Episode_14.22 偽らざる人


 丁度、石造りの建物から砦内に姿を現した人物は、作業を終えた捕虜達をねぎらう声をかけた。


「みな、辛い作業をご苦労だった。少しだが酒もある。とにかく腹いっぱい食ってくれ」


 そう言うのは、金髪碧眼を夕日に照らしたレイモンド王子その人であった。思わぬ身分の高い人物の登場に、捕虜達は驚き言葉を失う。しかし、一日働き詰めの体は食事を欲している。また「酒」などは、この一年近く飲んでない者が殆どだ。驚きのどよめきが、歓声に変わるのはあっという間の事だった。


 そしてこの晩のエトシア砦内では敵の捕虜と、王子派の民兵隊、遊撃兵団、そして西方面軍や中央軍の正規兵までもが加わった、ちょっとしたうたげが行われた。そこには、当然のようにレイモンド王子も同席していた。彼方此方へと出向き、兵や捕虜に声を掛ける王子の周囲には、傍目にはあまり騎士に見えないユーリーを始めとした騎兵隊の面々がさりげなく・・・・護衛として付いている。その一方で、厳めしい騎士達は「捕虜が怯える」という理由で同席していなかった。また、宴の席には敵の死体からはぎ取った雑兵の格好をした「飛竜の尻尾団」ジェロとリコットがいつの間にか紛れ込んでいた。この二人は、他の捕虜達とまるで旧知の仲のように酒を酌み交わし周囲に溶け込んでいる。


 やがて宴の終わりを告げるようにレイモンド王子が立ち上がる。その様子に、王子派の兵士達のみでなく、捕虜達も喝采を上げていた。


「諸君、ディンスやストラを奪われた故に、今君達は私と敵対している」


 その言葉に、捕虜達は冷や水を浴びたように静まり返るが、


「そんな王子様。私らを敵だなんて言わないでください!」


 と、小柄な捕虜・・・・・が声を上げる。涙声のようになっている点は、かつてアフラ教会宣教師のサクラをやっていた騎兵隊のドッジやセブムも見習うべき役者サクラぶりだ。その証拠に、その言葉を皮切りに捕虜達は口々に声を上げた。殆どが「そんなことを言わないでください」というものだ。


「ありがとう捕虜の諸君。いや、捕虜ではないな、親愛なる民の諸君と呼ぼう。今この国は二つに割れている。その責任の一端は私にある。私はその責任を取るために、この国を再び一つのコルサスに戻すことを、自分の使命だと考えている」


 宴の場は静まり返る。みなレイモンド王子の言葉に耳を傾けていた。


「その上で、私はこのコルサスという国を王の物では無く、民の物に造り替えて行きたいと考えている。直ぐには出来ないだろう。しかし必ずやり遂げる。諸君や私が歳を取ったころ、または我々の子供達の代には、必ずそのような民が治める平和なコルサスにするのだ」


 レイモンド王子の持論を既に何度も聞いている王子派の兵達は、歓声を上げる。しかし、捕虜達は、余りの話の大きさに唖然としているのだ。王族や貴族といった特権階級を代表するような王子自身が、国を民に委ねると言っているのだから当然だろう。この時代この場所において、そんな国を想像できる者など皆無に近いのだ。だが、レイモンドの言葉は続く。


「諸君、これからエトシアは総力戦の場となる。我らの増援、五千の援軍・・・・・が今此方へ向かっている。だから、これ以上諸君をここに留めて置く事は出来ない。明日の朝一番で諸君たちを王弟派の軍に送り届けるつもりだ」


 一連の言葉にどよめきが起こる。王子派の兵達は「五千の援軍」という言葉にどよめいている。彼等の知る限り、そのような兵力は何処にも無いはずだからだ。一方捕虜たちは、明日朝には返されると聞いて、不満と絶望の声を上げるのだ。捕虜が帰還を嫌がるというのは、古今東西余り例を見ない珍しい光景だろう。


「……分かっている。私は諸君らのことを見捨てた訳では無い。いつの日か、必ずストラとディンスを取り戻すだろう。その時は、どうか、かつて酒を酌み交わした古い友人を迎え入れるように街の門を開けて欲しい」

「王子! 必ずですよ、俺達は待っています!」

「そうだ!」

「乾杯しよう!」

「王子に乾杯!」


 ユーリーはこの光景を、鳥肌が立つ想いで見ていた。一連の流れは昨晩話し合った謀略の筋書きに基づいている。発案はユーリー自身だった。それに、皆の意見を取り入れ今の形となっている。しかし、そんな謀略など忘れてしまうようなレイモンドの言葉だったのだ。まるで、元からこうなるべきだったように、物事があるべき場所に納まって行く感じがするのだ。


(きっとレイは、心の底からそう思っているんだろうな……)


 ユーリーは、自分が持った感想がほぼ間違いない、と確信するのだった。


****************************************


 ストラとエトシア砦の途中に設けられた王手派軍の陣地に戻った第二、第三騎士団は言葉少なだった。その好戦的な性格とレスリックへの対抗意識から、先に撤退を決意した第三騎士団へ文句を言ってきそうな第二騎士団長オーヴァであるが、副官ドリムの予想に反して沈黙していた。オーヴァンなりに、攻め手の稚拙さと敵の騎士達に掛かり切りとなった自身の采配を反省するところがあるのだろう。


 そんな二つの騎士団は、撤退した日と、その翌日に掛けて負傷者を後方に下げると、後方に温存していた兵力に入れ替え、補充に取り掛かっていた。そして、陣に下がって二日目の午後には、エトシア砦から解放された捕虜の内、雑兵六百名が陣地に帰還した。


 しかし、彼等帰還兵の扱いについて、それまで大人しかったオーヴァンとレスリックの間で一悶着起きることになった。


「このまま後方のストラに下げても良いものか? 何事か言い含められている可能性がある、陣に留めるべきだ」

「何を言うか、既に我が騎士団の兵はストラから此方陣地へ向かっている。貴公の兵とてディンスから向かっているのだろう。これ以上の兵を陣に収容することはできない。役に立たない雑兵など後方に下げるのが必定」


 レスリックの懸念にオーヴァンは反論する。彼の言う「役に立たない雑兵」に被害を担当させ、敵である王子派の軍にそれなりの痛手を与えたことなど忘れてしまったかのような言い様だ。


「しかし、王子派には五千の援軍がいると言う……風説ふうせつたぐいだろうが、注意すべきだ」

「そのような世迷い事を真に受けるとは……王子派が雑兵達に耳打ちしたのは虚兵きょへいの計。国境伯の勢力では、後五千の動ける兵などあるはずが無い。そのような浅はかな計略を弄するのは、兵力がひっ迫している証拠よ」


 レスリックにも、オーヴァンの言う事は分かる。帰還した雑兵達がレイモンド王子から直接聞いたという「五千の援軍」はありえない数字だった。その上、疲弊した敵を叩くのに、今は好機中の好機と言える。彼等がエトシア砦を防衛しなければならない理由はレスリックには良く分かっているのだ。しかし、一方でレイモンド王子の軍にそれほど辛い目に合されることも無くあっさりと開放された雑兵達も気になるのだ。更に同じく捕虜となった正規の兵たちは「雑兵の負傷者たちと共にトトマへ送られた」ということだった。その事も少し腑に落ちない。何か大きな企みがあるような気がしてならないのだ。しかし、


「雑兵など、連れて行っても足手纏いなだけ。全て後方に下げて、我らは正規の兵だけでエトシア砦を攻め落とし、そのままトトマへ攻め上がるべし!」


 撤退から二日半、大人しくしていたオーヴァンは鬱憤うっぷんを晴らすように捲し立てると一方的に軍議を終わりにしてしまった。あるじである王弟ライアードの命である「トトマ攻略」に背いていない以上、レスリックにはそれ以上言い募ることは出来なかった。


 そして、その決定通りにエトシア砦から帰還した雑兵達は後方のストラに下げられることとなったのだ。その翌日、ディンスとストラに配していた第二、第三旗下の騎士や兵士達が陣に到着すると、エトシア砦攻略へ向けた第二回攻勢は次の日、第一回攻撃の四日後の早朝に開始される事となった。


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 王弟派の陣に戻った帰還兵である雑兵達の間にはひそかな噂が流れていた。自分達雑兵の中に王子派の精鋭兵が紛れ込んでいるというのである。その精鋭兵は、エトシアを攻める王弟派の軍を跳ね除けた王子派の軍がストラに迫った時、街を守る門を開ける役割を命じられているという。そんな噂だった。噂の出処は二人の雑兵。一人は小柄な男で口が達者だ。そしてもう一人は兵士としては一般的な背格好だが如何にもお人好しな雰囲気を持った男だ。しかし、このような噂の殆どがそうであるように、兵達は噂の出処を探るよりも、聞きかじった話に面白い尾鰭を付けることにばかり気が向いているようだった。


(リコット、上手く行くかな?)

(さぁ……でも、王子派がストラに来なかったらどうやってトンズラするかが問題だな)

(それは……リコットに任せた)

(ったく、お前はいつもそうだ……)


 後方のストラへ移動を命じられた雑兵達の列は、もう直ぐストラに到着するところだ。そんな列の中で二人の兵がヒソヒソ話を交わす。周りに二人の会話を気にする者はいない。既に、辺りは色彩を失った夕日に染められる黄昏時だ。茜色から紫がかった色合いに変じた空は抜けるように雲一つ無いが、一方で、東北の空の一角には墨を垂らしたように重苦しい雲が浮かんでいた。明日は雨模様になるだろう。


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