Episode_15.08 解放戦線、蜂起


 リシアが監獄棟から連れ出される少し前、夕暮れなずむトリムの街中には通常と違う空気が満ちていた。大勢の人々の不満と怒りが渦となった剣呑な空気だ。そして、家族や知り合いを捕えられたアフラ教徒達や、日々の食い扶持を施しに頼っていた貧民層の人々が市街区の東にあるアフラ教会へ大挙して集まる。


 この時既に千人を越える群衆となっていた彼等は、余り立派とは言えない教会の敷地には入りきらず、通りにまではみ出している。そんな彼等は、西方教区の司教であるアルフが何等かの指示をすることを期待していた。しかし、


「皆、気持ちはよく分かる。私も同じ気持ちだ。しかし、暴力は良くない。たとえ暴虐を尽くす兵士や騎士、太守や王家であろうとも、いさかいは話し合いで解決されなければならない」


 集まった群衆の前に姿を現したアルフは、質素なローブに身を包んだまま、いつも通りの柔和な表情で彼等に語りかけた。しかし、群衆は自分達の期待していた言葉ではないアルフの言葉に落胆と不満を口々に発する。怒号とまではいかないが、それらの声が教会内の敷地に低くどよめいた。それに対してアルフは更に何かを言おうとして両手を広げる。しかし、言うことは出来なかった。何故なら教会前の通りを東から駆けてくる馬のいななきが響いて来たからだ。


 集まった群衆は第一騎士団の騎士達が騒ぎを嗅ぎつけてやって来たのかと警戒する。しかし、その物音は街の中心からでなく、外から響いてきていた。そして、


「トリムの住民に告げる!」


 騎馬の集団の先頭を走っていた男が馬上から大声を上げた。白っぽい塗装を施した金属鎧が松明の明かりを受けて赤く染まる。見れば、その男の後ろに控える大勢の騎馬は全員が同じような装備をしている。


「我らは、トリムの街を王権のくびきから解き放つため立ち上がった。今こそ共に戦おう! 武器を取り、共に戦う仲間とつどおう、そして城砦に捕えられた信仰の友を救い出すのだ!」


 その男が呼びかける言葉こそ、集まった群衆が聞きたかった声だった。そして、大勢の人々が、その言葉に呼応するように腕を振り上げ声を上げる。対する馬上の男は片手を上げてそれを制すると、


「目指すはトリムの城砦、我らに続け!」


 と声を上げると、馬を操り颯爽と通りを駆けて行く。その後ろには騎馬五百騎が続き、さらに徒歩の戦士達が続く。群衆はそんな徒歩の戦士達が曳く荷車から槍や剣など、簡素な武器を受け取ると、後に続くように通りを進むのだ。


 一方取り残された格好になったアフラ教会では、既に屋内に戻ったアルフが二階の窓からその様子を満足気に眺めつつ、ボソリと呟いた。


「マズグルめ、明日からは英雄気分を満喫できるな」


 歪んだ口元が示すとおり、その言葉には皮肉が籠っていた。


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 マズグルと呼ばれた男と、彼が率いる一団こそが民衆派の実働部隊「解放戦線」だった。トリムやターポの郊外に分散して訓練を続けつつ待機していた彼等の数はおよそ三千。かつてはマーシュとロージ兄弟や、ダレスが所属していた武装勢力であるが、彼等が知るよりも、今の解放戦線は勢力が大きくなり、武装が強化され訓練も行き届いていた。


 そんな彼等が易々と街中に侵入できたのは、トリムの街の衛兵隊の中に可也の数の内通者がいたためだ。場所によっては部隊丸ごと民衆派という所もあった。そんな内通者達は、外から解放戦線の部隊を引き込むと、自らも彼等の一員として行動を開始する。


 そうやってトリムに侵入した彼等のうち、アフラ教会の有る場所を通ったのが本隊だ。そして、歩兵のみで構成される別働隊は既に北の居住区や南の港湾区に侵入していた。北に侵入した部隊は居住区と貧民区の曖昧な境界線に陣取ると、その一部がトリムの太守であるギムナンを拘束に向かう。そして残りの者達は、暴徒と化した貧民達が比較的裕福な居住区で略奪などを始めないように目を光らせるのだ。


 一方港湾区に侵入した部隊は、安宿や口入屋でくすぶっている港湾労働者を焚付けて自隊に加えていくと、遂に二千を超える集団となっていた。そして彼等は街の通りを北上すると、商業区内でマズグル率いる本隊と合流し、城砦の南側を半包囲すると攻撃を開始した。


 突然の攻撃を受けた城砦側は籠城を余儀なくされた。その時中に居たのは第一騎士団の騎士二百人と兵士八百。それに城砦の警備を行うトリム出身の衛兵隊二百人だ。彼等は満足な備えが無い中で、何とか南の正門を閉じると、四隅の見張り塔から矢と共に警告を発して暴徒と「解放戦線」を城砦に近付けないようにする。


 この時トリムの街に駐留していた第一騎士団の数は騎士が三百に兵士が千五百だった。ターポにも同じ数が駐留している。元来第一騎士団は総勢六千を超える大所帯だが、その半数は通常、王都コルベートの警備に当たっている。そのため、動かしたのは半数に当たる三千名強。それをトリムとターポの半分ずつ配置して民衆派の摘発任務に当たっていたという訳だ。しかし、暴動が発生したトリムでは、約三分の一の兵や騎士は休養のために商業区で接収した数軒の宿に分散して滞在しており城砦内の兵は千に満たない数だった。


 城砦外で騒ぎを聞きつけた騎士達は、同じく城砦外に出ていた兵士達を掻き集めると、何とか城砦の南側に陣取る解放戦線とそれに加わった暴徒達を排除しようと果敢に攻撃を開始した。トリムの街中、城砦の西側を中心に市街戦の火蓋が切って落とされた。


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「左翼包囲網が外側から攻撃を受けています。敵の数は凡そ千」

「左翼、西側へ騎兵を集中。寡兵の騎士など怖れるな、いけ!」


 城砦の南門前に陣取る解放戦線の本体では、マズグルの勇ましい指示が飛ぶ。四十代半ば、丁度マーシュよりも少し年上の彼は、城砦から時折飛来する矢の攻撃に微塵も動じることは無い。元々はコルサス・ベート戦争で土地を奪われた失地領主の子である彼は騎士としての実力も高いが、それ以上に兵を率いて戦うことに長けていた。領地を失い帰る場所を無くした彼は、しばらく中原地方の傭兵団に所属していた時期があり、その時に用兵の基礎を学んだのだ。数年の内に頭角を現し、名が知られるようになったマズグルだが、その活躍と出自をアフラ教会に見いだされて今に至る。それがマズグルと言う男の簡単な経歴である。


「騎兵隊の後詰に第三、第四歩兵中隊を回せ!」

「わかりました!」


 マルグスの指示を受けた伝令兵が本隊を飛び出していく。それを見送った彼は、側に控えている副官達に命じた、今度は周りを気にするような押えた声量だ。


「兵以外の群衆の数は?」

「は、約二千から三千と思われます」

「よし、彼等に破城槌を渡して南門を破らせろ」

「……彼等に、ですか?」


 副官の一人が思わず訊き返すが、マルグスはその問いを黙殺する。そして、問いかけた副官は少し顔色を蒼くすると押えた声でその命令を復唱するのだった。


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 ジェロ達四人組は、暴徒と化した群衆に紛れて城砦の南門前まで来ていた。四人とも港湾労働者の格好から衛兵の格好に変わっている。ここまで来る途中で襲われた衛兵詰所で、武装解除されて拘束されていた衛兵から剥ぎ取った装備である。労働者の格好のまま暴動に飛び込むというのは心許なかった上に、彼等はこの件を機に一度トリムを離れることに決めていた。そして、離れる前に一仕事しようと画策していたのだ。


 そんな彼等の周囲には、アフラ教徒の釈放を叫ぶ声や、食糧を出せと怒鳴る声に満たされている。早速熱狂といっても良いほど凄まじい熱気を帯びた暴徒達だ。そこへ、解放戦線の兵や騎兵たちがやってきて破城槌を置くと、彼等のリーダーのような少し年配の兵士が、


「諸君! 我らと共にあの門を突破してくれ!」


 と、真剣に協力を呼びかける。破城槌は、二十人程度の人力で運用する簡単なものだ。太い丸太には持ち手として紐が括りつけられており、先端は巨大なやじりの格好をした鉄の塊が取り付けられている。威力は有りそうだが、城砦の南門を突破するには時間がかかりそうだった。また、その間予想される敵の攻撃から身を守る術は無い。


「おい、完全に捨て駒扱いじゃないか」

「露骨だな」

「蛮勇は勇気とは呼べない」

「しかし、上手いやり方だ」


 ジェロの呆れた声も、それに応じるリコット達の声も、暴徒達の喧騒に紛れて掻き消される。そして、ジェロが言った「捨て駒」にされるとも知らずに、熱に浮かされた暴徒達は我先にと破城槌に取り付くと、それを南門まで運んでいくのだ。当然の如く、何人もの男達が見張り塔から矢で狙い撃ちにされる。しかし、破城槌を持とうとする者は次から次へと現れる。そして、仲間の死体を踏み越えるようにして巨大な攻城兵はじりじりと南門へ迫って行くのだ。


「見ていてもしょうがない、俺達は北側へ回るぞ」


 痛ましい犠牲を強いる行動から目を逸らせたジェロは、他の三人にそう言うと暴徒の群衆の中を移動し始めていた。


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 暴徒と解放戦線が城砦に押し寄せる少し前、城砦内の居館の三階では、リシアがスメリノと対峙していた。


 スメリノは、さも当然の如くリシアに服を脱ぐように命じる。しかし、その意味する所は如何に世間擦れ・・・・していないリシアでも良く分かっている。だから、


「私達は民衆派とは関係がありません。解放してください」


 とハッキリと言い返した。対するスメリノは、この状況で瞳に一切の恐怖を映さないリシアに少し驚くと、直ぐに端正な顔を欲望の笑みに歪める。彼の経験では、幾ら強がって見せても其れは最初だけの抵抗なのだ。そしてその抵抗を削ぐ術を幾つも心得ていた。


「解放しよう、お前さえ私の言う通りにしてくれれば」


 そう言うと一歩進み出る。リシアは生理的に距離を詰めるのを嫌がると部屋の扉を開けようとする。しかし、扉はガチャガチャと音を立てるだけで開く事は無かった。


「無駄だ、閉まる度に鍵がかかる扉だ。そして、鍵は私が持っている」

「近寄らないで!」

「それは無理だな」


 そう言うとスメリノは台の上から鞭を取り出す。ささくれ立った革の表面には幾つもの黒いシミがこびり付くように染み込んでいて、打込まれた金属の鋲は赤茶色に錆びている。恐ろし気な外見の鞭だ。


シュッ!


「きゃ!」


 鞭の先端は、まるでリシアをなぶるように足元の床を叩く。思わず悲鳴を上げるリシアの様子にスメリノは愉快そうな笑い声を上げた。そして、鞭が振るわれることが繰り返される。


「ほら、当てないと思って安心しているとこうだぞ!」


 そんな言葉と共に、二度三度と鞭はリシアの足を打ち据えていた。ローブの上から叩かれたとは思えない痛みに、リシアの顔は苦痛と涙を浮かべる。その表情にスメリノは更に興奮の度合いを高めたように、再び鞭を振ろうとする。その時、


「スメリノ様! 街の住人が暴徒化してこの城砦に――」


 不意に扉の外から聞こえてきた声は、緊迫感を帯びていた。しかし、愉悦ゆえつに浸っていたスメリノにその緊迫感は伝わらなかった。それどころか、


「うるさい! 次に邪魔をしたら首を跳ねるぞ! 暴徒だのなんだの、騎士団で対処せよ!」


 と金切り声のような怒声を上げていた。そして、扉の向こう側から人の気配が感じられなくなるまで待ったスメリノは再びリシアに視線を戻す。


 少しきょうが殺がれたのだろうか、彼は先ほどまでの歪んだ笑みが抜け落ちた面白くなさそうな表情のまま再び鞭を振るってきた。そして、その先端はリシアの足元の床を打ち、弾かれて彼女の左足に巻き付く。グッと籠められた男の力に、か細いリシアは抗うことが出来ず、足元をすくわれるように仰向けで床に転倒してしまった。弾みでローブの裾が乱れて、細い足が太腿まで露出する。


「諦めろ、大人しく言う事を聞いてくれれば仲間はみんな解放する」

「嘘っ!」

「……どうだろうな? 確かめてみればいい!」


 スメリノはそう言いながらもグイグイと鞭を手元に引き寄せる。何とかあらがうリシアだが、元々華奢な体は軽く、面白いようにスメリノに手繰り寄せられてしまう。しかも、もがくほどにローブの裾は捲り上がり、今や粗末な下着しか身に着けていない下半身が露出していた。その光景がスメリノの加虐的な性向に拍車を掛ける。


「いきなり斬ったり刺したりすると、直ぐに弱ってしまうからな……最初は活きの良さを楽しまなくては!」


 そんな言葉を口走る彼は、再び歪んだ悦びを湛えた表情を取り戻していた。一方リシアは絨毯の端を掴んで何とか抵抗するが、それも空しく、結局スメリノの足元まで手繰り寄せられてしまった。リシアは最後の抵抗として足を滅茶苦茶に動かしスメリノを近づけないようにするが、難なくその細い足首を捕えられてしまう。


「きゃぁ!」

「背丈が合わないから、十字柱は無しだな……まぁ良いか」


 リシアの悲鳴を全く頓着しないスメリノは自分の独り言に納得すると、リシアの両足に鞭を巻き付け足の動きを封じてから、両手で彼女の黒髪を乱暴に掴み、強引に床からベッドへ引っ張り上げる。そして、放り投げるようにリシアを仰向けにベッドに寝かせると、馬乗りに覆い被さって、片手ずつ鉄輪の手枷で拘束しようとする。やろうと思えば一気に自由を奪える状況だが、スメリノはもがいて暴れるリシアの様子を楽しむように緩慢に動いていた。そして時折、不意に胸を掴んだり、首を絞めたりする。


 なすがままにもてあそばれる状態に、リシアの心は恐怖と混乱に満たされていた。ベッドに押し倒されて男が馬乗りになっている。小柄な彼女からすると、大人の男は全員が大男だ。幾ら体をよじってもビクとも動かない。その状態で、彼女は不意に昔の光景を脳裏に甦らせていた。

 

 それは、物心がついたころの光景。当時両親だと思っていた育ての親と暮らしていた森の中の小さな集落。百世帯も無い小さな村はある日突然野盗の集団に襲われた。今になって思うと何処かの軍勢の敗残兵だったのかもしれない。荒れ狂った男達は僅かな食糧を奪うために、集落を襲うと殆どの人を虐殺した。その過程で、森へ逃げる途中の幼いリシアは、凶悪な人相の男が、こうやって近所の年上のお姉ちゃんの上に圧し掛かっていたのを見ていた。あの時の野盗の卑しい表情が目の前のスメリノの歪んだ笑い顔と重なる。


 ――痛い、やめて、痛い!――


 普段は綺麗にしていて、幼いリシアとよく遊んでくれたそのお姉ちゃんは、その時悲痛な叫び声を上げていた。その光景と今の自分の状態が、リシアの心の中で重なる。


(いやだ、あんな目に遭いたくない!)


 それは、生き物として誰しもが持っている自己保存の本能そのものだった。それが、リシアの辛い過去の記憶と結びついて強烈な意志を伴った声・・・・・・・になって表に現れる。


「離してっ! 助けて、ユーリー!」


 その瞬間、居館の三階の一室は眩い光に包まれていた。

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