Episode_13+α.04 大満月の夜
アーシラ歴496年1月
数年から十数年に一度訪れる「大満月」の夜。前回のそれは十八年前の五月だったという。その不定な周期は、ドリステッドに住むエルフ達によって、天の星海に
そんな説明をレオノールから受けたリリアだが、細かい事は理解できなかった。ただ、レオノールがカトレアに頼み自分を鍛えた理由がこの「大満月」の夜にあったことを、ほんの数日前に初めて聞かされていた。そんなリリアは、この日の夕方、ドリステッドから北に少し離れた場所にある、湖に浮かぶ小島に立っていた。
全周一キロにも満たないこの小島には、古代樹が群生している。古代樹と呼ばれる木は、ドルドの森の所々に存在しているが、群生しているのは樹上都市ドリステッドと、この北の小島のみである。そして、この小島はドルドの人々にとって「禁足地」であった。精霊の王が身体を休める場所、森の守護獣たる幻獣
そんな小島にやってきたリリアは、小舟を水際から引き上げると、森のように見える古代樹の間を進む。彼女は普段着用している丈夫な黒っぽい生地のズボンと同じ色合いの
しばらく古代樹の間を歩くリリアは、不意に袋小路のようにった場所で歩みを止める。彼女の目の前には美しい水を湛えた小さな池があった。そしてその周囲は、地面から隆起し、まるで大蛇のように折り重なって
「ここ、かしらね」
呟くリリアは、頭の中でレオノールの言っていた言葉を反芻する。古代樹の切れ目から小島の奥に進んだリリアは、目の前の澄んだ水に満たされた小池が、レオノールの言っていた場所に違いないと確信していた。
時刻は丁度夕暮れ時、真冬の夕日はアッと言う間に木々の梢に隠れてしまう。そしてしばし間、リリアは
日が沈み、月が昇る前。この一刻の訪れに、リリアは身に着けていた薄絹の衣を静かに脱ぎ去る。露わになった彼女の四肢は、古代樹の淡い燐光に照らされて白く、森の中に浮き立っていた。その姿は
リリア本人は気にしている発育の遅さだが、それが反って彼女の裸体の現実離れした美しさを演出していた。その絶妙な均衡は、一流の彫刻家をして生涯の課題と言わしめる美しさの象徴だ。その美しさを森の中で惜しげも無く晒すリリアは、伸びやかな手で頭を覆う最後の布きれを取り払う。
パサリと衣擦れ音を立てて薄布が地面に落ちる。そして一糸纏わぬ姿となったリリアは、乱れた前髪をすこし尖った耳に掛けるように、左手で髪を梳く仕草をする。しかし、その手に髪の毛の感触は無かった。
(そうだった……)
リリアは、今は必要無くなった仕草に自分の状況を思い出すと、ハシバミ色の大きな瞳を
(……)
そんなリリアは、水面に映り込む自分の姿をまるで他人を見るような思いで眺める。そこに在ったのは燐光に照らされ白く抜けるような肌色となった自分だった。
――精霊種は、上位にあるものほど生き物の道理から離れていくの。そして、生き物が持つ
とは、全身を剃られることに抵抗したリリアに対する、レオノールの言葉だった。そんな言葉を思い出すリリアは、レオノールが小島まで付いて来なかった理由は、きっと
「はぁ……」
何とも思い出したくない記憶と、今の自分の姿に、リリアは溜息をもらす。その時、
バサッ、バサッ――
頭上で鳥の羽ばたきが聞こえた。リリアは気を取り直すと、夜空にの中に羽ばたきの主 ――ヴェズル―― を見つけていた。ヴェズルは彼女の頭上を何度か旋回すると、定位置 ――リリアの左肩―― 目掛けて降下する。しかし、リリアの肩に掴まる寸前で、その肩が剥き出しの素肌であることを見て取った若い鷹は、つんのめったように軌道を変えて近くの古代樹の根の上に着地したのだ。
「ありがと。今、肩に止まられるとちょっと痛いと思うから」
「クエー」
知性を感じさせる金色の瞳、意識や視界を共有することが出来ること、更に水の大精霊である水蛇を体当たりで霧散させる力。それらはただの鷹にはあり得ない能力だった。そんなヴェズルを目の当たりにしたレオノールは非常に驚いていたが、詳しい話をリリアから聞く事も無ければ、自分の考えを述べる事も無かった。そのため、リリアはヴェズルのことを余り特別に思っていなかった。そんな彼女は、
「ヴェズル、水浴びするから見張っててね」
と軽い感じで言う。
「クェ……」
一方のヴェズルは、雛の時ほど「クェクェ」と鳴く事はなくなっている。そんな若鷹は短く、まるで人間がするような返事として、短く鳴き声を発していた。
ヴェズルの返事に満足したリリアは一度地面に置いていた包み袋を開き、中身を確認する。ギッシリと袋に詰まったのは、貴重な古代樹の実だった。彼女は、その袋の口を開けたままで、小池の対岸 ――大きな古代樹の根元―― へと放り投げると、目の前の小池の水面に足をつけるのだった。
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ドルドの北の湖に浮かぶ小島は不思議な場所だった。生き物の気配がとても濃いドルドの森にあって、この小島には獣や鳥の気配は皆無だった。そして、一月という真冬にあっても、小島を包む空気は寒さを感じさせないものだった。
そんな事を不思議に感じつつリリアは、凍える冷たさ、とは程遠く寧ろ心地よい温度の小池の水に全身を浸す。そして、中央まで進み出ると一気に水中へ身を投じる。水中に潜ったリリアは、自身を包み込む水の温かさに、自然と胎児がするように膝を抱える姿勢となり、燐光に照らされる水中を
トクッ、トクッ、トクッ――
自分の鼓動意外なにも聞こえない世界。息苦しさを覚えない不思議な水中で、リリアは古代樹の根が放つ燐光に照らされる。周囲には当然水の精霊の存在があるが、それはまるでリリアに無関心というように、何も語りかけてこない。そして、リリアも自分の鼓動を感じる意外の事を止めてしまう。
そして、リリアは水中から水面を通じて夜空を見ていた。
(月がでたわね……)
心の中でそう呟くリリアは、意を決して水面に向かう。レオノールの言う通りならば、この後、何等かの精霊種がこの池の対岸に降臨するはずである。そして、その存在に助力を願い、受け入れられれば、リリアは一角獣の守護者と同等の力を得られるはずなのだ。
勿論危険が伴う試練だ。レオノールからは、これが命を落とす可能性のある試練だということも告げられているリリアである。しかし、彼女には引き下がるという選択肢は無かった。
ドルドの森にやってきて一年、辛い修行の日々にあって、リリアの想いは薄れるどころか、濃く強くなっていった。
そして最後の試練に挑むため徐々に水面に近付くリリアは、一際強くユーリーの姿を思い浮かべる。
初めて出会った時の割れた卵塗れの姿。大通りの人混みの中で自分の事をずっと待っていた姿。翼の髪飾りを買ってくれたときのはにかんだ笑顔。盗賊ギルドの倉庫から養父を救い出してくれたときの必死な姿。そして、自分を抱いて宙を飛んだ光翼を持つ騎士の姿。思い出として仕舞い込まれた情景を一つ一つ大切に切り取り、思い浮かべて過ごしたドルドの森の日々は、少し幼かったリリアの恋心を強く育て上げていた。
(あなたに、必要とされたいの!)
水面を割って姿を現す全裸の少女は、夜空の大部分を占めるほど大きな月明かりに照らされ、静粛な美しさを持つ。しかし、その内心は燃え上がるような想いで満たされていた。
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