Episode_15.17 アートン城の日常 はにかみ聖女と赤面王子


 ユーリーがポンペイオ王子の手紙からリリアの消息を知り、ヨシンがジェロと木剣を打ち合わせていた頃、レイモンド王子は執務室で面談をしていた。


 元から予定された面談の相手は、民生担当家老の直属の部下という立場になったイナシアだ。民生と一口に言っても幅は広いが、イナシアはその中でも貧民対策を担当している。所謂いわゆるレイモンド王子の肝いり・・・だった。


 これまでの西方国境伯領では、貧民への対処は主に六神教神殿による慈善活動と「施し」に依存していた。しかし、昨年の不作により貧民層が増加すると見込んだレイモンド王子ら首脳陣は一歩先の対策を講じるべく、「施し」任せではない貧民対策を模索していた。


 現在のところ政策は大きく分けて二つ。一つは、職を得られない者に対しての、期限付きの給付と「職業訓練」。もう一つは、病や怪我を理由として生活に窮した者の面倒を見るための「救護院」の設立だ。


 職業訓練については、王子領内の各ギルドに協力を命じていた。成果に応じて若干の税減免を行うこととなっているため、各ギルドの対応はおおむね積極的だ。始められて一年も経たないが、徐々に成果が表れ始めている。しかし、難航しているのが「救護院」の方だった。


 計画では、六神教、つまりミスラ・パスティナ・マルス・フリギア・テーヴァ・オーディスの各神殿に対して費用の供出を命じ、共同の救護院を設立することになっていた。それに対して各神殿は当初それなりに不服や反対を示した。しかし、コルサス東部のトリム、ターポで流行しているアフラ教会の、貧民層を狙った手厚い施しを伴う布教活動と信者の増大を懸念し、最終的には施設の建設に協力することとなった。


 そして、トトマ、ダーリア、アートン、リムンと言った主要な街に加え、最近奪還したストラにもレイモンド王子領が運営する「救護院」が建てられたのだ。しかし、そこで問題が発生した。各神殿とも、溜め込んだ財を少し供出することには応じたが、運営を担う人材まで供出することは無かったのだ。


 今日、イナシアがレイモンドと面談を行うのは、この「人手不足問題」の進捗を報告するためだった。そしてこの日のイナシアはある案を持って、ある人物達とレイモンドの執務室を訪れていた。


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「ジョアナ様、何とかお力添えを頂けないでしょうか?」

「ジョアナ殿、数年留まって人材の育成を担ってくれるだけで良いのだ、引き受けてくれないだろうか?」


 レイモンドの執務室には、イナシアとレイモンドが交互に真剣に頼み込む声が聞こえていた。彼等二人が頼み込む内容は、救護院の運営と人材の育成に対する補助だ。そして、頼む相手とはパスティナ救民使「白鷹団」のジョアナであった。ジョアナの他には、中年男性信者とリシアの姿もある。


 ジョアナは二人の真摯な求めについて、瞑目して考える。その風貌は如何にも「近所のおばさん」風であるが、五十手前の年齢よりも老け込んで見える表情はこれまでの苦労を物語っていた。


 ジョアナは考える。レイモンド王子の方策には基本的に賛成だった。というのも、長い慈善活動の末にジョアナが辿り着いた結論は、「過度な施しは人の心を蝕む」というものだった。与えられるだけの、しかも、与えられること自体に何の保証も無い日々の暮らしは、人々の心から明日への活力を奪う。窮した者を助けるのは、短期的には施しだが、長期的には自立の助けなのだ。


 そのため、レイモンド王子の方針には賛成のジョアナだが、王子領に留まって、それを手伝うという事はまた別の話だった。今は亡き弟イサムらと救民使「白鷹団」を結成したのは、神殿での信仰生活ではなく、救民使としての慈善活動こそがパスティナ神の教えを最も忠実に体現していると信じた結果だ。その想い自体は今も変わっていない。


 数年前の彼女ならば、長く考えるまでも無く申し入れを断っていただろう。しかし今、歳を取って少し疲れてきたジョアナは、その申し入れについて考えてしまう。彼女の中にある想いは、


(救民使の活動に危険は付きもの……でも、リシアやエーヴィー、皆をこの間・・・のような危険な目に遭わせられない……)


 というものだ。トリムの街では奇跡的な助けがあって難を逃れ得たが、一歩間違うと自分達は皆殺しとなっていた可能性があった。そう考えると、長年気丈に人々を率いてきたジョアナといえど、恐れと疲れを感じざるを得なかった。


「貴方はどう思いますか?」


 長く瞑目していたジョアナは、中年の男性信者に声を掛けた。最古参のメンバーで残っているのは彼だけだった。


「私はジョアナさんの決定に従うまで……しかし一所ひとところに腰を落ち着けても、今の我々ならば神殿とは違った活動が出来るかもしれませんね」

「リシアはどう思う?」


 男性信者の言葉に頷きつつ、ジョアナはリシアにも問い掛ける。リシアは無意識にレイモンドの顔を見詰めていたため、少し動揺した風になる。しかし、直ぐに普段から考えていたことを口に出していた。


「ジョアナは、休息が必要。命を削って、体を壊して、無理をしてまで続けても、パスティナ神は、きっと喜ばない」

「なんだか、人をお婆ちゃんみたいに言うのは止めて欲しいわね」


 リシアが発した健康を気遣う言葉に、ジョアナは溜息のように答える。しかしその口元は少し緩んでいた。十五年強の絆は二人を母娘のような関係に育んでいるのだった。


 その後更に少し考えたジョアナであったが、意を決してレイモンド王子とイナシアに向き直ると、遂に


「大したお手伝いに成らないかもしれませんが、お引き受けいたします」


 と答えていたのだった。


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「ありがとうございます」


 これまでの信仰の形を捨て、要請に応じてくれたジョアナに対しレイモンドは深く礼を述べる。イナシアも同様だった。そして面談は今後の活動について大まかに決める所まで進んだ。より詳細にはイナシアとその部下達で詰めることになったが、当座はアートンに本拠を置き、アートンとダーリア、それにリムンの救護院の運営に携わることとなった。


「これでストラの方の人員配置を梃入てこいれ出来る」

「よかったわね」


 話がひと段落したところで、レイモンドはホッとしたように言う。救護院で働ける医術や薬師の技能を持つものは限られていた。本来なら三倍ほどの人員が必要な所を、止むを得ず、少ない人員を薄く広く配置していたのだ。白鷹団が協力してくれれば、充分とは言えないが相当楽になる。そして、若いレイモンド王子はもう一つ別の意味でもホッとしていた。それは、


(ひとまずは、何処かへ行ってしまうことは無いな)


 というものだ。自分のした事に、それが領内の政策に必要だったとしても、一抹の私情を持ち込んだレイモンドは、ジョアナの返事に安堵を覚えつつ、一方で後ろ暗さも感じていた。たとえ誰かに知られたとしても、非難のされようが無いほど些細な私事だ。しかし、殊更ことさら自分と身の回りに近しい物事になると途端に生真面目さが顔を出す青年には、この程度のことが悪巧み・・・に感じられるのだった。


 そんな彼は、今日の面談では努めて視線が行かないようにしていたリシアへ、不意に視線を向けてしまった。そして、驚いた。そこには、既に自分を見ていたリシアの可憐な姿があったからだ。不意に視線が合った二人は、どちらともなくそれを外す。


 はにかんだように頬を赤くするリシアと、分かり易く赤面するレイモンド、二人を見るイナシアやジョアナは、若い二人の心中を垣間見た気がしていた。


****************************************


 その日の夜。遅くまで新しい兵器の配備計画を作っていたユーリーは、昨晩同様アートン城内に用意された部屋にいた。そして、二晩連続でリシアの訪問を受けていた。


「どうしたの、リシア?」


 ユーリーは机に広げた紙と羊皮紙を一纏めにしながらリシアに話し掛ける。リシアは灰色のフード付きローブが立てる衣擦れ音のみで、返事をせずにユーリーの正面に座った。ユーリーは、茶がれられたポットから中身をカップに注ぐとリシアに手渡す。カップからは未だ薄い湯気が細く立っている。


「ねぇ」

「なに?」

「えっと」

「うん?」

「レイモンド様」

「レイがどうかしたの?」

「イナシアさんの事が好きなの?」

「は?」


 リシアの言葉は、普段に輪をかけて一段とブツブツ途切れる。そんな彼女が聞きたかったのは、いつも仲良く一緒にいるように見えるレイモンドとイナシアの関係性だった。従姉弟いとこ同士というのは聞いているが、それ以上の関係なのかどうか、気になって堪らなくなったリシアは、自分の気持ちを表現する語彙ごいを持っていない。ただ、疑問としてレイモンドと親交が深いユーリーにぶつけたのだ。


 一方ユーリーは、言い難そうにボソリと呟くリシアの言葉で、彼女の気持ちを一瞬で察してしまった。そして少し絶句する。


「えっと……もしかして、レイの事が気になる?」


 確かめるように言うユーリーの言葉に、リシアは頬を赤らめてコクリと頷く。


(……どうしよう、幾ら気さく・・・だからって、相手は王子様だよ……)


 普通に考えれば叶わない恋だ。少なくともユーリーの常識がそう告げている。しかし、ユーリーからの返事を待つリシアの黒い瞳は、灯火の明かりの下で揺れていた。ユーリーには、それが不安に揺れているように感じられた。だから、素直に知っている事を話す。


「好き合ってる、というのとは違うよ。姉弟みたいなもの……かな。それにイナシアさんはアーヴィルさんが好きみたいだし」


 ユーリーはそう言いながら、ここ二日ほど騎士アーヴィルの姿を見ないことにふとした疑問を感じる。しかし、その事はリシアの声に遮られてそれ以上思考が進まなかった。


「そう、なんだ……じゃぁ、私とユーリー、みたいなもの?」

「そ……そうだね、そうだよ」


 少し躊躇気味ためらいぎみに肯定するユーリーは、内心で自分達とレイモンドを比較する。これまでは相手の気さくさのお蔭で気にすることも無かった身分の差を感じた。


(レイは王族……俺もリシアも親の素性も分からない身……リシアが傷つくことにならないと良いけど)


 そんなユーリーの心配を他所よそに、カップの茶に口を着けるリシアは少し安心したような表情をしていた。

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