Episode_15.03 六神教会議


 王子派が着実に次の一手を準備していた八月下旬、王都コルベートの王弟ライアード居城、白珠城パルアディスの大会議場には、厳粛とした雰囲気を備えた聖職者達が大挙して詰め掛けていた。


 彼等聖職者は分厚く上等で肌触りの良い生地を、まるで言い訳するように地味な色で染め上げた法衣を羽織り、金や銀、または真銀ミスリルで装飾された聖印や錫杖しゃくじょうを携えた高位の聖職者達である。似たような格好の供連れを引き連れた彼等の身分は法の神ミスラ慈愛の母神パスティナ戦の神マルス幸運神フリギア富の運び手テーベそして、知識の護り手オーディスと呼ばれる六柱の神々の神殿のあるじ、大司祭達である。


 王都コルベートには、コルサス王国内に勢力を持つそれらの神殿の本部とも言うべき大きな神殿が存在する。王政健在なりし昔は、人々の六柱の神々へ向ける信仰は確固たるもので、夫々の社会的階層に応じた神々が、民衆によってあつく信仰されていた。


 神への祈りを通じて人生を平安に過ごす道標みちしるべを得る。それは、多くの人々が求める信仰の形であろう。しかしそれを司る神殿側は永く、そして深く俗世の利権にまみれていた。例えば、国ごとに大神殿があり大司教がいて、国境を境界線として信徒の管理をしている事。また、信仰の篤さ云々うんぬんを考慮することなく、権力の原理を持ち込んだ階層支配構造ヒエラルキーを構築していること。それらは、如何に神殿が俗な存在になっているかを現しており、その最たるものがこの六神教会議の存在とそこに出席する大司祭を始めとした高位の聖職者の存在である。


 そんな彼等の応対をするのは王弟ライアードでもなければ宰相ロルドールでもなく、王弟の長子であるが庶子故に一段低い身分とされているガリアノである。一応ライアードの名代と言うことで会議に参加しているのだが、大司教たちの要望に対する返答は、会議が始まる前からあらかじめ用意されていたものだ。ガリアノの役目はその返事を彼等に伝えるというだけのものだった。


「このコルベートでも、アフラ教会の活動は活発化し、信者の数が増えつつあります」

「ターポやトリムで、民衆派の活動を取り締まる名目でアフラ教徒も取り締まって頂いておりますが……手ぬるいかと」


 六神教の中で権力層に信者が多いミスラの大司祭と、兵士や騎士に信者が多いマルスの大司祭が、口火を切った。すると、それに追随するように、


「トリムやターポでは、アフラ教会が積極的に救民活動を行っております。特にトリムの大教会では、日々の炊き出しに人々が長蛇の列を作っており、我らが週に一度、何とか遣り繰りして行う施しに、人々は見向きもしません」


 とパスティナの大司祭が言う。それに対して、テーベの大司祭が訳知り顔で説明する。


「それについては、ベート経由で大量の食糧が中原から運ばれているためとか。お蔭で四都市連合の商人達でさえ、トリムでは商売にならないとのこと」


 昨年の不作の影響は深刻な形で王弟派の領内に現れていた。容赦なく徴税した結果、農村部が疲弊し、天候が順調だった今年の収穫も例年を下回る勢いだという。コルベートよりも西側の各都市の人々には耐えるしか手段が無かったが、一方東側の都市の人々にはアフラ教会の施し、という助けがあった。


 陸路と海路を経由して、中原ロ・アーシラ王国からほぼ無尽蔵に送られてくる穀物類は、施しとなって窮した人々に行き渡っていたのだ。そうなると、人心は容易に既存の信仰から新しい信仰へと目を向けることになる。ターポやトリムといった都市部では、その動きが顕著に表れており、街中にあるアフラ教会の聖堂には連日多くの人々が押し掛けているという。


 そんな状況に、既存の六神教の神殿も手をこまねいていた訳では無いが、硬直化した組織の中では、先ほどパスティナの大司祭が言ったような施しを何とか毎週一度実施する程度だったのだ。


 一方、神殿とはたもとを分かった民間の救民使達は其れなりの活躍をしていたが、彼等は神殿が求めるような布施や寄付金を伴う帰依きえを要求しない。純粋に信仰の素晴らしさを伝えるだけなのだ。そのため、同じ神を信仰する者であっても、神殿の人々は民間の救民使達を歯牙しがにもかけないのだ。


「このままでは、そのうち権力者層からもアフラ教に鞍替えするものが現れるでしょう。彼等の信仰は、厳格に信者間の身分の違いを取り払うもの。王国の秩序が変わりますぞ」

「それは、兵達においても同じ。アフラ教の教えは基本的には非暴力。戦いが正当化されるのは信仰を守る時のみ……兵の士気に大いに影響します」


 特に勢力と発言力が大きいミスラとマルスの大司祭はそのような警告を発する。それを聞くガリアノは溜息が出そうになるのを堪えると、彼等の意図を正確に読み取っていた。


(やはり、アフラ教を禁教化させたいのだな……それも王家主導でそうさせたいのか)


 ということでほぼ間違い無いとガリアノは考えていた。


 禁教化というのは、実は百数十年前に一度だけ行われたことがある。当時一世を風靡ふうびしていた終末思想。その思想を広めたのがノロス・アッティスという神への信仰だった。ノロスは元々時を司る神、アッティスは破壊と再生を司る神だ。その二柱の神を同じ神の違う側面と説いたノロス・アッティス終末教はコルサス王国やベート、オーチェンカスクを中心に大変な盛り上がりを見せ、暴徒化した民衆が度々焼き討ちや反乱を起こすことがあった。


 そのためコルサス王国内では、六神教の大司祭達がこれを邪教に認定し禁教化した。そして、王家がそれを追認したのだ。その結果、ノロス・アッティス終末教の隆盛は数年で鎮静化されたという実績があった。


 しかし今回のアフラ教の流行は、民衆派と解放戦線の暴力的な活動を除けば、特に社会を揺るがすような問題は起こしていない。寧ろ、王政が機能不全に陥っている中、民生の部分を肩代わりしているような役割を発揮しているといえる。そんなアフラ教会の活動を一切禁じてしまうのは反って良くないことのようにガリアノには感じられたのだ。


「アフラ教会に関して、これを今すぐ禁じることは難しい。しかし、王家にとって問題となる民衆派の隠れ蓑になっていることは事実。今後より一層強力に取締りを行うことを約束しよう」


****************************************


 人気が無くなった大会議場で、ガリアノはホッと溜息を吐くと肩を回すような仕草をする。予め準備されていた返事を受け取った六神教の大司祭たちは渋々といった表情で既に白珠城パルアディスを辞去していた。そして、一人残ったガリアノは慣れない仕事をひと段落させたことでホッと一息ついていたのだ。


 二十四歳の彼は、自分の事を良く知る若者だった。本来自分はこの城の中に居るべき人間では無いと考えている。父親こそこの城の主である王弟ライアードだが、生みの母親は名も伝わっていない身分の低い下女だという。


 そう聞かされて育ったガリアノは、幼少期の大部分をイグル郷という山間の田舎町で過ごしていた。今でこそ、イグル郷は「王の隠剣」と呼ばれる特殊で精強な兵達の故郷であることを知っているが、その当時の彼にとっては森や山や河に囲まれた山深い田舎町は世界の全てであった。


 さとの同年代の子供らと朝早くから夜遅くまで野山を駆け回って遊んでいたのは十数年も昔の話だ。しかし、今のように重厚な花崗岩の岩に囲まれた城の中にいると、時折その頃の記憶が無性に懐かしく思い出されるのだ。


「はぁ……」


 ガリアノは自然と口をついて出た二度目の溜息に被さるように、足音が近づいて来るのを察知する。城に多く仕えている文官が立てる底の柔らかい皮靴の音では無い。金属が石床を擦る硬い音だ。


「……レスリックか?」

「はい、ガリアノ様」

「戻ったのか」

「昨日、呼び出しが有りましたので」


 足音だけで、その主を当てるガリアノだが、対するレスリックはさほど驚いた様子も無く、平然と答えている。


「ディンスから退いたのは二か月前だったと思うが、中々顔を見せないから心配したぞ」

「騎士と兵士の再編成、それに負傷者の療養と、色々忙しく……」


 斜め後ろに立つレスリックに、ガリアノは椅子から立ち上がると向き直る。その表情にはまるで肉親を迎えるような親し気な表情が浮かんでいた。


「ドリムも大怪我をしたとか、大事は無いと思うが、ニーサとアンがとても心配していたぞ。なだめるのに苦労した」

「それは飛んだお手間を掛けさせてしまいました。ドリムの怪我は、まったく情けない事です。名も知らない若い騎士にやられたとか。本人は多いに反省しているのか、イグル郷に帰ることを頑なに拒んでおりまして」

「はは、ドリムらしいな」


 打ち解けた会話である。幼少期をイグル郷で育ったガリアノが、イグル姓を持つレスリックやドリムの一族と親密なのは当然と言える。


「しかし、ディンスの守りをあのオーヴァン・・・・・・・率いる第二騎士団に任せるとは……ロルドールは何を――」

「ガリアノ様、オーヴァン将軍は歴戦の勇士、王の剣と綽名されるほどの猛者です。二度も同じ相手に後れを取ることはありますまい。それに配下の第三騎士団から多くの兵と騎士を残して来ました。ディンスは安泰です」


 ガリアノが宰相ロルドールを批判し掛けたところで、レスリックはそれに割って入るように彼の言葉を遮った。レスリックとしても、今の配置には言いたい事がある。しかし、ここは白珠城パルアディスの中である。何処で誰が聞き耳を立てているか分からないのだ。迂闊うかつな事をガリアノに言わせる訳にはいかなかった。また、ガリアノもレスリックの配慮に気付くと、自分の迂闊な物言いを恥じたようになる。


「ところでガリアノ様は、ここで一体何を?」

「ああ、六神教会議だ。今回は私が聞き役になれと」

「そうでしたか……アフラ教の隆盛はそれほど?」


 アフラ教など一言も口にしていないのだが、流石にレスリックは慧眼けいがんである。


「人気を奪われて焦っているのだ……普段は神殿の奥に籠り民衆のために動く事など滅多に無い者共。偉大なる神の奇跡に値段を付ける連中だ。急に足元が覚束なくなり不安になったのだろう」

「ははは、手厳しいご意見ですな」

「だが、いずれにせよ、民衆派の取り締まりは必要だ。それを約束してお引き取り願ったよ」


 ガリアノは、そう答えながら先程の会議を思い出していた。結局会議は予め用意した返事をしたのみで終わっていた。大司祭達は、彼等が望んだ返事を得られなかったのだが、それ以上何かを主張することなく白珠城パルアディスを辞去していった。


「民衆派の取り締まりは第一騎士団、スメリノ様でしたな」


 一方、その話を聞いたレスリックの言葉には、何と無い不安が滲んでいた。レスリックの不安とは、五年前にディンスを攻略した際のスメリノの乱行が原因だった。当時まだ十七歳だったスメリノは、占領したディンスに乗り込むなり、可也過酷かこくむごいい仕打ちを街の住民に対して行っていた。ほぼ言い掛かりのような嫌疑をかけて、殆ど面白半分に残虐な処刑を実施したのだ。その乱行の影響で、五年経った現在でも、ディンスの民の心が王弟派支持に傾くことは無かった。


「……まぁ、第一騎士団の精鋭達だ、上手くやるだろう。それよりレスリック、今晩の夕食は是非一緒に――」


 この時ガリアノはレスリックの不安を理解しつつ、あまり深刻に捉えていなかった。そして、彼自身が大司祭たちに返事したように、ターポやトリムでの民衆派の取り締まりが強化され、その一方である程度アフラ教会の活動に制限が加わるのだろう、という風に楽観的に考えていた。実際の戦場や残虐行為の現場を見ていないガリアノならば、そう考えるは仕方がない事だろう。


 しかし、実際のトリムやターポではガリアノが想像した以上の事が始まろうとしていたのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る