Episode_15.00 序章 Ⅱ ――遊星衝――


 百人の冒険者達は夫々が二つ名綽名を持った腕利き達だ。実績もある。成竜を倒した竜殺しドラゴンスレイヤーの称号を持つ者や、戦場に於ける功績で英雄と呼ばれる者達も含まれる。そんな彼等と老竜の命は、すり鉢状の窪地の底で惨たらしく擦り減っていく。


 それを、遥か上空から眺める者達がいた。彼等は全員が黒のローブを身に着け、目深にフードを被っている。全員で十二人の魔術師達。彼等は窪地の縁に等間隔で立つと、視線を底の死闘に向けて一心に魔術陣を展開している。


 複合魔術の一種。儀式魔術とも呼ばれる強力な魔術は忘れられた秘術「竜縛陣ドラゴギアス」。その名の通り強力な竜や魔神を征服するためのロディ式魔術の秘術。遥か昔に失われたはずの魔術だが、彼等「エグメル」には息づいていた。


 合計十二人の魔術師から放たれる魔力の糸は細く薄く、しかし確実に老竜に絡み付く。そして、窪地の底で老竜が自身に起こりつつある異変を察知したのは、不遜な冒険者達を皆殺しにした時だった。


 突如全身が、重石に圧し掛かかられたように自由を奪われる。それは強力な存在である竜にとって初めての経験だった。


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 十二人の魔術師の中の一人、死霊の導師アンナは、強大な老竜の威力に息を呑みつつ、これから起こるべき事に括目している。彼女は知らない振りをしているが、実際は知っている。眼下の老竜は、これで済むような生易しい相手では無い事を……


 彼女の自我と不完全に融合してしまった古代の死霊術死ラスドールス・エンザス。彼の思考が意地悪い投げ掛けを行っていた。それは、


(定命の束縛を突き破った老竜は精霊王や上位魔神に等しい存在……さて、現代の魔術師達よ、怒りに狂った老竜相手にどうして見せる?)


 という、挑発的な思考が端的に表していた。ラスドールスの思考が表わすように、老竜とは人智の及ばない存在だ。人の身、わざに於いてこれを制することは、今の「人」よりも遥かに濃くことわりの巨人の血を引いていた古代人にも難しい事だった。


 星海の門を開け放ち、遊星を大地に落とし込む業。或いは、この世界に存在する全ての物質の根源を解きほぐし、形象を崩壊せしめる破滅の秘術。又は、老竜と同等の魔神や精霊王を召喚して、降伏させるという面倒な方法しか無かった。


 そのような思考を内面に押し包んだアンナは、次第に強くなる老竜の抵抗に畏れを感じる。黒いローブの下でうなじ・・・から滲み出た汗が細い金髪を伝い、そのまま背骨の窪みに沿って背中を流れ、尻まで伝うのを感じる。


 老竜は力を振り絞り、自らを絡め取る魔力の糸をより分ける。そして、糸を辿り術者に直接魔力を叩き込もうと試みた。


「ぐわぁ!」


 最初の一撃で、それまで何事も無く魔術陣を展開していた術者の一人が悲鳴を上げる。そして次の瞬間、腐った西瓜が破裂するように、その術者は跡形も無く吹き飛んでいた。


 「竜縛陣ドラゴギアス」の効力が弱まる。窪地を取り囲む術師達に動揺が走り、底に束縛された老竜が野生の闘争本能剥き出しに舌なめずりしたようだ。その時――


(全員、五つ数えた後に転移門で退避せよ!)


 アンナたち術師の頭蓋内に直接声が響く。原師と呼ばれるエグメルの首領の声だった。


(五、四、――)


 急な成り行きにアンナは混乱するが、頭の中には冷静な原師の数を読み上げる声が響く。


(ほう、どうするつもりか、気にならぬか? アンナよ)


 移転門を用いるのは一瞬で済む。しかし、アンナの意識に融合したラスドールスはけしかけるように提案してきた。


「……分かったわよ!」


 次の瞬間、アンナは移転門ではなく「相移転」の術を発動すると、可也離れた場所まで空間を跳んでいた。


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 原師と呼ばれる偉丈夫は、真っ赤なローブを風にはためかせ・・・・・ながら宙に留まっていた。そして、眼下のすり鉢状の窪地を見下ろす。強い風がフードを肌蹴させる。そこには真っ白な肌色の顔、金色に見える瞳、そして短く刈り込まれた白髪があった。白子アルビノの特徴を示す風貌であるが、虚弱な体質が多い白子にしては、この原師の体躯は屈強な戦士をも上回る。


 原師は、肌蹴たフードに構う事無く、左手に持った巨大な杖を天に掲げる。何かしらの魔力が籠められた巨大な杖は、複雑な幾何学模様を現す真銀の表面に日光を浴びるとギラリと輝く。既に魔術陣は組み上がっていた。宙に浮かぶ原師は、その巨大な魔術陣の上に立っているようにも見えた。その魔術陣が示すのは、空間を捻じ曲げこの世界の直ぐ上に存在する星海の門を開け放つ術。失われて久しく、もしも現存していたとしても発動しうる魔力を持つ者は既にこの世に居ないはずの秘術「遊星衝メテオインパクト」だ。


 無言の原師は、補助動作として左手に持った巨大な杖を振るう。まるで空間が唸りを上げるように、巨大な魔術陣が形を変える。それは次元を横に割る力の向きと、上から下へ招き入れる力の通り道を示す。そしてにわか・・・に空が暗くなると、そこには深紅のローブを纏った偉丈夫の姿は無くなっていた。


――!


 可也離れた岩陰でその光景を見ていたアンナには、音は聞こえなかった。音の代りに大気の壁が体にぶつかった凄まじい衝撃を感じた。咄嗟に魔力套マナシェルを展開しても尚、気圧の急激な変化に聴力を奪われた。


 そして、天を割って燃え盛る小山ほどの塊が落ちてくる。それは冗談のような光景だった。余りにも高くから、余りにも高速に、余りに巨大な物が降ってくる様は、常識による理解が追いつかない。


(イカン! 跳べ、早く! アンナ!)


 先ほどまでの挑発するような調子を一変させて、焦りまくったラスドールスの言葉が脳内に響く。それが意味するのは「相移転」ではなく、移転門を用いて「凝集の逆塔」まで跳べ、ということだ。


 アンナは移転門を発動させる。しかし、どういう訳か門は発動しなかった。


(えっ? なんで!)

(ぬぅ……門が壊れたようだ)


 アンナの内心、叫び声のような疑問に、ラスドールスの思念が絶望的な言葉を発する。


「壊れたって? どう言う事よ!」


 思わず声を発したアンナであるが、迫り来る衝撃波によって彼女の声はかき消された。そんな彼女の眼前で、破滅的な光景は止める術なく進んでいる。


 窪地にすっぽりと収まる大きさの巨大な遊星は灼熱に燃え上がりながら窪地へ落ちていく。余りに巨大で目の前を覆い尽くす光景は速度感を失う。まるでゴトッと物が地面に落ちたような緩慢な光景だった。しかし、次の瞬間、先ほどの比では無い空気の層が薄雲を伴いながら地表を走ってきた――


 薄雲を伴いながら地面を走る衝撃波に、アンナは再度魔力套マナシェルを展開する。しかし、魔力によって構成された盾のような薄い防御膜は、分厚い衝撃波を受け止められずに霧散する。そして、


「きゃ――」


 アンナを捕えた衝撃波は、彼女に短い悲鳴を発する暇も与えず、その身体を宙に高く弾き飛ばした。本来丈夫な材質で出来ているエグメルの導師用ローブは、まるで薄紙のように引き千切られる。そして、その下の色白の裸体にも無数の裂傷が走った。そうやって宙を舞うアンナであるが、急速に遠退く意識の中で、そこだけ「醒めた」部分が無情な現実を察知していた。


(このまま地面に叩き付けられて死ぬんだわ)


 何処か他人事のように、そう呟く意識が途切れる瞬間、彼女の目に映った光景は迫り来る大地ではなく、光を発する優しい翼だった。しかし、極限状態の彼女は、それが何かを考える前に意識を失っていたのだった。


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