Episode_15.18 アートン城の日常 お食事会


 極めて粗末な毛皮と動物の皮を継ぎ合わせた服装は何処から見ても狩人。リムン近辺の渓谷を沢伝いに進むその姿には全く不審な点が無い。強いて言うならば四人の狩人が固まって行動することが珍しいといえる。しかしそれすらも、冬眠前の大型の獣を狙っているならば、そこまで不自然でもない。


 そんな狩人達が進むのは南トバ河が作り出す渓谷の底。地元の狩人や木こりでなければ知り得ない隠された道だ。河の上に覆いかぶさるようにせり出す岩棚の下、水位が高い春先から夏は完全に水底に沈んでしまう河岸はさながら天然の隧道トンネルだ。水位が下がったとはいえくるぶしを隠す程の流れがあった。


 岩棚が途切れる場所に出た四人の狩人は何故か手に持った手書きの地図と周囲の地形を照らし合わせると満足気に頷き合っていた。


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 数日後の昼、休暇も残り二日となったユーリーは久し振りにヨシンとの稽古で汗を流していた。つい先日合流したばかりのダレスは、彼等二人に付き合わさせられ、練兵場の端に出来た城壁が作り出す日陰で伸びていた・・・・・。周囲には休暇を返上して練兵場に出向いて来た騎兵達の姿も見られたが、騎兵の中でも強い部類に入るダレスをあっさり・・・・したヨシンと、そのヨシンに対して対等に渡り合うユーリーには、このんで挑みかかる相手はいなかった。そんな中、幼馴染の二人ユーリーとヨシンは何事か会話を交わしている。


「そう言えば『折れ丸』はどうしたの?」

「ああ、アートンの街に腕の良い武器鍛冶がいるって聞いたから、修理に出してるんだ」

「そうか、結構痛んでいたものね」

「まぁな……ユーリーの剣蒼牙が羨ましいよ。全く刃毀はこぼれしない上に……最初に見た時よりも刀身の輝きが増している」

「そう? 気味悪く無いか?」


 そんな他愛のない会話だ。そんな会話の一端で、ヨシンは妙に緊張する自分を押え付けると、レイモンドとの約束を果たしにかかろうとする。しかし、


「ねぇヨシン」

「え、な、なんだ?」

「例えばレイと話をしたい時、夕食時に尋ねても良いと思う?」


 ユーリーの言葉は、実は近衛兵団長アーヴィルの姿が見えないことに起因した質問だった。レイモンド王子と近しい付き合いをするユーリーとヨシンは、自分達の方から用事がある時はアーヴィル経由でレイモンドとの面談を申し入れていたのだ。しかし、ここ数日城内でアーヴィルの姿を見かけた者はいなかった。ユーリーはリシアの事で、弟として、何事かレイモンドと話をしたいと思っていたのだが、その機会が掴めずにいたのだ。


「あー、それなら問題ないと思うぞ」

「どういうこと?」

「実は……」


 二人は言葉を交わしながら城壁が造り出す日陰へ向けて歩く。そして、石造りのベンチに腰掛けたところでユーリーが大きな声を上げていた。


「ちょっと待ってよ、それってどういう……?」

「どう言うも、こう言うも無いよ。そう言う事だろ」

「うーん……ちょっとヨシン」


 ヨシンからあらまし・・・・を聞いたユーリーは、少し考えるとヨシンを見る。かなり真剣……いや、豪胆なヨシンが見ても少し怖いと思うほどの眼差しだった。


「ヨシンとしてどう思うか、レイは本気なのか? あり得ないと思うけど、ふざけて・・・・ってことは無いよね?」

「なっ……お前だってレイの真面目さは良く知ってるだろ! なんでそんな事が言えるんだ? アレは完全にイカれているぞ!」

「そ、そうなんだ……そんな事って、あるんだな……」


 秋の正午の高い空、柔らかな秋の日差しを浴びた練兵場の片隅で、当事者ならざる・・・・者同士が事情を理解し合っていた。


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 その日の夕方、リシアは突然の呼び出しを受けていた。宿舎となっている第一城郭内の兵舎の並びの建物に彼女を呼びに来たのはイナシアだった。満面の笑みを浮かべてリシアを誘い出したイナシアは、先ず彼女を自分がアートン公爵家の公女として過ごしていた時に使用していた城の一画へリシアを連れ込んだ。


 不案内な城内で見知らぬ場所に連れてこられたリシアは少し緊張したが、足を踏み入れた先の部屋には数名の中年女官が待機していた。そこでイナシアは笑みを浮かべたまま、女官たちに言う。


「元がとても可愛らしいから、余計に足したり盛ったりしたら駄目よ。レイも自然な感じが好きだと思うから」


 何のことか分からないリシアを置き去りに、イナシアの言葉に「心得ました」と返す女官達は、早速リシアを部屋の中央にある大きな姿見・・の前へ座らせる。


「あ、あの……」


 事態が呑み込めないリシアは、不安そうな視線をイナシアに向ける。するとイナシアはゆたかな胸を張って、一言、


イナシア姉さん・・・・・・・に任せなさい!」


 と言うのだった。


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 自分が住み暮らす離れの館で、レイモンドは玄関から居間に続く短い廊下を行ったり来たりしていた。その如何にも落ち着きの無い様子に、ヨシンが苦言を呈する。ユーリーも少しムスッとした表情でそれを見ていた。


「もう、落ち着けよ!」

「お、落ち着いているとも」

「どこが……でもレイ、リシアも気があるのは間違いない」

「そ、そ、そ……うか」


 ヨシンとレイモンドの会話だ。そこにユーリーが割って入る。


「ただ、分かって欲しいのは、リシアは喋れるようになって日が浅い。ゆっくり話をして欲しい」

「ああ、分かってる」


 ユーリーの言葉にレイモンドは神妙に頷く。そんな三人の格好、特にユーリーとヨシンは普段着となっている鎧下の綿入れや丈夫さだけが売りの分厚い革製の上下、又は洗いざらしの麻のシャツではない。下はなめして光沢を持たせた黒革のズボン、上は襟の付いた白いシャツの上から中央兵団の騎士が身に着けるような意匠の上着を羽織る、といった見栄えの良い・・・・・・格好だ。一方のレイモンドは、流石に普段からちゃんとした格好・・・・・・・・をしているので、余り見た目の変化は無い。強いて挙げるならば、見事な金髪を後ろに流すように撫でつけている程度だ。


 そんな三人は、その後も他愛の無い話で時間を潰そうとする。そして、しばらく時間が経った時、玄関先に人の気配が起こった。玄関の戸口で立ち番をしていた騎士ドリッドが扉を開くと、そこには数名の女官を伴ったイナシアと……


「わぁ……凄い!」

「おお……」


 ユーリーとヨシンが思わず感嘆の声を上げるほど、美しく変身したリシアの姿があった。艶やかな黒髪を後ろで無造作に束ねて、色彩乏しく体の線を覆い隠す灰色の分厚いローブを纏った姿、それが普段のリシアだった。しかし、別館に現れた彼女は、まるで別人のように華やいだ装いをしていた。


 肩下まで伸びていた黒髪は幾筋かの細い三つ編みにされ、全体的に頭の後ろに上げられている。その黒髪を止めるのは蔦の意匠をあしらった金製の髪留めだ。簡素な品だが黒髪に映えている。また、身にまとったドレスは、胸元の開きを少なくして清楚さを主張しつつ、やや足りないボリュームを補うようにフリルを胸元にあしらっている。その生地はアートン近郊の村で産する絹糸をみっちりと織り込んだ上質な物だ。アートン産の絹糸の特性から、生地は薄らと水色掛かった光沢を帯びている。元々はイナシアのドレスだったのだろう、胸や腰、全体の丈といったサイズがリシアに合わない場所は、濃い青色のリボンを用いて調整されている。腰や背中にあしらったそれらのリボンは、血色の良い象牙色の肌と色彩の対照が美しい。


 そんな今晩のリシアは、外面の美しさもさることながら、周囲の注目を自然に集めるほどの強烈な生気を放っていた。普段が抑圧された、という訳では無いだろうが、美しく装い想いを寄せる相手にそれを見て貰う、その行為がリシアの内面を励起させたのだろう。


「凄い! リシア、まるでお姫様みたいだね!」

「お姫様……いや、女神様だろ」

「そ、そう?」


 ユーリーとヨシンの褒め言葉に、照れたように俯くリシア。目元に少しだけ墨を引き、後は唇に朱色の紅を薄く塗っただけの簡単な化粧だが、女官達はイナシアの言い付けを忠実に守ったようだった。


 リシアは、俯き加減のまま、一言も発しないレイモンドの方を見る。一方のレイモンドは……まばたきさえも忘れたように、一心にリシアの姿を見詰めているだけだ。


「レイ! いつまで貴婦人レディを玄関先に立たせておく気?」

「え……あ、ああ!」


 リシアの後ろに立つイナシアも相当の美貌の持ち主だが、そんな彼女がレイモンドを咎めるような声を発するまで、この若い王子は従姉の存在を認識していなかったようだ。慌てたように、リシアに歩み寄ると、もごもごと口を動かしながら手を差し出していた。


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 丸いテーブルに着いた彼等は、レイモンドの左右にイナシアとリシアが座り、リシアの右にユーリー、ヨシンと続く席順だ。料理は予めイナシアが気を回し、取り分けることが簡単なように用意されていた。


 因みに、イナシアの侍女を長く務めていたカテジナは、現在父オシアと共にストラの街にいた。神蹟術の遣い手である彼女は、くだんの救護院の運営に忙殺されているのだ。そのため今晩の食事会は、別のベテラン給仕が付いている。しかし、これもイナシアの計らいで、給仕係りは一人だけ、そして主に飲み物を給することに専念させていた。


「レイ、両手に花だな、良かったな」

「え、ああ、そ、そうだな」


 ヨシンが茶化すような言葉を掛けると、思わず頷くレイモンドだ。しかし、


「レイ、花なんて一つ持てば十分なのよ。それとも、一つじゃ満足できないのかしら?」

「節操無しでは、困るんだけど……」


 イナシアとユーリーの厳しい言葉が掛かると、レイモンドは慌てて言う。


「も、勿論だ。女性が美しいのは世の常だが、私は一人で十分だ」

「でも、お花もお腹が空くのよ」


 イナシアは、そんな言葉と共にレイモンドに目配せする。流石に意図を察したレイモンドは、テーブルに配膳された大皿の内、野豚のもも肉とキノコ類を窯焼きにした料理を取り分けるとリシアの前に置くのだった。因みに、もも肉は焼いた後に薄く削ぎ切りにされ、肉汁を集めてワインと共に煮詰めたソースと香りのよいキノコ類は後から和えられた物だ。木匙で掬うだけで取り分けられる料理は、余りその手の所作に慣れていないレイモンドに対する配慮だった。


「あ、ありがとう」


 料理を取り分けて貰ったリシアは、そんな言葉を発する。言葉だけで聞けばそれほど嬉しく無さそうに聞こえるが、実際の彼女は眩しい笑顔をレイモンドに向けていた。


 普段のリシアはその言葉少なさが表情にも影響し、余り喜怒哀楽を表に出さない女性になっている。しかし、今は別のようで、レイモンドを中心としてユーリーやヨシン、イナシアが繰り広げる会話を楽しそうに聞いているし、時折積極的に会話に加わろうとしていた。


 ヨシンが引き受け、ユーリーと共にイナシアを巻き込んだ夕食会は、楽し気な会話のまま続いていた。


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