Episode_15.01 極秘訓練


アーシラ歴496年8月下旬


 元コルサス王国西方国境伯アートン公爵領、現在はレイモンド王子が治める直轄領は、夏から秋へのうつろいの季節に在った。昨年は春先から七月終わりまで寒い日が続き、八月に入ると一変して猛暑となりそれが九月末まで続くという悪天候だった。しかし今年は、多くの人々の願いが天に通じたのか、適度な降水と例年通りの気温の推移であった。そのため、九月の終わりに見込まれる主要穀物の小麦は、ややもすると例年以上の作柄を示している。更に、昨年の不作を教訓とした農村地域は小麦以外の生産にも力を入れており、結果的に蕎麦や稗、イモや豆類といった雑穀類も全てが順調な作柄となっていた。


 都市部に出回る穀物を売り捌く各都市の市場は、昨年一年はレイモンド王子の統制化に置かれ、取引に高額な利益を乗せることを禁じられていた。その規制に対して、穀物商達は当初憤懣ふんまんやる方無い様子であったという。しかし、今年の晩春に入るとそんな不満も鳴りを潜めていた。それは、王弟派支配の各都市での惨状を伝え聞いたからであった。


 王弟派の支配地域では、不作に際しても例年通りに徴税し、その後の穀物市場の動向に殆ど何の手も打たなかった。その結果、古くから穀物取引を営んでいる既存の穀物商達は取引量を確保出来ず、中小規模のたなは軒並み潰れ、大規模な店も手酷い痛手を負っていた。そんな彼等に替わって、青天井に高騰した穀物市場を謳歌したのは四都市連合系の穀物商達だったのだ。結局王弟派支配地域では、重要な穀物流通を担う穀物商の八割が国外の商人に牛耳られることとなってしまった。


 そんな惨状を見せられては、口さがない・・・・・商人達も黙るしかなかった。そして、彼等の注意はこの秋から通常に戻る自分達のあきないに向けられているのだ。


 勿論、無いものを有るようにする、ために王子派は財政的な蓄えを殆ど吐き出していた。更に余裕のある農村にたいして作物を提供させるための税の割引や、アント商会からの借款は、これからしばらく財政を圧迫することになる。それでも、なんとか領民を一年食い繋がせることに成功したアートン城の文官達は大きく胸を撫で下ろす。そんな思いは城の中の文官達だけではない、街に住み暮らす人々も農村の人々も、また、訓練にいそしむ兵士達でさえ同じ気持ちだった。


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 そんな兵士達を含む王子派の軍は、今年四月のエトシア砦防衛線からストラ奪還に至る一連の戦いで被った損害を急速に回復しつつあった。馬や武具に関する損害はスカースの手配によってアント商会から直ぐに補充、いや補強されるほどの物資で賄われた。一方兵士の損害については、少し頭の痛い問題が発生した。志願する兵が急増したのだ。


 以前から遊撃兵団の活躍は広く知られており、その人気から兵士に志願する者は多かった。そこへエトシア砦の防衛線でレイモンド王子に率いられた民兵隊の活躍が伝わることで、爆発的な志願者の増加へ繋がったのだ。


 レイモンド王子が直接率いた民兵隊が伏兵として敵の攻勢を挫いた経緯は、政治的な思惑もあり、多少誇張されて宣伝された。それは、家臣たちがレイモンド王子にはくを付けるための小細工だったのだが、それが口から口へと伝わる内に、尾鰭が付いて大袈裟になる。


 そして回り回った噂がレイモンド王子の耳に届いた時、若い王子は絶句し、ついで大きく破顔していた。なんと、噂の中では王子は一度敵の手に落ちかけ、それを民兵達が決しの覚悟で救出したことになっていたのだ。また、その戦いで、聞いたことも無い・・・・・・・・ような敵の猛将が民兵達によって討ち取られていた。そのように、噂の中では民兵隊が西方面軍や中央軍の騎士や正規兵を上回る大活躍を納めたことになっていたのだ。


 民兵隊が活躍したこと自体は紛れも無い事実。さらに人の口に戸板は立てられない。そういう理由で、人々の間に広まっている噂には手を付けられず、精々がレイモンド王子を愉快な気持ちにさせた程度だった。しかし、この噂で頭を抱えてしまった者がいた。それは民兵団を統括するマーシュ・ロンド団長であった。


 折からの遊撃兵団人気で集まっていた二千を超す新兵達をどうにか兵士に仕立て上げて、損害を受けた各隊へ送り出したばかりのマーシュ。そんな彼は、息つく暇なくストラ奪還の翌五月には、新たに殺到した二千を超える新人志願兵の訓練に忙殺されることになった。


 志願兵といっても、元は街人や農民の倅が殆どで実戦経験はおろか、喧嘩すらした事の無いものが殆どだ。そんな彼等に革鎧を着せ、弓と槍と盾を持たせれば兵士に成るかと言えば、そんなことはあり得ない。彼等を兵士に仕立て上げるには、厳しい訓練が必要だった。そのため、古参兵や元兵士を召集し、また宰相マルコナによってアートン城に呼び寄せられた後、手持無沙汰にしていた引退老騎士達の助力も得て、二千の新兵達の訓練は大急ぎで行われている。


 しかし厳しい訓練を課されるのは何も新兵達だけでは無い。東西中央の三軍は常に兵士達から騎士となる候補を選別するための訓練を課している。現に西方面軍と中央軍ではエトシア・ストラの戦いで功績のあった兵士を百五十名新たに騎士に任命していた。因みに彼等は騎士と呼ばれるが、特に所領地を与えられる訳では無い。全員が当代騎士とよばれる一代本人限りの士分だ。しかし、多くの兵にとって騎士というのは或る意味憧れの存在であり、また実力に見合った活躍の場と報酬を与えられるため、希望者に事欠くことは無かった。


 そんな騎士以外にも、レイモンド王子旗下の軍には騎馬で戦場を掛ける者達がいる。彼等は遊撃兵団所属の遊撃騎兵隊だ。従来の騎士とは違う生い立ちを持った彼等は、その呼称こそ「騎兵」であるが、身分待遇は他の騎士と同じである。新たに志願し民兵隊に所属した新兵達の中では、騎士よりもこちらの遊撃騎兵に成りたがるものが多かった。そのため、遊撃兵団配属を希望する者は非常に多い。設立されて二年にも満たない遊撃兵団だが、これまでの活躍と照らし合わせれば、新兵達が目標にするのも分かるというものだ。


 尤も、今遊撃兵団が取り組んでいる訓練内容を知った上で、それでも志願するものは少ないかも知れない。しかし、新兵達がその訓練内容を知ることは無いだろう。何故ならば、遊撃兵団が現在取り組んでいる訓練内容は王子派軍の機密中の機密であったからだ。


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 今年初めのエトシア砦防衛戦に端を発したストラ奪還劇でも大活躍をした遊撃兵団は欠員を補充し、更に部隊増強を受けていた。そんな彼等は、今では合計で十五個歩兵小隊七百五十人の兵と、騎兵十個小隊百騎を合わせた八百五十人の精鋭部隊である。


 元の隊員は丸々全員がトリムやターポといった王弟派支配地域の東側の都市出身者で占められていた部隊である。しかし、度重なる激戦を潜り抜け、補充と増員を繰り返した結果、隊員の中に在った「余所者意識」は徐々に希薄となっている。強いて何か、他の部隊との違いを挙げるならば「レイモンド王子の最初の兵になった」という矜持を持っている程度だろう。


 そんな彼等の内、選りすぐられた歩兵十個小隊と騎兵十個小隊の合計六百名に上る一団が、ある極秘訓練のためにアートンの街を半周囲む山地の東裾、北部森林地帯から流れ出るトバ河の流域の森に滞在していた。そこで、彼等が行っている訓練とは――


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 急な流れが特徴的なトバ河は、西と南に分かれる前のこの地点が最も激しい流れを誇る。水量は最盛期である春先から夏前に比べると三分の二に減っているが、それでも激しい流れが川底の岩にぶつかり白波を立てる。


 とても舟遊びなど出来るはずがない急流だが、その上流からいかだが流れ下ってきた。丸太を縄とかすがいで結んだだけの簡素な筏だ。森の木こり達が、切り出した材木を運ぶために組んだ筏に見えるが、少し違うのは、前面と側面に設置式の矢盾を乗せている事。そして、流れに竿を立てて操る者の他に十数人前後の半裸の男達が乗っている事だ。そんな筏が合計で四十枚、次々と姿を現す。


 筏の集団は流れに任せてしばらくトバ河を下ると、予め定めていた河岸の地点を目指して河底を竿で突くと向きを変える。四十枚の筏の内、三十は向きを変えることに成功するが、残りの十はそのまま流される。更にその内数個の筏は流に対して完全に横腹を見せてしまいあっけなく転覆してしまう。乗っていた十数人の男達はその勢いで急流トバ河へ放り出された。そこへ、


「馬鹿ヤロー! 何回やったら分かるんだ、秋の終わりのトバは冷たいんだぞ! 全員溺れ死んで魚の餌になっちまうぞ!」


 という、かなり乱暴な怒鳴り声が聞こえる。怒鳴り声を発するのは河岸から筏の一団を見ていた近隣の木こり衆の親方だ。特に「厳しくやってくれ」と頼まれている彼は、少し調子に乗った風ではあるが、若い木こりに河下りを教えるおもむきのままで、遊撃兵団の兵達を叱りとばしている。


 その少し下流では、流れに投げ出されて溺れかけた兵士達が河に渡された数本のロープに掴まっている。中にはロープを掴み損ねて更に流される不運な兵士もいるが、もう少し下流は浅い瀬になっており、そこに待機している河の漁師達が優しく投網で助け出してくれる手筈となっている。


 一方、河岸に向きを変えることに成功した筏は、流れを利用して一気に砂利がちな河岸に乗り上げる。そこには、敵兵に模した案山子かかしが河原に向けて立てられており、更に数人の男達が上陸してきた兵達を見ている。


「全員矢盾を前面に! ぼんやりするな、未だ終わっていないぞ!」


 という指揮官の厳しい声が響く。声の主は遊撃兵団長のロージだ。渡河上陸、それも敵前上陸を想定したこの訓練では、筏で河岸に上陸することなど「序の口」といっても良い。その証拠に、河原に上陸した兵士達は大声を掛け合いながら直ぐに次の行動に移っている。


「矢盾を前面に! 残りは筏を解くんだ。よし、矢盾を前面に押し出せ、行くぞ!」

「ちくしょー! お前ら気張れ! 気合いだ!」

「おう!」


 筏四枚分で遊撃歩兵小隊と騎兵隊一隊分、六十人の計算になる。第一歩兵小隊に相乗りした騎兵三番隊を率いるユーリーの指揮に、彼等は四枚の筏から飛び出した。設置式の矢盾を持った兵士達が、背後で筏を解く作業に入る兵達を想定される矢から護る。矢盾の背後では、アデール一家の面々を含めた第一歩兵小隊の兵達が夫々三人で一本の丸太を持って、ユーリーが示した場所に其れを置く。


 始めにやや短く先端の尖った丸太を打込み、その間に挟み込むようにして残りの丸太が積まれると、筏を形作っていたロープやかすがいでそれを固定する。最初に組み上がった筏壁が目印となって周囲の筏からも、丸太が集まると、やがて四枚分の筏を使った人の身長ほどの高さの木の壁が出来上がる。周囲に上陸した部隊は、最初に組み上がったユーリーが指揮する部隊の壁に接続するように順次筏を利用した壁を構成していく。


 一方、ヨシンやダレスが指揮する筏の集団は夫々、少し下流に流されて接岸する。今年初めのストラ攻略以降、編制が変わり、ヨシンは騎兵二番隊、ダレスは騎兵四番隊の指揮官ということになっている。そんな彼等は夫々相乗りした歩兵小隊の兵達を煽るように指示を飛ばしている。その中でも、先に接岸に成功したダレス達は、


「矢盾! 手間取っているヨシン隊も守れ! ヨシン! 筏を解くのは任せたぞ!」


 と声を発すると、接岸後の上陸に手間取るヨシン達の筏からも矢盾をもぎ取って隊全員で二個小隊分の筏を守るように展開する。上陸した際の優先順位はこうなっているのだ。先に上陸した者達が周囲の後続を守るために盾を持つ。そして、遅れてしまった隊は、先行した隊の筏も解いて運ばなければならない。どちらが楽か、という問題ではないが、全体としては想定される敵側からの矢の攻撃を防ぐことに重点が置かれている。


 結局、ダレスに矢盾を奪われたヨシン隊は、後続の定めとして筏の解体に取り掛かる。


「いくぞ! 俺達は陣地の方だ! ユーリー隊の方へ!」


 ヨシンはそう言うと、強引に解いた筏の丸太を一本丸抱えにして河原を走り出した。彼に続く歩兵達はその膂力りょりょくの凄まじさに呆れながらも、三人で一本の丸太をなんとか抱えると後に続くのだ。


 秋と言うよりも、まだ晩夏の気配が色濃い森の中に、半裸の兵士達の活気ある声が飛び交っていた。


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