Episode_15.07 虜囚の聖女


 トリムの街は全体として南が港湾区、中央は商業区、そして北から西へと続く内陸側の一帯に居住区が、東側に貧民区と呼ばれる地域が広がっている。街の中枢であるトリムの城砦はそんな街の中央、商業区の中心に位置していた。城砦はそれ程大きな建造物では無い。一辺が二百メートル程度、高さ三メートルの上から見ると真四角に近い格好をした外壁に囲まれた建物だ。外壁は四隅に物見塔を備えているが、壁自体は上を兵士が行き来できるような厚さではない。その外壁の内側、敷地の中心部には三層構造の石造りの館があり、そこが本来トリム太守の居館になる。しかし、太守本人は郊外の別邸に移っており、今の太守の居館に居座るのはスメリノであった。


 城砦の敷地内には南向きの正門と居館の間を遮るように行政舎と呼ばれる役人が詰める建物がある。そして、太守の居館の西側には兵舎と厩舎が設けられている。その反対の東側には監獄棟と呼ばれる罪人を捕えておく堅牢な石造りの建物が存在する。そんな監獄棟は少し前に数十人の老若男女を問わない集団を呑み込んだばかりだ。


 監獄棟は通常、街の犯罪人を捕え、取り調べと裁判、さらに刑の執行を一緒に行う施設である。そんな監獄棟に捕えられた人々の数は、先週からこの日の夕方に掛けて、分かっているだけで三十人強のアフラ教会関係者、二十人の一般住民、そして十人のパスティナ救民使白鷹団の面々だ。


 本来なら、それ以外の犯罪人も牢に捕えられていたはずだ。しかし、恐ろしいことに一連の騒動が起きた時には監獄棟内部の牢はアフラ教徒を待ち構えるように、綺麗に空となっていた。


 捕えられた人々が只の犯罪者ならば、主犯などは独房へ、そしてその他大勢は雑居房に放り込んでおくだけだ。しかし、捕えられたアフラ教徒やリシア達パスティナ神の信徒の中には神蹟術を操る者が含まれている。そのため、獄卒達は普段以上に彼等の収容に注意を払う事が要求された。というのも、魔術師も精霊術師も神蹟術を用いる聖職者も本来、牢に繋ぎ止めておくには注意を要する人種だからだ。


 一般人から見れば不思議で不気味な力である魔術、精霊の力、又は神の奇跡を封じておくような封印設備を備えたちゃんとした・・・・・・監獄などトリムには有るはずが無い。また、一時的な制約ギアスを掛けられるほど高位の魔術師も居ない。その上、外見からは誰がそのような力をもっているのか分からないのだ。そのため、捕えられた人々の選別は簡易的な魔術具に頼ることになる。


 「魔力の天秤」と呼ばれる青銅製の両天秤がその魔術具に当たる。片側の腕には心臓を模した真鍮製のおもりが鎖で繋がっており、もう片方の腕には空の皿がぶら下がっている。通常は真鍮の錘が繋がった側に傾いているが、魔力マナを一定以上持つ者が支軸に触れると空の皿が下がり、錘が浮き上がる。その加減でどの程度の魔力を持っているかを量る、というのがこの魔術具の利用方法だ。


 しかし、これでも簡易的と言われるのは、この「魔力の天秤」は本来魔力マナの量の多寡たかはかるためのものでは無いからだ。心臓を模した錘が表わすように、この魔術具は支軸に触れた人間の生命力エーテル魔力マナバランス・・・・を量る魔術具、つまり巫病ふびょうの患者を見分けることが本来の目的なのだ。


 しかし、魔術等を使う者が少ない昨今では、そのような人物が罪人となって捕えられること自体が稀である。そのため不完全な装置であるがトリムの監獄棟では使われ続けているのだ。


 監獄棟に押し込められた人々は先頭から順にその天秤を触って行く。既にアフラ教会の宣教師といった表に出る人々は捕えられた後なので、今回の集団に「魔力の天秤」が反応を示すものはいなかった。そうしてアフラ教会の関係者たちは十人前後が詰め込まれる雑居房へ移送されていく。


 一方、不運にも孤児院に居合わせたために拘束されたパスティナ救民使「白鷹団」の面々は少し具合が違った。先ずリーダーのジョアナやエーヴィーを含む者達五名に対して魔力の天秤は反応を示した。


「チッ、五人か……多いな! 独房足りるか?」

「ああ、昨日死んじまった奴の独房が空いたからギリギリだな」

「まぁ、その内減るんだ……ほら、歩け!」


 極卒達の会話は内容を想像するだけで吐き気を催すものだ。歳の若いエーヴィーは露骨に顔を蒼ざめさせている。そんな彼女ら五人の仲間をリシアは残りの仲間達と見送っていた。そして、雑居房に移されていく。


 因みにリシアが「魔力の天秤」に触れた時、天秤の腕は大きく揺れたが、結局心臓を模した錘が少し持ち上がっただけで揺れは治まっていた。リシアは獄卒に頭をバシンと叩かれると、


「丁寧に扱え! 馬鹿女」


 と罵声を浴びただけで、魔術等を使わない人達と一緒の雑居房に行くことになったのだった。


****************************************


 スメリノはその晩、鼻歌混じりで監獄棟へ足を運んでいた。本来なら高貴な身分の自分が足を運ぶべきではないのは分かっているが、どうしても気が逸って・・・・・しまうのだ。


 そんな彼は、ここ一週間の日々をまるで天国か楽園にいるような気持ちで過ごしていた。何処でどう狂ったのか分からないが、生来のもの、といえるスメリノの嗜虐的な性向は、歳を重ね二十二歳となった今、膨れ上がる性欲の煽りを受けてより一層いびつに成長していた。魔獣スメリノソレ・・に目覚めたのはディンスを去る少し前だっただろう。盗みの罪で捕えた若い男を、戯れに拷問した時だった。その若者が上げる苦痛の悲鳴に思わず精を漏らしたのだ。その時からスメリノは、この陰惨な快楽のとりこになっていた。


 しかも今、彼の周囲にはそれをとがめるレスリックのような口うるさい人間はいなかった。そのため、歯止めを無くしたスメリノは毎晩のように生贄を選び出すと男女問わず、実際は年寄よりも若者が好みだが、選び出し居館の三階にある自室で死ぬまで拷問と凌辱を加えるのが日課となっていたのだ。


 そんなスメリノは獄卒相手に遠慮なく今日の気分を伝える。


「今日は……そうだな、若くて小柄な女がいいな」

「は、はぁ……」


 スメリノが遠慮せずに自分の欲望を伝えるのは、獄卒如きの口などいつでも封じることが出来るという考えの現れだった。現に彼は、この件が終わったら監獄棟を管理する獄卒達を全員処刑するつもりでいた。王家に忠誠を誓い、街の暮らしと秩序を守るため、陰惨な仕事に身を投じる彼等に対して労に報いる気持ちなど欠片も持っていないのだ。


 そうとは知らない獄卒達は、スメリノの異常性に畏れを抱きつつ、彼の希望に沿うような女がいる雑居房へ彼を案内する。それは不幸にもリシアが捕えられた房だった。


「あ、あの娘がいいな」

「あれですか……わかりました」


 雑居房の入口に設けられた扉の格子から中を覗いたスメリノは直ぐに小柄な少女、つまりリシアに目星を付けていた。そして、それを伝えると足早に監獄棟を後にするのだ。一方、彼の意向を受けた獄卒は、しばらく時間を置いてから雑居房の扉を開けると、


「おい、そこの娘! 取り調べだ、出ろ!」


 と、心の底に残った良心を打ち負かすような大声で乱暴に言うのだった。


****************************************


 リシアは木製の手枷をされた両手を前にして、監獄棟の建物を出た。取り調べは同じ建物内だと思っていただけに、しばらく城砦内を歩いた後に立派な建物に入って行くのは驚いた。正面玄関ではなく、側面の勝手口のような小さな通用口から建物に入ったリシアは、獄卒と途中で加わった騎士と兵士四名、合計六名に連行されると石造りの建物の中、階段を上って行く。途中二回ほど城砦勤めの下女や下男の姿が目に入ったが、それらの者はリシアの姿を認めると、一瞬表情が曇り、次の瞬間には目を伏せたのだ。


(なにかしら……)


 また、彼女を囲んで進む兵士達や騎士の表情は仮面を身に着けたように動きが無い。強いて言うなら兵の一人がチラリとリシアの顔を見ると、それと分かるパスティナ神の印を胸の前で組んだことだ。一瞬の出来事だったが、その仕草がこれから起こることへの恐怖をリシアの中に植え付けた。


(……)


 恐怖はあるが、何が起こるか想像もつかない。只々不安を感じるリシアは遂に三層ある石造りの居館の最上階に達していた。殆ど立方体に近い建物の三階は一階と同じほどの広さを持っている。そして階段を上りきった先には、蝋燭が点々と灯された暗い廊下が続いていた。リシアを連行する者達はいつの間にか騎士と兵士達だけになっている。そんな一行に囲まれて進むリシアは薄暗い廊下を進んだ先の扉の前で止まる。


「連れて来ました!」

「よし、その者だけを中に入れろ……お前達は何時も通り下の階に控えているんだ!」


 不意に騎士が声を発すると、扉の向こうから横柄おうへいな声が返ってくる。扉の向こうの声の主は未だ若い張りのある声をしていた。そうリシアが感じた時、不意に両手を拘束していた手枷が外され、目の前の扉が開かれた。そして、ドンと背中を突き飛ばされたリシアは前のめりに室内に足を踏み入れたのだ。


バタン!


 リシアがタタラを踏んで扉の内側に入ったと同時に、その扉は大きな音を立てて閉められた。


「あ……」


 リシアは顔を上げると室内を見渡す。ちょっとした一軒家ほどの広さがある室内には浴槽や化粧鏡、重厚な装飾の机にベッドなど豪華な家具が揃っている。しかし、リシアの意識が向かったのはそれらの家具ではなかった。


 部屋の中央に不自然にしつらえた粗末な木製のベッドと、頑丈な十字柱。ベッドの方は、上から清潔な白いシーツを掛けられているが、その四隅から鉄輪のついた鎖が伸びている。また、木製の頑丈な十字柱は憐れな犠牲者を待ち受けるように、左右の腕木に付けられた鉄製の手枷が口を開けていた。そして、側の台には大小長さの違う針のような器具、びょうを打った革の鞭、刀身が様々な形に波打った薄い刃物類、そして何に使うかも分からない長さや太さが異なる棒きれが並べられている。


 まるで監獄棟の拷問部屋が、まるまる引っ越して来たかのような異様であるが、部屋に薄らと漂う血と糞尿の匂いが、その印象に拍車を掛ける。そんな異様な部屋の主はニッコリと笑うと、一歩二歩とリリアへ近づく。そして、表情とは裏腹な冷たい声でリシアに命じるように声を掛けてきた。


「女、服を脱げ」

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