Episode_15.11 脱出、狂騒の砦


「……リコット、頼む」


 ジェロは、リコットの問いに少し考えると、そう言う。つまりリコットにリシアという少女を探して連れて来てくれと言うのだ。騎士や兵士が大勢いる城砦内で、それは危険が伴う行動だったが、ジェロはリコットの技量を信じている。そして、身軽で隠密行動に長けた彼でなければ、事は成し得ないのだ。


「ったく、簡単に難しいことを押し付けて……」

「スマン」

「後で、何か奢れよ!」


 リコットは悪態代わりにそう言うと、一人だけ集団から離れ居館の方に向かうのだった。


****************************************


 リシアは居館の中を、出口を目指して進んでいた。来た道を引き返すだけだが、連れて来られる時に目隠しをされていなかったのが奏功し、迷う事無く進んでいた。


 居館の中は不思議と人の気配は無かったが、外から聞こえる戦いの怒号は潜在的な恐怖感を煽るのに充分なものだった。恐怖に駆られたリシアは自然と早足となる。そして階段を下り、一階廊下に出たところで兵士と出くわしてしまった。


「なんだ? どうやって出てきた?」

「もしやスメリノ様になにか!」


 二人連れの兵士は僅かに残った居館警備の兵だった。彼等数名を残して全員が南門の防衛に回っていた。


「あまりに具合が良く・・・・・って、殺すのが惜しくなった……なんてことは無いよな?」

あの・・スメリノ様だぞ……そんなことある訳ない。女、どうやって出てきた?」


 二人の兵士はスメリノの性情を良くわきまえているようで、無事に解放されたように見えるリシアを不審がって詰め寄って来た。


 対するリシアは、大の大人二人に詰め寄られて、対処する術を持たない。思わず来た道を引き返そうと階段の方へ視線をやる。しかし、


「ん、なんだ?」

「おい? どうした、何かあったのか?」


 と階段の上から、そんな声と共に兵士の仲間二人が降りてきた。そして、リシアは四人の兵士に取り囲まれる格好となってしまった。


「私を逃がして」


 先程の恐怖が蘇ってきたリシアは、震える声でそう言うが、


「おい、上の階のスメリノ様の様子を見て来いよ」

「やだよ、さっき『首を跳ねる』とか言っていたぞ」

「でも、女が一人で逃げているのは、何かあったんだろう」


 等と口々に言う兵士に相手にされなかった。


「――分かったよ、先ずはこの女を捕まえてからだな」


 兵士の一人がそう言うと、無造作にリシアに手を伸ばした。そのとき、


シュッ!


「うがぁ!」


 小さく空気を切り裂く音、次いで、兵士の悲鳴が廊下に響く。それに驚いた兵士たちが、勝手口に続く廊下へ振り向く。そこには小柄な一人分の人影があった。まるで灯りが作り出した影が意志を持って動いているように、無音のままで石床の廊下を駆け寄ってくる。


「なんだ! 侵入者?」


 別の兵士がそう言い掛けるが、小柄な男は構わずに手に持っていた何かを投げ付ける。それは親指の先ほどの大きさの鉛の塊、立方体に鋭く角を付けられたつぶてという暗器の一種だ。その礫は空を切り裂いて飛ぶと、別の兵士の顔面に直撃する。


「ぎゃっ」


 その兵士は眉間に鉛玉を受けて短い悲鳴と共に転倒した。小柄な男 ――リコット―― とリシアを遮る兵士は居なくなったが、リシアの向こうには片手剣を抜いた兵士が二人残っていた。


 リコットは走りながら、腰に巻き付けてあった紐をほどく。それは先端が革製の巾着袋になっている、リコット特製の礫入れだ。袋の中には後十個ほど残っているままだが、リコットは丈夫な革紐を掴むとまるで投石紐スリングのようにそれを回転させる。そして、茫然とした視線を送るリシアの横をすり抜けたリコットは、振り回した皮袋を横殴りに兵士に叩き付けた。


 対する兵士は、剣を立ててそれを防ごうとする。なまくらな刀身に革紐が当たると、先端の重たい皮袋は軌道を急に変えて兵士の後ろ頭を強烈に殴打した。そして、その兵士は殆ど悲鳴を上げることも無く、その場で昏倒していた。


(ああ、もう一人残ってる、面倒くせぇ!)


 リコットの心の叫びが示すように、アッと言う間に三人を無力化したリコットだが、残り一人の兵士と接近した状態で対峙することになってしまった。一方残った兵士は、仲間三人をあっさり倒した侵入者におののきながらも、勇気を振り絞り立ち向かって来る。


ガキィ!


 兵士の剣と、リコットの短剣が交差する。そして、一瞬押し合うように力を入れあった両者だが、リコットは跳ね飛ばされるように後ろに跳び退く。そして、その動きの中で懐から小さな包みを取り出して兵士に投げ付けていた。


 包みは薄い油紙のようで、兵士の顔面に当たると破れて中の粉が飛び出す。


「なんだ、うぇ、ゲホッ、ぐあぁ」


 リコットが投げ付けたのは野草の根をすり潰して煮出した汁を天日で乾かすという製法で作られる……胃薬の一種だ。但しとんでもなく苦くて酸っぱい粉であるそれは、目つぶしに最適だった。


「リシアちゃんだろ? さぁ行くぞ!」

「え、あ、あの――」

「詳しい話は後! さぁ早く」


 そして、廊下に悶絶する兵士達を残して、リコットとリシアは居館から立ち去って行った。


****************************************


 リコットとリシア、小柄な二人は、一気に北の物見塔まで走るため、居館の影から飛び出そうとする。しかし、先頭を行くリコットが居館の影から進み出たところで、折り悪く兵士の一団と遭遇してしまった。


「なんだお前は? 衛兵は全員南門に集合だろ!」

「あ、いや、ちょっと北の物見塔に用事がありまして」

「用事ぃ……怪しいな。お前、隊の名前を言ってみろ」

「……」

「どうした! 忘れたのか?」

「忘れてねーよ! 俺の隊は『飛竜の尻尾』って言うんだ、覚えとけ! 逃げるぞ」


 三十人程の兵士の一団に誰何されたリコットは覚悟を決めると、そう啖呵を切る。そしてまだ物陰に隠れていたリシアの腕を引くと、一気に速度を上げて走る。しかも、ただ逃げるだけでは無かった。リコットは逃げる自分達と追いかけようとする兵達の間の地面に何かをばら撒いていた。


「うわっ、いてぇ!」

「なんだ? 地面に何か落ちてるぞ!」


 そんな兵士達の声が背後から聞こえる。彼等は何かを踏みつけたように足を抱えて痛がったり、得体の知れない物の正体を探そうと地面に目を凝らしている。


 リコットがバラ撒いたのは、鬼菱おにびしの実を模した金属製の物体。角は大工が使う釘のように鋭くなっており、革靴でも余程分厚い物でなければ踏み抜いてしまうものだ。密偵や盗賊などが好んで使う、逃走時の足止め道具である。


 それが時間稼ぎにしかならないことを、リコットは良く分かっていた。だから先を急ぐ。そして、北側の物見塔に入って行く人々の姿を視界に捉えていた。


「もう少しだリシアちゃん、頑張って!」


 リコットの励ます声に、リシアは息が切れて返事が出来なかった。旅を続ける暮らしのために体力には自信のあったリシアだが、早く走るのはまた別の問題だった。しかも追い立てられる恐怖と焦りから、度々足が縺れそうになる。直ぐ後ろにはリコットの足止めを蹴散らした兵士達が殺気立って追いかけてくるのが感じられた。


****************************************


 タリルは物見塔の最上階に達すると、信者達を城砦外へ逃がすために羽毛落下フェザーフォールの力場術を展開していた。この中級程度の力場術は縺れ力場エンタングルメントに効果が似ているが、一方は軽く動きが早い物体の勢いを減衰するのに対して、この術は重量物の加速を緩和する効果がある。そのため、十メートル近くの高さを持つ物見塔から飛び降りても、軽い衝撃だけで着地が可能になるのだ。


 但し、効果を発揮するにつれて力場は弱くなっていくので、三人から五人が飛び降りたら一度掛け直す必要がある。しかも、一般的に力場術は魔力マナの消費が大きいものだ。


 それでも気張って魔術を掛け直し続けるタリルの奮闘と、イデンや白鷹団のジョアナによる神蹟術活精ゲインマインドの助けを得て、三分の二の人々が既に城砦外へ逃げおおせていた。


 そして塔から飛び降りた人々は、一番初めに手本として跳んで見せたジェロの誘導で、外壁近くの商家の影に身を潜ませている。


(後二回ほど掛ければ全員外に出られるな)


 タリルは残りの人数を見てホッと息を吐く。その時、


「あぁ! リシア!」


 不意にジョアナの悲鳴のような声が響くと、タリルとイデンはジョアナの視線が指す塔の下を見る。そこには、二十人前後の兵に追われたリコットとリシアの姿があった。


「タリル!」

「分かった!」


 イデンの短い声に、タリルも短く答える。眼下では、リシアの手を引くリコットの姿。明らかに勢いで上回る兵士は今にもリシアに手を掛けそうだった。


「イデン、もしも俺が気を失ったら……」

「わかってる。殴って起こす」


 タリルの覚悟、魔力が秀でて多い訳でも無い普通の魔術師である彼は魔力の過負荷オーバーロードを辞さない覚悟を示す。対するイデンは、短い言葉と共に頷き返す。


(いや、殴る必要はないだろ……)


 そんな言葉が口を吐きかけるが、眼下の様子はもう猶予が無かった。ジョアナは慌てて塔の下へ続く階段を駆けおりようとしている。それを視界の端で捕えたタリルは、精神を深く集中すると、彼が行使できる最強度の攻撃魔術を起想する。左手による補助動作を伴い虚空に展開される魔術陣は放射系様式の上に風と水の元素を構成要素として示す。そして、続く複雑な展開行程。タリルの額に脂汗が浮かぶが、何とか正しく展開を終えたタリルは、肚の底に残ったありったけの魔力をその魔術陣に叩き込む。そして雷爆波サンダーバーストが発動した。


バシィィ! ――ドオォォン!


 閃光と殆ど同時に轟音が響く。幾筋もの雷条らいじょうが虚空を切り裂き、兵士達の中央に突き立つと、轟音と共に地面を走る雷撃となって兵達を打ち据えていく。そしてリコットとリシアの二人を追っていた兵士は一人残らず地面に倒れ伏していた。タリルはその状況を見ると、脱力したように膝から崩れ落ちたのだった。


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