Episode_15.02 渡河作戦


 遊撃兵団が特殊で厳しい訓練を極秘に行うのには理由があった。それは、一か月前の軍議にさかのぼる。ユーリーは次々と集まってくるいかだの丸太の配置を指示しながら、ふとその時のことを思い出していた。


 七月終わりからのアートンは語り草になるほど暑い。周囲を山に囲まれて、南側の平地にしか出口の無い袋小路の盆地のような地形であるから、日中の温められた空気が外に出られず籠るためだといわれている。それと同じ理由で冬には、この地方では珍しく薄らと雪化粧するほど雪が降るのだから、余り住むには適さない場所だろう。しかし、周囲を囲む山地はそれだけで天然の城壁のようにアートンの街と城を攻めにくいものにしている。


 そんなアートン城で開かれた会議には、東西方面軍のマルフル将軍、シモン将軍、そして、民兵団のマーシュ団長、遊撃兵団のロージ団長、さらに中央軍のレイモンド王子と近衛隊のアーヴィル隊長という、王子派軍の首脳が一堂に会していた。


 彼等の議題は今後の戦略について、より具体的にはディンスの攻略をどうするか? という点だった。そしてその会議には、各軍の長だけでなく、副官達や現場指揮官達も可能な限り参加していた。総勢四十名を超える出席者の中には骨折の治療を終えたユーリーとヨシン、それにダレスも含まれていたのだ。


「やはりストラ奪還の一連の戦いで、計略に嵌められた王弟派は動きが鈍いか……」


 レイモンド王子は、ストラの南に境界線を展開した西方面軍マルフル将軍の報告を受けて渋い顔になる。マルフルは境界線展開後、ディンスに籠った王弟派軍に対して頻繁に挑発行為を行っていた。その理由は色々あるが、最も大きい理由は相手の騎士や兵士といった正規兵力の減衰である。


「やはり現地徴用の兵、つまりディンスの民を兵として召集することには慎重となった様子……正規兵の温存を図っているのでしょう。此方の挑発に乗ってくれていたのは最初に一か月と少しの間だけでした」


 というのがマルフルの報告だった。状況としては、第二と第三騎士団が駐留していたディンスから第三騎士団が後方に下がったのは六月初め。そして第二騎士団のみとなったディンスは護りを固める方針に徹する構えで、それ以降挑発に応じて兵や騎士を繰り出すことは無くなっていた。


「そうなると、やはりディンスの堅い守りが厄介ですな」

「以前に攻めた時も、そこで時間を取られて反撃の猶予を与えてしまった」


 アーヴィルが感想を述べると、宰相マルコナがそう付け加える。マルコナが言うのは、ストラが奪われる切っ掛けとなった昨年初めのディンス攻撃の時の状況だった。開戦当初優勢に展開していた公爵軍は、王弟派が街の北に築いた城壁と門を攻めあぐねた挙句に反撃を受けて潰走したのだ。


「しかも、ディンスは港町。海軍力を持たない我々が幾ら攻めたところで、海路からの補給を得られる彼等はどれだけでも籠城出来てしまう」


 老騎士シモン将軍の言葉に一同表情が曇る。彼等の目の前にはストラからディンスに掛けての地形が記された大きな地図が置かれていた。その地形が示す通り、ディンスは東から海へと流れ込む西トバ河の河口北側に広がる街だ。河口と海が接続する部分には商業港と漁港がある。一方、北からの敵を防ぐ城壁はそんな港と街を守るように半月状に建築されているのだった。


「エトシアやストラ近隣の漁民の舟を集めて攻めるというのは?」


 行き詰った雰囲気にマーシュが提案してみる。しかし、


「マーシュ殿、ディンスには王弟派の海軍がおります。数は多くないですが、櫂船が二隻に帆船が一隻。れっきとした軍船相手に漁船ではおとり程度の役しかできません」

「うむ……」


 というマルフルの言葉をうけて、黙り込むしかなかった。そこへ、


「奇をてらった策も結構だが、やはりいくさは正面衝突、実力行使。総力戦は避けられぬでしょうな」


 如何にも武人らしいシモンの発言があった。確かに、王子派にしてみればディンスは港を持つ上、王都コルベートに続く街道上にある要衝だ。また、東西方面軍や中央軍の騎士達にしてみれば、六年前に奪われて以来ディンス奪還は悲願のようなものでもある。そのため、ディンス攻略戦はコルサス王国統一のために避けて通れないいくさだといえた。


 一方、立場を王弟派にひるがえってみれば、西トバ河の北側に位置するディンスはトトマ、ダーリア、アートン攻略の足掛かりといえる。また、王弟派の勢力が全体として王子派を上回っているのは彼等がディンスを押えているから、という事情もあった。そんな王弟派には、王子派攻勢の他にもう一つ頭が痛い問題があった。それは、コルベートから東の各都市部に広がる民衆派の運動だった。


「コルベートの王弟ライアードは東のターポやトリムに対して、相当数の兵を割いていると、あの冒険者達の報告にありました」


 老騎士シモン将軍はそう言うと続ける。因みにあの冒険者達・・・・・・とはジェロやリコットら「飛竜の尻尾団」の事だ。彼等はレイモンド王子の依頼によって王弟派の東側の都市に潜入情報収集の任務に就いている。


「今ならば、奴らの最大勢力『王の鎧』を僭称せんしょうする第一騎士団を相手にすることなく、第二騎士団のみを相手にすることができます」


 シモン将軍は、そう断言すると自分の言葉を締めくくる。最後の方は少し力が入ったのか早口になっていた。そんな老将軍の言葉に対して、居合わせた面々から反論が出ることは無かった。しかしその割には、追従する意見も出なかった。会議の場にいる面々は、皆この老将軍の言う方針には賛成だが、正面攻勢を掛けるという点において疑問を持つ者が多かったのだ。ただ、武官の最高位たる将軍職にあり、更にマーシュやアーヴィルと比べても二十歳は年上のシモンに表だって意見する気概があるもはいなかった。


 その様子にシモン将軍は口を開き掛ける。「情けない」とでも言いだしそうな雰囲気だった。しかし、寸前のところで意外な人物が割って入った。普段は聞き役に徹する元公爵で現宰相のマルコナが口を開いたのだ。そんな宰相の、意見ではなくたしなめるような言葉はシモン将軍へ向けられたものだった。


「お主がそのように断言してしまっては、他の若い者達が自由に意見を言えないではないか……」


 マルコナの苦笑いを含んだ発言に、さしものシモンもハッとした表情になると、次いで恥じるように顔を伏せた。その様子にマルコナは席を立つと、シモンの近くまで行き肩に手を置くと、ポンポンと叩く。そして、室内にいる数十人全員に聞こえる声で言う。


「王子、シモン将軍はこのように言いました。反対意見が出ないのは、或る意味正論だからでしょう。しかし正論で留まるのならば、これほど大勢の人を集める必要はありません」

「そうだな。突飛とっぴな意見であってもこの際聞こう。思うところが有る者は忌憚きたんなく発言してくれ」


 マルコナの言葉を受けたレイモンドが出席者に発言を促す。その言葉が皮切りとなって、何人かの騎士達が発言する。大別すると彼等の意見は、概ね正面攻勢に賛成であるが、いつ攻撃を仕掛けるか? という点に於いて分かれていた。今すぐ攻めるべし、というシモン将軍と同意見は少数派だった。秋口の収穫の頃合いを見計らうべし、という意見と、収穫後にするべしという意見で若手の騎士の意見は割れたのだ。


 収穫の頃合いを攻め時と考える意見の中には、収穫月の隙に乗じて間者を送り込みディンスの民を蜂起させる、というものがあった。王子派の侵入を警戒し守りを固めているディンスであっても、収穫月には周辺の農村から作物と共に農民が行き来する。その隙に乗じて間者を紛れ込ませる。そして、住民の蜂起を促すという、ストラで行った作戦の規模を大きくしたものであった。


 一方、収穫後を攻め時と唱える者達の中には、収穫前にディンス周辺の農村地帯を王子派の軍勢で押さえてしまい、ディンスに作物が入るのを妨げようというものだった。今年の天候は順調だし、ディンスの人々も王弟軍も其れなりの収穫を当てにしているはず。そこを叩くとによって敵軍の士気を確実に削ぐ、という合理的な策だった。


 議論の中心が若手の騎士達に移ると、各自が考えを述べるようになる。議論は活発になるが、一方で年齢と立場が近い者同士の議論は白熱し始める。そして会議場はにわかに喧騒に包まれるのだ。


 そんな喧騒の中、一心に地図を眺めている若者達がいた。ユーリーとヨシン、そしてダレスである。


「なぁ二人とも、そんなにこの地図が珍しいのか?」


 食い入るようにディンス周辺の地形を見詰めるユーリーとヨシンにダレスが話しかける。するとヨシンが、ダレスには意味の理解できない内容を返してきた。


「いや……この地形、似てるんだよなぁ」

「ああ、似てる……そっくりじゃないけど、確かに小滝村に・・・・似ている」


 ヨシンの呟きにユーリーも相槌を打つ。ヨシンは地図を眺めているだけだが、ユーリーは実際にその上を指でなぞっている。彼の指がなぞっているのは、西トバ河を示す地図上の線。河口のディンスから上流のアートン近辺を何度も往復させる。勿論、意味の分からないダレスはどういう意味なのか聞こうとするが、ユーリーの表情が真剣なので自分の言葉を呑み込んでしまった。


 そうして、会議場の喧騒そっちのけで自分の考えをまとめたユーリーは、レイモンドの姿を探すために顔を上げる。見れば、白熱した若手の騎士達の言い合いを困った様子で眺めている彼の姿があった。そして、


「レイ! 河を伝って兵を送り込もう!」


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 ユーリーの発案は、過去に自分が体験した戦い ――ウェスタ侯爵領の「オーク戦争」―― での作戦の焼き直しである。もっと正確に言えば、小滝村を襲ったオーク達の急襲戦法の模倣であった。当時兵士だったユーリーとヨシンだが、その後見習い騎士に昇格したので、当時の敵方の戦法分析は耳にしていたのだ。


 正面を力押しする以外の策の登場に、白熱していた騎士たちも少し冷静を取り戻し、耳を傾ける。そんな彼等にユーリーがした説明は、


「最終目標はディンスの制圧。問題なのは相手側の海路を用いた補給線。補給を遮るための海軍を持たない我々に残された手段は港を押えること。しかし、北から攻めたのでは港の制圧は街の制圧と同じ難易度となり目標と成り得ない。よって、背後を流れる西トバ河から相手の背後に上陸し、内側から港を攻める」


 ユーリーの説明に若手の騎士達はポカンとした表情を見せるだけだ。しかし、分かる者には分かるようで、レイモンド王子が口を開いた。


「なるほど、港を攻められれば、王弟派としては放置出来ないな……」

「はい、それで、正面の防御を割いてでも、港を奪還しようとするはず」

「その時こそ、総攻撃の好機か……」


 最後の言葉はシモン将軍のものであった。


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 結局、その時のユーリーの策が大筋で採用されることになった。そして、港を叩く攻撃をより効果的にするため、お膳立てとして幾つかの行動が付け加えられた。


 先ず、九月末から十月上旬に掛けての収穫月に、マルフル将軍率いる西方面軍がディンス勢力圏内の外周の農村を制圧する。勿論その意図は、ディンスに税として納められる作物を押えるためだ。一方、よりディンスに近い農村には間者を潜ませる。そして、間者にはディンス内部に侵入し、情報収集 ――特に作戦の次段階の合図―― を担当させる。


 作戦の次段階とは、ディンスがコルベートから補給物資を運び入れる時合だ。その時に合わせて西トバ河を下った渡河部隊の兵達を河から上陸させ、街の裏側から港に突入させる。


 そして、可也かなりの困難が予想される作戦のかなめとなる渡河部隊は、遊撃兵団が受け持つことになった。民兵隊では錬度が心許こころもとなく、方面軍では正面戦力が不足する。そのための必然的な判断だった。


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「ユーリー隊長、簡易陣地が組み上がりました!」


 訓練中にもかかわらず、思い出し事をしていたユーリーは歩兵の声に我に返る。既に接岸上陸を果たした筏は、兵士を守る壁へと姿を変えている。時間にして半時ほどでここまで組み上がるようになったのだから上出来だといえる。


「よし、矢盾を前面に出すんだ! 敵陣へ攻撃開始は弩弓の斉射を合図とする。掛かれ!」


 注意を逸らせていたことを悟られまいと取り繕うユーリーは、そんな号令を掛ける。兵士達は、その号令を受けて矢盾を前に勧めると、その後ろに弩弓に見立てた「丁」字の模造弓を持つ兵士達が続く。そして、小隊長や班長達の号令に従い矢盾から顔を出すと模造弓を放つ真似をするのだ。


「遅れた分は取り戻すぞ! 続け!」


 ユーリーから少し離れた前線部でヨシンの大声が木霊する。未だ訓練途中なので、上半身裸の上に武器となるものは何も持っていない兵達は、槍を構える振り・・だけすると、ヨシンの号令によって、河原の奥に在る案山子かかしの陣地へ飛び込んでいくのだった。

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