Episode_15.16 アートン城の日常 恋の季節


 その日朝からユーリーと別行動となったヨシンは、休暇と言うこともあって……稽古を付けてくれる相手を探していた。しかし、城内にめぼしい相手・・・・・・は見当たらなかった。そもそもユーリーは備蓄倉庫の方で仕事があることになっていたし、ロージは本格的なディンス攻略作戦を前に中央兵団と摺合せを行うためダーリアにいる兄マーシュの元に帰っていた。ダレスの隊は数日遅れで休暇となっていたので、まだアートン城に帰投していない。丁度良い相手・・・・・・を失ったヨシンは、相手を求めて城内をうろつく野獣のようであった。


 廊下をすれ違う騎士達は何かしらの役目を持って城に出てきているため、ヨシンの相手をする暇は無い。しかし、もしも手の空いた者がいたとしても、ヨシンの誘いに乗る者はいなかっただろう。第二城郭の隅にある練兵場といっても、兵士や城の役人の面前で、年下の青年騎士に打ち負かされるのは、普通の神経をしている者ならば御免被りたい所のはずだった。


 それはヨシンも承知しているので、彼は頭の中で相手を思い浮かべる。マーシュとロージの兄弟騎士は学ぶべき所の多い相手だ。しかし、アートン城にいないのだからしょうがない。次に頭に浮かぶのはレイモンド王子。片手剣ロングソードを使わせたら、その腕前は可也かなりのものだ。しかし、多忙を極める彼が日中にそのような事稽古に付き合ってくれるとは思えなかった。


(レイは忙しいんだよな……ああ、そう言えば昨日の約束、アレどうしようかな……)


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 晩餐後、ヨシンはレイモンド王子が寝起きする別館に宿泊することになった。追加のワインと酒肴を持ち込んで、少し二人で話し込もうという具合だった。ユーリーはというと、ほぼ五年振りに再会したリシアと積もる話もあるだろう、ということで自然と誘うことは遠慮していた。


 別館の小さな居間で、改めて酒をお互いの杯に注ぎ合ったヨシンとレイモンド。レイモンドはテーブルの上に積まれた書類に目を通しながら時折署名をしつつ、ヨシンの話を聞く。対するヨシンはその様子をとがめるつもりは無かった。


 そんな二人の会話は、遊撃兵団の訓練の進行具合や領政の現状など、少し堅苦しい話から始まる。渡河侵攻を担う遊撃兵団の訓練は、レイモンドの所に上がってくる報告通り、順調な仕上がりとなっていた。裏を取るつもりではないが、レイモンドはその点を現場にいるヨシンの口から聞きたかったのだ。


 一方領政に関しては、昨年の税率減免の影響から今年の王子領も農作物による税収が例年を下回る見込みとなっていた。しかし都市部ではアント商会が進出してきた影響もあり、商取引が活発になっていた。そのため、商人や街人達からの税収は例年を上回る物が期待できそうだった。


「早く二年前の水準に戻さないと……金鉱脈から産する金を食い潰す前にな」

「港街のディンスはどうしても、ってところか」

「ああ、トリムの民衆派が王弟派の支配をどれだけ跳ね除けられるか、にもよるが、難所のリムン峠を経由して、陸路で直接トリムへ抜けるのは……ジェロ達冒険者ならいざ知らず、行商人には荷が重いからな」


 街道や航路は何処かと繋がって初めて意味を持つ。王子領の中を走る街道は実質リムン峠で堰き止められている状態だった。より東や南の商圏と繋がるためには、現状ディンスの港街確保が最も効果的だったのだ。


 そんな話を続けながら、レイモンドはようやく積まれた書類を片付けていた。そして、ヨシンからワインを注がれながら、少し言い難そうに切り出してきた。


「ところで」

「なんだ?」

「ユーリーの姉という……」

「ああ、リシアのことか」

「彼女はどんな女性なんだ?」

「どんな、って言われてもなぁ……」


 ヨシンの言葉を待つレイモンドは、少し顔を赤らめている。期待の籠った彼の視線を感じたヨシンは少し申し訳ない気持ちに成りながら素直に言葉を発していた。


「全然知らないんだ。オレが見たのは五年前のオーク戦争の時のホンの少しの時間だったし、それも作戦中だったから……ただ」

「ただ?」


 ヨシンは、あの時の光景を思い浮かべる。オーガーの最後の一撃を受けたユーリーは、あの時、ほとんど即死だったはずだ。巨大な爪に薙ぎ払われて血飛沫と共に宙を舞うユーリーの姿は、ヨシンにとって悪夢のような光景だった。しかし次の瞬間、それまで声を発することの無かったリシアが何かを叫んだ。そして突然、太陽の様な明るさが辺りを包んで……次の瞬間、オーガーの巨体は掻き消えるように無くなり、ユーリーは無傷・・で横たわっていたのだ。しかし、


(こんな事を言ってもなぁ……信じて貰えないだろうし)


 何故かその時の光景を他人に言うことに躊躇ためらいを感じるヨシンは、つい、取り繕うように別の言葉を発していた。それは、


「ユーリーも元々女顔だろ、あの時は二人並ぶと本当に瓜二つだったけど、今日見たリシアは、凄く綺麗な女の人になっていたな……レイ、惚れたのか?」


 茶化したつもりのヨシンの言葉は、しかし、レイモンドの思わぬ反応を引き出していた。


「なっ! なんで?」

「だって晩餐の間、ずっとチラチラ見てただろ?」

「なんで知って……あ、いや……」

「なんだ……本当に見てたのか」


 まんまと鎌に掛けられたレイモンドに、ヨシンが悪い笑みを浮かべる。


「い、いや、ほら、素敵な女性じゃないか」


 観念したようなレイモンドの言葉だ。その素直な感想は、ヨシンも否定することは出来ない。ヨシンの目から見ても当時は少年のようだったリシアだが、背はさほど大きくなっていないが、すっかり大人びた女性になっていたのだ。


「ああ、素敵だな。綺麗になっているし、少し小柄な所なんて、守ってやりたくなるな」

「そ、そうだろ? そうなんだよ!」

「でも、何と言うか……もっと体に、こう豊かさがあった方が良いんじゃないか?」

「な、何と言う事を言うんだヨシン! 貴様、失礼にもほどがあるぞ!」

「あ、いや、あくまでオレの好みのことで……スマン、そんなに怒るなよ」


 顔を真っ赤にして怒っているレイモンドに謝りながら、ヨシンは


(……こりゃ、真剣に惚れてるのかな)


 と直感した。だから、


「じゃぁ、お詫びのしるしとして、数日中に一緒に食事が出来るようにするから!」

「ほ、ほんとか?」

「ああ、ユーリーも巻き込めば簡単だろう」

「そ、そうか、しかし、いや、うん……」

「なんだ、興味ないか……別に無理にとは言わな――」

「よろしく頼む!」


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 そもそも深窓の王子として、アートン城の奥で育てられ、長じた後は伯父ドルフリーの意向によってイナシアと婚姻するように求められていたレイモンドだ。同じくドルフリーの意向によって、レイモンドの周辺は極端に女気が少なく、彼が私的な会話を交わす女性は殆どイナシアだけ、といっても過言では無かった。


 そんなレイモンドが、突然現れた神秘的な雰囲気を持つ美しい女性に心を惹かれるのは当然のような気がするヨシンだった。そのため何とか手助けをしたいと考えるのだが、鍵を握りそうなユーリーの反応が未知数だった。


(まぁ、ユーリーの場合は……真正面から正直に言った方が良いだろうな)


 そんな考え事をしつつ、ヨシンは第二城郭内を歩いていた。そして、とうとう稽古の相手が見つからない状態で練兵場まで来てしまった。しかし、そこには既に先客がおり、試合形式の激しい稽古を繰り広げていた。


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ゴンッ!


 木剣と盾が打ち合わされる音が響く。長剣を模した木剣を持つのはジェロ、盾を持つのはイデンだった。


 ジェロの攻撃を受け切ったイデンは、右手に持っていたこん棒を振り抜く。長剣バスタードソードを模した木剣を両手持ちにしたジェロは、がら空きとなった胴に撃ち込まれるその一撃を跳んで躱す。後ろにでは無い、イデンの盾の影に隠れるように横へ跳んだのだ。


 ジェロの動きは軽装備の剣士ならではの俊敏な動き。対するイデンは、盾の影に隠れたジェロを一瞬見失う。そして、


「うらぁ!」


 身を屈めた状態から、イデンの持つ大型の円形盾ラウンドシールドの上側と掴んだジェロが、渾身の力を籠めてイデンを背負い投げにした。


 盾の持ち手を直ぐに手放せず、極められた手首と肘の関節を守るように、イデンの身体は反射的に浮き上がる。そして、


ドシン!


 次の瞬間、イデンの巨体は土埃を上げて練兵場の地面に転がっていた。目の前にはジェロの剣先がピタリと付けられていた。


「はい、勝負あり」


 淡々としたタリルの言葉が掛かる。そして、


「やっぱりジェロさんって素敵ね! カッコいいわ!」


 男ばかりの冒険者集団「飛竜の尻尾」には似つかわしくない黄色い声援が上がった。


「ジェロさん、カッコいいわ! だってさ……良かったな」


 その声援を口真似するリコットは、少しウンザリした表情で冷かす言葉を掛ける。


 対して声援を受けたジェロは見た目にも分かるように動揺していた。女性を相手に惚れ込むことはあっても、惚れられることは皆無だった気の良い冒険者は、相好を崩し切れずに変な表情を張り付けていたのだった。


 しかし、遠慮のないエーヴィーは濡らして堅く絞った手拭いを持って駆け寄る。一応イデンの分も持っているのだが、目当てはジェロで間違いないようだ。抱きつかんばかりの勢いでジェロに駆け寄るエーヴィーに「わかったから、ありがとう」と腰が引けているジェロ、そして「こりゃだめだ」と首を振る三人の姿があった。


 ヨシンは思いも掛けず、面白い場面に出くわして、笑ってはいけない、と思いつつも、堪えきれず吹き出していた。そのヨシンの笑い声に、ジェロが驚いた視線を向けてきた。そして、さも居心地が悪そうに言う。


「ヨ、ヨシン……何見てんだよ」

「ははは、ごめん。ジェロさん、いいね」

「いい、ってこれはだな――」


 年下のヨシンからも冷かされ、そんなんじゃ無い・・・・・・・・、と言い掛けて言い切れない所がジェロという男の素直な良さ・・だろう。結局まんざら・・・・でも無いのは傍目に見ていて良く分かる。


「そ、それより、どうしてこんな場所練兵場に?」

「ああ、稽古の相手が見つからなくて……そうだ、ジェロさん!」

「い、いや――」


 稽古となった時の、ヨシンのしつこさ・・・・を既に良く知っているジェロは、すかさず断ろうとするが、


「よっ! 色男! ヨシンなんてやっつけちまえ」

「エーヴィーちゃん、今ジェロが良い所見せるからね!」

「応援するわ!」


 リコットとタリルが盛り上げると、エーヴィーは目を輝かせた視線を送る。そして、断りそびれたジェロは、その後五本分、たっぷりとヨシンに付き合う羽目となったのだった。

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