Episode_14.16 お守り


 丁度、王弟派の第二・第三騎士団がディンスを出発した日の午後、最後発の遊撃兵団もトトマの街を出発していた。


「ロージさん、頼みますよ!」

「ベロス殿も後方は任せた……」


 トトマ衛兵団七百の兵を束ねるベロスは、出発するロージ達を激励する。衛兵団だけではなく、トトマ住民の多くが見送りと称して南の居館付近に集まっていた。あちらこちらから黄色い声援が飛ぶのは、それだけ遊撃兵団の人気が高いことを示している。


 一方、隊列の後方に位置するユーリー達遊撃騎兵三番隊は、最後の点呼を行っている。点呼を行っているのは副官役のヨシンで、一方のユーリーは周囲をキョロキョロと見回していた。そこに、


「おーいユーリー! アグム先生はこっちだ!」


 と、見送りの住民達の声援を割ってダレスの声が聞こえてきた。ダレスは三番隊の副官から、消耗が激しい四番隊の隊長に抜擢されていたが、ユーリーの用事のために見送りの群衆の中で、人探しを手伝っていたのだ。


 そして、ユーリーはそちらの方を向くと、声の主を確かめて馬を飛び降りる。黒毛の軍馬は、背中の主の動きにも、周囲の喧騒にも動じる事無く、周囲を警戒するような視線を送るだけだった。


「アグム先生!」

「なんだね、ユーリー君?」

「実は――」


 喧騒に紛れて会話の詳細は聞き取れないが、ユーリーは腰に下げた包みを少し開いてアグムに見せる。一方の老魔術師アグムは少し驚いたように目を見開くと、ユーリーの顔を確かめるように見る。そして、そそくさとその包みを懐に仕舞い込んだ。


「おい、ユーリー! 何やってるんだ? こっちは点呼終了だぞ!」


 そこにヨシンの声が掛かる。手入れの行き届いた斧槍「首咬み」が午前の日光を受けてギラリと光る。


「ああ、今行く! じゃぁ先生、よろしくお願いします」

「わ、分かっている……こんな物が……」


 立ち去り際のユーリーの言葉に、老魔術師アグムは、包みを仕舞い込み膨らんだ胸の辺りを押えるのだった。その時、


「ユーリーさんっ!!」


 見送りの群衆が奏でる喧騒を、切り裂くように良く通る声は給仕の職業柄であろうか? ユーリーはサーシャの声を聞くと直ぐに、少女の姿を見つけていた。


「ユーリーさん! ヨシンさんも! 絶対御無事で!」

「分かってる! でも、もしも万が一のことがあったらデルフィルに逃げるんだ。そこでスカースさんに助けを求めれば、サーシャとナータさん位は面倒を見て貰える」

「……ったく、面倒見がいいなぁ」


 サーシャの言葉にユーリーが応じる。依怙贔屓えこひいきと言われれば全くその通りだが、袖振り合うも多生の縁、という言葉通りだ。ヨシンが発した冷やかしの言葉も意に介さずに、ユーリーは真剣な面持ちで妹のような少女に言う。


「分かってますけど、私は信じてます!」

「……ありがとう」


 その時、少し離れたトトマの南門で騎士ロージの出発を告げる声が上がった。


「じゃぁ、行ってくる!」

「あ、これを……」


 その号令に、自分の馬へ戻ろうとするユーリー。そんな彼に、サーシャは折り畳んだ小さい布切れを押し付けるように手渡してきた。


「ん? これは?」

「お、御守……みたいなものです!」

「御守? わかった、ありがとう」


 ユーリーは、何故か赤く染まったサーシャの顔を怪訝そうに見ると、少し微笑んでから自隊に戻っていった。


(ユーリーさん……どうか御無事で)


 やがて南門を抜けてトトマの外へ進軍する遊撃兵団。勇壮な兵士や騎兵達はトトマの住民の歓声を一身にその背に受ける。そんな中、少女の祈りにも似た言葉は、一人の華奢な騎士に向けられていたのだった。


****************************************


「なぁユーリー、さっきサーシャちゃんから貰ったのは何なんだ?」

「うん? さぁ? 御守って言っていたけど」


 トトマを出発して数時間、エトシア砦が遠くに見える街道で、ふとヨシンは思い出したように声を発していた。対するユーリーは一旦懐に仕舞った布切れを取り出す。何の変哲も無い手拭いのような白い布地が折り畳まれているだけだ。


「なんだろう?」


 ユーリーは、何気なくその折り畳まれた布地を開く。そして一瞬後、慌てたようにそれを元に戻して、懐に仕舞う。顔が赤くなるのを感じずにはいられなかった。


「なぁ、なんだったんだ?」

「い、いや……頑張って、って書いてあっただけだ」

「ふーん……そうか?」

「そ、そうだよ……ほら、もう直ぐエトシア砦だ!」

「んなことは、わかってるよ」


 ユーリーの分かり切った言葉にヨシンは少しダレた返事をすると、それでも周囲に気を配る様子となる。一方のユーリーは、赤くなった顔色をどうにか鎮めようとしつつも戸惑った内心を整理出来ずにいた。ユーリーが開き見た布切れの中には数本の短い縮れた毛が入っていたのだ。それは丁度サーシャの髪色と同じ色合いで、麗らかな春の日をなまめかしく反射していた。


 もう一度取り出して見てみる気にはなれなかったが、妙に脳裏に焼き付いた光景にユーリーの混乱は収まらない。更に或る事を思い出して、今度は妹のように思うサーシャを憎たらしくも感じていた。


(これって、デイルさんがハンザ隊長から貰った青いショールと同じ意味だろ……折角ならリリアから……貰いたかったな)


 サーシャの気持ちは分かるが、そう思わざるを得ないユーリー。愛する少女リリアの力ない笑顔を、懐かしい、と思えてしまうほど時間が経ったことが悲しかった。


****************************************


 王弟派が陣地を構成し、王子派がエトシア砦に入った日から二日後の早朝、戦いは特別な切っ掛けも無く粛々と始まった。


 エトシア砦の南側は、海岸と森に挟まれた狭い平野になっている。差し渡し六キロ程度の幅だ。その中央を、かつては賑やかだった太い街道が南のストラやディンスに向けて伸びている。


 王弟派の軍勢約六千は街道途中に設営した陣地から真っ直ぐ北上すると、エトシア砦に接近する。彼等の右翼、森側には第三騎士団が位置する。一方中央から左翼海岸線に渡っては第二騎士団が雑兵を正面に立てて陣取っている。それほど護りの堅く無いエトシア砦の南側を半包囲する構えを見せる王弟軍は、砦側に倍する兵力を誇示するように、その威容を見せつけていた。


 対するエトシア砦側は、防衛に当たる三千数百の騎士と兵士を内部に収容することは出来ないので、大部分を砦の外に布陣していた。砦南側の外壁は荒い石組の三メートルほどの高さの外壁に囲まれている。攻城梯子で難なく乗り越えられる高さであった。しかも一部は崩れた石壁に土を盛るだけの修復が加えられた状態だ。そんな壁では、上に弓兵を展開することも出来ない。砦からの弓矢による攻撃は東西の物見櫓を兼ねた二つの塔からしか期待できなかった。


 予算不足故の貧相な外壁であるが、その南側には騎士や兵士たちが手ずから・・・・掘り上げた三重の深い空堀が巡らされ、その間の狭い通路には、兵士の進軍を妨げる木柵と馬防柵が設置されている。そんな防御線の一番外側、かつては街道があった位置を中心に西方面軍が位置する。砦内部に五百の勢力を残し、残り二千が副官オシアの指揮の下で、空堀や柵といった防御施設に散開している。歩兵が中心となった部隊だが、百騎ほどの騎士が含まれている。しかし、騎馬の機動性を生かせる場所が無いため、それらの騎士達は最初から下馬して徒歩となっていた。


 一方砦の西、海岸側には西方面軍の騎士三百騎を加えたマーシュ率いる中央軍が展開している。こちらの防御設備は歩兵を守るための馬防柵が砦の外壁を背にして半円状に設置されているだけだ。そのため、比較的広く場所が開けている。マーシュを始めとした騎士達は騎乗のまま敵を迎え撃つ構えだ。そして、反対の東、森林側にはロージ率いる遊撃兵団の歩兵と騎兵が陣取っている。こちらは、砦と森林地帯の間が狭く、また、東から西へ勾配が付いているため、正面や海岸側に比べると小規模な防衛線となっている。敢えて言うならば、王子派軍の防衛の弱点に見えない事も無い。


****************************************


「親分、流石に……コワイっすね」

「馬鹿ヤロー。ビビッたってしょうがねぇ。カチコミ前だと思えば……」

「親分、俺達カチコミやったこと無いですよ」

「う、うるせー。景気の悪い事いうんじゃねぇよ! イナシアの姉御・・・・・・・の手紙にも書いてあっただろ!」

「『お体に気を付けて頑張ってください』って書いてありましたけど、ちょっと意味合いが違うんじゃないですか?」


 砦の東側に集結した遊撃兵団。五個小隊二百五十人の歩兵達は、前列が三個小隊、後列が二個小隊と言う具合に整列している。さらに砦側には二列縦隊となった騎兵隊が待機している。若干の人員補充はあったが、殆ど全てが元々はコルサス王国東のトリムやターポから流れてきた元解放戦線の兵士である。最初の頃は兵士とは名ばかりの有象無象の集団であったが、ここ一年弱の実戦経験により、今や西方面軍の正規兵にも見劣りしない実戦経験豊富な部隊となっている。


 そんな歩兵小隊の一角、前列最左翼で一番砦に近い第一歩兵小隊の中で通称アデール班と言われる面々は軽口を交わしている。そうでもしなければ、大戦おおいくさの緊張に押し潰されそうなのだ。彼等は元々ダーリアの裏町界隈をうろつく破落戸ごろつきのヤクザ者だ。しかし何の因果か、今は王子派の主力の一角を務める部隊に身を置いているのだ。威勢よく、しかし何処か滑稽なやり取りを交わす彼等は、言葉にこそ出さないが、運命の悪戯いたずらのようなものを感じていた。


 そんなアデール班の威勢の良いやり取りは、周囲の他の兵達の緊張をほぐす効果があったようだ。第一小隊長は、殊更騒がしくさえなければ特に注意をする気も無いようで、周りの兵達と一緒になって聞いていた。


「ユーリーの兄貴も、ヨシンの兄貴も気張ってくださいよー!」


 アデール班の子分の一人が、隣に整列していたユーリー達騎兵三番隊へ声を掛ける。


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