Episode_15.12 トリムの足跡
南門を破られたトリム城砦には、暴徒と化した人々共に「解放戦線」の兵士たちが雪崩れ込む。それを迎え撃つのは精鋭の誉れ高い「王の鎧」第一騎士団だ。最高指揮官たるスメリノを欠き、さらに副官の地位にあった大隊長も失った彼等だが、騎士と正規兵の矜持は彼等を崩壊寸前で踏み止まらせた。
南門から続く行政舎の手前は、さながら地獄絵図のように血で血を洗う肉弾戦の場と化していた。敵と味方が入り乱れて殺し合う場では、武器を取り落とした者は、誰のものか分からない腕の切れ端をこん棒替わりに振るう。それすら叶わない者は爪と歯を武器に抵抗する。
時に大勢が集団でぶつかり合い、時に腕の立つ者同士が一騎打ちを繰り広げる。そうやって殺し合い、命を散らす人々は、決してこの狂気の場を飾り付けるための駒では無いはずだ。全てに親があり友がいて、多くの者に妻と子がいる。友と酒を酌み交わし、平和になった
それが無情に殺し合う。大した理由も無く、只々どんな陣営の元にいるか、その違いだけで、血と血を洗い合う惨劇を繰り広げる。
そんな人間同士が、己の種族としての弱さを全力で示す哀れな場に、六柱の神々の慈悲か、それとも主神を名乗るアフラの神威か、定かではない終わりが訪れる。
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はじめの変化は解放戦線だ。多くの犠牲を積み上げた結果、第一騎士団が展開した城砦内の防衛線を突破した彼等は、居館に押し掛ける。それでも追いすがる第一騎士団に擦り減らされた兵力は、居館に辿り着く頃には百人を切る先鋒の精鋭のみとなっていた。しかし、命知らずの彼等は居館への特攻を敢行すると、館の中に足を踏み入れ最上階の鍵に閉ざされた部屋で王弟子スメリノを捕えることに成功した。
次に状況を動かしたのは第一騎士団だ。隣街ターポから急行した増援軍はトリムの街の西側で戦力に劣る民衆派の騎兵隊を撃破すると、そのまま街に雪崩れ込んだ。機動力に優れる騎士を中心とした先遣隊が、次々と解放戦線の歩兵部隊と暴徒達を打ち負かしトリムの城砦へ肉迫する。
そして、両者はトリムの城砦の南門を挟んで東西で対峙した。
王弟派第一騎士団は、団長であり王弟ライアードの嫡子スメリノを敵に捕らえられた状態で、これ以上の攻撃を出来ずに進軍を止める。一方の解放戦線は、攻め落とす寸前を妨害され、トリムの城砦を掌握しきれずに兵を下げざるを得なかった。両陣営の緊張した睨み合いは明け方まで続いた。
王弟派の懸念はスメリノの安否。一方解放戦線の懸念は、コルベートからの増援だ。そして、両者の緊張を取り持つように動き出した者がいた。アフラ教会西方教区司教のアルフだ。
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コルサス王国の国宝「紫禁の御旗」がその意匠に用いる朝日。その朝日が東の地平線からゆっくりと登るころ、睨み合いを続ける両陣営の中間、トリム城砦の南門前で両軍の代表者による会談が持たれた。
グッと睨み合うのは、ターポを任されていた大隊長と「解放戦線」の指揮官マズグル。立ったままでお互いの視線をぶつけ合う両者の間には、仲裁者の態を取ったアフラ教司教アルフの姿がった。
「第一騎士団は何を置いてもスメリノ殿下の解放、解放戦線は引き換えにトリムの完全な自治の承認……これで両者剣を納めて頂きたい」
しれっとした風情で言うアルフに、第一騎士団の大隊長が言う。
「自治の承認など、私の権限に余る!」
すると、ここが押し処と知った解放戦線のマズグルが声をあげる。
「ではスメリノの首を持って王都に帰るか? 王家の血脈が途絶えれば、いずれトリムはおろかコルサス中は民の物になるのだが」
「き、貴様、脅すつもりか!」
「脅すも何も……スメリノのやってきた愚行蛮行を知らぬわけではあるまい。王家の法に照らしても……果たしてミスラの
そう言うとマズグルは嘲笑とも取れる声を上げる。対する大隊長は侮辱に顔を赤らめるが反論が出来なかった。
「スメリノ殿下は、御無事なのだな?」
「ああ、無事だ。ただ何が有ったか知らぬが、茫然自失という状態だ。早く連れて帰ってパスティナでもミスラでも
そう言うマズグルはスメリノの様子を思い浮かべる。完全に自分を失ったスメリノは周囲の呼掛ける声にも反応が薄く、だらしなく開いた口からヨダレを滴らせ唸っているだけだった。なぜ
対する第一騎士団の大隊長は焦りを募らせる。交渉のカードは全て解放戦線が握っているようなものだった。
「たとえ条件を飲んだとしても、ライアード陛下は貴殿を責めることは無いでしょう。むしろ、可愛い我が子を取り戻した英雄ではないですか?」
思い迷う心のひだを、仲裁役のアルフの言葉が解きほぐす。そして、
「トリムの自治を認めるならば、ターポにも大勢いる同志を全てトリムに呼び寄せる。これでターポは平穏になると思うが……早くせねば、ターポに潜伏する同志がどのような行動を取るか、私も保証は出来ないぞ」
「く……止むなしか」
そして、第一騎士団はスメリノの身柄を引き取ると、全軍をターポに退却させることとなった。民衆派の実行勢力「解放戦線」優位で
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夜が明け、日が昇ったトリムの街は、主に街の南側を中心として黒い煙の筋を晴れた空にたなびかせていた。全く静穏で、只々高い秋の青空。街を一望できる高台から、その様子を見下ろす一行には、ほんの数時間前までそこで死闘が繰り広げられていたことが信じられなかった。
しかし、それは紛れもない事実だった。
「俺達は、アートンに帰ろうと思う、一緒に行かないか?」
ジェロはこの場に残った人々にそう声を掛ける。アフラ教徒が大部分を占めていた囚われ人達は、既にトリムの街に戻っていた。そして、今この高台に居るのはトリムともアフラ教とも縁のないリシア達、パスティナ救民使「白鷹団」の面々だ。
「アートンですか?」
「そう、アートンだ。レイモンド王子の領地」
ジョアナの思案気な声がジェロに向けられる。それに対してジェロは答えるが、その視線は彼に熱っぽい視線を送るエーヴィーを経由してリシアに向けられた。
「レイモンド王子の元に、ユーリーもいる」
リシアの黒い瞳が揺れる。そして彼女は、短く細い声で一言、
「ユーリーに会いたい」
と呟いていた。
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アーシラ歴496年9月中旬
コルサス地方、特にアートン城のある内陸部は秋から冬に掛けて降雨が少ない。それは、北に広がる森林地帯も同じようで、そのため怒涛の流れを誇るトバ河の水量は九月から年を跨いだ二月に掛けて徐々に下がって行く。
レイモンド王子軍が密に計画しているディンス攻略作戦は、このトバ河の水量が充分に減る時を待つ必要があった。そうでなければ、西トバ河の途中に在る二つの大滝を沢伝いに迂回することが出来ないのである。
筏によって河を下り、ディンスの背後を突くという作戦において、滝の存在は邪魔なものだった。しかしそうであるが故に、王弟派は河からの敵の侵入を警戒しておらず、作戦を効果的にする役にも立っているのだ。
その作戦を実行するために、今年の夏ごろから訓練を続ける遊撃兵団は、渡河上陸と滝の迂回を想定した筏解体、行軍、再組立ての訓練に余念が無かった。順調な訓練の進行は、もはや河の水位が下がれば、いつでも作戦実行可能という水準まで到達している。
勿論全てが順調という訳では無く、幾つかの小さな変更はあった。当初の想定では、全員武装した状態で筏に乗る事になっていたが、実際に試してみると、思った以上に難しいことが判明したのだ。騎兵の装備である
結局、筏単位で乗員の装備は大きな箱に入れて運ぶこととなった。そのため上陸訓練では、矢盾の設置、簡易陣の設営から、早着替えを経て戦闘態勢完了という流れになった。作戦上は些細な変更だが、現場の兵士や騎兵にしてみると、体を守る装備の有無は生死に直結する切実な問題だ。そのため、アートン城から離れたリムンの街にほど近い河原では、日に一度、屈強な兵士達が真面目な顔で必死に鎧や手甲足甲を身に着けるという、傍目に滑稽な訓練が繰り返されていた。
そんな兵士達を勇気づけるという訳ではないが、遊撃兵団に新しい装備が支給される事となった。それは、最新式の
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ユーリーは久し振りに馬に乗った気がしていた。愛馬の黒毛の軍馬も、久しぶりに主人を背中に乗せた実感があるようで、押えていてもその足取りは軽やかだ。今、ユーリー率いる騎兵三番隊とヨシンの二番隊、それに第一第二歩兵小隊は、休暇を得てアートンの街へ帰参している途中だ。兵達はただの休暇だが、ユーリーは、新型の
「なんか、久しぶりに馬に乗ると、変な感じがするな」
隣を進むヨシンがそんな事を言い、他の騎兵達と談笑しているのを聞き流しながら、ユーリーは街道の先を見る。アートンの街からほど近いこの一帯は広い農地であるが、今年の収穫は順調だったようで、刈り取られた後の田畑は一面が茶色の地面を晒していた。その中に、チラホラと小さな緑色の新芽を出している畑も見受けられる。ユーリーは
(蕎麦でも植えたのだろうか)
等と考えながら、手綱を強く持つこともなく馬に揺られるに任せていた。
「あれ? 誰か来るぞ」
訓練の合間の休暇。穏やかな秋の日差し。空気は少しの冷たさと土の匂いを運んでくる。今晩は久し振りにレイと食事だな、などと考えていたユーリーは、誰かの発した言葉で我に返ると、前方の街道を見た。
たしかに前方の街道を此方へ進む騎馬の姿が見える。少し急いでいるようで、馬は薄く土煙を上げている。
「邪魔になるな。みんな、路の端に寄るんだ!」
レイモンド王子の領地内、それもお膝元のアートン近郊だ、敵性の存在では無いと判断したユーリーは全員に声を掛ける。そして百人強の集団は街道の端に寄ると、その騎馬が駆け抜けるための道を空ける。しかし、
「どう、どう! ユーリー! どうしてここに?」
「あ、ロージさん! 俺達は休暇でアートンに戻るところですよ」
騎上の人物は遊撃兵団長、騎士ロージだった。彼は街道でユーリーの姿を認めると馬を止めて尋ねてきたが、ユーリーの返事に「あっ」という表情になった。
「そ、そうだったな……私もレイモンド王子も動揺していたみたいだ……休暇なのを忘れて、訓練地に呼びに行くところだった、はは、面目ない」
そう言うロージは照れ隠しで頭を掻くが、自分の配下の部隊の休暇を失念するほど動転していたのだろう。そんなロージの様子に幾ばくかの胸騒ぎを感じたユーリーが訊き返す。
「もしかして、俺に用事ですか?」
「ああ、君の
「え……ええっ!」
しばらくしたあと、自隊から離れたユーリーは単騎でアートンを目指していた。茶色の大地を矢のように切り裂いて走る黒馬は、乗り手の気持ちと相まって、昂ぶる気持ちのまま全力で駆け続けるのだった。
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