Episode_14.23 空城の計


 翌朝は、前日の空模様が伝えた通り、夜明け前から冷たい雨が降る日だった。そんな中、王弟派の陣地は第二騎士団、第三騎士団の順で騎士や兵士達を戦地へ吐き出している。先頭を行くオーヴァン率いる第二騎士団は、後方の補充を受けて勢力を回復し、総勢三千に迫る勢いだ。一方、レスリック率いる第三騎士団は、後方に少しの人員を残したため、二千数百となっている。


 そんな軍勢は、季節外れの冷たい雨に泥濘ぬかるんだ街道を北上すると四日前と同じようにエトシア砦を視界に捉える。既に正午前だが、雨は止む気配も無く、シトシトと降りしきっている。そんな中に浮かび上がるように見える砦は、老朽化して如何にも頼りない風情。四日前と一見どこも変わった風ではない。強いてあげるならば、以前空堀だった場所に無数の木製の墓標が立っている点が違うのか……いや、もう一つ決定的に違うところがあった。それは、


「オーヴァン将軍! 砦の門が開いております!」

「……見れば分かる!」


 先鋒兵の報告を苛立たし気にあしらうオーヴァンは、門を開け放った砦の様子に頭を悩ませていた。


(これは……空城の計か?)


 アーシラ帝国崩壊後、長く続く戦乱期に記された兵法書にも言及のある「空城の計」は、史実上数えるほどだけ実行された奇計の一種だ。城や砦を無防備に見せることによって、圧倒的有利に立つ攻め手に攻撃を躊躇わせるものだ。


小癪こしゃくな真似を……」


 オーヴァンがそう呟くころ、後方を進む第三騎士団からレスリックと副官のドリムが駆けつけてきた。


「オーヴァン殿、どう見るか?」


 レスリックの言葉に、オーヴァンは不敵に言い放つ。


「古今東西、空城の計で戦に敗れた攻め手無し」

「しかし、罠という可能性は残るぞ」

「ならば、貴公は東の森を潰さに探索すればよかろう……また東から伏兵を喰らっては堪らんからな」

「……では、そうさせてもらう」


 オーヴァンの厭味が籠った言葉だが、レスリックは表情を変えずにそう言うと自軍に戻って行く。その後ろ姿を見るオーヴァンは


(意気地無しめ……)


と、唾でも吐き付けたい気持ちになるのだった。


****************************************


 オーヴァン将軍率いる第二騎士団は、レスリックの第三騎士団が森へ向かうのを横目に見つつも、砦に足を踏み入れることは無かった。レスリックに対しては、ああ言ったものの、オーヴァン自身も罠の可能性は考慮していたのだ。そのため、配下の騎士や兵士達に周辺の探索を命じていた。騎士達には、西の海岸線へ続く丘陵地帯を中心に敵兵が潜んでいないかを確認させ、兵士達には、砦の外周を周り北側の集落の様子を偵察させた。


「北側の集落は人の気配がありませんでした。北の大門は閉まっております」


 という兵の報告だった。実際に兵達は北の集落の一軒一軒を潰さに検分した訳ではないが、冷たい雨の降りしきる中にヒッソリと密集する集落には人の気配は無く、大軍が潜んでいるようには見えなかった。

 

 そして、しばらく待つと今度は西の海岸線まで見て回った騎士達が戻ってくる。


「特に怪しい所はありません。漁師の村にも立ち入りあらためましたが、王子派の騎士はおろか、兵も姿形無く――」


 ということだった。充分に時間を掛けて周囲を探索した第二騎士団の周囲は既に日が傾きかけている。一日中降り続いた雨は、本降りになることも無く、陰鬱とただシトシト降りしきるだけだった。


「だから、元々なにも無いのだ……騎士隊、砦に侵入するぞ」

「はっ!」


 何も無いと思う割には時間を掛けて周囲を確認したオーヴァンは、配下の騎士にそう命じると、自らも砦の中へ馬を進める。一日中雨晒しだった兵達は、ようやく屋根のある場所で雨を凌げると意気を上げて騎士達の後ろに付き従うのだ。


****************************************


 オーヴァンはエトシア砦の中に馬を進める。周囲には二百近くの騎士と同じ数の兵士がいる。狭い砦内の中庭はギリギリ配下の騎士達の馬を全て収容できるか? といった厩舎と、とても兵全員を収容できるはずのない粗末な兵舎、そして崩れかけた館しかない。二基あったはずの投石器カタパルトは持ち去られて、その基部が打ち棄てられたようになっている。そんな砦の東西の外壁には、二つの物見櫓がある。砦内部に侵入した者達は、そこに伏兵がいるのでは? と警戒するが、特に動きは無かった。


「このようなみすぼらしい・・・・・・砦に手を焼いていたとは……」


 オーヴァンは数日前の苦戦を思い浮かべて嘆息する。既に一部の騎士は馬を下り厩舎に自分の馬を繋ごうとしている。一方、兵達は館や厩舎の中、そして砦の中庭を念のために確認して回っている。その時、


「オーヴァン将軍、兵が不審な物を発見したと――」


 配下の騎士が、兵士からの報告を伝達する。見ると、騎士の指し示す方に、崩れた石壁の残骸か、投石器で撃ち出す用の石だったのか、判別の付かない石山が積み上がっていた。


「なんだ?」


 オーヴァンと数騎の騎士が、騎乗のままその石山に近付く。もしも、この時彼等の中に魔力マナを見る術を心得たものがいたら、決して騎士達を近づけさせなかったであろう。しかし、実際にはオーヴァンの騎士団に魔力を操る者はいなかった。


「オーヴァン様、石に妙な印が付いております」

「うむ……何かのまじないか?」


 兵士の一人が指し示す石塊は、丁度城壁の基部を成すような大きなものだ。その上下左右には、朱書きの印があった。それは円形の中に複雑な図形を納め、さらに周囲に放射状の線を伸ばし夫々の先に複雑な印章を書き込んだものだった。良く見ると、その周囲には同じような朱書きの印を記した石が幾つも落ちていた。


「わかりませんな、しか――」


 オーヴァンの隣に位置する騎士は、少し飽きれたように言葉を発する。「子供の落書き」とでも言いたかったのだろう。しかし、その言葉は不意に途絶えた。同時に重い鈍器で物を殴るような音が聞こえる。


「なっ!」


 オーヴァンは絶句した。何故なら、石塊の山から人の腕の何倍もあるような石材がひとりでに宙に浮き、その騎士を殴り飛ばしたからだ。


「何事ですか?」

「オーヴァン将軍下がって!」

「敵襲か!」


 周りの者達は、それなりに「空城の計」に神経を使っていたのだろう。不意に起こった物音に過剰に反応する。しかし、それは過剰と言っても言い切れない程度の反応であった。なぜならばその物音の主は、


石、人形ストーンゴーレム……だと!?」


 呻くオーヴァンの目の前で、彼の配下の騎士一人を殴り飛ばした石塊に呼応するように、大小幾つもの石が宙に浮き上がる。それらは、一際大きく上下左右に様々な印を刻んでいた石塊を中心に寄せ集まると、次の瞬間、ずんぐり・・・・とした人の形をかたどっていた。


 優に人の倍の身長がある、石製の人形が瞬時に組み上がり、オーヴァン達第二騎士団の目の前に立ちはだかった。


「オーヴァン様を守れ!」

「将軍を守れ!」

「ええい、化け物め!」


 呆気にとられたオーヴァンは、目の前に立ちはだかる石人形の、顔面の造形が無い頭部が自分を見た気がした。次の瞬間、文字通りいわおのような腕が振るわれる。


ゴウゥン!


「ぐぁ!」


 馬上のオーヴァン目掛けて振り抜かれた石の塊と言うべき腕は、寸前で割って入った別の騎士を盾ごと馬上から跳ね飛ばす。数メートル吹き飛んで地面に落下した騎士は金属鎧のひしゃげる音を立てた切り、動かなくなった。


「おのれ! 歩兵に伝達、手持ちの破城槌や大槌を持って来させろ! 他は近付き過ぎるな、剣や槍は通用しないぞ!」


 砦内部に侵入していた騎士や兵士の一部は城壁を背にした石人形ストーンゴーレムを半周包囲するように対峙する。しかし、オーヴァンの指示通り城壁その物といった石の体に鋼の武器は通用しないのが通りだ。


 対する石人形ストーンゴーレムは自分を取り囲む兵士や騎士の包囲を意に介した風も無く、手当たり次第に接近して頑強な両腕で殴りかかる。風を巻いて振り回される両腕は、あっという間に犠牲者の血糊や脳漿にまみれていく。そこに手持ちの攻城武器が運び込まれるが、文字通り石壁が動き出したような相手に対して、精々頑丈な扉や木柵を破壊する用途の手持ちの破城槌や大槌は全く効果が無かった。犠牲者だけが積み上がって行く。


 そもそも、人形生成クリエイト・ゴーレム系の魔術は可也高位の複合魔術だ。秘術と称しても差し支えない難易度のこの術を操ることが出来る魔術師は滅多にいない。本来は幾つかの系統が違う魔術陣を高度に編み上げ、膨大な魔力を用いて、泥や石、木材等の素材から物言わぬ破滅的な従者を作り上げる魔術なのだ。


 それを、核となる魔術陣の部分と編み込む魔力を、魔石や真銀ミスリル、または紅金ロソディリルに代用させることで、より簡易に発動させる傀儡生成クリエイト・ウォーペットという術に落とし込んだのは研究者としての老魔術師アグムの功績であった。アグムは、偽竜ドレイクとの戦闘で完全に破壊されてしまった二体の木人形の代りに、強力な核と成りうる魔石、紅魔素石ロソリタイルを得てこの石人形を作り出したのだ。


 そして、エトシア砦撤収後に発動したこの術は、石人形に


「砦の中で動くものは全て打ち倒せ」


 という命令を与えていた。その命令は、冷酷に実行されている。しかも、不運な偶然により、石人形は一か所開いた切りの南門を封鎖するように立っているのだ。その為エトシア砦の内部に侵入した騎士や兵士、それにオーヴァン将軍は孤立した。


「くそ! 北門を開けろ!」

「今、やってます!」

「はやくしろー!」


 最早戦闘と呼べないような殺戮劇に、騎士の誇りも兵士の勇気も、何の役にも立たなかった。砦の中に残った百数十人は全員が門に取り付き、何とか開けようとする。しかし、エトシアの正門に相当する北の大門は、まるで壁の一部であるかのようにビクとも動かない。


「だめだ! きっと外からくさびを打ってある!」

「くそ、罠か!」

「こうなったら、あのデカブツの横をすり抜けるしかない!」

「兵士達、先に行け!」

「厭だ、お前らが先に行けよ!」

「なんだと貴様!」


 最後に残った統率も崩れ去ろうとしている。その状況にオーヴァン将軍が声を上げる。


「見苦しいぞ! 兵達は左、騎士達は右、一気に駆け抜ける。いいな!」


 流石に「王の剣」と綽名あだなされる豪傑な騎士の言葉に、口論は治まると、全員がゆっくりと向かってくる石人形の背後に見える南門を見据えるのだ。


「第二騎士団、突撃だ! 全員死ぬなよ!」

「オウッ!」


 オーヴァン将軍の号令で、百数十人の男達は左右二手に分かれて南門に駆け出すのだった。


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