Episode_15.05 白鷹団の聖女
口入屋の門で立ち尽くした彼等だが、そんな彼等の後からも、次から次へと、同じように戸板に乗せられたり、担がれたりした怪我人が運び込まれていた。見れば怪我人の割合は、アフラ教の信者と港湾労働者が半々といった比率だった。既に門の内側で店の建物との間の狭い空間は怪我人と運んできた人々で埋め尽くされている。
余りの光景に女性を運んできた男達は立ち尽くす。威勢が良くて喧嘩っ早い港湾労働者でも、大勢の怪我人が苦しむ様は恐ろしい光景に映った。そこへ、
「ちょっと、通してって! はぁはぁ、あっ、この人可也傷が深いわね!」
人だかりを割って一人の少女がやってきた。聖職者が身に着ける灰色のフード付きローブを纏い、首からパスティナ神のシンボルを刻んだ聖印を下げている。鼻から頬に掛けて薄く
「慈愛の御名におすがりします。慈しみの母パスティナよ、この者から苦痛を遠ざけ給え」
中位の神蹟術
「この女の人は奥へ! ジョアナさんとリシアさんがいるわ!」
「わ、わかった! エーヴィーちゃん、助かったよ」
「さぁ早く行って、他の人の邪魔よ!」
屈強な労働者の礼に答える少女の口調は厳しいが、その顔は少し微笑んでいる。そして促された男達は再び戸板を担いで店の中に女を運び込むのだった。
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店の奥には普段職を求める人々が集まる広めの空間が広がっているが、今は重傷を負った人々が寝かされている。そんな人々の間を行き交いながら、次々に高度な神蹟術を掛けているのは、数人の年長の人々だ。全員が玄関外に出ていたエーヴィーと同じような格好をしている。
「慈愛に満ちたる大母パスティナよ、損じられた肉体を元の形にお戻しください」
その中でも年配の女性は高度な神蹟術である「
息も絶え絶えで、意識はとうに失っていた重傷者は、その奇跡を受けて規則正しい呼吸を取り戻す。失われた血液を取り戻すまではしばらく療養を必要とするだろうが、死の影は既に遠くへ追いやられていた。その様子に年配の女性はホッと一息つく。その時、
「ジョアナ様、こちらの方を」
ついで運び込まれてきた女性は、既に息絶えつつあった。彼女を乗せた戸板はべったりと血で濡れ、既に土気色となった肌色に対して陰惨な対比を見せる。
「リシアを呼んできてちょうだい!」
ジョアナはその様子に自分の神蹟術では既に手遅れであると察し、周りにいた者に声をかける。すると、
「ジョアナ、私はここ」
鈴を鳴らしたような凛とした声が響く。その一言で、血の匂いに満たされた玄関に涼風が吹いたようになった。リシアと呼ばれて返事をした声の主は若い女性。大きな目元からスッと通った鼻筋。抜けるように白い肌と朱色の薄い唇だが、酷薄な印象とは真逆の柔和な表情を浮かべる、黒髪黒目の女性だ。
小柄で華奢な体付きと少し
「リシア、この人を」
「わかっている……」
ジョアナの言葉を遮ったリシアは、一度呼吸を整えると瞳を閉じる。そして、白く細い手が血に塗れるのも構わずに、大きな傷口の上に手を添えると、
「引き裂かれた骨肉よ、元の場所に戻りなさい。鼓動は定めの時まで止まってはいけない」
と、宣言するように言う。それは、周りの人々がパスティナ神へと捧げる祈り ――神蹟術―― とは明らかに異なるものだ。そしてリシアの言葉に応じるように彼女の手は一瞬だけ強い
その様子に重傷を負った女性を運び込んで来た男達は目を丸くする。しかし、リシアは平然とした様子で、男達の視線から露わになった女性の胸を遮りつつ、一息吐く。そして、
「ふう……ねぇジョアナ、一体何があったの?」
と、母代りの女性に疑問を発していた。
重傷を負った女性を口入屋に運び込んだ男の内二人は、冒険者「飛竜の尻尾団」のリコットとタリルだ。他にジェロとイデンも、同じく港湾労働者に扮してトリムの街の港に潜入しているが、今は別行動中だ。
そんな二人は、目の前に現れた少女と呼んで良いほど若い女性の容姿を見て目を見開いていた。他の労働者もその「奇跡」と呼ぶべき治癒に驚いていたが、彼等二人の驚きはまた別の意味合いを持っていた。
(え? ユーリー!?)
(まさか……この子ってユーリーの……そう言えば名前はリシアだったな)
流石に大声で驚くことは無い。それでも本来そのような内面の動き、驚愕や動揺といったものを表に出すことは、潜伏工作を行う者として身を危うくする失態だ。その事は、この手の仕事に慣れているリコットやタリルにもよく分かっている。しかし、それをしても、驚かざるを得ないほどリシアという女性はユーリーに似ていたのだ。
そして、タリルは以前ユーリーが語っていた話を思い出す。それは、彼には彼そっくりの姉がいる、というものだった。生き別れて育ち、以前に再会したがその後直ぐに行方知れずとなった、と聞いていた。その時ヨシンが少し興奮気味に、ユーリーに生き写しなんだ、と言っていた事を覚えていたのだ。
労働者の屈強な男が、何があったかをジョアンとリシアに説明している。その一方で、このリコットとタリルの注意はリシアだけに向いていた。その若干の雰囲気の違いを読み取った彼女は、問い掛けるような視線を二人に向けた。一瞬だけ、視線が絡む。そして、リシアは何事か読み取ったようにニコリと微笑むと軽く頭を下げて別の怪我人を見るためにその場を立ち去った。
「おい、仕事に戻るぞ!」
「あ、ああ、そうだな」
リコットもタリルも自分達に向けられた微笑みの意味に戸惑う。そして、まるで心の奥を見透かされたような感覚に少しの畏れと、感動にも似た気持ちを抱いた。そんな二人は、屈強な労働者のダミ声で現実に戻ると、後ろ髪を引かれる思いでその口入屋を後にしたのだ。
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その日、早朝の施しを襲った王弟派第一騎士団の兵や騎士達は、数十人のアフラ教宣教師を捕えていた。捕えられた者達は全員トリムの城砦に送られると、そこで民衆派との繋がりを厳しく尋問されることになる。
その状況にアフラ教の信者や残った教団幹部の面々の焦りと怒りが募る。当然それは、アフラ教会司教のアルフの元に届く。しかし、アルフが何か行動に移ることは無かった。只、
「軽挙は慎むように、彼等の無事を神に祈ろう」
として、焦る信者達が暴発しないように呼びかけるだけだった。大勢の同胞が捕えられ苦難に遭っているにも係わらず、具体的に行動を止められた信者達は只々怒りと焦りを溜め込むしかなかった。
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それから一週間、トリムの街は平静を取り戻したように静かだった。主要な宣教師が捕えられたアフラ教であったが、信者達は自主的に集まると教会の備蓄庫から食糧を運びだし炊き出しを続けていた。
多くの街の人々や労働者達は、満腹になるほど食べることは出来ないが、それなりに飢えることもない生活を送る。捕えられてしまった宣教師達の身は案じられるが、上辺だけでも平穏を取り戻した街の様子に成りつつあった。
そんな或る日、午前からパスティナ神の救民使「白鷹団」は日課となっている孤児院訪問を行っていた。この孤児院は街の有志の寄付によって運営されていたが、今はアフラ教会が全般的に管理している。規模は相当大きく、百数十人の乳飲み子から十五歳前後の少年少女を養っている孤児院だ。
そんな孤児院は、
また、ジョアナ率いる「白鷹団」はそれ程他者への布教活動を熱心に行っていない。ジョアナの前の代のリーダーであるイザムは布教に積極的な人物であったが、ある事件を通して代替わりしたジョアナの関心は自己の信仰を突き詰めることにあった。そのため、アフラ教会の施設であっても邪魔にされることは無かったというのが、大きな理由だった。
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