。しかし、その時のアーヴィルはリシアの存在を語っていなかった。その事にレイモンドは思う、アーヴィルほどの男が語り切らなかった「何か」があるという事を。


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「お二人とも、お健やかにご成長され。このアーヴィル・ウッド、恐悦の念に堪えません」

「ちょ、ちょっと、アーヴィルさん。冗談にしては、やり過ぎで……」

「いえ、冗談は申しませぬ。ユリーシス様には確かに我が尊王マーティス陛下の面影が、そして、リスティアナ様にはお母君エルアナ様のお優しい面影が色濃く……」


 そうやって始まったアーヴィルの言葉を聞くユーリーは、無意識にリシアの手に載せた自分の掌に力を籠める。一方、ユーリーの袖を掴んでいたリシアの手は、その下にある細くも逞しいユーリーの腕を握るように掴んでいた。


「アーヴィルさん、貴方は一体?」

「私は、天山山脈を隔てた北の地、リーザリオンの騎士。二十年前の冬、国王マーティス陛下によって示された賢者メオン・・・・・の住む村へ、幼いユリーシス様をお連れしたのは私でございます」


 その言葉に少なからず衝撃を受けたユーリーだった。しかし、アーヴィルの言葉は更に続く。彼は、膝の上で握り締めていた両手を床に着けると、殆ど頭を垂れる状態で言う。


「リスティアナ様……本来ならばユリーシス様を賢者メオンの下へお連れした後、貴女をドルドの国の女王レオノール・・・・・・・の元へお連れするのが私達・・の使命でございました――」


 そこから語られるアーヴィルの話は、数日前に城壁の上でイナシアに語ったことを寸分違わぬ話だった。その上、ユーリーを樫の木村に預けてから五年の間、せめて遺骸だけでも、と天山山脈の麓から北部森林地帯を歩き回り、トトマ北の森で当時のアートン公爵マルコナの軍に不審者として捕えられるまでの話であった。


 一方、レイモンドがアーヴィルから教えられた話は、ユーリーに関するごく一部のものであった、そのため、壮絶な出来事を語るアーヴィルの言葉にレイモンドも絶句していた。しかし、尚アーヴィルの言葉は続く。


「リスティアナ様、あの時、もしも私が正しく手を差し出していれば、貴女様のその後の苦難は無かったはずです……」


 黒曜石の瞳で憐れな騎士を見詰めるリシア。対するアーヴィルはその視線を避けるように床を見詰めながら言う。


ゆるされるはずの無い罪を犯してしまいました……どうか、私に罪に見合った罰をお与えください!」

「アーヴィル! それは……」


 罰を乞うアーヴィルの言葉に異論を上げたのはレイモンドだ。「それは違う!」と言い掛けた彼だが、その袖をイナシアが強く引く。そして、驚いて振り向くレイモンドに首を振って見せていた。


「罪……なにが罪なの? ユーリー、わかる?」

「……リシアを助けるべきところで、その女騎士へ手を差し伸べた……アーヴィルさんはそれを罪だと言っているんだ……」

「ユーリー、そんなのは、罪ではないわ。自然な事よ」

「そうだね、俺もそう思う。でも……それじゃ騎士であるアーヴィルさんは納得できないんだよ」


 リシアの戸惑った声にユーリーが応じる。ユーリーにはアーヴィルの心が分かる気がした。ユーリー自身もこれまで多くの騎士を見てきた。騎士たる彼等は王命・主命を果たすために、時に全てを投げ打って無私の心でそれに当たる。そして、そうするが故に周囲から敬意と畏怖の念を集める。それが騎士という存在だ。


 数年前のユーリーならば、その強さに憧れを抱き、強い意志に尊崇の念を向けただろう。しかし、今の彼からすれば、不自然なほど意志を強く、決意を硬くし、時としてその頑なさで己と周囲を縛り付ける騎士という存在の憐れさ・・・とも浅ましさ・・・とも付かない哀しさかなしさを感じずにはいられなかった。そんなユーリーは呪縛ギアスに掛けられたように身動きが取れない騎士の心を解き放つ方法を考える。そして、


「リシア、小さい頃に辛い目に遭ったのはこの前聞いたけど、今の正直な気持ちとして、その事でアーヴィルさんに文句を言いたい? 責めたい?」


 ユーリーの言葉にリシアはブンブンと頭を振って否定する。そして、


「色々あったけど、ジョアナ達と一緒に、いられたし、ユーリーとも、再会出来たわ。それに……」

「それに?」

「レ、レイモンド様とも、知り合えたから……」


 そう言うリシアは耳まで赤く染めながらレイモンドを見る。ユーリーの心を察してのリシアの言葉だった。そして、同じくその意図を察したレイモンドは、決して動じる事無く自分に向けられたリシアの視線を受け止めた。


「アーヴィル、私もそう思う。ユーリーやリシアと出会えたこの運命は数奇だが、アーヴィルがいたからこそ、今この場に私達が集まっているのだと思える……そうだよな、ユーリー」


 レイモンドはリシアと見詰め合っていた視線を外すとユーリーに語り掛ける。


「王の血筋として、アーヴィルの任務を解き、心を解くのはお前の役目じゃないか?」

「え? そ、そうなのか……でも……そうだな、わかった」


 レイモンド王子が言う、王の血筋、という言葉に納得した訳では無いし、そもそも理解が追いつかない。しかし、目の前で跪き首を垂れる騎士を早く楽にしてやりたい、という気持ちは強かった。だから、


「騎士アーヴィル、我が祖父マーティスが下した任は見事に果たされた……この上、貴方を縛る命令は何も無い……自由になってください」


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 その場で泣き崩れたアーヴィルをそっと抱き止めたのはイナシアだった。そして残りの者達は威厳ある騎士の慟哭を聞くべきではないと、別館の居間を後にした。ユーリーとリシアの出生の秘密は、いずれ日を改めてアーヴィルから語られるだろう。


 別館を出た彼等、レイモンド自らリシアを宿舎まで送り、ユーリーとヨシンは二人連れで城に準備された部屋へ戻る。帰り道のユーリーは無言だった。彼にしてみても、自身の出生に関する話は衝撃だったのだろう。そう思うからこそ、その後ろ姿を見るヨシンは親友に声を掛けない。ただ、ヨシンは昔マーシャが言った言葉を思い出していた。そして、


(普通じゃないとは思ってたけど……まさか王子様だったとはな……)


 と嘆息していた。しかし、不思議と驚くことは無かった。何故かしっくり・・・・くると感じるのだから、しょうがなかった。

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