Episode_13+α.03 優しき風の化身


(水の大精霊!?)


 リリアは物凄い勢いで自分に迫る三匹の水の大蛇の姿を捉えていた。それは、一年近くの訓練で初めて見たカトレアの攻撃術だった。鎌鼬ウィンドカッタ土槍アースジャベリンとは比較にならない強力な圧を生じる大蛇の姿は、そのままカトレアの本気の表れだった。しかし、


(負けられないのよ!)


 そう思うリリアは、既に一年前のか弱い少女ではなかった。困難に立ち向かう勇気と理由を持ち、それを成し遂げるだけの力を身に着けた一人の戦士であった。


 そんなリリアは、迫り来る危険を前に冷静な思考を巡らせる。凄腕の暗殺者であった父の教えはこんな時に彼女を助けていた。


封止シーリングは失敗すれば後が無い。ここは、力で対抗する!)


 そう決めたリリアは、凛とした声で命じる。


「冷たき風と淡き水よ、つどい集まり、凍える大気を成せ!」


 リリアの呼掛けに応じ、周囲の気温がグンと下がる。水と風の精霊による複合術「霜風フロストウィンド」だ。リリアの周囲の下草や木の枝にみるみるうちに霜が降りる。そして、一瞬後、彼女を取り巻いていたキラキラとした氷の結晶を伴った極寒の空気は、まるで白く輝く刃のように、正面から水蛇を迎え撃った。


ギィィン!


 高圧の水の塊と冷気の塊がぶつかり、ドルドの森に金属音めいた高い音が響く。リリアの霜風フロストウィンドは確実に水蛇の身体を凍えた氷柱に変えた、しかし、それは三匹の内の一匹のみだった。


 カトレアの呼掛けに応じた三匹の水蛇は、冷気が衝突する瞬間、一匹が他の二匹を守るように前に出て全ての冷気を受け止めたのだ。結果的に、冷気を受け止めた一匹はその場で氷柱となると脆く崩れる。しかし、未だ水蛇は二匹残っていた。そしてそれら・・・は、リリアの手前二十メートルの場所まで達していたのだ。


「強固なる地人ノームよ、私を守る城壁となれ!」


 リリアは自らの放った霜風フロストウィンドが、強力な水蛇の槍を無力化するまでの力を持たなかったことに内心舌打ちをする。そして「土の壁アースウォール」を発動した。リリアの声に応じて、手前十メートルの場所で地面が隆起すると、水蛇の行く手を阻む分厚い壁となる。


ドバァンッ!


 土壁に高速で突っ込む格好となった二匹の水蛇、その内一匹が方向を転じる事が出来ずそのまま土壁に衝突すると、細かい水と泥の煙となって辺りに飛び散る。しかし、最後に残った一匹は、衝突の寸前で上空に進路を転じると森の木々の間からリリアを見下ろす格好となった。


「しまった!」


 対峙する水蛇とリリアの距離は十メートルも無い。そして、この距離でリリアに対処する術は残されていなかった。咢を大きく広げ、大きな牙を剥いた水蛇の頭が自分目掛けて飛び掛かってくる光景を、リリアはゆっくりとした時の流れの中で見ていた。その時、


キュィン!

ボンッ!


 何かが上空から空気を切り裂き飛来すると、リリアを襲う水蛇の頭に衝突する。そして次の瞬間、水蛇の身体は、まるで突然沸騰したように弾けて霧散していた。


「ヴェズル?」


 リリアは間一髪で自分を救った者の名を呼ぶ。それは、産毛が抜け落ち立派な羽に生え変わったばかりの若い鷹だった。窮地を脱したリリアは飛び去る若鷹ヴェズルの姿を目で追う。リリアの視界の中で、風の如く飛び去るヴェズルは全身に白っぽい燐光を纏わり付かせていた。


 ただの若い鷹に、水の大精霊を打ち砕く力があるはずが無かった。しかし、薄白い燐光を纏い森の木々の間を飛び抜けるヴェズルの姿は、リリアにそのような疑問を与えることは無い。卵から孵って直ぐにリリアに保護された若鷹は、これまでも成長するにつれ、簡単な意志をリリアの脳裏に直接伝えるようになっていた。しかも、最近では視覚の共有まで可能になっていたのだ。


 そんな、ただの鳥とはいえない存在、尋常ならざる存在というべきこの若い鷹を、リリアは不気味に思うどころか「寛風ヴェズル」と名付けて可愛がっていたのだ。


(ヴェズル、ありがと!)


 リリアは、飛び去る若鷹の後ろ姿にそう呼びかける。そんな彼女は、ヴェズルから機嫌の良い感覚が返事のように流れ込んでくると思っていた。しかし、


「――!」


 次の瞬間、そのヴェズルの思考 ――危険を伝え警戒を促す―― が脳裏に飛び込んできた。そして、


バキィン!


 振り向きざまに防御の姿勢で構えたリリアの短槍は、カトレアの一撃を辛くも受け止めていた。


「くっ!」


 どちらの物か分からない呻き声が森に響いた。


 カトレアは渾身の攻撃術「水蛇の槍ナムナングニル」を追い掛けるように、森を疾走し、三匹の水蛇を防ぎ切ったと油断を見せたリリアに近接戦を仕掛けたのだ。この状況だけでも、半年前の戦闘訓練の立場は入れ替わっている。今は、カトレアが熾烈なリリアの遠距離攻撃を掻い潜り近接戦闘に持ち込んだのだ。しかも、


近接戦こっちなら、負けてない!)


 絶対の自信を持つカトレアは、指導者としての意地にかけて教え子、更には一角獣の守護者でもなければ盟約による加護を受けている訳でも無い生身の少女・・・・・に負けるはずはない、と自分を奮い立たせる。そんな「負けるはずは無い」という想いは「負ける訳にはいかない」という強い矜持の裏返しでもある。そして、その想いに駆り立てられた彼女は、苛烈な近接戦闘でこの訓練に終止符を打つことを心に決めていた。


 それでも、完全に不意を突いたはずの初撃はリリアに受け止められた。しかし止まらないカトレアは、打ち合った木の棒を支点として自分の身体を相手リリアの懐に潜り込ませ、強烈な横蹴りを放つ。


「きゃっ!」


 リリアはそれを寸前で後ろに跳んで躱そうとするが、カトレアのブーツのかかとは、最近膨らみを増したリリアの双丘の間、胸骨の上部を捉え彼女を吹き飛ばす。


 一方、蹴り飛ばされたリリアは、空中で身体を捻ると左肩から地面に着地し、その勢いを利用して一回転後転すると立ち上がる。そして、すかさず


「地精よ、怒りを現せ!」


 断固とした声で地の精霊に呼びかける。しかし、カトレアはそんなリリアの様子に構わず間合いを詰める。そんなカトレアの足元から、


ズシャァ!


 という鈍い音共に「土槍アースジャベリン」が突き上がる。カトレアは、このリリアの牽制攻撃を寸前で躱す。体勢を大きく後ろに反らせて、土槍を躱したカトレアの元へ、今度は握り拳大の礫が矢継早に降り注ぐ。しかし、一角獣スプレニと盟約を結んだ守護者であるカトレアは俊敏な身体能力を示すと、その状態でも更に迫り来る土の精霊術を躱して見せた。そして、


あまねく力の精よ! 原始の龍は偉大なり! ひれ伏せ!」


 一際大きな声で宣言するように、カトレアは言葉を放つ。それは、この世界を動かす力の元祖たる古の龍。理の巨人と対立した結果、その身を引き裂かれ世界の動きを司る力の素に還元された原始の龍を引合いに出す精霊術「虚無の空間ヴォイドフィールド」。カトレアが行使できる最強の精霊術だった。


 カトレアの術によって、狭い範囲の空間で全ての精霊が動きを止める。そこへ俊足ストライドの術を自身に掛けたリリアが飛び込む。


「鋭ッ!」


 気合い一閃、しかし、リリアの俊足ストライドはカトレアに接近すると、一気に効力を失ってしまった。そして、彼女の放った疾風の突きはただの突き・・・・・に成り下がる。こうなれば、盟約の力を持つカトレアは単純な物理攻撃で、リリアを圧倒するのだ。


 それでも数合、リリアはカトレアと木の棒を打ち付け合う。近接戦闘に精霊術を絡めるという課題を克服したリリアは、しかし最後の試練で皮肉にも精霊術を封じられる結果となった。そんなリリアは、それでも意地でカトレアと打ち合う。しかし、


「あぁ!」


 巻き取るようなカトレアの棒捌きによって、リリアは自分の木の棒を撥ね飛ばされてしまう。その状況に彼女は慌てて距離を取り、唯一自分の腰に差していた父親ジムの形見である短剣を抜こうとするが――


「ま……まいりました」

「はぁはぁ――」


 リリアは短剣の柄に手を掛けた状態で降参せざるを得なかった。彼女の喉元にはカトレアの操る切りっ放しの木の棒の先端が押しつけられていたのだ。その状況にリリアは負けを認める。対するカトレアは、言葉も無く荒い息を吐くだけだった。


****************************************


 しばし無言で見詰め合う師妹、そこへ、


「大したものだわ……カトレア、どう思うの?」


 という言葉が割って入る。それは、白い大きな一角獣バルザックの背中に乗ったいにしえのエルフ、レオノールの声だった。そんなレオノールの言葉に、息を整え切っていないカトレアは視線だけを向ける。そして、


「はぁ、はぁ―――もう、文句を付けるところはない……正直驚いた……」

「リリアはどうだった?」


 カトレアの素直な感想にレオノールは一度微笑むと、今度はリリアに問いかける。


「やっぱり、接近すると分が悪いですね……」

「そうね、でも遠間ではカトレアを圧倒していたわ……」


 そう言うレオノールは、続けて何か言い掛ける。しかし、


バサッバサッ――


 その言葉を割って大空からリリアの元に一羽の若い鷹が舞い降りた。ヴェズルは、大空から帰還すると、リリアの華奢な左肩に頑丈な鉤爪を喰い込ませるようにして立ち場所を見つけて、その場で羽を休める姿勢を取った。


「……ね、ねぇリリア、その子・・・お知り合い?」

「その子? って、この子ヴェズルの事ですか?」


 リリアは人差し指と親指でヴェズルの頭と眉間を撫でる。一方それを見るレオノールは目を丸くしている。驚く表情というのは、数百年を生きる古エルフには珍しい表情だ。しかし、レオノールはリリアの肩に止まる若鷹ヴェズルを目の前にして、「驚嘆」という表情を惜しげも無く晒していた。対するリリアは、キョトンとした表情でそんな森の女王の驚きを受け止めるのだった。


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