Episode_15.13 再会の晩餐にて


 ロージの報せに馬を走らせたユーリーは、午後の遅い時間にアートン城へ到着していた。普段なら、自分の馬は自分で厩舎に繋ぎ、軽くブラシを掛けてやるユーリーだが、今日は違った。城門を守る兵達に愛馬の手綱を任せると、彼は正門から城内に足を踏み入れていた。身体に馴染んだ黒い軽装板金鎧は、カシャカシャと小さく掠れた音を立てるが、せわしなく響くその調子からもユーリーが廊下を急いでいるのが聞き取れる、そんな歩き方だ。


 途中から案内の兵士に誘導されたユーリーは、アートン城の中を奥へ進む。そして、普段レイモンドが執務室兼応接室に使っている部屋に辿り着いたユーリーは、一拍二拍と呼吸を整えると、意を決してその扉をノックした。周りに巡回の兵はいるが、レイモンド王子在室といっても、特別に立番が立たないのは如何にもレイモンドらしい・・・、等という感想すら抱く事が無かったユーリーである。


「誰か!」

「ユーリーです」


 ユーリーのノックに誰何したのは、意外なことにアーヴィルではなくドリッドだった。しかし、心が逸るユーリーは其れすら意に介さず、扉を開けていた。


****************************************


「ユーリー!」

「リシア!」


 鈴のように涼やかに響く声は、五年振りに聞くとは思えないほど耳に馴染んだもの。リシアの声だった。ユーリーはその声の主を室内に探す。室内にはレイモンドを始めとして、近衛隊の騎士ドリッド、宰相マルコナ、その娘イナシア、そしてジェロら飛竜の尻尾団と灰色のローブを身に着けた白鷹団の面々がいた。そしてそんな人々の間を割って一人の女性 ――少女と言っても差し支えの無い小柄な―― リシアが飛び出してくる。


トンッ


 飛び込むリシアの体を受け止めたユーリーは五年前と余り変わらない軽い手応えを感じつつ、この世で唯一の肉親を抱き止める。背丈の差は昔のまま、俯き加減で抱き止めるユーリーの頬が、リシアの耳の上辺りに着く程度だ。


「リシア……また会えるなんて」


 感極まって呟くユーリーは、五年前に比べて少しだけ柔らかさを増したリシアの細い身体を、痛くならない加減で力を籠めて抱き締める。一方、ユーリーの鎧の上から細い両腕を巻き付けるように、しがみ付くように身体を寄せるリシアは、見上げる格好でウンウンと頷く。リシアは、自分を抱き止めたユーリーの体に五年前には感じられなかった逞しさを感じていた。


 このまま頬を寄せ合って口付けをすれば、正に恋人同士という雰囲気だが、二人の間にはそんな感情は無い。ただ自分という存在の片割れを確かめるように抱き合うだけだった。


 つい先ほどまでジェロ達から報告を受けていたレイモンドは、そんなユーリーとリシアの様子を眺めつつ、


「リシアさん一人だと、似ているな、程度だったが……二人並ぶと、そっくりだな」


 と感想を漏らしていた。彼は、ユーリーに双子の姉が居た事を今日知ったのだ。しかし、既にユーリーの出生にまつわる話はアーヴィルから聞いていた。そして、聞かされた話を考えれば、こうやって再会する二人の光景は心を動かされるものがあった。


(私も随分と自分の生まれ・・・・・・を恨めしく思ったものだが……この二人には――)


 そんな感想が頭の中で渦を巻いた。


 そしてレイモンドは、先ほどリシアの顔を見た瞬間、無言でこの部屋を出て行ったアーヴィルの気持ちが、何となく分かるのだった。ユーリーの事を伝えて、リシアという姉の存在を喋らなかった騎士の胸中には推し量れない「何か」がありそうだった。


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 その日は、ジェロ達の慰労と白鷹団への歓迎のための晩餐が行われる事となった。そして当然ユーリーと、遅れてアートンに帰参したヨシンも出席することになった。


 ジェロ達の任務の性質上、大勢を呼んで盛大に、と言う訳にはいかない。そのため出席者はレイモンド王子に近しい人々のみに限られた。配偶者などの同伴者も認められないため、晩餐の席は自ずと地味になる。それでも、今日の席にはイナシアも参加しているし、白鷹団のリシアやエーヴィーは、少し独特だが、華がある女性だといえる。


 全員で三十人ほどが参加した晩餐、饗させる食事は質素だがアートン地方ならではの森の恵みをふんだんに使った滋味あふれる品々だ。産卵を前に身を肥えさせた川魚や、山鳥や猪の類ジビエは新鮮なものが提供されるが、後は塩蔵品の肉類やチーズ類、保存用に発酵させた葉物野菜となる。決して豪華という訳ではないので、質素を旨とするパスティナ救民使の面々にも手に取り易い内容だった。


 そして、そんな食事を前に、


「あぁ、今日は豪勢だな!」


 と、思わず声を上げるレイモンド王子の様子は、周囲の好意的な笑みを誘い、同時にジョアナやリシアを始めとした白鷹団の面々にとても良い印象を与えていた。そして和やかな雰囲気でその夜の晩餐は過ぎていくのだった。


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 リシアは慣れない晩餐という場の雰囲気に当初戸惑いを感じていた。二十年の人生の中で、白鷹団の仲間達以外と食事を共にすることは少なかったのだから、しょうがない。また、民間のパスティナ救民使として活動を長く続けてきた彼女の仲間達も同じようなものだった。


 しかし、トリムからリムンまでの間を、ほぼ街道に出る事無く森や山地を踏破してきた彼女達にとって、テーブルに並べられた豪華というよりも庶民的な料理は有り難いものだった。礼儀作法というものには疎い彼女達だが、アートン城の伝統なのかあるじであるレイモンド王子の気質なのか、周囲にその事を咎める者も眉をひそめる者もいなかった。


 そしてしばらく食事に専念する時間が流れ、白鷹団の面々の空腹が一通り満たされた頃合いで、レイモンド王子やその周囲の人々が一行に語りかけてきた。離れた席についたユーリーと、食事中に時折視線を交わしていたリシアは、不意に名前を呼ばれたのでそちらの方を振り返る。


「リシアさん、ユーリーは一週間くらいアートン城に滞在することになっていますよ。二人でゆっくりとお話する機会はありますから」


 振り向いた所で、内心を見透かしたような言葉を掛けて来たのは、同性のリシアから見ても美しい女性だった。イナシアというその女性はレイモンド王子の従姉に当たり、今は領内の民生を担当する役職に就いているという。


「はい……」


 言葉少ないリシアの返事は普段通りだが、事情を知らないイナシアは少し怪訝そうな顔をする。そこへ、


「リシアは喋ることが出来ない期間が十数年ありましたので、少しその……口下手なところがありまして」


 と説明するのは白鷹団の代表でリシアの母代りとも言えるジョアナだった。その言葉に驚いた表情となったイナシアは直ぐに、


「そうだったのですか。知らなかった事とはいえ、すみません……」


 と謝罪の言葉を口にしていた。言葉だけでなく表情もすまなさそう・・・・・・にしているので、対するリシアは「気にしていない」ということを示すために頭を振ると笑って見せていた。そして、リシアの笑顔に釣られるようにイナシアも笑顔となる。


(本当に綺麗な人だわ……)


 笑うと何倍も魅力的になるイナシアへの、リシアの率直な感想だった。そこへ、


「私もイナシアもパスティナ神を信仰しております。歳も近いので仲良くして貰えると嬉しい」


 と声を掛けてきたのはレイモンド王子だった。彼にしては珍しく頬を少し赤くしていたが、出されたワインに酔ったという訳ではなさそうだ。そんな彼の言葉と様子に対して、イナシアが少しからかう・・・・ような言葉を発した。


「あら、レイも仲良くして欲しいの?」

「あ、い、いや、言い間違いだ。歳も近いのでイナシアと・・・・・仲良くして欲しい、と言いたかったんだ!」

「でもリシアさんて、本当に可愛らしいわね」

「姉さんっ! リシアさんは『聖女』とも呼ばれるお方、可愛らしいなんて失礼な……」

「でも、じゃぁ何て言えばいいのかしら?」

「こういう場合は『美しい』と言うべきだと思う」

「ふーん、レイは美しいと思ってリシアさんの事を見ているのね」


 そう言うとイナシアはニコッと笑う。その様子にレイモンドは、自分が言ったことに気が付き、赤かった頬を更に赤らめる。


 王子と名乗りコルサス王国の後裔として、王弟ライアードと正統性を競う立場のレイモンドだが、高貴な身分でありながら、そう思わせない気さく・・・なやり取りだ。勿論、普段の場では立場を弁えたイナシアが「レイモンド王子」として彼を立てているのだが、こういう砕けた場面では時折このように振る舞うのだ。


 しかし、これはイナシアがふざけて・・・・やっている事では無かった。まだ若いレイモンドが自分に課している「王子」という名の仮面を適度に崩し、周囲の人々から彼へと向けられる「親しみやすさ」を演出するための従姉イナシアの苦心の賜物だ。また、若いながらに強く自分を律しようとする生真面目な従弟レイモンド鬱屈うっくつし過ぎないように、という配慮でもあった。


 尤も今この場に限って言えば、不意に湧き上がった別の企み・・・・の布石を投じたイナシアによって、赤面させられたレイモンドは堪ったものでは無いだろう。それでも彼は、イナシアから外した視線を困惑気味のリシアに向けると、遂に耳まで赤くしながら、


「あ、い、いや……お、お美しいと、思います」


 と言い切っていた。その様子に、この二人のやり取りに慣れているアートン城の人々は柔らかい笑いを発する。そして、当初戸惑っていた白鷹団の面々も釣られるように笑顔となっていた。


 一方、不意にレイモンドに視線を向けられて「美しい」と評されたリシアは戸惑いの極致にいた。無口な様子と醸し出す雰囲気から「聖女」と呼ばれる彼女だが、中身は年相応だ。何と返せば良いか分からず言いよどむ内に、彼女も顔が熱くなるのを感じていた。そして、やっとのことで絞り出すように、


「聖女だなんて、みんなが勝手に言っているだけで……でも、ありがとう」


 と返していたのだった。


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 その後も続く晩餐で、リシアはレイモンドとイナシアのやり取りを終始視線で追っていた。そして、チラチラと彼女を見返すレイモンドと視線が合うと慌てて目を逸らす、という事を繰り返す。


 そんな事を繰り返しながらも、レイモンドとイナシアのやり取りを見続けるリシアは、二人の間に明確な愛情と絆があることを見取っていた。その様子に何故か落胆を覚えたリシア。彼女は未だ、愛情の種類の違いを知らないのだった。

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